[1978] ≪10/02今日のお喋り≫
投稿者:五茶
投稿日:2006年10月02日 (月) 07時04分
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●俳諧の祖:宗鑑忌
◆知らないので調べました 今日、10月2日は俳諧の祖とされる山崎宗鑑の1553(天文22)年の忌日だという。 え〜、そんなの知らない。 お恥ずかしいながら、松尾芭蕉以前の古い俳諧人は知らない。 俳句で日ごろ遊ばしていただいている私としては 常識のようなので調べてみました。
◆戦国時代の連歌師・俳諧作者
▽戦国時代の連歌師・俳諧作者 山崎宗鑑(やまざきそうかん、寛正6年(1465年)? - 天文22年(1553年))は、 戦国時代の連歌師・俳諧作者。 近江国志那(現在の草津市)の出身とされるが、 本名・出自にについては諸説あり定かではありません。
▽足利義尚に仕えた後出家 室町幕府9代将軍足利義尚に仕えた後出家し、 山城国(摂津国?)山崎に庵「對月庵」を結び、 山崎宗鑑と呼ばれた。 山崎に来たのは30歳のころでした。 それ以後、この地で人生の大半を過ごすことになったという。
▽現在に残る遺跡 ・現在大阪府島本町山崎に「宗鑑井戸」「宗鑑旧居跡」が残されている。
・大永3年(1523)ごろ山崎の地を去り、 享禄元年(1528)に讃岐国(香川県観音寺市)の興昌寺に庵「一夜庵」を結び そこで生涯を終えた。 「一夜庵」の名は宗鑑が長居の客を厭い一夜以上の宿泊を断ったからといい、 建物は修復を重ねながら現地に残されているという。
◆京阪にある宗鑑の遺跡
▽山崎宗鑑屋敷跡 山崎宗鑑屋敷跡, 宗鑑井戸というのが西国街道に面した森村邸に残ってます 。 (京都〜大阪のJR山崎の付近:大阪府島本町山崎)
▽千利休の茶室が近くに 近くの千利休が妙喜庵(日本最古の茶室建造物である)でお茶を点てた時に使った井戸と言う話しもあるくらいです。 千利休よりは40年くらい古い時代差はありますが 同じところに住んでいたようです。
▽句碑 天王山登り口にある句碑 (所在地大山崎町大山崎上ノ田1でJR山崎駅東の踏切北側) @≪うずききてねぶとに鳴や郭公≫ 「卯月が来て声太く鳴いているのはホトトギスですよ」という表の意味の他に、 「根太(=腫瘍)が疼いてきて泣いているホトトギスさんよ」という裏の意味をこめた俳諧で、 親しかった伊勢の神官の荒木田守武が根太にかかっていたのを揶揄したものと言われています。
Aこの句碑の側の解説立札にはもう一つ宗鑑の句 ≪風寒し破れ障子の神無月≫が載っています。 この句も、破れ障子=紙がない=神無しと掛けた言葉遊びです。
◆行ってみたい京阪:大山崎の史跡探訪 私は大山崎や高槻は京阪の中間点にあって立ち寄ったことがない。
▽利休・宗鑑・エジソン・芭蕉etc,いろいろあるな 大山崎は三川合流の淀川、天下分け目の天王山。 美しい自然の中に多くの歴史遺産がコンパクトに詰まっている京都府:大山崎町や大阪府:高槻は一度訪ねてみたい町だと改めて思いました。
■[1979] おはようございますranran(2006年10月02日 (月) 07時10分)
五茶さん おはようございます
今週も宜しくお願します
千利休の茶室は 山崎に出かけた時の気がついて次回ちゃんと 予約して来ようなんて主人といった記憶があります そういえば 山崎にでかけた時のは五茶さんのHPに投句したのを 思い出しました 主人がいなくなったら 茶室にも行く事もないのかしらと思ったりです
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