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言葉の持つ力 (5205)
日時:2011年11月04日 (金) 00時13分
名前:伝統

『生命の實相 第一巻』 生長の家七つの光明宣言には、

(1)吾等は生命の糧は愛にして、祈りと愛語と讃嘆とは愛を実現する言葉の創化力
   なりと信ず。(生長の家七つの光明宣言 第4条)

(2)吾等は神の子として無限の可能性を内に包有し、言葉の創化力を駆使して
   大自在の境に達しうることを信ず。(生長の家七つの光明宣言 第5条)

   <参考Web:生長の家七つの光明宣言 全文>
          http://catalog.kyobunsha.jp/96/01/

とあります。


このスレッドでは、「言葉の持つ力」について、紹介して参ります。

なお、”言葉の創化力〜ほめ言葉”については、
スレッド「ほめ言葉」を参照下さい。
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=134

        <合掌 平成23年11月4日 頓首再拝>

言葉には、必ず精神波動が伴う (5473)
日時:2011年11月26日 (土) 05時07分
名前:伝統


善くない言葉には、必ず善くない精神波動が伴い、
善き言葉には善き精神波動を伴う。


古人は、「賢者は人の見えざる所に慎む」といったそうだが、
すべからく今は、賢者は何人の聞かざる所においても
言葉は慎まなければならないのである。

キリストは「天地は過ぎ逝かん。然(さ)れどわが言葉は過ぎ逝くことなし」といって、
言葉の実現性(じつげんせい<ものにあらわれるちから>)を強調して、自分のいった言葉の
一点一画でも決して実現せずに消滅することはないと断言しているのである。

われらの言葉の力もやはりかくのごときものであってここで果(み)を結ばなかったら、
必ずかしこで果を結ぶのであって、いやしくも言葉が何物をも実現しないで
消滅することはないのである。

コトバはなんであろうと、必ずその言葉の内容とする何ものかを実現せずにはおかないのである。

だから、諸君は人の聞かざる所においても、できるだけ善き言葉を語り、
善き言葉を読まなければならないのである。

    *『生命の實相(教育篇)(P183〜184)』より

        <合掌 平成23年11月26日 頓首再拝>

優しい言葉 (5492)
日時:2011年11月28日 (月) 06時03分
名前:伝統

100歳を超え101歳のおばあちゃんがテレビで、こう言っています。

「お金もいらないの。着物もいらないの。たったひとつの命もいらないの。
優しい言葉がほしいのよ」


100年以上生きてきて人が、一番ほしいもの、それは優しい言葉。

だったら、100歳を過ぎてからとと言わず、今日言ってあげませんか?
優しい言葉を。

「あなたと会えてよかった」
「あなたに会いたくて来たよ」
「あなたがいてくれて幸せです」

「あなたを生んでくれたお母さんにありがとう」
「あなたといると楽しいな」
「あなたでよかった」

「優しいね」
「あなたのそういうとこが好き」
「あなたのお蔭です」

「こんなの初めて!」
「面白すぎて死にそう」
「これ、ひとりでやったの?」

「うん、そうだよね、わかるよ」
「そんなときもあるさ」
「どうしてそんなにかわいいの?」

「ステキな名前ですね。誰がつけてくれたのですか?」
「すごいね、どうしたら、そんなふうにできるようになるの?」
「あなたのようになるには、どうすればいいですか?」

「おいしい! おかわり!」
「男前だね」
「面白いね、最高だね、ヤバイね、ハマるね。この本」

「生まれてきてくれてありがとう!」


応用例

 男 「君は会うたびに美しくなる」
 女 「会ったのはついさっきよ」
 男 「その間に美しくなった」     (映画「ジョルスン物語」)

・・・

  「魅力的な唇のためには、優しい言葉を紡ぐこと。

   愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること」

           (オードリー・ヘップバーン<女優>)

・・・

        <合掌 平成23年11月28日 頓首再拝>

悦びを語る (5507)
日時:2011年11月30日 (水) 06時34分
名前:伝統


   生かされている悦びを語ることは、言葉の力によって悦びを増幅することになる。

   天地の万物みんな生かされている悦びを語っているではないか。
   燃えるような若葉、空の色の碧、咲き出でた小草
   ―― みんな生かされている悦びを表現しているのだ。

   人間も、自分の受けたおかげを人に対して話さしていただくということは、
   悦びを表現することである。

   と同時に、言葉の力にて悦びを殖やすことであり、語る相手を救うことであり、
   自分自身の心境の程度をはっきりさせることであり、話している事柄の中に
   自分自身も教えられることがあり、自分の向上にも役立つのである。

      (『生命の實相』第37巻幸福篇P153)

        <合掌 平成23年11月30日 頓首再拝>

泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか (5575)
日時:2011年12月05日 (月) 06時00分
名前:伝統


   <メルマガ「人間力(2011/12/2)」三浦綾子(作家)より>

「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。

私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。

大事にしていたものや、高価なものを取られても、
生活を根底から覆(くつがえ)されるような被害でない限り、いつかは忘れます。

少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために、自殺した話はあまり聞かない。

だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や少年少女の話は、時折、聞きます。

「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても三杯も食べるのよ」と
陰で言った嫁の悪口に憤慨(ふんがい)し、その後一切、食べ物を拒否して死んだ、
という話があります。


それと、精神薄弱児の3割は妊婦が3か月以内に強烈なショックを受けた時に
生まれる確率が高いと聞いたことがありますが、

ある妻は小姑(こじゅうと)に夫の独身時代の素行を聞き、さらに現在愛人のいることを知らされた。
それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことを言ったのです。

この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、
生まれたのは精神薄弱児だったそうです。


恐ろしい話です。

私たちの何気なく言う悪口は人を死に追いやり、生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。

泥棒のような単純な罪とは違うんです。

それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、また、聞いています。
そしてああきょうは楽しかった、と帰っていく。

人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性(さが)です。

もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。
自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口をきかなくなるのではないでしょうか。

自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。
そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。

私たちは自分を罪人だとは思っていない。
罪深いなどと考えたりしない。

「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。
私たちはたいていそう思っています。

それは私たちは常に、2つの尺度を持っているからです。

「人のすることは大変悪い」「自分のすることはそう悪くない」。

自分の過失を咎(とが)める尺度と、自分以外の人の過失を咎める尺度とはまったく違うのです。

一つの例を言いますとね、ある人の隣家の妻が生命保険のセールスマンと浮気をした。
彼女は、「いやらしい。さかりのついた猫みたい」と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。

何年か後に彼女もまた他の男と通じてしまった。だが彼女は言った。
「私、生まれて初めて、素晴らしい恋愛をしたの。恋愛って美しいものねぇ」

私たちはこの人を笑うことはできません。
私たちは自分の罪が分からないということでは、この人とまったく同じだと思います。

  ……………………………………………………………………
      『人間学入門』より、三浦綾子氏の名言

  九つまで満ち足りていて、
  十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、

  人間はまずその不満を真っ先に口から出し、
  文句をいいつづけるものなのだ。

  自分を顧みてつくづくそう思う。

  なぜわたしたちは不満を後まわしにし、
  感謝すべきことを先に言わないのだろう。
  ……………………………………………………………………

        <感謝合掌 平成23年12月5日 頓首再拝>

わが舌に 悪を語らせまい (5595)
日時:2011年12月07日 (水) 07時15分
名前:伝統

   *以下は、メルマガ「天風哲学のすすめ 新風(2011/11/15)」からの紹介です。

わが舌に 悪を語らせまい〜潜在力 十倍に 
 

(1)幸せ、健康、成功

   このためには、自分を卑下しない。
   10倍の力が内在することを知れ!!
   1億円の隠れ金庫(潜在力)に目覚めよう!!


(2)見えないところで 生命をささえる心の潜在意識

  @身体の心臓、胃などの働きは、無意識の潜在意識が支配しています。

   *心には2つの意識があります。

    潜在意識
          一つの心動きを便宜的に分離したもの
    顕在意識

  A顕在意識

   これは人の受ける実際に体感する意識です。

   外からの刺激や環境により発達します。
   赤ん坊は生まれたばかりのときには、意識がないが、母親の声、動作、表情などにより、
   意識がだんだん発達します。

   子供は環境が作り、
   その後、人が人を作り、
   大人になると、自覚して自己を作ります。

   このことを自覚しないで、不幸や不運や病になり、
   その責任を環境のせいにするのは間違いです。

  B潜在意識

   潜在意識は、胃や心臓など生まれたときから、誰に教わるまでもなく、
   最初から働いて、人の生命活動を支えています。

   さらに、顕在意識をしばしば繰り返すと、潜在意識がよく働くようになります。
   同じ動作を何百回、何千回と繰り返すと、半意識的、無意識的にやれるようになります。

   日頃日本語で喋り、聞く事ができるのも、潜在意識の働きによります。
   熟練したら別に努力しないでやれますね。潜在意識でやれるのです。


(3)病気と潜在意識

  @血液は3月で新しいものに入れ替わります。細胞も半年で全部交代です。骨が1年くらい。

   病気というのは、体の一つの器官がおかしくなることですから、
   半年以上病気が続くのはおかしいですね。

  Aところが、潜在意識を消極にすると、白血球の働きは鈍ります。
   白血球は体を病気から守る警察官と掃除人のようなもので、悪者をとらえ、取り除きます。
   免疫作用です。

  B神経過敏の人は病がなかなか治りません。
   生命の力、心の作用を正しく使わなかったために病気、不運となります。

   再生力は潜在意識によるものです。

(4)言葉は人生建設の武器

  @潜在意識は暗示に影響されます。最も強い暗示が言葉です。
   言葉 → 顕在意識 → 潜在意識

   ですから言葉は人生建設の武器なのです。 

  A思考が人生を創る、と言われますが、思考は顕在意識からだけでは発動しません。
   潜在意識の中にある観念要素が、顕在意識の上に出て来て一つの思考を形作ります。

   だから、潜在意識を積極的にすることが大切です。
   これに最も力のあるのは言葉です。
   言葉あっての思考、言葉と思考は切り離せません。

  B思考は、声に出さなくても、心の中で言葉を使っています。
   口から出す言葉はすべて積極的に。わが舌に悪を語らせまい、です。

   かりそめにも、自分も他人も、傷つけるような言葉を言わない。

   痛くとも、痛いたいとは、口に出さない。
   そう言うときには、「痛くなくなるための痛みだ」と言いましょう。

   腹が下っても、
   「ああこれで、腹の中の汚いものが全部出て、よくなるのだ」と。

   熱が出たら、
   「生きている証拠だ。死んでいる人は熱は出ない。」

  C言葉は先天の一気を左右します。
   創造の力は、言葉によって人間に受け入れられます。

   言葉に「創造と破壊」の2つの力あります。
   人の言葉が、その人の人生を作り上げます。
 

(5)わが舌に 悪を語らせまい

  @積極的な言葉 → 言葉は 積極的に

   ありがとう  感謝だ  悦びだ 笑いだ 力だ 勇気だ 信念だ
   希望  勇気  元気  健康 幸せ  真 善 美   愛 誠 調和

  A悪の言葉 → こんな消極的な言葉は口にしない。

   困った  もうダメだ  失敗だ  できない 情けない  腹が立つ

   ・・・・・・

(6)言葉の誦句

   私は今後かりそめにも 吾が舌に悪を語らせまい。
   否 一々吾が言葉に注意しよう。

   同時に今後私は 最早自分の境遇や仕事を、消極的の言語や 悲観的の言語で、
   批判する様な言葉は使うまい。

   終始 楽観と歓喜と、輝やく希望と溌剌たる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう。

   そして 宇宙霊の有する無限の力をわが生命に受け入れて、
   その無限の力で自分の人生を建設しよう。
         
        <感謝合掌 平成23年12月7日 頓首再拝>

口から出た言葉は未来に行く (5605)
日時:2011年12月08日 (木) 06時37分
名前:伝統


  以下は、メルマガ「人の心に灯をともす(2011年10月18日)」からの紹介です。

・・・

  マーク・ビクター・ハンセン氏の心に響く言葉より…

  マイクロソフト社を立ち上げたのは、小柄なコンピューターおたく、ビル・ゲイツだった。
  その時彼は17歳、ハーバード大学に在学中で、とても頭がよかった。

  「仲間と夢とちょっとした目標があれば、社会に出てそれを実現することができる」
  それこそまさしく、彼がやったことだった。

  ビルは今、こんなふうに言っているよ。
  「マイクロソフト社の唯一の財産とは」、それは「人間の想像力だ」とね。

  アファメーション(自己説得)はつねに一人称でなければならない。
  つまり、「わたしは」で始まるものなんだ。
  というのは、アファメーションとはこの世でもっとも力強い言葉だからだ。

  もし貧乏なら、
  心の中でひそかに「わたしは金持ちだ」とアファメーションし始めなければならない。

  もし病気なら、「わたしは健康だ」とアファメーションする。
  そして、医者がやってきてこういう場面を視覚化するんだ。
  「おめでとう。あの恐ろしい病気を克服しましたよ」

  どんな問題であっても同じようにすればいい。

  実際に起こることは、あとからやってくるんだよ。
  言葉は口から出たとたん、未来に行くんだから!


