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「直き心」の日本文明(「4月29日昭和の日」に因んで) (868)
日時:2011年04月28日 (木) 17時44分
名前:歴史


「直き心」の日本文明
~このように「心のあり方」に重要な価値を置く文明はほかには見あたらない


1.「もう少しやわらかいやり方はないか」

  4月29日は「昭和の日」である。昭和時代には天皇誕生日であり、昭和天皇崩御の後は
  「みどりの日」とされていたのを、平成19年から「激動の日々を経て、復興を遂げた
   昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という趣旨から「昭和の日」とされた。

  確かに昭和は「激動の日々」だった。

  大東亜戦争という史上空前の大戦争で国内は瓦礫の山となったが、そこから世界第2位の
  経済大国へと奇跡の復興を遂げた。

  その激動の64年間、昭和天皇は国家を支えてこられた。

  この激動の中、特に戦前の御前会議などで大きな決断を求められた時、昭和天皇は、
  しばしば「もう少しやわらかいやり方はないか」と、事前にお尋ねになられた、という。

  「平らけくしろしめせ」(平安に治めなさい)というのが、皇室の先祖である天照大神が
  命じた所であり、歴代の天皇もそれを守って、「和(やわ)らげ調えてしろしめす」方法を
  とられてきた。

  「知(し)ろしめす」とは
  「天皇が鏡のような無私の心に国民の思いを写し、その安寧を神に祈る」という事である。
  「もう少しやわらかいやり方を」と言われる昭和天皇の姿勢は、皇室の伝統そのものなの
  であった。

精神のバブル (869)
日時:2011年04月28日 (木) 17時44分
名前:歴史

2.「バブル景気」が生み出す「精神のバブル」

  しかし、時代は昭和天皇のお気持ち通りには進まなかった。
  大正10(1921)年、大正天皇のご病気により20歳にして摂政宮となられた時、
  すでに日本国民は「精神のバブル」期に入っていた。

  京都大学教授・中西輝政氏はこう述べる。


    大正時代を以降を振り返ってみると、日本がおかしな方向に進み出すのは
    「精神の膨張主義」に傾いたときであった。

    それは、対外政策上の膨張主義よりも深刻なものである。
    成功や繁栄のなかから生まれる、日本人の宿痾(しゅくあ、JOG注:持病)としての
    「精神のバブル」のことである。

    それは必ず、過度の物質主義、性急な進歩主義、そして模倣の個人主義をもたらす。

    大正時代、第一次大戦によって起こったバブル景気により、日本人は未曾有の経済的
    豊かさに酔う。そして政治的には、日露戦争の余韻が冷めやらぬなか、「世界の一等国」
    として、さらにはアメリカやイギリスと「三大大国として肩を並べた」と考えるように
    なった。

    この錯覚が、日本の進むべき道を誤らせたのである。


  この様子は、1980年代後半から1990年代初頭にかけて我々の経験した「バブル景気」と
  そっくりである。当時、世界最強の経済大国として、日本企業はありあまるカネに物を
  言わせてアメリカの高層ビルや大企業を買いあさった。

  そして未曾有の経済的豊かさから生まれた「カネがすべて」という「過度の物質主義」、
  グローバリズム・ゆとり教育・フェミニズムなど歴史伝統を無視した「性急な進歩主義」、
  家族や共同体を軽視し「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」という「模倣の個人主義」。

  まさに「バブル景気」が、「精神のバブル」を生み出していた。

よもの海みなはらからと思ふ世に (870)
日時:2011年04月28日 (木) 17時45分
名前:歴史

3.よもの海みなはらからと思ふ世に

  戦前の「精神のバブル」に抗する昭和天皇のもっとも悲痛なメッセージが、対米開戦を議する
  御前会議において、あくまで平和交渉を優先すべきとして、次の明治天皇の御製(お歌)
  「四海兄弟」を読み上げられたことであろう。


    よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ

(四方の海はみな同胞と思っているのに、どうして波風が立ち騒ぐのだろうか)


