「杜子春」 ~芥川龍之介 (1012) |
- 日時:2011年05月06日 (金) 11時13分
名前:伝統
▼「心配しなくてもいいよ。私たちはどうなっても、おまえさえ 幸せになれるのなら。。。」
母親の声がする。杜子春は、老人との約束を破って、「お母さん」と叫んでしまう。。。
▼芥川龍之介の『杜子春』は、教科書にもよく載せられているので、 知っている人も多いのではないでしょうか。
しかし、結末の、この母の言葉の重さは、容易に読み切れるものではありません。 あらすじを追ってみましょう。
・‥…━━━☆
▼中国の唐の時代のことである。都の西の門の下に、貧しい青年が、ぼんやり立っていた。
杜子春である。 そこへ、老人が現れ、「おまえは何を考えているのだ」と言葉をかけた。
「私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです」
「そうか。それはかわいそうだな。では俺がいいことを一つ教えてやろう。。。」
老人は杜子春に黄金が詰まっている場所を教えた。
彼は、一日のうちに、都で一番の大金持ちになった。 すぐに立派な家を買って、皇帝にも負けないくらい贅沢な暮らしを始めた。
すると、今までは道で会っても挨拶さえしてくれなかった友達が、毎日、遊びに来るようになった。
都の有名人で杜子春の家へ来ないものは一人もないくらいだった。
彼は、いい気になって、毎日、酒盛りを続けた。
しかし、お金には限度がある。 働かずに贅沢ばかりしているので、次第に貧乏になっていった。
そうすると、これまで遊びに来ていた友達が、挨拶さえしてくれなくなった。
薄情なものだ。
3年たって一文無しになると、この広い都の中で、一杯の水を恵んでくれる者さえいなくなった。
▼途方に暮れた杜子春は、以前と同じように都の西の門の下に立っていた。
するとまた、あの老人が現れ、杜子春に黄金の在りかを教えた。
彼は、天下第一の大金持ちになったが、前回と同じ結末を迎えてしまったのである。
三たび都の西の門の下へ。
やはり老人が現れ、黄金を与えようとしたが、杜子春は断った。
「人間というものに愛想が尽きたのです。人間は皆薄情です。 私が大金持ちになった時には、みんなペコペコして、お世辞を言いますが、 いったん貧乏になってごらんなさい。
優しい顔さえ見せてはくれません。 そんなことを考えると、 たとえもう一度大金持ちになった所で、何にもならないような気がするのです」
続けて杜子春は、老人に訴えた。
「あなたは仙人でしょう。私を弟子にしてくださいませんか」
意外にも、仙人は簡単に引き受けてくれた。 二人は、仙人の修行をするために峨眉山へ向かう。
杜子春を岩の上に座らせて、老人は、厳しく言いつけた。
「いろいろな魔性が現れて、おまえをたぶらかそうとするだろうが、 たとえどんなことが起ころうとも、決して声を出すのではないぞ。
もし一言でもしゃべったら、おまえは到底仙人にはなれないものと覚悟しろ。 よいか。天地が裂けても、黙っているのだぞ」
「決して声なぞは出しません。命がなくなっても、黙っています」 杜子春は誓った。
▼やがて、彼の前に、虎や大蛇などが現れ、
「そこにいるのは何者だ。返事をしないと命はないぞ」と脅迫してきた。
沈黙を守る杜子春は殺されて、地獄の底へ落ちていく。
閻魔大王は、雷のような声で
「こら、その方は何のために、峨眉山の上で座っていた!」と怒鳴りつけた。
しかし、杜子春は返事をしない。
怒った閻魔は、剣の山や炎の谷など、あらゆる地獄の責め苦を与えたが、 彼は、一言も口をきかなかった。
あきれた閻魔大王、 「この男の父母は、畜生道に落ちているはずだから、早速ここへ引き立ててこい」と 鬼に命じた。
間もなく連れてこられた二匹のやせ馬を見て、杜子春は、肝がつぶれるほど驚いた。 姿形は馬でも、顔は夢にも忘れない、死んだ父母ではないか。
閻魔は叫ぶ。
「こら、その方は何のために、峨眉山の上に座っていたのだ。 白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思いをさせてやるぞ」
鬼どもは鉄のムチで、二匹の馬を容赦なく打ちのめし始めた。
ムチはりゅうりゅうと風を切って、所嫌わず雨のように、馬の皮肉を打ち破る。
馬になった父母は、身もだえして、血の涙を浮かべ、苦しそうにうめいている。
とても見ていられない。
「どうだ。まだ白状しないか」
閻魔大王が杜子春に言った時には、 二匹の馬(父母)は、肉が裂け骨は砕けて、息も絶え絶えであった。
杜子春は、必死に、老人との約束を守ろうとして、固く目をつぶっていた。
するとその時、彼の耳に、ほとんど声とはいえないほどの、かすかな声が伝わってきた。
「心配しなくていいんだよ。私たちはどうなっても、おまえさえ幸せになれるのなら、 それより結構なことはないのだからね。 大王が何とおっしゃっても、言いたくないことは黙っていていいんだよ」
それは確かに懐かしい、母の声に違いなかった。
杜子春は思わず、目を開けた。
母は力なく地上に倒れたまま、悲しそうに彼の顔へじっと目をやっている。
母はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、 鬼どものムチに打たれたことを、恨む気色さえも見せない。
大金持ちになればお世辞を言い、貧乏人になれば口も聞かない世間の人に比べると、 何というありがたい志だろうか。 何というけなげな決心だろうか。
杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走り寄ると、 両手に半死の馬の首を抱いて、はらはらと涙を落としながら、「お母さん」と一声叫んだ。
▼杜子春は、夢が覚めたように、夕日を浴びた都の西の門の下に、ぼんやりたたずんでいた。
すべてが峨眉山へ行く前と同じであった。
老人は厳かな顔で、杜子春に言った。
「もしおまえが、ムチを受けている父母を見ても黙っていたら、 俺は即座におまえの命を絶ってしまおうと思っていたのだ―」
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▼果たして、この物語は、子供向けに書かれたものなのだろうか。 二匹の馬を、「親の心」に置き換えてみる。
親の心に、鉄のムチを振るってきたのは誰だろう。
親の心が泣いているのに、目をつぶってきたのは誰なのか。
皮が破れ、骨が砕けるような仕打ちを受けても、 「おまえさえ幸せになるなら」とほほえんでくださる方が、「親」以外にあるだろうか。
『杜子春』は、本当は怖い話なのだ。
見たくもない己の心の姿を、芥川は、描き出したに違いない。
▼閻魔大王の叱責は、まさに、わが身に向けられているようだ。
「この不幸者めが。おまえは父母が苦しんでも、 自分さえ都合がよければ、いいと思っているのだな」
*出典は、「親のこころ」木村耕一(編著)です。
<平成23年5月6日>
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