[1883] ≪07/18今日のお喋り≫
投稿者:五茶
投稿日:2006年07月18日 (火) 07時24分
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●おやき カメ俳にシルバーさんから信州のお国自慢の「おやき」の投句がありましたので書いてみました。
◆信州の郷土料理「おやき」 長野県の郷土料理の「おやき」は小麦粉の皮で作っってあり、いまや全県下的な名物です。 インターネットで≪おやき≫と検索したら39万8千件でほとんどが長野県すから驚きですね。
◆古くは「やきもち」と言った 北信濃のおやきは、古くは「やきもち」と言っていました。 「おやき」などと「お」を付けるような上品な呼び方ではありませんでした。 長野市の西部山地の中条村、小川村、鬼無里村などで食べられていました。 昔は家庭の囲炉裏ばたの鉄網で焼いてから灰の中に埋めて保温して食べられていました。
◆『やきもち』は主食だった ▽『やきもち』はもともとは、 稲作に適さない地方のお米の代用食の粉食として小麦粉皮に具を包み、 『やきもち』と称して食べていたようです。 ▽具は丸なすに油味噌を挟んだものを焼いて食べるのが普通でした。 つまり米の出来ない地方の日常的な主食だったわけです。
◆私の初食いは 小生は同じ郡内の北部の生まれですので、 初めて小川村で食べたのは1957,8年ころ泊めて戴いた農家で初体験しました。 食事の時に、「やきもち」に付着した灰を息でぷ〜と吹いて、 出されたて食べたときはゲテモノを食べたようで困惑しました。
◆『やきもち』のふるさとは傾斜地の村 私の昔の記憶ですが、この村(小川村)では田んぼは、ほとんどありませんでした。平坦地はなく傾斜地を耕して畑にしていました。 農夫が畑から転がり落ちで怪我をしたと笑い話があるくらいの傾斜地でした。 作物は小麦と大豆と麻と僅かな陸稲(おかぼ:畑で作る米)が主なものです。
◆善光寺界隈にあった蒸した「おやき」 「おやき」はむかしは、お盆の行事の食べ物で蒸したものはありました。 8月1日は先祖があの世からこちらへ来る日です。 昔はこの日におやきを作り、仏壇に供えました。 16日夜は「お帰りおやき」といって、同様に仏壇に供えました。 「おきもち」とは、本質的には違うものと考えられます。
◆いまのファーストフード化した「おやき」 これら2つのルーツを持つ小麦粉の北信州・長野ゆかりの野菜の具の入ったお饅頭です。 それがいまでは、店頭食品「おやき」として、名産品になっているのです。
◆アメリカの若者に人気 「おやき」超ローカルフードの割には知名度が高く、 アメリカのフードショーでは若者に大変な人気があるのだそうです。 村の第三セクター「小川の庄」で働く高齢者の大半は、 アメリカでおやき販売のために渡航した経験も持っているのです。 英語は話せるのですか聞いたら、 「おいしいものを売るのには英語は不要」とのこと・・すごい自信のお婆ちゃんたちでした。
五茶の記憶にある、信州の「おやき考」の薀蓄でした。
■[1884] おはようございますranran(2006年07月18日 (火) 07時37分)
五茶さん おはようございます 今週も宜しくお願いします
お焼きってよく聞きますね 有名ですが 長野の物で昔は主食だったんですね 保存食ですね 私達が食べるのとは違っているとは思いますが 次回食べる時には五茶さんの掲示板の書かれていることを 意識してだと思います(苦笑)
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