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地形(主に、滝・巨石・山地地形)の掲示板

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No.164 房総 上総湊から鹿原への廃山道の怪 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年03月24日 (月) 15時41分 [返信]

房総沢登りで有名な「梨沢七ツ釜」から、売出し中の「房総アルプス」へ至る寸前に「天空の村、鹿原」があります。この鹿原を頂上とする北西の山域は膨大なヤブ山です。北方の上総湊の田園地帯からこの山域に入り込む複数の尾根道、沢道は、猟友会しか通らぬ廃道、ヤブ道と化しています。これらを突破すると予期せぬ不思議な地形に出会います。
ナゾの窪地、ナゾの台地、ナゾの巨岩群、そしてナイフリッジ、キレット、七つ峰が行く手を阻みます。この窪地には伝説あり、落ちた犬が遠く鋸山の明鐘崎の海へ出てきた!というのです。なにしろ里美八犬伝の地ですからね。この山上の窪地、台地地形は、1km西にある、知る人ぞ知る「トビ岩山の牧舎」跡地にもソックリさんが存在します。これらの成因は何か?そして何でこんなところに家くらいの巨岩がゴロゴロしてるのか?不思議です。ただし現地は巨木の森と化しており、写真では説明困難です。稚拙な図を見てください。なおヤマヒルはいません。地形図便りに自己責任で入ってください。イノシシと間違われて鉄砲で撃たれぬようにご注意。

No.167 古屋敷集落の東西にある変な凹地地形 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年03月25日 (火) 23時52分

ゴンベ様 滝おやじ
 情報ありがとうございました。巨岩群があるとは知りませんでした。
 お話の場所は、2.5万地形図の古屋敷集落の東、標高162mの峰の北東の稜線に囲まれた凹地地形ですね。
 また、「トビ石山の牧舎」跡地というのは、古屋敷の西の、192.8mの三角点の峰の東方の、これも稜線に囲まれた凹地地形のことですよね。
 古屋敷の東の、ご指摘の場所は行ったことがありませんが、古屋敷の西の、牧場趾の凹地地形は見に行ったことがあり、地図の道を一周しました。
 地質露頭がないのが残念ですが、地形図の読図と凹地地形内の微地形の観察から、模式的な形をした大規模な基盤すべりの地すべり地形であると判断しています。
 牧場の方の凹地形は、北側の稜線部分のブロックが北方向に、向野集落側に動いた趾の開口部分、ご指摘の古屋敷の東の凹地形は、北東側の稜線のブロックが北東方向に動いた趾の開口部分だと思います。
 地質構造が北の方に落ちているのに対応して層理面に沿って辷っているのでしょう。
 ご紹介文を読むと、微地形を見ることによって、この地形が普通でないと判断されたのには敬服いたします。地形図を読み込んではじめて変な地形だと考えますが、地図上では、一見、粗砂層の山と速断しそうですし、現地を歩いても、注意深くないと、見通しも悪くて気づきにくいと思います。
 地図は、国土地理院2.5万地形図「鹿野山」 

No.162 巨石観察ノート 2014年版04 福島市小倉寺五輪石稲荷神社 五輪石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年03月23日 (日) 10時29分 [返信]

 花崗岩の巨石地形事例を集めるため、福島県の阿武隈花崗岩露出地を廻っています。
2013年8月に、INの巨石情報をもとに、福島県福島市にある巨石を見に行きました。
 東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」 (http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在)から、かねがね所在情報を得ています。
 そこから情報を得て、福島市渡利の的場石と共に、福島市小倉寺所在五輪石稲荷神社境内の五輪石を見てきました。
 五輪石は、阿武隈花崗岩の未風化基盤岩塊の頂部が山地斜面に露出しているもののようで、どんな侵食作用で露出したのか、露出後破断はどの程度受けているのか・・・という興味で訪問しました。
 五輪石の位置は、前出の的場石の位置図を参照。
 画像は、五輪石を石の下方から見上げた画像。手前は境内の祠、石の下の社殿が本殿です。
 大きな石で、急斜面から半ばせり出し、サイコロを真上に4段積み重ねたような塔形で、頂上は斜面の頂上より高くなっているようです。
 露出部分の高さは約11m、サイコロの幅は4.2mと測定しました。
 塔の廻りの急斜面は所々転落した岩塊が見えますが、花崗岩が砂粒まで分解した「マサ」のようです。塔の右下の祠の方にも岩体があるようで(画像参照)、この岩塔は、下に未風化の岩が続いている根石と思われます。
 <立地類型>
 神社境内(塔の前面)は、新しい侵食された谷ですので、谷が刻まれる以前は、マサの中に未風化の岩塔が立っていて、地表にもその頂上が露出していたのでしょう。
 花崗岩巨石を廻っていて見えてきたことですが、花崗岩巨石の経てきた歴史を復元する鉄則があります。すなわち、現状の巨石を見て、まず、露出する以前、マサ化した地中に風化せずに残っていた未風化岩体の形と、露出後のあるいは移動後の雨風寒熱を受けた風化重力破断形を区別し、地中にあった時の形を復元して、それが壊れていく様子を再現するということです。、
 この岩のように、まだ、岩塔が大部分マサの中にあり、塔の側面が露出しているだけの場合を「地中塔タイプ」と私は呼んでいます。
 露出がさらに進めば、塔全体が露出して周囲から破断し破壊が進み、当初形の復元が困難になっていきますが、地中塔タイプでは一方の側面だけが露出しているので破断が少なく、地中での形を見るのに適しています。
(つづく)

