決して諦めない自分でいたい(2) (3663) |
- 日時:2011年07月31日 (日) 10時09分
名前:伝統
地元、沖縄に院内で義足を作れる病院が無かったので、 長野の「身体障害者リハビリテーションセンター」に転院しましたが、 将来に対する漠然とした不安が拭いきれませんでした。
リハビリとか言われたことは、一所懸命やるんですよ。 でも、将来自分がどうなるか分からず、無気力でしたね。 髭を剃るとか、顔を洗うといった身だしなみを整えることがひどく億劫でした。
ある日、実家に電話しましたら、母が出て、暫く話していたら、 「痛い?」と聞くのです。
そりゃそうでしょう。 両脚切って、骨を切って痛み止めのクスリを飲んで、座薬も使って、 それでも治まらないから筋肉注射まで使っているんですよ。
「それは痛いよ」と答えると、母は、 「こんな痛い思いをして何も学ばなかったら、ただのバカだよ。アハハハハ」 と笑いました。
一瞬、「何を言っているんだろう」と意味がわからなかった。 でも晩になって、もう一度母の言葉を思い返して、ハッとしたんですね。
自分は突然こういう体になって、「大変でしょう」「痛いでしょう」という 同情の言葉に、慣れきっていたのではないか。 だから無意識のうちに母にもそういう言葉を期待していたんだなぁ、と。
確かに母の言うとおりです。 こんな思いをしたのだから何かを学ばなければ、と思うようになってから、 考え方が変わり、それまで見えなかったものがいろいろと見えてきました。
センターにはたくさんの身障者がいましたが、 明るい顔をしている人と、暗い顔をしている人の二通りなんですね。
ある日、私より1年前に片脚を切断した人と病室でお会いしました。 その頃、私は社会復帰を目指しリハビリに励み、食事も残さず食べて、 義足を作るために、その勉強もして、自分なりに一所懸命やっていました。 片脚とはいえ、脚を失った先輩ですから、 退院した後の心構えとして聞いてみたんです。
「できないことはなんですか」と。 彼は「うーん」と考えて 「別に何もないよ。ただ、何をやっても、すんごく疲れるけど」と言いました。
それを聞いた時、自分の頭の中では 「大変なこと」と「不可能なこと」を区別できていないんだと気づきました。
頭の中の考え方を、すべて変えなければダメだと思いましたね。
同時にセンターの中にいて暗い顔をしている人と、 明るい顔をしている人の違いが分かるようになりました。
暗い顔をしている人は失った体の機能や、 それによってできなくなったことばかりを考え、できないことに言い訳をしている。
それに対して明るい人は、残された機能でできることを考え、 「これができるようになったから、次はあれができるようになりたい」と いつも夢や目標を語っている。
それまでの私は、心のどこかでいつも失った脚のことを考えていました。 それではいけない、残された才能をどう活かすのか、と考えるようになり、 これまで以上に、真剣にリハビリに取り組みました。 義足の歩行練習を始めたのもそれからです。
最初はこんなに痛くて、本当に歩けるのかと思いましたよ。 痛すぎて、体重を全部乗せることができませんでした。 ほんの少し歩行練習をすると、すぐに義足と接する面に傷ができ、 それが看護婦さんに見つかると、治るまでは練習をさせてもらえないんです。
私は早く歩けるようになりたかったから、 傷ができても看護婦さんたちに悟られないようにして練習しました。 どちらかというと、傷との闘いというよりは、看護婦さんとの戦いでしたね。
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