  偉大な医師であり、アーユルヴェーダの療法士であるディーパック・チョプラはこう言っている。

  「幸福だと思えば、細胞が幸福になり、幸福な細胞は量子を幸福にし、
  幸福な量子はほかのすべてを幸福にする」

  つまり、人は誰でも幸福になるか不幸になるか、成功するか失敗するかの
  いずれかを選ばなければならないんだ。

  「景気はどうだい?」と聞かれたら、必ず「すごくいいよ」と答えるべきなんだ。
  だって、つねに誰かやどこかの会社は景気がいいだろう?

  この繁栄をもたらしているものは、わたしたちの思考なんだよ。
  人間とは、“思考する資本”なんだ。

  ビル・ゲイツが語った想像力そのものなんだ。
  想像力には限界というものがない。

  人々がポジィティブに想像する限り、
  さらなるソフトウェア、本、オーディオ・プログラム、ビデオ、ゲーム、娯楽が生まれるんだよ。

  新しいアイデアというものは実にエキサイティングだ。

  人間はそれによって偉大なことを成し遂げることができるんだよ。

        <『史上最高のセミナー』きこ書房>

・・・

マーク・ビクター・ハンセン氏は1億冊突破の超ベストセラー『こころのチキンスープ』の著者だ。

どんなにこの世に大不況がこようと、儲かっている会社はどこかに必ずある。
野球でも、9回裏2アウトの土壇場に、逆転ホームランがでることだってある。

だれもが絶体絶命の危機だと思っても、奇跡が起こることがある。
それが、あきらめないで、持ち続ける「夢」や「希望」という、「想像力」を持つこと。

100年や200年前から見れば、物質文明は確実に豊かになっている。
かつては、SFや夢物語の世界でしかなかったものが、続々と実現している。
空を飛ぶこと、宇宙へ行くこと、それらのすべては人間が想像したからこそ生まれた。

「口から出た言葉は未来に行く」

どんなときにも、「想像力」を失わなず、幸せになる言葉を発し続けたい。


        <感謝合掌 平成23年12月8日 頓首再拝>

当たり前だけど大切な日常言葉(1)〜「ありがとう」 (5626)
日時:2011年12月10日 (土) 07時10分
名前:伝統

   *Web:「当たり前だけど大切な30の日常言葉」より

人には「言葉」というコミュニケーション・ツールがあります。
人とほかの動物との進化を大きく分けた原因のひとつは「言葉の発達」です。
私たちがこれほど豊かに進化できたのは、言葉のおかげです。

言葉のおかげで、意思の疎通が容易になり、人との連携がとれるようになりました。
知識と知恵を共有できます。
協力がしやすくなったのも、言葉のおかげです。

言葉には、非常に強い力があります。
私はこれを「魔法」と呼んでいます。

魔法と呼ぶには大げさな表現かもしれません。
しかし、魔法と呼ぶにふさわしいほどのパワーを秘めているのです。


あるときは、人の心を明るくします。
あるときは、涙を呼びます。
あるときは、相手に感動を与えます。

私たちは、すばらしい言葉を使う、魔法使いだったのです。
「言葉」という「魔法」で、相手の内側にある「心」を動かすことができるのです。

言葉の力をあなどってはいけません。
どのような言葉を、どのように使うかによって、人生も変わります。


私たちは、言葉の中でも基本であり、1番大切な魔法のおまじないを、
生まれて最初に習います。

「ありがとう」です。

感謝を伝えるための1番大切な言葉です。

「ありがとう」ほど、気持ちをきれいに表現できる言葉はありません。
たったひと言であるにもかかわらず、最も奥が深い言葉です。

老若男女、世界中の人が使う共通の言葉でもあります。

もし、私たちの言葉から「ありがとう」が消えてしまえば、人生は大変なことになるでしょう。
感謝をしない生活では、けんかが絶えないにちがいありません。
しかし「ありがとう」がしっかり言える人は、人生を明るく楽しく生きることができます。

「ありがとう」を使うところは、無限にあります。
たくさんのことに感謝すればするほど、今の自分の豊かな幸せに気がつくことができます。

気がつくことには、勉強をたくさんする必要はありません。
気がつくためには「ありがとう」を言えるようになるだけでいいのです。

「ありがとう」を、明るくはっきりと言えるようになりましょう。

「ありがとう」のひと言が、あなたをどんどん幸せにしていきます。

        <感謝合掌 平成23年12月10日 頓首再拝>

The Power of Words 〜 言葉の力 〜 (5638)
日時:2011年12月11日 (日) 07時29分
名前:伝統

Youtubeで1千万回以上も再生されている、とても素晴らしい動画の紹介です。

突然現れたある一人の女性が、視覚障害者の彼 にした、ある事とは!?


【 言葉は表現次第で、その持つ力が変わることに気づかされます。】


下の画像をクリックして、 心揺さぶられる結末 を、是非ご覧になってください。

The Power of Words 〜 言葉の力 〜

(日本語版)
http://www.youtube.com/watch?v=DhcrP1T9Um0

(英語版)
http://www.youtube.com/watch?v=Hzgzim5m7oU&feature=fvwrel


視覚障害者の彼は彼女にたずねました。

「看板に何をしたんだい?」


「同じことを書いただけ。

 ただ・・・違う言葉を使ったの。」


CAHNGE YOUR WORDS.


CHANGE YOUR WORLD.


あなたが使う言葉を変えることで、あなたの世界が変わります。

        <感謝合掌 平成23年12月11日 頓首再拝>
        <平成23年12月20日 追記>

コトバの力を活用せよ (5694)
日時:2011年12月14日 (水) 06時14分
名前:伝統


  *谷口雅春先生・著「幸福を招く365章(P124)」より

すべての事物はコトバによって造られたのであるから、
何事でも成就しようと思ったならば、
先ずコトバによって成就しなければならないのである。

「私は不健康だ」と云いながら、健康を得ることは難しいのである。
先ず健康を得んとするならば、

「神は既にわが健康として、実現したまえり、ありがとうございます」と
コトバによって、その「既に得たること」を表現し感謝するがよいのである。

        <感謝合掌 平成23年12月14日 頓首再拝>

心の力と、言葉の力 (5832)
日時:2011年12月21日 (水) 06時47分
名前:伝統


   *谷口雅春先生・著「幸福を招く365章」(P〜6)より

人間の生命は、宇宙全体の生命の一部分であり、
人間の心は宇宙全体の心の一部分であるのである。

星を造り、太陽を造り、一切万物を造ったと同じ心の力が、
人間に宿っているのである。

だから人間の心は一切のものを造ることが出来るのである。

「心の力」と云うものは単なる空想でも、観念論でもないのである。
現実に立証し得る所の力なのである。

特に信念を持った心の力が、言葉によって発せられるとき、
それは驚くべき大いなる創造力を発揮するのである。

信念を持った宗教家や、占い者や医者が、
「お前の運命はこうなる」と云ったとき、その言葉の通りになるのは、
心の力が言葉を通して有力に働いた結果である。

        <感謝合掌 平成23年12月21日 頓首再拝>

「アイ・メッセージ」  (5916)
日時:2011年12月26日 (月) 04時51分
名前:伝統

「アイ・メッセージ」〜 「私」を主語に話す 

   *以下は、Web<診察室のワルツ(毎日JP2011年12月21日)>からの紹介です。

患者・家族から強い言葉での苦情を受け、謝ってみたものの、
さらに叱責された経験を持つ医療関係者がいるのではないでしょうか。

この場合、医療者が相手の気持ちを把握できなければ、
患者・家族は一層エスカレートします。

一方、患者・家族もきちんと苦情を伝え、適切な対応を促す言い方を考える必要があります。

うまく不満を伝える方法に、「私は」を主語にする話し方があります。
この話し方は、問題に焦点があたり、相手を非難することなく、自分の思いを伝えられます。

医療ではありませんが、こんな例があります。

宴席に出て、夜遅く帰った家族に、
「電話くらいしなさいよ。遅いじゃない」と言うのは、
相手の行動を非難していると受け取られ、関係を険悪にします。

これを「私」を主語にすると、どうでしょうか。
「遅くて(私は)心配したよ。(私は)電話をしてほしかった」となります。


最初の言い方は「あなたは気が利かない」「あなたが私を放っている」と、
主語が「あなた」です。

言われた方は「非難されている」と被害者になった気持ちになり、
自分を守るため言い訳がましくなったり、高圧的になります。


「私」を主語にする話し方は「アイ・メッセージ」と呼ばれます。
患者・家族が苦情を言う際もこの言い方ならば、相手に気持ちが伝わりやすくなります。
苦情や不満を言われた医療者は、相手の思いを想像しやすくなります。

患者の家族から「入院している母を高齢だと思って邪険にするな」と言われたとき、
アイ・メッセージで考えてみましょう。

「母をぞんざいに扱われ(私は)心配だ、悲しい」となります。

「私たちはこれもやっているし、あれも気を付けている」と説明するより、
「お話しくださってありがとうございます。お母様のことで、ご心配や悲しい思いを
させてしまったのでしょうか」と話す方が、スムーズに話が進むでしょう。

断言するのではなく、必ず問いかけ、まず苦情がある本人の気持ちを受け止めてください。
謝罪は必要ですが、何について謝っているのかが明確でなければ、「うそっぽい」と思われ、
逆に相手の気持ちを逆なでしてしまいます。

(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者)


<診察室のワルツ>/15 「私」を主語に話す=岡本左和子
2011年12月21日(水)18:00
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20111221ddm013070126000c.html

        <感謝合掌 平成23年12月26日 頓首再拝>

感情を込め、言葉に発すると実現力が強くなる (5993)
日時:2012年01月02日 (月) 06時44分
名前:伝統


    *『生命の實相』38巻P68より

明瞭に語られたる言葉は、曖昧に念ぜられたる言葉よりも実現力は強いのである。

合掌瞑目神想観の形式をとり、自分の耳に聞こえるほどの声をもって、
次のごとく唱えることは自己内在の無限の力を自覚する上に効果がある。

「神はすべてのものを我に与え給えり、ありがとうございます」(10回)
「神は無限の智慧を我に与え給えり、ありがとうございます」(10回)
「神は無限の愛をもって我を護り給えり、ありがとうございます」(10回)
「神は無限の生命を我に与え給えり、ありがとうございます」(10回)

10回とは限らないのであるが、あまり永いのも長時間かかるし、短くても感銘が浅くなる。
10回と限定したのはそのためである。

敬虔の念を起こすために合掌の形式をとっているから、
1回唱えれば、右手の拇指(おやゆび)に軽く力を入れ相対する拇指を押し、
2回となえれば右手の人差し指に軽く力を入れて相対する指を押し、

順次に中指、紅差指、小指と移り、さらに左手の拇指より始めて左手の小指に至りて、
終われば合掌のまま、数のことを考えて意識を複雑にすることなしに10回唱え終われる
のである。

「ありがとうございます」と称(とな)える時は、すでにそれを受けたる感激に浸りつつ
本当にありがたい気持ちを起こすのである。

言葉は単なる思想以上の感情を招び起し、
感情は単なる思想以上の動的創化力となるのである。

        <感謝合掌 平成24年1月2日 頓首再拝>

”言葉の力”で幸運を創造せよ (6080)
日時:2012年01月10日 (火) 06時45分
名前:伝統


   *谷口雅春先生・著「人生の秘訣365章」(P147)より


信仰深き言葉を発せよ。

「自分が出掛ける時は必ず好天気である! 」
「この講習会には必ず多勢の人が集まる」

「どんなに世間が不景気であっても私の店は必ずお客が澤山くるのである。
注文は殺到しつつあるんだ」

と信じて此等の言葉を発し、また心の中にその通り確信するのだ。
確信の程度に随って必ず、その言葉の通りに成就するであろう。

イエスが「若し芥子種ほどの信だにあらば、この山に動いて海に入れと言うとも必ず成らん」
と教えているのは本当である。

        <感謝合掌 平成24年1月10日 頓首再拝>

人生は言葉によって作られる (6179)
日時:2012年01月17日 (火) 07時23分
名前:伝統


    *メルマガ「ココロの授業(2011/09/05)」からの紹介です。
     このお話は、次の書をベースに講演されたものです。

     「賢者の書」(著:喜多川泰)
      

・・・

第8の賢者は、「言葉」ということを教えてくれました。

「人生は、言葉によって作られている。
 その人に起こるすべての出来事は、
 その人が発したり、心の中で思い描いたりする言葉に起因する当然の結果に過ぎない。

 そして、自分が一番よく聞くのは、他の誰でもない、自分の言葉である。

 人は、自らの言葉を他の誰よりも多く聞き、最も影響を受け、
 自らの人生を、自らの言葉通りの方向に向けようとする。

 そして将来には、今日、自分が使った言葉通りの人生が待っているのである。

 ということは、今日一日、思ったり使ったりする言葉は成功が約束された者が
 きっと使うだろうと思えるような、そんな言葉でなければならないということだ。」

 そんなことを言うのです。

 私は、この話を聴いて、この人を思い出しました。
 五日市剛さんです。

 五日市さんの本て、累計250万部売れているそうです。
 (注:この講演は平成20年11月に行われています)
 スゴイですよね。
 日本人の50人に一人は読んでいる計算になりますから。

 五日市さんがおっしゃっていることをお伝えしようとすると、
 ここから90分かかっちゃうものですから、

 簡単に説明すると、結局は「言葉」なんです。

五日市さんの話では
「嫌なことがあった時こそ『ありがとう』、いいことがあったら、『感謝します』」
と教えてくれています。

汚い言葉を言ったらだめです。
きれいな言葉を使いましょう、と

こういうメッセージなのですが、
まさしくそう思いますね。

あの五日市さんが講演の中で最後に言ったことが印象的だったのですが、

言葉って、発すると、宇宙に飛んでいくらしいですね。
宇宙に飛んで行って、帰ってくるらしいんですよ。発した人のところに。

しかも、時と空間を超えた分だけ成長して帰ってくるんですって。友達まで連れて。

だから、自分の発した言葉が、きれいな言葉、よい言葉だったら、
成長して、よい友達を連れて帰ってきます。

だけど、それが汚い言葉、嫌な言葉だったら、
それが成長して帰ってきて、自分を傷つけます。

なんて、おっしゃっていましたが、
言葉って本当に大事です。

学生たちにいつも、
**」とか「このやろ〜!」とか「ムカつく!」とか、
そんな言葉ばっかり言ってちゃだめだよって言うのですが、

…私も以前は、汚い言葉も言っていましたが、
言葉ってホント不思議で、
言わなくなると、本当に言うのが嫌になるんですね。
言えなくなります。

でもね、そうなっていくと、なんか人生もね、
よくなってきた気がして…
奇跡的なことがたくさん起こっているんですよ。

今日だって、ありえないですよ。
あの喜多川さんがウエジョビに来てお話をしてくれるなんて、
私の「賢者の書スペシャル」の授業をここで聴いてくださっているなんて
奇跡的なことなんですよ!

