『吉田松陰精神に学べ』 (4740) |
- 日時:2011年09月29日 (木) 15時49分
名前:童子
はしがき
昨今、目にあまる暗い事件が続出している。とくに神聖であるべきはずの教育界が、さながら暴力団の争いのごとく、教師と生徒が敵対関係のようになり、時には血なまぐさい事件を起している。まことに残念なことであり悲しむべきことである。これには、いろいろな問題があると思うが、なんといっても戦後の唯物論教育、知識詰込主義の偏向がこのような悪果を起した大きな要因であることは間違いない。今こそ教育界は、その原点に立ち還って教育とは何ぞや?と、問い質してみる必要があるのではないだろうか。
教育とは、文字通り人を育てることであり、人格向上のための〃人間づくり〃以外にない。〃人間づくり〃で大切なことは、内面的な〃心〃を主とする教育である。現状のままの唯物論的教育を続けていく限り、優勝劣敗が必然的についてまわり、その結果、落ちこぼれやツッパリ学生はなくならないと思うのである。たとえ、そのような問題児にならなくても社会全体が自己中心主義に蔓延し、生命軽視、人に対する思いやりが欠乏し、水なき砂漠のような〃愛なき世界〃が現出してくるのである。
その現れの一つとして、とくに戦後、人工中絶が大変多くなっている。この根因は、やはり唯物論教育の副産物であり、性の氾濫とモラルの低下のほかなにものでもない。優生保護法改正という制度上の法改正も必要であるが、それ以上に大切なのは、もっと根本的な〃心〃の問題即ち道徳面を見直さなければならない。
現在、困ったことには、教育の場で、最も大切な〃人の型〃が教えられていないことである。このままでは、日本は、どうなるのか。唯物論教育を是正しない限り、〃日本は日本〃でなくなり、阿鼻地獄に化するであろう。
明治天皇は、明治維新にあたって人間復興を第一に掲げられ、それには先ず教育を正し、西欧崇拝主義を戒められるとともに、先ず徳育を主とし、知育を従にした教育精神を立てられたとのことである。これが後の『教育勅語』の渙発となるわけであるが、本書は、その骨格に準ずる〃吉田松陰精神〃のエキスをまとめたものである。
松陰の偉大さは、国を救わんがため五たび決死の覚悟で起った古今東西比類なき愛国者であるとともに、もう一つ忘れてはならないのが大変な教育者でもあった。今日、吉田松陰に関する研究書は沢山出版されているが、教育者であったということがあまり書かれていないようである。これではピント外れの観が否めない。
松陰の教育は、単なる知的なものではなく、〃生きた学問〃即ち、〃大義に生き、国のためにつくす人材を養成する〃ことを真の教育のネライとしていた。それが野山獄での囚人に対する講義となり、一流の人物を育成したのである。この精神の延長が後の松下村塾となったのである。
ここに本当の教育のあり方があると信ずる。詳しいことは、本文に譲るとして、松陰の教育精神は、常に〃人は人たる道〃を教え、理想を語り相対する人を悉く内在の無限性に目覚めさせるとともに烈しく燃え上がらせたのである。それだけ松陰は、教育者として情熱をもち、至誠あふれ真剣に行きぬいた人である。又歴史上、松陰ぐらい真剣に一生を貫いた人も少ない。
真の学問とは何か。真の教育とは何か。松陰精神を学ぶことによって、それがおぼろげながらわかると思うのである。単に教育の面だけではない。松陰精神を知ることによって人生の生き方が鮮明になってくると確信するのである。
筆者が本書を書き著わそうと決意した直接の切掛は、世のあまりの乱れにたえかねたことの他、さらに市販されている吉田松陰が真実性に乏しく、その中には〃松陰は愛国者ではなく革命家であった〃と、松陰の比類なき尊皇愛国者を一片の革命家呼ばわりに引きずり落とし、さながら赤軍派の扇動者のような左傾極る扱い方に烈しい憤りを感じたからである。そういう愚劣な本を書く者も書く者、それを出版して売り出す出版社も出版社である。儲かればよいというものではない。いくら憲法で言論、出版の自由が保障されているといったも過去の歴史゛否定するばかりでなく松陰の真意を傷つけるも甚だしい限りである。
これでは松陰が草葉の影で慟哭し、松陰の魂が浮ばれないであろう。世は、まさに顛倒妄想であり、末世である。筆者は、神国日本の左傾化がついにここまできているかと思うと洵に悲しいのである。
そういう人たちには、本書の『燃える救国の想い』『人は人たる道』『ただひたすら尊皇崇拝』『武蔵野の野辺に散る』のところを熟読して貰いたい。さらに本書を読んでいただくことによって、松陰の猛烈な学問ぶりや真剣な教育姿勢、又、野山獄、江戸の獄の中においてすらも国を救うために囚人をはじめ看守人にまで訴え続けた不退転の愛国精神と人を感化せずにはおかない伝道力を吾々は、大いに学ぶべきである。松陰の〃生きざま〃を通してこれが真の愛国者の姿であると思うのである。
昭和五十八年六月 ニ川 守 著
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