  「世界の一等国」などと国際社会を対立的・競争的に捉えて、威勢を張るのではなく、
  他国民にも同胞意識を持って接するのが、「和らげ調えてしろしめす」道であった。

  終戦の際には、内閣の意見がまとまらず、昭和天皇の御聖断を仰いだ。
  その時のお気持ちを次のように詠われている。

  
    爆撃にたふれゆく民のうえをおもひいくさとめけり身はい かならむとも

  
  「身はいかならむとも」国民の安寧のために尽くすのが歴代天皇の使命であった。
  ここにも「平らけくしろしめせ」という、天照大神の御神勅が息づいている。

復興を遂げた昭和の時代 (871)
日時:2011年04月28日 (木) 17時46分
名前:歴史

4.「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代」

  終戦後、昭和天皇が始められたのは、国民を見舞い、励ますための御巡幸であった。
  沖縄以外の全国、3万3千キロの行程を約8年半かけて回られた。

  立ち寄られた箇所は1411カ所に及び、奉迎者の総数は数千万人に達したと思われる

  原爆の惨禍の残る広島では、こう詠まれた。


    ああ広島平和の鐘も鳴りはじめたちなおる見えてうれしかりけり

   
  平和の鐘が鳴り、復興に励む国民の姿に「和らげ調えてしろしめす」という道の実現を
  見て、喜ばれたのである。

  「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代」とは、「精神のバブル」によって
  昭和天皇の「和らげ調えてしろしめす」志に反して大戦争に突入し、戦後はその御心に
  沿って世界史に残る復興を遂げた時代であった。

「直き心」 (872)
日時:2011年04月28日 (木) 17時47分
名前:歴史

5.「直き心」

  国家を「和らげ調え」るためには、国民一人ひとりが「直(なお)き心」を持たなくては
  ならない。

  他人を押しのけても自分だけ豊かになりたい、とか、競争に勝つためには手段を選ばない、
  というようなとげとげしい心では、社会の波風はおさまらない。

  自分のことよりも周囲の人々への思いやりを大切にする、とか、
  多少遠回りになっても正しい道を歩んで行こう、
  という心持ちを多くの国民が持つときに、国は「和らげ調え」られる。

  このように国内を「和らげ調えてしろしめす」ために、天皇は国民の安寧をひたすらに祈る
  「直き心」の体現者でなければならない、というのが、皇室の伝統であった。

  古来から天皇の持つ「直き心」を「大御心」と呼んだ。


  昭和20年9月27日、昭和天皇は占領軍司令官ダグラス・マッカーサーと会見し、
  「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります」
  と述べた上で、こう語られた。


    戦争の結果現在国民は飢餓に瀕している。このままでは罪のない国民に多数の餓死者が
    出るおそれがあるから、米国に是非食糧援助をお願いしたい。

    ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充てて
    頂ければ仕合せである。[「奥村元外務次官談話記録」]


  これを聞いたマッカーサーは、次のように反応したという。

   
    それまで姿勢を変えなかった元帥が、やおら立上って陛下の前に進み、
    抱きつかんばかりにして御手を握り、「私は初めて神の如き帝王を見た」
    と述べて、陛下のお帰りの時は、元帥自ら出口までお見送りの礼をとったのである。


  昭和天皇の「直き心」は、マッカーサーの心を揺り動かしたのである。


憲法学者・横田喜三郎の「うそ」 (873)
日時:2011年04月28日 (木) 17時48分
名前:歴史

6.憲法学者・横田喜三郎の「うそ」

  こうした「直き心」は、日常生活では「嘘をつかない」事につながる。


  かつて横田喜三郎という憲法学者がいた。

  昭和24年に『天皇制』という本を書いて、
  「天皇制は封建的な遺制で、民主化が始まった日本とは相容れない。
  いずれ廃止すべきである」という趣旨の主張をした。

