[17] 金の張り扇 |
- 寅 - 2009年06月10日 (水) 13時54分
子供用新作講談(ただし対象年齢不明)「金の張り扇」
これからお話する作品はおじさんが作りました。 みなさんもおもしろいお話を作ったり、覚えてみてください。 学校の勉強は後回しにしましょう。 学校の成績が悪くてもおもしろい話をしゃべることが出来ればいいんです。 そうすると周りの人が、君を指差して「あっ、落語(落伍)者」と言ってくれます。 これを「くすぐり」と言います。 聞いてる人が笑わないからといって、腋の下をくすぐることはルール違反です。 でもあまり笑ってもらえなければ、時には本当にくすぐってもかまいません。 それが可笑しいと言って、笑ってくれるかも知れませんから。 今までのお話を「枕」と言います。 「枕」が出たからと言って寝ようとしないで下さいね。 これからが本編なんですから。 それではお話です。 お話の題名は「金の張り扇」。 どこかで聞いたことのあるお話だと思ったあなた。 これはおじさんが作ったんですよ。 パーン、パーン、パパン、パーン。 ひとりの前座が稽古場で釈台を張り扇で叩いておりました。 大きな声を出しては張り扇を、振り上げてはおろし振り上げてはおろし、一生懸命です。 稽古をしていたのは「三方が原の合戦」というお話でした。 これは皆さんも良く知っている戦国の武将徳川家康の唯一の負け戦の模様を語ったものです。 このお話は前座になったら最初に覚えて舌の回転を良くしたり、声が出るようにするための基本中の基本のお話とされています。 さわりを少しお話してみましょう。 「頃は元亀三年?飯田多々羅の両城へ攻めかかる」(位までを修羅場調子で読む) 今落語ブームですから「寿限無、寿限無」と例の長い名前を言える子供も多いようですね。 でも「三方が原の合戦」を言える子供は一人もいませんよ。 これを覚えたらもう君はクラスのスターになれることは間違いありません。 どうですか、君覚えない?覚えてみたい人には後で「合戦」を書いた用紙を差し上げます。 それに「寿限無」のような人の名前を覚えたってなんの役にも立ちません。 「三方が原の合戦」は歴史の勉強にもなりますよ。 このことは昔から「講談聞くとためになる、落語を聞くとダメになる。」というように言われているんです。 どこまでお話をしてましたっけ。 そうでした、前座が大きな声を出して張り扇を、振り上げてはおろし振り上げてはおろし、一生懸命稽古していました。「あっ」。 前座の手から張り扇が飛び離れました。 くるくる、くるくる、くるくるボッチャーン。 落語だったら「前座は女の子だったのにボッチャーン。」なんてつまらないギャグを言うところです。 それはともかく、張り扇はマンションの一室の稽古場の窓を飛び出し近くに流れていた荒川の中へ落ちてしまいました。 ちなみにこの稽古場は埼京線の「浮間舟渡」という駅の近く、荒川沿いにあったのです。 皆さん知っていますか、私も初めて聞く地名です。 前座はあわてました。 早速稽古場のあったマンションの6階からエレベーターも使わずに駆け下り、川の淵へ駆け寄って覗き込みました。 川は連日の集中豪雨のあとで増水して、濁っており張り扇は深く沈んでしまったのか見えません。 ここで「張り扇は軽いから流されているに決まっているよ」と思った人はいませんか? 又「斧なら沈むのにね」なんて憎らしいことを思った人はいませんか? 物事はあまり科学的に考えてはいけませんよ。 今の科学では割り切れないことがこの世の中にはたくさんあるんです。 テレビのゴールデンタイムに「オーラの泉」が堂々と放送されるのもそのためです。 マンションから駆け下りても、息ひとつ乱れていなかった体育大学出身で体力に自信のあるこの前座も、さすがに川に飛び込んで張り扇を探すことはできませんでした。 前座は泣きたくなりました。 「ああ。こまった。たった一つの大事な斧・・ではなく張り扇をなくしては、明日から稽古が出来ない。」 前座は腕組みをしたまま、ため息をついていました。 まもなく、急に、川の淵にざわざわと波が立ち始めました。 「おやっ。」と前座は驚いて目を丸くしました。 波の中から、煙のようなものがゆらゆらと立ち上りました。 見るみるうちに煙は川の神様の姿に変わりました。 「前座よ。お前の落とした張り扇はこれではないか。」と、一本の張り扇を差し出しました。 前座は驚いたまま首を突き出して、じっと張り扇を見つめました。 きら きら、きら きら。 美しい金の張り扇です。(張り扇に金の折り紙を張り付けたものを用意する) 前座は驚いて首と手を振りました。 「違います。違います。そんなりっぱな張り扇ではありません。そんなりっぱな金の張り扇は人間国宝の貞水先生も講談協会会長の馬琴先生も使っていません。 そんな華やかな張り扇が似合うのは講談界広し(あまり広くありませんが)と言えど神田香織先生をおいて他にはおりません。」 これを「よいしょ」と言います。 なぜならこの前座の師匠は香織先生だったからです。 川の中から神様が現れる、といった信じられない状態の中で師匠を「よいしょ」することを忘れない弟子の鏡と言える前座ですね。 すると神様は再び川の中に消え、今度は銀の張り扇を持って現れました。 「お前が落としたのはこの張り扇か」 「いいえ、そんなりっぱな銀の張り扇ではありません」 「よし、わかった。」 神様はもう一度川の中に消えると、前座が落とした古びた紙で出来た張り扇をもって現れました。 「お前が落としたのはこの張り扇か」 「神様それです。それです。ありがとうございます。」 神様はにっこりうなずきました。 「お前は本当に正直な人間だ。金の張り扇も、銀の張り扇も褒美にあげよう。」 「ほ、本当ですか。」 前座は大喜びで、自分の張り扇のほかに金と銀の張り扇をもらいました。 この張り扇は宝物にして「真打」目指して頑張ろう、と元気に稽古に励むのでした。 ちなみに真打とは講談師の一番高い位のことで、その前を二つ目と言います。 この前座は前座の人たちだけの勉強会でこの話をしました。 勉強会でその話を聞いた前座の一人が自分も金と銀の張り扇をもらおうと考えました。 そして神田香織先生にお願いをして、同じ稽古場で一人で稽古をすることが出来ることになりました。 その前座はわざと窓から荒川目がけて張り扇を投げ込みました。 ところが折からの強風に煽られ、張り扇は川の中に落ちずに道を歩いている人にもう少しのところでぶつかりそうになりました。 神田香織先生に油を絞られ前座は青菜に塩の状態です。香織先生はそんな前座にやさしく 「昔から芸は人なりと言うのよ。芸にはそのひとの人柄がにじみ出るの。人格をみがくことが大事ですよ。」 それからというものその前座は、金銀の張り扇をもらった前座にも負けず劣らずの努力をして講談界を去ることもなく、無事二つ目になることが出来ました。 少しぐらいつまづいてもやり直せばいいんです、人生一回や二回嘘ついても構いませんという、ウソップ物語「金の張り扇」これをもちまして読み終わりといたします。
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