No.161 房総鹿野山本村川源頭ゴルジュ帯 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年03月23日 (日) 10時24分 [返信]

神野寺上駐車場裏から、鹿の踏跡伝いに数十m急降下できる唯一のルートを発見しました。沢床は砂岩の10m弱の涸滝で行止まり。周囲は絶壁。そこからわずか数十mの下流には、10m強の「井戸滝」があり、もう降下不可能でした。その下流には更なるゴルジュ帯の模様。この滝の形も「間滝」のそっくりミニチュア版です。狭いゴルジュなので写真では説明困難。稚拙な図を見てください。

No.163 うわ!  これは凄い 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年03月23日 (日) 11時02分

ゴンベ様 とても貴重な情報ありがとうございます。
図で、何度も撃退されているご様子を見るだけで、ご苦労のほどしのばれます。
さらに、現地の労苦・危険だけでなく、この達意の図を描いてくださって、後に続く方々がどんなに感謝するか計り知れません。

10m強の「井戸滝」は、いわゆる「天神堀滝」ですかね、あるいはその上?。興味つきませんですね。



No.172 房総 鹿野山 本村川 源流ゴルジュ帯 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年04月07日 (月) 20時10分

源頭ゴルジュ帯への降下に続いて、その下流の源流ゴルジュ帯の降下に成功しました。
沢床は砂が堆積して水平。両岸は数mの絶壁。中間には2mの涸滝が3ケ、下流には10mの別な井戸涸滝あり。
その下に初報の写真で示した涸滝の落口が望見できたが、井戸涸滝に妨げられて降下不能。
中間部は崖の崩壊が3ケ所あり倒木、倒れ笹がひどく、絶壁も埋まっている。
涸滝は全てステップが崩れるほど軟らかい砂岩。
大雨降ればどんどん形が変わるはず。
だから井戸滝になるらしい。
これを滝と呼んでいいのかのかどうか?
推測すると、、、、
1.最初はコの字、Vの字の岩のゴルジュだった。
2.両岸の崩壊が続いて沢床が埋まった。
3.堆積物が軟らかい砂岩、泥岩状に変成した。
4.それが大雨で掘られて軟らかい涸滝になった。


No.160 福島市の的場石 巨石見物記にアップ 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年03月10日 (月) 00時02分 [返信]

速報した丸森町の経石の現地記録を拙HPにアップしました。
速報に、考察等を追加してアップ。データは増えてますが、本質的には変わらないか。(^o^)

No.159 丸森町の経石 巨石見物記にアップ 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月26日 (水) 23時12分 [返信]

速報した丸森町の経石の現地記録を拙HPにアップしました。
速報よりデータが少し増えてるかな。

No.151 巨石観察ノート 2014年版03 丸森町筆甫 経石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月16日 (日) 00時30分 [返信]

 花崗岩の巨石地形事例を集めるため、阿武隈・北上山地の花崗岩露出地を廻っています。
2013年中いろいろ廻りましたので、冬ごもりで、備忘録代わりに簡略まとめ。
 第3回は、丸森町の経石です。
 宮城県丸森町筆甫(ひっぽ)の道路脇、経石公園に所在。
 東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」 (http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在) から所在情報をもらっています。この経石もその一つです。そこから、丸森町とその周辺の巨石について、詳しい情報のある「丸森の巨石伝説」HP
http://zuiunzi.net/igu/ 村上明秀氏作成へ辿り着いて情報を得ました。
 阿武隈山地北部にあたり、低い花崗岩山地の侵食谷の谷底にあります。
 長径7m短径5mほどの略五角柱形で、高さ3.5mほどの花崗岩のコアストーン巨岩です。
 画像は谷の下流側から、経石の南面と南西面をみた画像。画像の人型は、驚子さん。身長165cmのつもり。
 経石の立地と成因の観察結果を言うと、
(1) 経石の立地地形は、画面左奥にある、枝尾根の先端が地すべりを起こし、侵食谷の谷底を埋めた地形です。
(2) 経石の成因は、枝尾根の先端部に埋没していた花崗岩の巨大コアストーンが、すべり落ちてきて緩傾斜な地すべり堆積面上で止まったものです。
(3) 形態については、露出後の風化破断がほとんど無く、地中にあったコアストーンのままの形をしていると思われます。

