マッカーサー元帥が語る天皇の犠牲精神 (3860) |
- 日時:2011年08月13日 (土) 07時08分
名前:伝統
「古事記」に、「故各(かれおのもおのも)依(よ)さし賜(たま)える命(みこと)の 隨(まにまに)、知(しろ)し看(め)す中に、速須佐之男命(はやすさのおのみこと)、 命(よ)さしたまえる国を知(しら)さずて、八拳須心前(やつかひげむなさき)に至る まで、啼(な)きいさちき。
其の泣きたまう状(さま)は、青山(あおやま)を枯山如(からやまな)す泣き枯らし、 河海(うみかわ)は悉(ことごと)に泣き乾(ほ)しき。是(ここ)を以(も)て 悪神(あらぶるかみ)の音(おとない)、狭蠅如(さばえな)す皆涌(みなわ)き、 萬物(よろずのもの)の妖悉(わざわいことごと)に発(おこ)りき」と、
住吉大神の御出現後、宇宙浄化の自壊作用(じかいさよう)として終戦前後の 暗澹(あんたん)たる状態が描写されています。
マッカーサー元帥が最初に天皇陛下の御訪問を受けたとき、天皇がどのように仰せられた かということは、秘密にされていたので、今まで傳(つた)えられていたことは、 側近の人の憶測か、あの時の通訳だった人から不用意に漏らされたことを、 つなぎ合わせて想像上に再生されたものであったのですが、
衆議院で西武鉄道会長であった故堤康次郎氏が(同席者堤夫人、ホイットニ少将) アメリカを訪問した際、マッカーサー元帥と会談する機会を得ましたが、そのとき マ元帥は次のように、天皇との会見の模様を堤氏に語られたというのであります。
それによると元帥はこう言っています。──
「天皇は侍従をつれていなかった。私も副官をつれていなかった。天皇と私が他人を 交えないで、ただ通訳一人をはさんで会見した内容は、これまで互いに秘密にして、 どこにも公表しなかったが…
天皇は私に会うと『今回の戦争は誠に申し訳ないことした。しかしながら、これは 私一身の責任であるから、国民が個々に戦犯として罰せられたり、国家が賠償の責任を 負うたりするということは、私には忍びないことであるからどうか私一身を処刑して お許し願いたい』と語った。
…この時、 私は、日本の天皇は国民に対する愛情と責任感をもった立派な人だと思った。」
このように述懐して、またマ元帥は、
「ソ連はまっ先に天皇を戦犯にすべし、と主張したあとがその後に、不思議なことに イギリスも賛成した。又、豪州も賛成した。しかも、ソ連は、北海道に駐兵させろ ということまで、執拗に要求した。
しかし、アメリカはこれに強く反対した。もし、あの時、ソ連の駐兵を認めていたら、 日本は今頃ドイツのようになっていたかも知れない」と言ったというのであります。
堤康次郎氏は、 「私はこれらの話を元帥からきいて、人間一人の責任感が、国家に対するアメリカの 信用となり、現在の日本の繁栄を招いたのだと思って、まったく感激した」 と言っていられる。
このマッカーサー元帥の談話によって、今まで憶測されていた天皇陛下は開戦には 責任がないに拘(かかわ)らず、
陛下が「この戦争には自分は重大な責任を感じている。随って絞首刑も覚悟している。 国民に罪はないのである。 自分に全責任があるのだから私一身を處刑して国民を救けて貰いたい」
という意味のことを言われて一身を犠牲にして国民を救おうとせられたということが 本当だったと判明したのであります。
ソ連等の要求に応じないで天皇制が護持され、北海道へのソ連の進駐もなかったのも、 マッカーサーが天皇に面謁(めんえつ)してその人格に打たれて日本に好意をもって くれた結果だとわかるのであります。
天皇陛下は大東亜戦争には責任がないと言いましたが、 陛下がどんなに戦争に対して反対であったかと言いますと、 時の外務次官(後、内閣情報局総裁、欧亜協会会長)だった 天羽英二氏が次のように語っています。
<平成23年8月13日 記>
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