普通、ありえないことですよ。
そんなことが起こるんです。

でね、この話をすると学生が
「今日、比田井先生からいい話を聞いた」なんて言って
一週間ぐらいやるんですね。

「嫌なことがあった時こそ『ありがとう』
 いいことがあったら、『感謝します』」をね。

でも、3か月くらい経って聞くと、みんな忘れていますね。

だから大事なんですよ。続けることが。

続けたら、ホント人生変わりますよ。

私は、真剣にそう思っています。はい。

        <感謝合掌 平成24年1月17日 頓首再拝>

たった一言で (6224)
日時:2012年01月20日 (金) 06時41分
名前:伝統

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年01月19日)」より


  志賀内泰弘氏の心に響く言葉より…


  鹿児島県の池田小学校の先生から、クラス全員に「たった一言で」に続く言葉を
  次々に書いてもらい、詩の形式にまとめたものが綴られていました。

  担任の先生は、こういっています。

  「たった一言ですが、されど一言。
  その一言は、ひょっとすると人生をも左右する大きな力を持っているかもしれません」

  私は、これを読んで、その昔、入院生活をしていたときのこと思い出しました。
  毎日1回、担当のお医者さんが必ず病室に様子を見に来てくれました。

  その都度、
  「再発するかもしれません」
  「治っても、ずっと通院が必要です」

  と繰り返し言われたのです。

  事実を伝える義務があることや、
  ちょっと大袈裟に言って油断させないためであることも理解できます。

  ありがたいことなのですが、心のなかは真っ暗になっていたのです。
  その言葉が夜中に蘇り、眠れない夜もありました。

  そんなときのことです。
  午前10時。

  「おはようございます」

  掃除のおばちゃんが明るい声で現れます。

  「ああ、今日は顔色いいわねぇ」

  この一言で目の前がパッと明るくなったのです。
  たった一言ですが、何よりの薬になりました。
  以来、そのおばちゃんのことを影の名医と呼んでいます。



  池田小学校のみんなで作った詩です。

  《たった一言で》 池田小学校・3年2組

  たった一言で うれしくなる
  たった一言で かなしくなる
  たった一言で 苦しくなる

  たった一言で 楽しくなる
  たった一言で 泣きたくなる
  たった一言で 「ありがとう」と言いたくなる

  たった一言で やる気が出る
  たった一言で あたたかくなる
  たった一言で さみしくなる

  たった一言で わらえる
  たった一言で 頭にくる
  たった一言で はずかしくなる

  たった一言で 落ち込む
  たった一言で いやになる
  たった一言で おこりたくなる

  たった一言で こわくなくなる
  たった一言で 元気になる

  たった一言で …

      <『みんなで探した ちょっといい話』かんき出版>

  ・・・

1984年にラジオで放送されたセイコーの名CMがある。
それは、「一秒の言葉」という詩だ。


《一秒の言葉》


「はじめまして」

この一秒ほどの短い言葉に
一生のときめきを感じることがある


「ありがとう」

この一秒ほどの言葉に
人の優しさを知ることがある


「がんばって」

この一秒ほどの言葉で
勇気がよみがえってくることがある


「おめでとう」

この一秒ほどの言葉で
しあわせにあふれることがある


「ごめんなさい」

この一秒ほどの言葉に
人の弱さを見ることがある


「さようなら」

この一秒ほどの言葉が
一生の別れになる時がある


一秒に喜び 一秒に泣く

一生懸命 一秒


たった一言で、我々は元気にもなれば、悲しくもなる。

「たった一言」、「たった一秒の言葉」を大事にしたい。

     参考Web:セイコーCM・動画
     http://www.youtube.com/watch?v=xsnhOJM-BxU

        <感謝合掌 平成24年1月20日 頓首再拝>

【日本一のパパ】 (6589)
日時:2012年02月06日 (月) 07時34分
名前:伝統


  *言葉の創化力の一例として、
   メルマガ「人の心に灯をともす(2012年02月01日)」からの紹介です。


  福島正伸氏の心に響く言葉より…

  木村(仮名)さんは、3店舗のラーメン店の経営をしていました。
  もともと厨房で下働きをしていた木村さんにとって、自分の店を持つことは
  当初からの夢でした。

  そして、念願かなって、1店舗目をオープンすることができました。
  目新しさもあって、一時はそれなりの人気店になり、その勢いで続いて、
  2店舗目、3店舗目をオープンさせました。

  ところがその後、売上はいっこうに伸びず、
  それどころか次第に客数も減少していきました。

  毎日、朝早くから仕込み、昼間は休みなく働き続け、
  スタッフが帰った後も深夜まで一人で片付け…。

  我も忘れて、一生懸命に働いているにもかかわらず、
  毎月150万前後の赤字を出し続ける状況にまで悪化してしまいました。

  駅前でチラシを配ったり、お客様に割引チケットを配ったり、
  知人の家の壁にポスターを貼ってもらったり、とにかくできることを見つけて、
  すこしでも売上を伸ばす努力を続けました。

  しかし、どんなに努力しても、どんなに働いても、
  いっこうに店の状況がよくなる気配はありません。

  次第に顔からは、笑顔が消え、いつも眉間にしわを寄せていました。
  自信を無くし、生気もなくなっていきました。

  木村さんが帰宅すると、妻の幸子さんと幼い子どもが寝ています。
  その横で静かに着替えていると、目を覚ました幸子さんが、小さな声でいつも言います。

  「今日も遅くまで、お疲れ様・・・」

  「…まあな…」

  そんなとき、木村さんは何と返事をしていいのかわからず、
  いつも力のない返事になってしまいます。

  “妻に心の内を話したところで、どうにもならない。
  自分ひとりで解決するしかない”

  もちろん、夫の苦しい状況は、妻の幸子さんもうすうす感じてはいたのですが、
  “お疲れ様”と言う以外、伝える言葉がありませんでした。

  幸子さんも、なかなか寝つけない日々を過ごしていたのです。
  何もできない歯がゆさに苦しみながら。

  そんなある日…

  木村さんが、いつものように明け方になって家に帰ると、
  寝ている幸子さんの横で、子どもが起きていました。

  何気なく、そっと抱き上げました。
  そして、あやそうとすると、やっと片言で話しはじめたばかりの子どもが、
  自分に何かを伝えようとしています。

  「…ぱぱ」

  何を言っているのか、はじめはよくわかりませんでした。

  「ん?」

  「…んち、ぱぱ」

  それでも、子どもは同じ言葉を何度も言っているようです。

  「な〜に?…」

  「…いちんちの…ぱぱ」

  こちらの顔をじっと見て、必死に何かを伝えようとしています。

  「何の、ぱぱ?」

  そして、とうとう、子どもの言葉をはっきりと聞き取ることができました。

  「にほんいちのぱぱ」 (日本一のパパ)

  「!」

  思わず、木村さんの目に涙があふれ、頬を伝って流れていきました。

  「……………」

  子どもを抱きながら、ただ泣きました。
  それまで、必死に耐えていた心のたがが外れように、
  あふれてくる悔しさを我慢することができなくなりました。


  “悔しい…なんと、自分は情けない人間なんだろう。
  子どもの言葉に素直に、「そうだよ」と、うなずけない自分が…本当に悔しい。
  日本一どころか、明日食べていけるかどうかもわからない。
  この子は、それでも自分のことを、日本一と思っている…”

  その日、木村さんは布団の中で目をつむっても涙が止まらす、
  とうとう一睡もできませんでした。

  
  それから木村さんは一念発起し、よいと思ったことは、
  次々に行動に移していきました。

  “どんな苦労をしてもかまわない、子供が誇りに思うような父親に、絶対なる!”

  毎日、毎日、必死に研究を続け、
  その結果、次々と新しい料理を作ることに成功していきました。


  実は、この話の陰には、妻、幸子さんの見えない支援があったのです。

  仕事の面では何も手伝うことができない幸子さんは、
  心の中でいつも彼を励まし続けていました。

  帰りの遅い父親がいない家の中で、毎日子どもに語りかけていたのです。

  “あなたのパパは、日本一のパパよ”

    <『仕事が夢と感動であふれる5つの物語』きこ書房 >

  ・・・・・・・・・・

たった一人でも、大切に思ってくれている誰かがいてくれるだけで人は頑張れる。

そして、時にはその一人のために、命さえかけることもできる。


「日本一のパパ」

もし、子どもにそういわれたら、どんな苦労も耐えられる。

        <感謝合掌 平成24年2月6日 頓首再拝>

言葉は種、コトバは運命の創り手 (6636)
日時:2012年02月08日 (水) 06時49分
名前:伝統


         *「女性の幸福365章」(P123)より

あなたが運命を好転させようと思うならば、悪しき言葉を慎まなければならない。

仮初(かりそめ)にも悲観的な言葉を述べてはならない。
悲しみの言葉、恐怖を連想させる言葉、
自信力を破壊する言葉を口からすべらせてはならない。

「言葉は種である」ということを知らなければならない。

そのような言葉が出るのは、
何処からか放送されつつある「迷いの想念」を受信しつつあるのであるから、

早速、心を転じて、一切の善と美と裕さとの根源であるところの神に、
心を振り向けさせるようにしなければならない。

        <感謝合掌 平成24年2月8日 頓首再拝>

万(よろず)円満大調和の日 (6896)
日時:2012年02月18日 (土) 05時07分
名前:伝統

二月十八日  万(よろず)円満大調和の日 

     *「光明道中記」より

【言葉の円味(まろみ)は家庭の重要な要素である(『生命の實相』第八巻)】

言葉は創造の力をもっているのである。

”太郎”と呼べば”太郎”が出て来る。
”次郎”と呼べば”次郎”が出て来る。
”馬鹿野郎”と怒鳴りつければ、相手は狂い立って馬鹿な行為をする。

多くの家庭はその家の主人の言葉の乱暴さによって、
どんなに毒されているか知れないものである。

ある家庭では、その家の主人が妻を呼ぶのに
「オイ、馬鹿」と云う言葉以外で読んだことがない。

「馬鹿と言われて腹が立つが、私を呼んでいるに違いないから、主人の方を向き、
用事をきき、嫌々ながら仕事をしました」と言って述懐された奥様もある。

そういう家庭の空気が棘立ったものであり、不愉快なものであり、
不調和なものであり、従って、その家の運命が暗いものであり、
不明朗なものであり、病人が絶えないのは当然である。

優しい言葉、愛称を伴っている言葉は家庭の空気を円満にするものである。
先ず家庭から目下の者に、朝起きたとき、
丁寧に「お早うございます」と言い得るようでないと本当でない。

何でも横柄に権利のような態度でせられると、味わいがすっかり無くなって了う。
細君が古くなるほど飽きられて来るのは、
何でも権利のような顔をして押が強くなるからである。

        <感謝合掌 平成24年2月18日 頓首再拝>

《この国は言霊の国》 (6941)
日時:2012年02月20日 (月) 07時00分
名前:伝統


 次の話は、ある大富豪の著書からの紹介です。
 使う言葉の大切さが説かれております。

 
(1)よい単語(言葉)を1000回いうと、心のなかがキレイになってくるのです。

   出会いがほしい人は「自分はいい人と出会いたい」と言うのではなく、
   「出会い」「出会い」・・と1000回以上言うのです。

   愛が欲しい人は、「愛」という言葉を1000回以上いう。

(2)人間がしゃべる言葉には愛がいるのです。
   「愛」を1000回以上いうと、知恵が湧いてきて、愛も満ちてきます。
   愛のある人が、あなたの周りに集まってきます。

