2008年04月20日 (日) 15時04分 No.16
アート・ジャーナル - (はてな)
ファイン・アート・ソサイアティは、ホイッスラーのノクターンを展示してラスキンの批判を呼び起こしたグロブナー・ギャラリーと同じように、1870年代に開設された新しい画廊であった。ヒューイッシは、弁護士から転じてこの画廊の経営者になり、ロンドンの美術界で活発に活動していた。その後、1881年から93年まで、彼は、『アート・ジャーナル』という美術雑誌の編集長を務め、さらに東洋美術に造詣を深めてジャパン・ソサイアティの会長に就き、『日本とその美術』という本も著した。(2)