  こういう主張をした人間が、昭和30年代に最高裁判所長官となり、
  最後は天皇陛下の前に出て勲一等を受けている。

  その過程では、東京中の古本屋を回って、『天皇制』の著書を買い集め、
  世に流布しないようにしたそうな。

  横田氏の主張の是非はともかくとして、こういう姿勢に大多数の日本人は疑問を
  感じるだろう。

  最後まで「天皇制を廃止すべき」という信念を抱いていたのなら、天皇から
  勲一等を授けられる事は辞退すべきだ。それが自らの学問を貫くということである。

  あるいは、以前の主張が間違いだったと考えを改めたのなら、堂々とそれを公言
  すべきである。それによってこそ、日本の憲法学の進歩にも貢献できたはずだ。


  横田氏に良心があったのなら「うそ」をついたという呵責に苦しんだろうし、
  良心がなかったのなら、いつ「うそ」が露顕するかと不安に苛まされたろう。

  いずれにせよ、その心は「平らか」ではなかったはずだ。
  こんな心持ちではいくら勲一等を貰っても、とても幸福な人生とは言えまい。

  「直き心」で生きていくことは、幸福への近道である、というのが、
  日本人の古来から智慧であった。

  「革命のためには嘘も暴力も許される」などと倫理性に欠けたマルクス主義に
  かぶれたばかりに、横田氏はこういう日本人本来の智慧を見失っていたのであろう。

日本人的思考は世界では、超少数派 (874)
日時:2011年04月28日 (木) 17時48分
名前:歴史

7.「日本人的思考は超少数派」

  しかし、横田氏の態度に疑問を感じる大多数の日本人の考え方そのものが、
  世界では超少数派のようだ。

  あるフランス在住の日本人女性が、こんな体験を書いていた。


    外国人向け仏語教室で私が、「こちらでは大人でもスーパーでお金を払う前に
    食べたりしている。マナーが悪い」と言ったところ、

    そこにいたスペイン人、アラブ人、ロシア人などが「それのどこが悪い?」と
    集中砲火を浴びたのです。

    私の友人も教室で「道でお金を拾ったらどうするか?」という質問に
    「警察に届ける」と答えたら、「ナイーブすぎる」「バカだ」
    「どうして警察が信用できる?」とこれまた集中砲火。

    要するに多数決でいったら日本人的思考は超少数派なのですね。


  この日本人女性の言う所の「日本人的思考」は、
  「直き心」を大切にしてきた日本の伝統そのものなのである。


  (もちろん、それは日本人の独占物ではなく、他の古い共同体社会にも
  見つかるが、現代世界では「超少数派」であることは間違いない)

「日本のこころ」のあり方を示す「日本国の象徴」 (875)
日時:2011年04月28日 (木) 17時49分
名前:歴史

8.「日本のこころ」のあり方を示す「日本国の象徴」

  こうした「直き心」を、中西輝政教授は日本文明の大きな特徴として捉えている。


    日本ではつねに「正直できれいな心」「裏表のない心根」 という、独特な
    心のあり方が求められる。

    さらには「素直で争いごとを好まない」「黙々と努力する」「約束を守る」
    などといった、「心の清潔さ」に大きな価値が与えられてきた。

    これを古い時代には「明(あか)き清き心」「直き心」と呼んだ。

    これこそ日本文明の大きな特徴であり、このような「心のあり方」に重要な価値を
    置く文明はほかには見あたらない。

    ・・・この国には、一人ひとりが自らの内面を大切にし、
    「心の清潔さを保つことこそ、幸福を招き、社会を平穏にするもとである」
    と考える、確かな伝統があるのである。・・・

    そしてこうした「日本のこころ」のあり方を、目に見えるかたちでもっとも
    はっきりと示すもの、それが天皇なのである。

   
  「日本のこころ」のあり方を目に見えるかたちで示す。
  これが天皇を「日本国の象徴」とすることであるとしたら、
  その「象徴」の意味はとてつもなく重い。

日本が世界に良い影響を与えている (876)
日時:2011年04月28日 (木) 17時50分
名前:歴史

9.「日本が世界に良い影響を与えている」

  「お金を拾ったら警察に届ける」と言う日本人が、スペイン人、アラブ人、ロシア人
  などから「ナイーブすぎる」「バカだ」「どうして警察が信用できる?」と
  集中砲火を浴びせられる。

  これが現代の国際社会の縮図であろう。

  こんな国際社会の中で生きていくためには、「直き心」を捨て去って、
  嘘をついても、人を騙しても、自分の利益を守っていかなければならないのか。

  中西輝政教授はこう語る。


    よく日本人は「外交下手」といわれるが、これは私の見るところ、深い意味で
   「仕方のないこと」なのである。なぜならそれはこの国の本質、日本文明の核心
   に関わる欠点だからである。

   そして深いレベルでは「外交下手」は、むしろ日本の誇りでさえある、
   といえるかもしれない。

   確かに相手国を騙して利益を得る外交も、短期的には成り立つだろう。
   しかし、相手国も馬鹿ではない。
   長年付き合っていれば、信頼できる国かどうかは、いずれ分かってしまうものだ。

   最近、読売新聞などが行なった「アジア7か国世論調査」では
   「日本がアジアの一員として、アジア発展のために積極的な役割を果たしている」
   「日本が世界に良い影響を与えている」という声が圧倒的だった。


   我々は、もっと自信を持って、我々なりの「直き心」を持って、
   国際社会に対すべきではないか。

   それが波風の絶えない国際社会を「和らげ調え」る事につながるだろう。

   そしてその「直き心」は過度の物質主義、性急な進歩主義、そして模倣の個人主義
   といった「精神のバブル」から我々を目覚めさせ、安らかな幸福へと導くであろう。

   我々は有史以来、「直き心」を持って「和らげ調えてしろしめす」
   天皇を国民統合の象徴として戴いてきた国民なのである。


   <Japan On the Globe(494) <H19/04/19> 国際派日本人養成講座より>
    http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h19/jog494.html



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