(3)この国は言霊の国。

   言葉を味方にするか、敵にするかで、人生って、全然、違ってきます。

   楽しくてしあわせな人生を送っている人は、素晴らしい口癖を持っています。

   でも、人生、失敗する人は、見事に失敗する口癖を持っているのです。

(4)いい言葉は味方にした方がいいよ。

   「ありがとう」とか、「感謝します」とか、
   いい言葉をしゃべっていると、いい言葉が味方してくれます。

   たとえば、「うれしい」というと、もう一回「うれしい」と言いたくなって
   しまうようなことが起きます。

   「ありがとう」と言っていると、
   また「ありがとう」といいたくなるような場面が出てきます。

   ところが、泣き言やグチとかをいっていると、
   また泣き言やグチをいいたくなるような展開が必ず起きてきます。
   それを聞かされている人間も、いい気持ちはしません。

   だから、いい言葉は味方にした方がいいですね。  

        <感謝合掌 平成24年2月20日 頓首再拝>

精神集中には、「言葉の力」を利用する (7088)
日時:2012年02月26日 (日) 07時27分
名前:伝統

   *「生命の實相」第14巻教育篇(P143〜P144)より

言葉そのものがまた、精神を他の方向に転換して、思うところに集中さす力があるのである。

わたしが世俗のことにかかわりすぎて血行の不調を感じている時に実際にやってみて
効果の多い言葉は次のとおりであるから参考に書いておく――

「自分はわが肉体の主人公である。主人公だからわが肉体を支配する権能をもっている。
自分がわが血行に下がれといえば血液はすぐに下がらざるをえないのである。
さあわが血液よ、下がれ! ズーッと下がれ。
のぼせていた血はズンズンさがって心は落ち着いてきた。」

こういう言葉をしずかに丹田に力を入れて、自分だけに聞こえる底力(そこぢから)ある
低声(こごえ)で自分の肉体に命令するかのごとく言い聞かすのである。

あなたがたも実際この方法をやってきて少しく熟達してこられたならば、
どんなにそれがわれわれの生活上必須の武器であるかがわかってこられるであろうと思う。

        <感謝合掌 平成24年2月26日 頓首再拝>

常住の神想観 (7156)
日時:2012年02月29日 (水) 05時06分
名前:伝統


      *『生命の實相』第37巻幸福篇(P169〜170)より

宇宙全体は一つの生命で生かされている。宇宙全体が生き物なのである。
その生命流れ入って「吾」となっているのである。
宇宙全体が、「吾」の内に流れ込んでいるということもできる。

そして自分の受け持っている環境では各自が船長であり、舵手である。
各自が舵をとった方向に宇宙の生命力全体が動き出すのである。

そしてその舵は次の「言葉の力」である。――

「『自分は宇宙力全体にバックされている。自分は宇宙力全体と一つである』

常にこのことを『言葉の力』にて心に描け。これが常住の神想観である。

そう念ずるとき、そこに仏が現前しているのである。
自分はすでに成仏しているのである。

        <感謝合掌 平成24年2月29日 頓首再拝>

言葉の力 (7580)
日時:2012年03月16日 (金) 06時37分
名前:伝統

   *谷口雅春先生・著「美と健康の創造」(P46〜P48)より

言葉が発せられなかったならば何事も成就しなかったのである。
「はじめに神・・・光あれと言い給いければ光ありき」と「創世記」にあるように、
最初に一切の存在は神のコトバによって創造せられたのである。

もっとも、この場合のコトバというのは人間の発声音ではない。
また声帯の振動による言葉でもないのである。何故ならまだその時は人間も造られていなかったし、
声帯もむろんつくられていなかったからである。

ではコトバとは何であるか。

『甘露の法雨』には「神の『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して万物成る」と
示されているのである。心が動き出したらコトバとなるのである。

この場合の心とはむろん、個人の心ではない。
宇宙に充ち満ちている普遍心である。普遍心といっても普遍生命といっても好い。

この場合の「心」というのは「物質」に対する「精神」というような相対心ではない。
それは普遍であるから絶対心である。絶対心は「物心」両面のその上に超越し、
物心両面をそれ自身より生み出すところの心である。

その心の振動が想念でありコトバである。
吾々がものを想念するとき、必ず、心のうちに或るコトバを思い浮かべるのである。
即ち想念は言葉である。

これは宇宙の普遍心についても、吾々個人の個別心においても同様である。
だから個別心であるところの人間も想念(心の中のコトバ)又は
発声によるコトバによって万物を創造することになるのである。

いかに多数の人間がいるにしても、その多数の人間の中から、木村といえば木村が出て来、
中村と呼べば中村が出て来るのであって、木村というのに中村君が出て来たり、
中村と呼ぶのに木村君が出てきたりすることは断じてあり得ないのである。

それと同じく、宇宙に無限の者があるにしても、その無限のものの中から、呼ぶものだけが
出て来るのであって、「私は貧乏だ。つまらない」と毎日つぶやいていたら、その「つぶやき」は
言葉であるがゆえに、その「つまらない貧乏」のみが呼び出されて出て来るということになる
のである。

だから、決して自分が「貧乏」であることをつぶやいてはならないのである。
「貧乏」の人ほど。私は「富んでいる」と呟かねばならぬのである。

「病気」の人が「病気」を呟けばますます「病気」が言葉の力で呼び出されて来るのである。
だから病気の人ほど、「私は健康だ」と言葉に表現することが必要である。
言葉に表現した通りに「健康」が出て来るのである。

しかし、今日「健康だ」と言葉に表現したからとて早速、明日は「健康」になっているとは
限らない。それは今日まで、繰返し繰返し「私は病気だ」と言葉で表現したのであるから、
今しばらくはその言葉の力が継続しているからである。

        <感謝合掌 平成24年3月16日 頓首再拝>

善き言葉は「神策に沿うコトバ」 (7672)
日時:2012年03月21日 (水) 07時01分
名前:伝統

    *『生命の實相』第38巻(P104)より

善き言葉は実在の中から飛び出して来た言葉である。
いわば、「神」の国策線に沿うコトバである。

悪しき言葉は本来虚のコトバである。
神策に沿わぬコトバである。

虚のコトバから発生したものは本来が虚であるから”ある”ように見えても存在せぬ。
そういう現象を偽象または虚象と言う。

善き言葉であらわれた現象は、実在の延長であるから真象と言うのである。
真象は神御自身のコトバの延長であるから、神の嘉(よみ)したまうところである。

神は表現を求めていられるのである。
真象は神の表現であり、神の発展であり、み心の天になるがごとく地に成ることである。
真象は神の御稜威(みいつ)の降臨である。理念の表現である。

現象にも真象と偽象とがあることを知らねばならぬ。

「現象なし」と断ち切る場合は「偽象」なしの意味である。
「神の『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して万物成る」
という場合の「現象」は真象である。

        <感謝合掌 平成24年3月21日 頓首再拝>

言葉は、人生航海の舵 (7744)
日時:2012年03月24日 (土) 04時56分
名前:伝統

      *『生命の實相』第37巻幸福篇(P170〜171)より

言葉が舵であって、人生の方向を定める。
言葉、言葉、言葉、言葉・・・・・
われわれの心に印象を深からしめるために「言葉」という字を繰り返し繰り返し書いておく。

船は船長の言葉の力でその方向に必ず進むのである。
船長はみだりにまちがった言葉を出すことはできない。
船長が「東」と言うのに、船が「西」に進むということはありえない。

では、われわれは「幸福」に人生を航海したいならば、「幸福」の方向にのみ
自分の「人生」を進めたいならば、われわれは人生の船長であるから
「幸福」とのみ掛け声をかければよいのである。

「幸福」「幸福」とのみ毎日掛け声を掛けているならば、
必ず自分の「人生」は幸福の方向に進んで行くにちがいないのである。

「健康」「健康」とのみ掛け声をかめていれば、
必ず「健康」の方向にのみ自分の人生は進んで行くにちがいないのである。

それだのに「幸福」を切に求めながら、
毎日「自分は虚弱だ」と掛け声をかけたりしている人がある。

自分の運命について呟く人、自分の病身について呟く人はこういう種類の人であって、
その人がその生活習慣を改めないかぎり、本当に幸福と健康とは来ないであろう。

今現に不幸であっても「幸福」と言う人は、
西へ行こうとしている船が「東」と言う船長の言葉で「東」へ位置を変じはじめると
同様に、「幸福」の方向へ生活が転向しはじめるのである。

        <感謝合掌 平成24年3月24日 頓首再拝>

「天国言葉」〜あなたの言葉で地球が天国になる (8187)
日時:2012年04月09日 (月) 07時13分
名前:伝統

   * 斎藤一人(著)「幸福力(しあわせりょく)」より

   〜自分も相手も楽しくなるのが「天国言葉」〜

(1)しゃべっているとおりの人生になる

  @日本というのは、言霊(ことだま)の国です。

  Aきれいな言葉、自分が楽しくなるような言葉、相手が聞いていて楽しくなるような
   言葉を使っていると、ほんとうに、人生って、よくなってくるんです。

  B自分も苦しくなるし、人も苦しくなるような言葉をしゃべっていると、
   しゃべっているとおりの人生になってきて、死んでからも地獄に落ちちゃうよって、
   私はよく言うんです。


(2)<天国言葉>
   ついてる
   うれしい・楽しい
   感謝します
   しあわせ
   ありがとう
   ゆるします。

   「きれいな言葉、自分が楽しくなるような言葉、相手が聞いてて楽しくなるような
   言葉を使っていると、ほんとうに、人生って、よくなってくるんです」


   <地獄言葉>
   ついてない
   不平不満
   愚痴・泣き言
   悪口・文句
   心配事
   ゆるせない

   「自分も苦しくなるし、人も苦しくなるような言葉をしゃべってると、
   しゃべってるとおりの人生になってきます」

(3)ついてる

  @人間は困難に必ず出会う。その困難に遭ったときに、乗り越えられる人と、
   くじけちゃう人がいる。くじけちゃう人って、心が先にくじけてる。

   乗り越えられる人は、「仏様・神様が自分を守ってくれてるんだ」と思って、
   すごく元気になる。

  A地獄言葉ばっかし言っている人は、悪いことしか頭がいかない。

   よきものが自分にはついてて、自分のか弱い力を補佐してくれるって思えばいい。
   「自分はついてますから」というのは、そんな意味だと思います。

(4)うれしい、楽しい

  @心って陰になっちゃいけない。陽にしなきゃいけない。陽で暮らさなきゃいけない。
   心の中に春風が吹いているような状態で暮らさなきゃいけない。

  Aふわっと春風が吹いて、お日様が当たって、
   木から芽が出てきてっていう状態で生きる。

   そうすると、春風が吹くから、心の中に花が咲く。
   そうすると、人生に花が咲くんです。

   それが「うれしいね。楽しいね」っていうことだと思います。

(5)感謝してます

  @人の自慢って、聞いてて心地よい人っていないんです。
   それは嘘だってわかるから。

  Aそれは、その人も努力したかもしれないけれども、周りも手伝ったり、
   先祖の加護があったり、いろんなものが手伝った結果なんです。

  Bだから、いろんなものに感謝しながら生きる。
   感謝している人ってすがすがしい。聞いてもすがすがしい。

   感謝してるっていうのは、すごくたいせつなことだし、
   不幸な人って感謝がない。

  C感謝とは、今あるものに感謝すること。
   「ないものが手に入ったから感謝する」のでも、
   「いいことがあったら感謝する」のでもない。

   日本に生まれたことに感謝するとか、
   なにもないとこから感謝すると、また感謝したくなることが起きる。

   だから、感謝が先。言葉が先。

(6)しあわせ

  @「幸せ」って言うと、不思議と人は、幸せを考え出す。

  A脳というのは不思議なもので、
   「不幸だな」って言うと、脳の中から不幸なことをピックアップする。

   「幸せ」って言うと脳の中に詰まってることの中から、幸せなことをピックアップする。
   それで幸せを感じるようになっている。

  Bだから、「幸せだな」というのは、幸せじゃないときこそ言う言葉なんです。
   そうすると不思議と幸せになるから、幸せなときも言えるようになるんだよと
   いうことです。

(7)ありがとう

  @「お水」って言った時、誰かが持ってきてくれた。
   ほんとうはお水が出現するはずがない。魔法使いでもないかぎり。

   それが、持ってきてくれたから「有り難う」。

  A人になにかやってもらったり、なにかしてもらって「ありがとうございます」とか、
   「感謝してます」と言うのは、あたりまえなんです。

   あたりまえのことをできなかった人がするようになったから、
   神様も、ご先祖様も、周りの人も喜んで、ご褒美もくれる。

  Bだけど、ある日いいことが起きなくなる。なぜなら、これだけ言っていれば
   いいんだと覚えて、「ありがとう」「感謝してます」って言ってたら、
   もらうだけの人生になってしまう。

   次の段階は違うんです。次の段階は、人から「ありがとう」とか、
   「感謝してます」とか、言われる生き方をする。

   人から「ありがとうございます」と言われることが多い生き方をしたとき、
   人は幸せになるように、神様がインプットしている、脳の中に。

(8)ゆるします

  @ゆるさないと苦しむのは自分。それで、心がこってしまう。
   そういうふうにできている。
   ゆるす方法は2つしかない。

  Aゆるすというのは緩ませるということ、心を。
   心が締めつけられてると苦しい。

   だから、どうしても相手をゆるせなかったら、自分だけゆるす。
   「ゆるします」って言うと、ほんとうに心が緩む。

  Bそれから、人と話をする。
   楽しい話、天国言葉の話、「ほんとうについてるよね」とか、
   「幸せだねえ」とか言ってると、心がゆるむ。

  Cゆるすって、自分のためなんです。

(9)天国言葉はほかにもあります

  @「おいしいね」とか、人の心がウキウキするような言葉。

  Aウキウキ、ワクワクという言葉。

  B自分の心が楽しくなって、春風が吹いて、人にも聞いててさ
   わやかな言葉。

  C心が晴々とする言葉は全部いい言葉です。

        <感謝合掌 平成24年4月9日 頓首再拝>

【コトバの威力】 (8225)
日時:2012年04月11日 (水) 04時30分
名前:伝統


     *谷口雅春先生・著『ヨハネ伝講義』(P4〜P6)より

  太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神とともにあり、言は神なりき。
  この言は太初に神とともに在り、万の物これによりて成り、成りたる物
  一つとして之によらで成りたるはなし。

  之に生命あり、この生命は人の光なりき。
  光は暗黒に照る、しかして暗黒は之を悟らざりき。 (ヨハネ第1章1〜5節)



これが『ヨハネ伝福音書』の最初にある言葉であります。


それで今日は「言(ことば)は神である」と云うことをはっきりさせたいと
云うので、言霊学の極概論をやろうと思うのであります。

日本の国は、言霊の幸う国と古くから云われておりまして、言葉の力を讃える国でありました。

それで日本では言葉と云うものを大切に取り扱いまして、
最初(かりそめ)にもわるい言葉を吐かないようにしていました。

そしてもし悪い言葉で宇宙を掻き乱したら善き言葉を祝詞によって宣べることにより、
天地を清めると云うことにしていたのであります。

祝詞というのは「祝福の詞(ことば)」ということであって、

悪しきものがあらわれていても、
そんなものはない「ありがたいものばかりだ」と善き言葉で祝福の詞(ことば)を
のべることによって、天地の穢れを祓(はらい)清めることをやっていたのであります。

「言(コトバ)は神である」と云うその言葉と云うのは、
生命のバイブレーション(振動)であります。

「太初に言あり」と云うのは、一切のものは波動が最始原のものであると云うことであります。

「いやしくも、波動のあるところに神がある」と云うのが、
「言(ことば)は神と偕(とも)にあり」と云う事であります。

「偕(とも)にある」と云うのは「別のもの」が併列してあるかと思うと、そうではない。
「言(ことば)は神なりき」であって言(ことば)と神とは同じものだと云うことであります。

この「言(ことば)」と云うのは英語ではゴド(GOD)と濁っておりますが、
神様のことであります、言葉が神様である、
一切のものは言葉によって造られているのであります。

「言(ことば)は神様である」と云うのは、
吾々は古代から神様のことを「命(みこと)」と言います。
美(み)は美称(ほめことば)であります。

神様とはミコトバ様だと云うことなのであります。

漢字に当てはめても「ミコト」と云う字は命令の「命(めい)」が書いてある。
命令は口でする、即ち漢字でも言(コトバ)は神様である。
その「命(ミコト)」と云う字は「命(いのち)」とも読む。

言(ことば)又命(いのち)であって、
『ヨハネ伝』の最初に「太初(はじめ)に言(ことば)あり」云々と書いて
「之に生命(いのち)あり、この生命(いのち)は人の光なりき」とこう云うように
書いてあるのに一致するのであります。

それで、言(ことば)は神であり、生命(いのち)である。

旧い訳の新約聖書には「道(みち)」と云う字を書いて「ことば」と振仮名を附けてあります。
「道(みち)」と云うのは吾々の肉体の足が歩いて行く道のことではないのでありまして、
天地遍満の道(みち)、即ち天地にミチミチているから「ミチ」である。

「道(みち)」は「言う」とも読む字であって、言葉である。

そして「道(みち)と云う字は「首(ハジメ)」に「ススム」と云う字画であります。
詰り、天地にミチていて、事物のハジメを成しているものが言(ことば)即ち、波動であり、
それが一切の本源である神であって、それから万物が発生したと云うのであります。

それで、万物は一切この言葉によって展開したのであって、この言葉が大切なのであります。
それで吾々が病人に対して「お前はもう病気でない、神の子である」ということを言葉で言えば、
それが本当に力ある言葉であれば病人が治るということにもなるのであります。

そうかと思えば、あべこべに、「お前は罪人であるぞ、いくら善くなろうと思うても善くなれない
凡夫である」と云うようなことを言ったら、やはりその言葉の力によって、いくら善くなろうと
思うても、善くなれないと云う風なことになるわけであります。

このように言葉は命(いのち)であり、神様であり、命令であり、天地に満つる道(みち)で
あると云うことになるのであります。

        <感謝合掌 平成24年4月11日 頓首再拝>

「光」の言(コトバ) (8606)
日時:2012年04月24日 (火) 04時50分
名前:伝統


     *谷口雅春先生・著『ヨハネ伝講義』(P6〜P8)より

この天地に満つる言葉が、「神光あれと言いたまいければ光ありき。」(『創世記』第一章)
とあるのも、最初にこの「阿」の声が出て来たことをあらわしております。

「阿」の声、これは光輝く声であります。
「光」の声と云うのは大日如来の本体であります。

 (註)大日経疏第七に「阿字は是れ一切法教の本なり。
    凡そ最初に口を開く阿の声あり若し阿の声を離るれば即ち一切の言説なし。
    故に衆声の母とす」とあり、此の「阿」の声はまた菩提心即ち「ほとけの心」
    であります。

    大日経疏第十四「阿字は菩提心なり」とあり、
    同第十には「阿は是れ空の義の本不生を以つての故に虚に同じ」とあります。


「本不生」と云うのは本来不生不滅の本体の意味でありますから、
「阿字を大日如来の法体である」と云うのであります。

真言密教では「阿字観」と云う修行をする。
要するに本来不生の宇宙の本体である大日如来と自分と一体であると云う『神想観』
のような修行をするのであります。(谷口清超との共著『苦難と恐怖の克服法』参照)

この「阿」と云う言(コトバ)は現れるという意味をもっていまして、
現れる、明るい、赤い、暁・・・・等、光のアラワレル意味をもった語が
此の「ア」と云う発音で始っていることに注意して頂きたいのであります。

これは自然発生の言葉であります。そのほかの言葉にも、
「ア」の附いた言葉には「頭」であるとか「足」であるとか色々あります。

―― 頭と云うのはどういう意味であるかと言うと、
真丸く玉のように現れている、あらわれてたまのようであるから「頭」なんです。

そうすると「足」というのは、あらわれて「”し”た」にある。
それで「アシ」と云うのであります。

それから、暴れる、荒狂う、荒魂、これらは外に現れるという意味から、
自然とそう云う言葉が出て来たのであって、
これは仮名文字審議会を開いて決めた言葉ではないのであります。

自然と天地創造のコトバと、人間の中(うち)に宿るコトバ(命)とが一体であるから、
人間が、事物を見ると、その事物の本質にあたるコトバを自然に出す。
それが通用語になったのであります。

そう云う工合になっているのが我々の使っている言葉であります。

「ア」はどう云う意味の語、「イ」はどう云う意味の語と云うように、
五十音にわたって説明したいのですが、今は時間が足りませんから、
これは詳しくは『真理』の青年篇に書いてあるからご覧ねがいます。

        <感謝合掌 平成24年4月24日 頓首再拝>

【言葉ってすごいね】 (8686)
日時:2012年04月27日 (金) 04時54分
名前:伝統


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年04月24日)」より

  『ふれあいトーク大賞 優秀作品集』の中から、心に響く言葉より…


  僕の親戚はおそば屋さんをしている。
  僕は日曜日や祝日に手伝いに行くことがあるが、そんな中、一本の電話があった。
  それは出前の電話で「おそばを一つだけ持って来てほしい」という内容であった。

  その人の家が近いということで、僕が出前を持っていくことになった。

  一番忙しい時間だったので、電話があってから1時間ぐらいたってしまっていた
  ので、持っていった時におこられると思った。

  その人の家までいそいで走っていった。

  家につきチャイムを鳴らし元気よく「おまちどうさまです」と大声で言うと、
  60歳くらいの女の人が出てきた。

  その女の人はおこるどころか、出てくるなり頭を深々と下げ、

  「こんな忙しい時に、1個だけ持ってきてもらってごめんなさいね。
  大変だったでしょ。」

  と言った。

  驚いた。
  言葉を失って立ちつくしていると「おいくらですか?」とたずねた。

  僕はあわててお金をもらい、出前の品をわたした。

  そして、さっきの言葉のお返しのように「ありがとうございました」と頭を下げた。

  今まで僕は何回も出前に行っている。
  その人たちも「ありがとう」や「がんばれよ」などと声をかけてくれるが、
  あれほどていねいに言ってくれる人ははじめてだった。

  もし、逆の立場でもあれほどていねいには言わないと思う。

  それは心の中で「出前を持って来てくれることがあたりまえ」とか
  「ありがとう」と言うことが恥ずかしいと思っているからである。

  お店にもどり「あのお客様の出前は僕がいつも行くからね」と
  働いているみんなに言った。

  みんなは不思議そうに「なんで?」と聞いた。

  そして、今あったことを話すと「いい経験をしたね」と言ってくれた。

  その後、僕にこう話した。

  「やっぱり人は言葉が大切だよね。言葉で言わなきゃ伝わらないよね」と。

  その通りだと思った。

  夜の仕事も終わり、家に帰った。
  そして、今度は家族のみんなに今日のことを話した。

  すると親が

  「言葉は一言で人を喜ばせ、一言で悲しくさせる。
  言葉ってすごいね」

  と言った。

    “山口誠”(東京都品川区 15歳)

    <『ふれあいトーク大賞 優秀作品集』>

      ・・・・・

たった一言で、悲しくもなるし、うれしくもなる。

それが、言葉の力だ。

心の中で、どんなに思っていても、言葉に出さなければ、相手には伝わらない。

「ざるそば」を食べたいと心で深く念じていても、
「たぬきそば」と言えば「たぬきそば」が出てくる。


「ありがとう」

「ごめんなさい」

「感謝します」

「うれしい」

「たのしい」

「しあわせ」


言葉一つで、世界が変わる。

        <感謝合掌 平成24年4月27日 頓首再拝>

言(ことば)が万事の本 (8848)
日時:2012年05月03日 (木) 05時02分
名前:伝統


  *『生命の實相(幸福篇上)』(<5月3日のことば>P122)より

「太初(はじめ)に言(ことば)あり、
言(ことば)は神なりき、万(よろず)のものこれによりて成る」と
「ヨハネ伝」の冒頭にあるとおり、言(ことば)が万事の本である。

言(ことば)というのは空気の振動ばかりのことではない。
心の振動も、顔の皮膚の振動も、身体(からだ)の態度も、文章も、
手紙もすべてコトバである。

しかし根本的には心の振動が、言語(げんご)という空気の振動ともなり、
表情という皮膚の振動ともなる。

見ゆる形は、見えない心的エネルギーが現れたのである。

心を平和に、言葉に善きことのみを発し、表情を明るくすることが大切である。

        <感謝合掌 平成24年5月3日 頓首再拝>

「魔法の言葉」 (8908)
日時:2012年05月05日 (土) 04時45分
名前:伝統


   *藤川清美・著「ストン!」(P158〜P162)より

「魔法の言葉」

(1)「すべてスムーズにうまくいく」

(2)「絶対だいじょうぶ」

(3)「やったね、万歳!」

(4)「神様、ありがとう!」

(5)「感謝!!」

(6)「うまくいったね!!」

(7)「瞬間立ち上がり賞!」

(8)「1ミリでも前進!」

(9)「毎日あるゆる面で、私はますますよくなっていきます」
   〜エミール・クーエの言葉

(10)「私の未来が開かれるのでしたら、どうぞ神様、与えてください」

        <感謝合掌 平成24年5月5日 頓首再拝>

<コトバは創り主> (8964)
日時:2012年05月07日 (月) 04時41分
名前:伝統

   *平岡初枝・著「しあわせを見つめて」(P33〜P34)より

言葉は、すべてを創り出す。
意識していう言葉はもちろん、たとえ無意識に、あるいは冗談に言ったことばでも、
その悉くが実現の可能性を持っているというから素晴らしいことである。

(中略)

信念は、絶えず言っているうちに強くなる。
言葉は宇宙の創化力、一切を作る力だからである。

神が一切を造りだもうにも「粘土を用いたまわず、木材をもちい給わず、
ただ心をもって作り給う」と『生命の實相』にも示されており、

「心はすべての創り主……この心展開して言葉となれば一切の現象展開して万物成る」と、
神様の宇宙創造、万物創造の過程についても訓えられているのである。

同じく、われわれの自己運命の創造も、言葉が創り主なのであると教えられている。

そして、すべての人間が一番可愛いのは、自分である。
では、真に自分を愛する道は何か、それは善い言葉を選ぶことである。
いやしくも悪い言葉を使わないことである。

善い言葉と言っても、馬鹿丁寧な遊ばせ言葉を使うということではない。
すべてに明るい、希望にみちた、自他を祝福する言葉を使うことが大切なのである。

そして「もう駄目だ」「自分には、そんなことは出来ない」などと自己を限定する言葉や、
「寒い風に会うと風邪を引く」とか「たくさん食べるとお腹が痛む」などと病気を予想する
言葉を使わないことである。

なぜなら、私たちが心で思うこと、言葉にあらわしたことは、宇宙の創化力を動員して、
その心の傾向、その言葉の方向へと創作を始める。

これが真理だというのであるから愉快である。

男の子ばかり6人もいるので「男の子ばっかりで大へんだろう」とか
「義務教育だけでも、6人では大へんだろう」と知人に言われると

「男ばっかり6人、たのしいよ。一人は学者、一人は実業家、一人は飛行機のパイロットに
育てようかと思ってね。アッハッハ……」と朗らかに笑いとばしていた人があった。

それが、もう息子たちの3人は大学を卒業して、長男は高校の英語の先生、
二番目は国鉄職員、三番目はサラリーマン。

明るい朗らかなお父さんの子として、助け合い励まし合って育っているが、
たしかに幸運も、悪運も言葉が種だということがわかるのである。

<参考Web:生長の家「今昔物語」(「しあわせを見つめて」)>
       → http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/archive/201110/1

        <感謝合掌 平成24年5月7日 頓首再拝>

毎日の「口ぐせ」が人生を導く (9313)
日時:2012年05月20日 (日) 04時26分
名前:伝統

     *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年05月17日)」より

  佐藤富雄氏の心に響く言葉より…


  「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」
  と、ストレス学説の創始者、ハンス・セリエ博士は語っています。

  この法則は、人生全般にあてはまります。
  そしてこの法則に大きな関わりを持っているのが、言葉です。

  相手を罵倒したり、傷つけたりするような言葉を放つと、
  相手ではなく、それを言った本人がダメージを受けます。

  昔から「言霊(ことだま)」と言うように、
  言葉には偉大な霊力が含まれていると考えられてきました。

 
  坂口安吾の小説に、言霊の力を描いたものがあります。

  迎合の天才だった豊臣秀吉は、
  いよいよこれから大陸攻めですね」と口ぐせのように言っては、
  織田信長を喜ばせていたというのです。

  後に太閤となった秀吉は晩年、かつての口ぐせに復讐されるかのように、
  意味のない大陸出兵を敢行して敗れます。


  使ってきた言葉の数々、口ぐせを分析すれば、
  その人の今ある姿と未来の姿がわかります。

  言葉の積み重ねが存在をつくっているのです。

  人の姿は、その人の口ぐせの産物です。

  いい口ぐせをたくさん持つことは、人生を成功させる一番の秘訣です。

  つらい現実を「もうだめだ」と悲劇的に表現すれば、本当にだめになっていくでしょう。
  でも、「大丈夫だ」と楽天的に表現すれば、不思議と何とかなってしまうものです。

  言葉や口ぐせは、決して事実でなくてもいいのです。

  ほめ言葉でも、感謝の言葉でも、
  とりあえず口にすることで、それが本物になっていきます。

  反対に、年中「不安だ、心配だ」「どうしよう」「困った、困った」などと
  言っていると、その不安や心配が現実化する確率は高まっていきます。

  
  危機に直面したとき、窮地に陥った時、
  人が最初に考える言葉、最初に口にする言葉は何なのか、
  私は大勢の人に聞いてまわったことがあります。

  その結果、「何とかなるさ」「大丈夫」というものが最も多く、
  言葉の力で自分を奮い立たせ、逆境を乗り越えることができたという例を
  多数聞くことができました。

  逆に、倒産や自己破産などに追いこまれるという悲劇的な結末を体験した人々の
  第一声は、「無理だろう」「私はもうできない」という答えがトップでした。

  否定的な言葉を発すると、脳は残酷にも、
  ただちに「できない理由」を山ほど探してきます。

       <『佐藤富雄の「ツキ」の法則!』知的生き方文庫 >

  ・・・・・

困難な出来事に出会ったとき、
「これはどうしたらできるのか」とできる理由を探す人と、
「これは難しい、なぜなら…」とできない理由を探す人と2種類の人がいる。

それは、日頃の考え方の習慣やクセによって決まる。

どんなふうに生きたいか、どちらの方向に進みたいかという、
ベクトル(方向性)でもある。

ベクトルとは、北海道に行きたいと心の底から願っても、
沖縄行きの飛行機に乗ってしまったら、
いくら頑張っても北海道には行き着かないということだ。

ベクトルがどちらを向いているかは、毎日の「口グセ」によって決まる。

「困った、困った」と言っていれば、
困る方向にどんどん進み、困ったことが次々起こる。

肯定的なよき口ぐせを多く持ち、明るくて、夢のある方向に進みたい。

        <感謝合掌 平成24年5月20日 頓首再拝>

山内一豊の妻「千代」の言葉 (9392)
日時:2012年05月23日 (水) 04時21分
名前:伝統


    *『「超」言葉力』ハイブロー武蔵・著(P32〜34)

山内一豊の妻(千代)は、内助の功で夫を一国一城の主としたとして言い伝えられている。

なぜ千代は、とりたてて目立つほどの武将ではなかった夫一豊を、それほどの男にしたのか。

司馬遼太郎は『功名が辻』の中で、その秘密を説き明かしていく。

         ○       ○

一豊と結婚したばかりの千代は、夫への言葉と態度で自信を持たせていく。

一国一城の主になれるなど大それたことを思ったこともない一豊に対し、
「お顔を見、お心を見て、きっと一国一城のあるじにおなり遊ばすお方だと
思いました」と言ってのける。


自惚れという肥料だけが、大器ある男を伸ばす道だ。
それが武将であれ、禅僧であれ、絵師であれ。
かいこい千代は、その機微を知っている。

と司馬は解説する。

         ○       ○

男というのは誠に単純なのである。
女の言葉ひとつで天下一になったような気持ちになれるし、
立ち直れないほど傷つくこともある。

一豊の妻千代の特徴は、言葉の機微をよく知っていることと、
基本の生き方として陽気であることを信条として持っていたことである。

再び司馬遼太郎の表現を見てみよう。

         ○       ○

千代ののんきさは、母の法秀尼から教えられた縁起である。

「妻が陽気でなければ、夫は十分な働きはできませぬ。夫に此言をいうときでも、
陰気な口からいえば、夫はもう心が萎え、男として気おいを失います。

おなじ此言でも陽気な心でいえば、夫の心がかえって鼓舞されるものです。
陽気になる秘訣は、あすはきっと良くなる、と思い込んで暮らすことです」

         ○       ○

いつの時代でも男は言葉ひとつ、妻や恋人の言葉ひとつで、
大きくもなり小さくもなるのは変わらないことなのだ。

        <感謝合掌 平成24年5月23日 頓首再拝>

言葉に心を込めたい (9476)
日時:2012年05月26日 (土) 04時37分
名前:伝統


    *『「超」言葉力』ハイブロー武蔵・著(P117〜120)

そもそも言葉には、それ自体が持つ力がある。

言葉は天、あるいは神様からの人間への贈り物であるとしか思えないものである。
それほどありがたい存在である。

(中略)

日本には昔から言霊があると信じられている。
言霊とは、その言葉に宿っている不思議な働き、力のことである。
その言葉を使っているうちに、いつのまにか実現していってしまうといった、
秘められたる力があると言うのだ。

そして「日本」は、その「言霊のさきはふ国」と呼ばれてきた。
「さきはふ」とは「幸はふ」であり、「栄える」とか「幸福をもたらす」とかの意味である。

つまり、日本という国は言葉の力でもって永遠に栄えていき、幸福な国となるのだというのだ。

事実、世界の歴史を見ると、これは正しいことがわかる。

(中略)

私が言いたいのは、こんなに恵まれた言霊の国、日本語を持つ日本人は自分たちの幸せを
かみしめ、いっそう言葉を大事にしていかなくてはならないということである。

同じ言葉を使うにも、その言葉の意味を思い、心を込めて使ってみたい。
同じ「ありがとう」と言うのも、心がこもるほど言葉の力は増していく。
それが言霊の力である。

心を込めて「ありがとう」を使い、心を込めて挨拶する。
そうすることで言霊が、私たちの人生を「幸はふ」ようにしてくれるにちがいない。

繁栄と幸福は、言葉が呼び込んでくれるのである。

        <感謝合掌 平成24年5月26日 頓首再拝>

はじめにコトバあり (9673)
日時:2012年05月31日 (木) 04時56分
名前:伝統


     *『生活の智慧365章』(P94)

物質発生以前の宇宙とういものを考えてみると、
其処には無論「物質」なるものは存在しなかったのである。

そこには“霊”がまだ物質的なものと見える如き波動を起していなかったのである。
即ち、“真空”だったのである。しかしそれはただの”カラッポ”ではなく、
”不生”の大生命が確固儼然(かっこげんぜん)として存在していたのである。

不生の大生命が動き出したので所謂る”コトバ”である。
これが「元始(はじめ)にコトバあり、コトバは神と偕に在り、コトバは神なりき」と
『新約聖書』のヨハネ伝に書かれているところの真理である。

但(ただ)しこの“コトバ”と謂うのは、まだ物質発生以前の「元始(はじめ)のコトバ」
であるから、物質的発声器官を通してあらわれて来たコトバではないのである。
発声器官にあらわれる以前のコトバ ―― 即ち想念であったのである。

即ち、”真空”と見えている”不生”の生命が想念によって動的に動き出して
波動を起こしたのであって、これが「神の心うごき出(い)でてコトバとなれば、
一切の現象展開して万物成る」である。

        <感謝合掌 平成24年5月31日 頓首再拝>

言葉による暗示が子供へ影響する (9849)
日時:2012年06月03日 (日) 04時43分
名前:伝統

       *『生命の實相 幸福篇上<六月三日>』(P151)より

「知力も直覚も語(ことば)によって構成せられ、またそこなわれる。善き語(ことば)は
知力と直覚とをあるいは構成し、あるいはそこなうがゆえ、十分語(ことば)を選択する
術(すべ)を知らねばならぬ」とパスカルは言っている。

言葉の暗示の力は、智力を増し、直覚を増す。
祈りが学業成績に影響するのは当然なことである。

子どもの学修を指導しつつある父母がすぐ焦れてきて「子どもの頭の悪さ」に不平を言うが
ようなことでは、その子供の学業成績は挙がるものではない。

        <感謝合掌 平成24年6月3日 頓首再拝>

言葉で傷つけられたら、言葉で自分を取り戻せ (10034)
日時:2012年06月07日 (木) 04時43分
名前:伝統

    *『「超」言葉力』ハイブロー武蔵・著(P128〜131)

言葉には凄い力がある。だから多くの夢を実現させたり、奇跡を起こしたりする。
しかし他方、それだけの力を持つ言葉は、人の心を大きく傷つけることもあるのだ。

特に、誠実に生きていきたいと思っている人が、その誠実さを否定されたり、
気にしているところを批判されたりする時、誠実であるがゆえに、
ひどく傷つくことが多い。

傷つけられたる人は傷つけた人を鬼のように、悪魔のように見るが、
傷つけた本人は、実は人をそれほど傷つけたとは思っていない。

ちょっと調子にのっているようだから軽くいじめてやれだとか、人の手前、
かっこつけようと思ったり、ぐらいの軽い気持ちの人が多いのである。

そうでない場合は、人を傷つけることで自分の生きている存在を示したいと思っている。
本物の悪人である。

しかし、傷つけられた方はたまらない。

しかし、ここで傷ついてしまい、立ち直れないのはもっといけない。
まじめで、優しい人で、誠実でありたいと願っている人は社会の宝であり、
これが傷ついたままであるのは大きな損失である。

よい人こそ、堂々と生きてもらわなければならない。
よき見本を示してもらわなければならない。
心の優しい人、純な人は、精神が弱くなりやすい。

伊達政宗の有名な言葉に、「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる」というのがある。
意味は「自分の考える正義を押し通してばかりだと固すぎる人間になるし、仁、すなわち
他人に優しい人は弱くなりすぎる」といったものだ。

人の言葉で傷つく人というのは「仁」に過ぎてしまう人、優しすぎて、自分の正しいと
考えていることを押し通す「義」の力が弱いということである。
だったら「義」の力もつけようではないか。

孟子は「仁は人の心であり、義は人の道である」と言っている。
私はこれを、「心優しくて、生き方は正しく強くあれ」と解したい。
つまり、気概を持て、ということだ。

気概とは何か。それは、自分の譲らない生き方を持つということだ。
気概を持つには、偉人たちの物語や伝記を読むのが一番いい。

(中略)

結局、人は言葉で自分を見つめ、自分を変え、成長させていかなければいけないのである。
言葉で傷つけられたら、言葉を取り戻せ。
そして傷つけられたら、さらに強い自分を創っていけるようになるといい。

言葉を与えられた人間は、そのように創られているのだ。

        <感謝合掌 平成24年6月7日 頓首再拝>

「コトバの力」の正しい使い方 (10259)
日時:2012年06月14日 (木) 04時38分
名前:伝統


     *『生活の智慧365章』(P157)

自己の内に「幸福を開く鍵」が宿っていることを知っても、
その鍵をどのように使えば本当に「幸福の扉」が開くか、その使い道を知らなければ、
鍵はありと知りながらも、その扉を開くことができないでしょう。

その鍵を動かす力は“コトバの力”によるものです。
その力をどちらへ回転するか、どの方向へ向けて動かすかによって、どのような大きな幸福が
おとずれるか、小さな幸福しか与えられないかの相違がでて来るのである。

時には“コトバの力”を逆回転させると、そこから不幸が飛び出して来ることもあります。
“コトバの力”は諸刃の剣であり、自己が間違えば自己が斬られ、
敵が間違えば敵が斬られるのです。

それは十字であり、×(ななめ)となる時は「必殺」であり、正しく構えるとき「復活」である。

“コトバの力”を順に廻すということは、人を称(ほ)め讃(たた)える称賛の言葉を使う
ことであり、自己の受けたる恩恵を感謝する言葉を使うことである。

称讃と感謝の方向に鍵を廻転する事が大切である。

        <感謝合掌 平成24年6月14日 頓首再拝>

よい言葉のシャワーを浴びたい (10311)
日時:2012年06月16日 (土) 04時57分
名前:伝統


    *『「超」言葉力』ハイブロー武蔵・著(P173〜175)

言葉が人をつくり、組織をつくり、社会をつくる。
言葉が人に影響を与え、組織に影響を与え、社会に影響を与え、そして変えていく。

言葉は第二の遺伝子と呼ばれる。
そして本来の遺伝子よりも強力な面がある。

言葉がどう使われていくか、どういう言葉が多く発せられるかが自分の人生のみならず、
日本の未来を大きく左右していく。

特に重要なのは、子どもたちによい言葉のシャワーを浴びさせていくことである。
彼らの人生とこれからの日本の行く末に直結することになる。

日本の歴史を見ると、言霊の国、日本 と言われるくらいに言葉を大切にしてきた。
だから、世界でもまれに幸福な国でありつづけた。

では、今はどうだろうか。

(中略〜テレビやテレビゲームで言葉は、より低俗的になっていく傾向がある)

ソローが話し言葉と書き言葉がいかに違うかを述べたように、読書の時間を多くとり、
善き言葉、そしてその中でもよい言葉を多く読まなくてはいけない。

よき言葉とは、人間の善なる部分を伸ばす言葉であり、心や魂を磨く美しい言葉であり、
他人や自然や先祖に感謝することばなどである。感動する言葉もよい言葉である。

(中略〜隣国である韓国も中国も日本を追い越そうと読書量をふやしつつあるが、
    一方の日本は減る傾向にある)

日本人は本の存在と読書、そして言葉の重要性をあまりにも安易にとらえていないか。
先祖の遺してくれたよき財産を、自分たちでつぶしていこうとしていないか。


子どもたちによき言葉のシャワーを浴びせよう。

それが今を生きる私たちのぎむであり、次の社会につなぐ使命なのだ。

もっと本を読み、もっと言葉を大切にしよう。

日本の未来は、それで決まる。必ずよくなっていくのだ。

        <感謝合掌 平成24年6月16日 頓首再拝>

「言葉の力」で宇宙力を動かす (10345)
日時:2012年06月17日 (日) 04時41分
名前:伝統


   『生命の實相 幸福篇上(第三十七巻)』<6月17日>より

宇宙全体は一つの生命(せいめい)に生かされている。
宇宙全体が生き物なのである。
その生命(せいめい)流れ入って「吾」となっているのである。

宇宙の全体が、「吾」の内に流れ込んでいるともいうことができる。

そして自分の受け持っている環境では各自が船長であり、舵手である。
各自が舵をとった方向に宇宙の生命(せいめい)全体が動き出すのである。

そしてその舵は次の「言葉の力」である。

「自分は宇宙力全体にバックされている、自分は宇宙力全体と一つである」

常にこのことを「言葉の力」にて心に描け。
これが常住の神思観である。

そう念ずるとき、そこに仏が現前しているのである。
自分はすでに成仏しているのである。

        <感謝合掌 平成24年6月17日 頓首再拝>

言葉は人生航海の舵 (10369)
日時:2012年06月18日 (月) 04時55分
名前:伝統


   *『生命の實相 幸福篇上(第三十七巻)』<6月18日>より

言葉が舵であって、人生の方向を定める。
言葉、言葉、言葉、言葉・・・・・
われわれの心に印象を深からしめるために「言葉」という字を繰り返し繰り返し書いておく。

船は船長の言葉の力でその方向に必ず進むのである。
船長はみだりにまちがった言葉を出すことはできない。
船長が「東」と言うのに、船が「西」に進むということはありえない。


(中略〜全文は本スレッド内「言葉は、人生航海の舵 (7744)」にて確認願います)


今現に不幸であっても「幸福」と言う人は、
西へ行こうとしている船が「東」と言う船長の言葉で「東」へ位置を変じはじめると
同様に、「幸福」の方向へ生活が転向しはじめるのである。

        <感謝合掌 平成24年6月18日 頓首再拝>

万一、悪しき言葉を発したら、善き言葉で打ち消す (10399)
日時:2012年06月19日 (火) 07時54分
名前:伝統


   *『生命の實相 幸福篇上(第三十七巻)』<6月19日>より

「アダムの名づけたるところのものはその物の名となれり」と「創世記」にあるように
言葉のとおりに事物はなるのである。

宇宙は感受力鋭敏なラジオ・セットのようなものである。
このラジオ・セットは言葉で放送したものを感受するほか、心で放送したものを鋭敏に
感受して、それを具体的可聴的可視的な存在とするのである。

自分の放送しないところのものは一つとしてこの世界に形を顕わさない。

妻を呪う言葉を出したときには、妻はやがて呪わるべき形に変わって来るだろう。
良人を呪う言葉を出したとき、良人はやがてその呪ったとおりの姿となって現われて来るだろう。

自分の職業を呪い、境遇を呪うがごとき言葉を冗談にも発すべきではないのである。

もし誤ってそんな言葉を出したならば、それと反対の言葉、
「善い良人だ」「善い妻だ」「自分の職業は良い職業だ」「自分の境遇は幸福な境遇だ」
というような言葉で打ち消しておくことが必要なのである。

        <感謝合掌 平成24年6月19日 頓首再拝>

毎朝、心を磨き、心の食事をとることが大切なのです (10559)
日時:2012年06月25日 (月) 06時45分
名前:伝統

 
     * 『生命の實相』第一巻(P28〜31)より
   
東西の経典は筆を揃えて、言葉に生命(せいめい)あり、
言葉は必ず体(たい)を招き、言葉はわれらに宿って肉体となることを
説いているのであります。

古えわれわれ日本人が互いに「みこと」と呼び、互いを神として敬し合ったのは
このためであります。「生長の家」は、この点において神代(かみよ)日本に還るべき
であることを提言するのであります。

われらはなんであるよりもまず言葉すなわち神の子である。
これはじつに否定できない。言葉によってわれらは清くもなれば醜くもなり、
幸福にもなれば不幸にもなるのであります。

皆さんは毎朝歯ブラシで歯を磨かれるでしょう。
では歯よりも大切な心があることを自覚しなければなりません。
毎朝歯を磨くのにこの大切な心を磨かないのは不合理であります。

では、心をなにをもって磨くべきでありましょうか。

それは言葉によってであります。

皆さん、もし朝起きると一声「ばかやろう」と家族を叱咤したならば、
その日いちにち不愉快なことを自覚せねばならないでありましょう。
それは言葉が悪いからであります。

われわれが、自己の人生を幸福にし、家庭を明るくし、環境を良化し、
運命を改善しようと思うならば、毎日すくなくとも2、3回はそのために作られたる
善き、明るき言葉で心を浄め磨かなければならないのであります。

それは実際我々にとって食事をとることよりもなお絶対必要なことであります。
それは心の食事であります。

心に善き言葉を食して心を幸福にすれば、肉体は健康化し、運命は良化するのであります。

この目的のために、本書および月刊誌『生長の家』は生まれたのであります。


(中略〜われわれは、他から放送された不快な感情波動を自己の頭脳に受信し、
    不快な精神波動で自分の心をかき乱しているのです)


朝起きたとき、眠りに入る前、電車や汽車の中の暇な時間に、またお昼の休憩時間や
これから誰かに面会に行こうとする前に、この『生命の實相』の1ページが
どんなに諸君の運命を幸福にするでありましょう。

        <感謝合掌 平成24年6月25日 頓首再拝>

力強い文章の力で、半身不随の青年が起ち上がった (10595)
日時:2012年06月26日 (火) 07時52分
名前:伝統

   *『生命の實相 幸福篇上 第三十七巻』<6月26日>(P177)より抜粋

「あの(生命の實相)生活篇の価値を多くの誌友は知らないのですよ。
病気のことはほとんど書いてない。生活の仕方を鼓舞するように書いてありますが、
生活が整ってくると自然病気が治ってくる。朗々と読むとよいのですよ。
だからあの部分だけ集めて『光明の生活法』という一冊に纏めてあるのです。」

「あの中に『汝の床を今あげて起て!』という実に力強い文章がありますが、
あの一句をわたしは脊椎カリエスで下半身不随になって歩くことができない病人の枕許に
肉筆で書いておいて、毎日これを読んで、自分の心を鼓舞するのですよ、

そして『起てる、必ず起てる』とこれを読むごとに思うのですよ、と言っておきましたら、
数年間半身不随の青年が旬日のうちに起ち上がったのです。
言葉の力というのは不思議なものですなァ。」

        <感謝合掌 平成24年6月26日 頓首再拝>

荘厳なる生活をせよ (10650)
日時:2012年06月28日 (木) 04時56分
名前:伝統

     *「光明法語」<6月28日の法語>(P135)より)

吾等は吾が生活は荘厳なるものたらしめざるべからず。
何となれば人間は神の子であるからである。

魂を昂揚せしむる大思想家の文章は汝の魂をして荘厳ならしむべし。
低卑なる市井の俗語に耳傾くべからず。
闇の話、脱税の話、野卑の話、猥褻なる話きくべからず。

仏典を読むべし。聖書読むべし。
『甘露の法雨』を読むべし。『生命の實相』を読むべし。

すべて天啓、神示に基づく荘厳なる文章を読むべし。
猥雑極まる近代のエロ文学を読むべからず。

言葉の力は恐ろしき迄強き也。

        <感謝合掌 平成24年6月28日 頓首再拝>

ことばの乱れは生活の乱れ (10870)
日時:2012年07月03日 (火) 04時55分
名前:伝統


   「江戸しぐさ」の越川禮子氏の心に響く言葉より…

       *「人の心に灯をともす(2012年07月02日)」

   江戸しぐさは上に立つ人のしぐさですが、基本のひとつに人間互角の付き合いがありました。

   つまり挨拶の仕方に身分の上下はなかったのです。

   たとえば、昨日入社したばかりの社員から「おはようございます」と挨拶されたら、
   部長はもちろん社長でも、「おはようございます」と応じました。

   まかり間違っても、偉そうにふんぞりかえって、
   おもむろに頷くだけというような横柄な応対はしませんでした。


   その理由は、江戸人たちが、ことばの乱れは生活の乱れと、
   自分自身を戒める目安にしていたからです。

   つまり、自分が乱暴な口のきき方をすれば、相手もそのように応じてくる。

   逆に、相手が乱暴な話し方をしてくるのは、
   自分の話し方がそもそも乱暴だから…と考えたのですね。

   興奮してだんだん汚いことばで言い争い、
   ついには殴りあいになる電車の中のけんかなんどは、その典型ではないでしょうか。

   ちなみにこうした汚いことばを「手斧(ちょうな)ことば」といいます。

   手斧は荒削り用の大工道具のことで、
   手斧の削り跡のような荒々しい言葉遣いのことです。

   自分より弱い立場の人を相手に威張る、自慢するのは最悪です。
   野暮の骨頂です。

   自分だけが注目を浴びれば人のことなどどうでもいい、
   という目立ちたがり屋は、最低の人として軽蔑されました。

   ですから、気のおけない酒の席などであっても、
   同僚や後輩に忠告するつもりが自慢話になったりしないよう気を配りました。

   また、ちょっとした聞きかじりの知識をひけらかして、
   いかにも、よく知っているような言い方は大変に恥ずかしいこととして
   つつしみました。

   当人は気持ちよく話しているつもりでも、
   かげで、(底の浅い人…)と、軽蔑されていることを忘れず、
   その道の専門家に意見を述べるようなことも差し控えました。

       <『「また会いたい人」と言われる話し方』教育評論社>

   ・・・・・・

神社で神職の方に挨拶をすると、
こちらが恐縮するくらい丁寧な挨拶と、
立ち止まってきちっとした礼を返されることは多い。

日本の神社には、古来よりの美しい礼法が連綿として残っている。

荒々しい言葉を発する人は、まわりに荒々しい言葉を使う人が集まる。

言葉には、その人の品格や教養がにじみ出る。

自分より目下の人、立場の弱い人に対し、名前を呼び捨てにしたり、
命令口調だったり、偉そうに話す人は、野暮で恥ずかしい人。

自分の子分にしたようなつもりかもしれないが、いつまでもそれは通らない。

「ことばの乱れは生活の乱れ」
丁寧に話して、話しすぎることはない。

どんなときも、誰に対しても、丁寧な言葉を心掛けたい。

        <感謝合掌 平成24年7月3日 頓首再拝>

言葉は、創造の原動力を有する (10937)
日時:2012年07月05日 (木) 04時23分
名前:伝統


    *谷口雅春先生・著「人生は心で支配せよ」(P111〜113)」

われらの言葉は、創造の原動力を有する。
そしてわれらの境遇、われらの世界、われらの肉体の上に作用して、
これを善にも悪にも変改しうるのである。

されば、われらは発する言葉をいかほど選択しても選択しすぎると云うことはないのである。
宇宙は、感覚鋭き耳である。吾等はこの鋭き耳に対して、苟(いやしく)も人を傷つける
言葉を聞かしてはならない。

卑陋(ひろう)の思想を人に印象する言葉を聞かしてはならない。
そして人を引き落とす如き言葉を聴かしてはならない。

然るに、自己の家庭を呪い、職業を呪い、境遇を呪い、自己自身を呪う如き
徒(いたず)らなる言葉を発する人が如何にこの世に多くあることだろう。

悲観的思想を発表することはこれに相応ずる雰囲気を醸し出すことである。
それはやがて自己の恐れる事物を吾等の周囲に造り出さずにはいないのである。

冷酷なる言葉を発することを休(や)めよ、
冷酷なる言葉はその人に冷酷なる境遇をつくるからである。

人を審判(さば)くことを休めよ、
その審判(さばき)の言葉は不快な環境を造らずにはいないのである。

聖書には「人の口より発する徒らなる言葉は、すべて審判(さばき)の日に
数え上げられるべし」と云うように書いてある。
審判(さばき)の日と云うのは未来ではなく、常に各人の今である。

著者は最近或る婦人が不用意に言った悪しき言葉が禍の因(たね)となって、
その良人をして国家の枢要の地位より辷(すべ)りおとさしめた実例を知っている。

低劣なる霊魂(ひとびと)が常に自他の運命を破壊する言葉を発しているに反して、
尊き霊魂(ひとびと)は常に自他の運命を建設する言葉 ―― 愉快なる言葉、善意の言葉、
自他を勇気付ける言葉を発しているのである。

しかもかかる祝福の与え手になることは誰でも欲しさえすれば出来ることなのである。
彼は全人類を祝福する。その代わりに全人類は彼を祝福されたる者と仰ぐのである。
かように他を押し上げることは自己を押し上げることである。

しかも尊き霊魂(ひとびと)は自己を押し上げようとは思っていない。
彼が優しき言葉を投げかけるのは、
それが幾日かのちに返って来ることを預期してではないのである。

彼がそれを為すのは彼が彼の同胞 ―― 人類を愛するからである。
聖書には、言葉は足を照らす燈台となり、道を照らす光となれりと録(しる)されている。

もし諸君が時代の救済者となろうと思われるならば自己の思想感情に最上のものを以て
充たせ。努め励みて己が心情に最も善きものを保つように心掛けよ。
ここからのみ生命の泉は湧いて来るのである。

吾等が思想感情に美と優雅さを貯えて置くならば
吾等の言葉は美と優雅とを備えて流れ出で来るであろう。

ある詩人は歌って言う。

   さらば内奥の思想を明るいものたらしめよ
   思想は生ける力をもって働きかけ
   言葉とあらわれて運命を形造る
   神の描きたまいし構図の如何に荘厳霊妙なることよ。

        <感謝合掌 平成24年7月5日 頓首再拝>

<大 丈 夫 経> 〜 ことばの神秘 (11218)
日時:2012年07月13日 (金) 04時22分
名前:伝統

   *平岡初枝・著「しあわせを見つめて」(P29〜P33)より

ある晩、村の若妻会を終えて、家へ帰ったのは、もう10時を過ぎていた。
テレビのスイッチを入れて、始まったばかりのドラマを見た。
戦後20年の母の記録6千3百何十通の応募作品中から第一位に選ばれた
「大丈夫経」という記録映画であった。

話は、ある家の主人が、夕食後にわかの病気で息を引き取るところからはじまった。
医者も間に合わない瞬間的な出来ごとであったが、
主人は最後の息が切れるまで「大丈夫、大丈夫」と言い続けるのである。

だんだん目が見えなくなり、耳も聞こえなくっても「大丈夫、大丈夫」と言いつづける。
もう声にならない最後の最後まで「大丈夫、大丈夫」と唇が動いている。

その大丈夫は、自分は死なないという大丈夫なのか、
それとも自分が死んでもあとは大丈夫という大丈夫なのか一切わからない。

そして、医者がかけつけた時には、もう脈搏は消えていたのである。

未亡人には、男女6人の子供と姑、それに召使いの老夫婦の10人が残された。
資産といっては可なり広い屋敷と家とが残されたが、他には別に目ぼしいものはなかった。

それからの未亡人には、
夫の最後の言葉の「大丈夫、大丈夫」一つをたよりの生活が始まるのである。

最初に召使いの老夫婦が「奥様、私達二人はもう、御給料も何も要りません、
ただ今まで通りにおそばで仕えさせていただきたいのです」と申し出る。

奥さんは「あんた達は、長い間よく仕えてくれたのに何の御礼も出来なくてつらいけれど、
あとは私達は私達で何とかやって行くから、あんたたちは、あんたたちの道を切り開いて下さい」
という。

「だって私達がいないと、奥さんは御飯も炊けないじゃありませんか。
お掃除も洗濯も出来ないじゃありませんか」といえば、
「大丈夫よ、大丈夫よ。何とかなるのだから」と老夫婦の申し出をことわる。

6人兄弟の一番上が、20歳を越したらしい男の子であるが、こうした中に、
何一つ協力の色もなく、「お母さん、なんにもない生活をどうするんです。
僕は知りませんよ」などという。

それでも、母は「大丈夫よ、大丈夫よ」をくり返すのみ。

しかも、終戦後の物資不足の時である。お金があっても、お米が手にはいらない。

彼女は親しい知りあいの知恵によって、自分の着物一枚を手ばなすことによって、
彼女から見ると、相当たくさんのお米がはいった。

おどろいた彼女は、箪笥をもう一度あけて見た。
亡くなった御主人の洋服ダンスを開いて見ると、素晴らしい英国製の洋服がズラリと
並んでいる。

彼女は、うれしくなって、「これだけあったら……」と、
子供達に「あんた達、家にはたくさんのお米があるからお腹一杯召しあがれ……」と、
いった具合。

ところが一日分のつもりで炊いたものが、一食でなくなって、
また新しい人生勉強がはじまるわけである。

そのうちに、世話する人があって、薩摩揚でも売ったらということになった。
それで取りあえず門の脇の物置を修理して、商売を始めたのである。

そのうちに顔見知りになった近所のおかみさんが、
「今日は子供の遠足だけれど、何も弁当のオカズがないので、
薩摩揚を3個どうぞかしてほしい」と言ってくる。

「ない時はお互いさま」と気持よく出してやれば「ついでにお米も」と厚かましい。
「では5合ほど」と答えると、「でも、主人が3日分、3升ほどかりて来いというので……」と、
何のことはない商売しているとは名のみ。

月末になって勘定して見ると、生活費を引けば、仕入れの勘定が払えず、
仕入れの勘定を差し引くと生活費が出ないという有様であった。

「それではいけない、今少し売る品物をふやし、店の設備も大きくしなさい」とすすめられた。

それもそうだと思い直して、箪笥をと開けて見ると驚いた。

一物も残さず、きれいに盗られているのであった。
手を震わして主人の洋服ダンスをあけて見ると、
これまたきれいさっぱり何にもなくなっていたのである。

家族一同が、腰をぬかさんばかりにびっくりしていると、
一人が「そういえば、ゆうべ夜半に何かゴソゴソする音をきいた」と言い出した。

すると奥さんは「まあ、泥棒さんは夜も働くのね……」と感嘆の声を発し、
書物の置いてある室にかけ込み、かんたんな英語の本を取り出して一所懸命に
勉強に取りかかった。

びっくりした家族は、さては生活を支える一物もなくなったので、
気がふれたのではないか……と、うろうろするばかり。
家族のそうした心配を外に、英書と頸っ引きの毎日が始まった。

「お母さんへどうするの」と聞かれても、
相変わらずの「大丈夫よ、大丈夫よ」をくりかえしながら……。

それが、たどたどしい英語でも一所懸命勉強して、
当時大勢入国していたアメリカ人の深切なガイドになるためであると解ったとき、
家族は感激した。

まず、怠け者で、すべてに非協力だった息子が、
「お母さん、僕は何をしたらいいのでしょう」といってくれた。

「あんたは建築をやりなさい。今、日本には家を失った人がたくさんあります。
少しでもその人達の足しになるように建築をやりなさい」と言うと
「ハイ、そのようにいたします」と立ち上がってくれた。

つぎには、今迄の生活態度から一歩も出ることの出来なかった長女も
「お母さん、私は何をすればよいのでしょう」と、相談をもちかけてくれた。

「あんたは簿記をやりなさい、私もあんたもソロバンが下手だったから商売が出来なかった」
といえば、長女も「わかりました。簿記をやります」と素直にきいてくれた。

次女は、それまでも母とともに一つ心で働いてくれたが、
自分からタイプの稽古を志願して一所懸命になり出した。

4番目、5番目は男の子で、2人は新聞配達を始めた。

こうして盗難をきっかけに家族揃って新体制にはいり、一切が立ち直ったのである。


その20年間の記録を書いて応募したのが、2番目の娘さんで、
お母さんとともにテレビにも出演して、

「私の家は、何が来ても、何がおこってもお母さんの『大丈夫よ、大丈夫よ』
に支えられてきたのです。だから私は、お母さんの大丈夫経と名づけているのです」と、
話を結ばれたのであった。

私は、この話から言葉の神秘ということをしみじみ考えさせられたのであった。

これが若しも「大丈夫」でなくて「もう駄目だ、もう駄目だ」であったら、どうでしょうか。
決して、こううまくはいかなかったと思うのである。

    *<Web:生長の家「今昔物語」(「しあわせを見つめて」)>から転載
     → http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/archive/201110/1

        <感謝合掌 平成24年7月13日 頓首再拝>

人の悪しき言葉に乗るな (11335)
日時:2012年07月17日 (火) 07時30分
名前:伝統


    *「幸福を招く365章」(P57)より

怒りは火事のようなものである。
あなたの心を焼きつくし、地獄の焔の中に投げ込み、
ついに身体までも病気にする力をもっているのである。

誰かが不親切な言葉を発したからとて、
それを自分の心の竃(かまど)の中に抛り込んではならないのである。
不親切な言葉は、あなたの心の竃の中で燃える地獄の火の燃料となるのである。

不親切に対して深切をもってし、憎しみに対して愛をもってするのは、
自分の心の中にほり込む燃料に水を注ぐようなものである。

人の告げ口に乗るな。
それは怒りの焔を煽る風のようなものである。

愛語と調和の言葉を雨ふらして、心の火事を消すことである。
常に「平和」を念じて祈れ。 

        <感謝合掌 平成24年7月17日 頓首再拝>  

善のみを語り、善のみを現実化する (11448)
日時:2012年07月21日 (土) 04時53分
名前:伝統


   *「幸福を招く365章」(P218)より

次の如く念ぜよ。

「われは今日、善と愛と深切の言葉のみを語るのである。
われはそれ故に愛と深切のみを刈り取るのである。
われは如何なる悪しき言葉も今より後(あと)口にしないのである。

自分は人の行いと其の動機とをさばかない。
自分はあらゆる人々の行いに其の善事を見るのである。
自分は人を軽蔑するような言葉を決して語らない。
自分はすべての人々の美点のみ見、美点の実を語るのである。

自分は言語が神であることを知ったのである。
だから、今後自分は善き事のみを語り、善き事のみが実現するのである」

繁昌は一日にして来たらず、それが単なる偶然の好運であるかに見えても、
必ず過去に蓄積されている善き想念、善き言葉、善き行為、善き感情が
現実化して生ずるのである。

すべての想念、感情、言葉、行為の結果は実現しないではいないのである。
それは原因結果の法則である。原因結果の法則には、物理的な法則と、心の法則があるのである。
大抵の人は物理化学的法則のみを知っていて、心の法則を知らないのである。

繁栄せんと欲する者は顧客に対してよき想念、善き感情、深切な注意、
行き届いたサービスの精神を揮(ふる)い起さなければならないのである。

        <感謝合掌 平成24年7月21日 頓首再拝>  



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