No.152 経石 位置図 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月16日 (日) 00時33分

 国土地理院2.5万地形図「霊山」より作図。
 地質は桃色が白亜紀の阿武隈花崗岩・・・・地形は、大部分マサ化した低い山地と山麓緩斜面 。
 茶色が、玄武岩等の火砕岩と熔岩の霊山層。花崗岩より一段高い山地になっています。
 黄色が沖積層。侵食谷の谷底で、水田化されています。
 20万地質図と、道路沿いからの見た目で作りましたので、地質境界位置は大体こんな所かなという適当な引きです。(^o^)
地図の西から伸びている枝尾根の先端が地すべりを起こして、谷底を埋めていますので、地質図で沖積地が途切れています。
 後述、説明看板に出てくる「鎧石」「赤坂」は、図の北西隅の集落と峠のようです。
経石は、平松集落の「ノラ」と「ヤマ」の境にあるとも言えますね。

No.153 北側から見た経石と地すべり地形 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月16日 (日) 00時36分

 看板の右手がスプーンでえぐったように掘れている地すべりの崩落崖。
看板から左手の緩斜面地形が地すべりですべってきて溜まった物質でできた堆積地形(地すべり堆)。 経石は上部にあったものが、右から辷り落ちてきて、緩傾斜になった所で止まったと思われます。

 経石周辺は、地元の方々の手になる手作りの公園「経石公園」となっています。
 画像の看板には、経石の伝説が書かれていました。
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経石 (きょういし)
 むかしむかし、ある日の夕暮れどきのこと、鎧石から赤坂を越えて一人の行脚僧が平松に入りました。お坊さんは、村人達が集まり念仏講が行われている家に招かれ、一緒になって幾日も念仏を唱えていました。
 しかし、お坊さんは、また旅に出なければならなくなり、村人たちが必死に引き止めたところ、「私のお経は赤坂の大石に伝えておきます。私のお経が聞きたくなったら、あの大石に耳を当てると良い」と言い残し南の方に旅立っていきました。その後、言われたままに大石に耳を当ててびっくり、行脚僧の言ったとおり、お経が聞こえてくるではありませんか。
 今も、この大石に耳を当てると念仏のような音が聞こえてきます。
 平成十九年十一月  平松経石保存会
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No.154 経石の立地概念図 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月16日 (日) 00時39分

図の上は、尾根先端地点Xと川Y付近地点の断面。下は平面図。図の上方が北。
 経石の西に、地すべり跡地(横線模様)があります
 西から延びてきた枝尾根の先端が地すべりを起こし、侵食谷の谷底を埋めている地形です。
 その尾根の先端部に埋没していた花崗岩の巨大コアストーンが、すべり落ちてきて緩傾斜な地すべりの堆積面上で止まったのが経石。
 断面図で、地下の辷り面の位置は想像ですが、谷底を基準にしてすべったとしてよさそうです。
 なお、尾根の先端部の崩れなかった斜面には、コアストーン立石が立っています。こちらは、半分に割れていて、転落岩塊らしき平石が山裾にあります。(つづく) 

No.155 経石の展開図 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月18日 (火) 01時15分

 経石の形は、コアストーンと言っても、地中で風化した丸みを帯びたコアストーン球面の部分は西面のみで、他の4側面と上面は、節理面に沿って割れた平滑面(節理破断平滑面ということにします)でできていて、その結果五角柱形になっています。
 この破断面は、稜が丸くなっていて、地中にある段階で節理面に沿って開口分離した面です。
 割れ目の形や形が異なりますので、地表に露出した後に、重力と温度変化により新しく割れた面ではありません。

No.156 経石の西面。他の巨石との比較 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月18日 (火) 01時24分

画像は、西面。西面は不規則な曲面で、コアストーン球面。露出後の重力破断割れ目も見られる。上面(節理破断平滑面)の平坦さがよく分かります。
 各面には、岩塊として露出した後にできた新鮮な割れ目が見られますが、割れ目が入っただけで、まだ、破断していません。これらの新鮮な割れ目は、細かい凹凸があったり、割れ目の表面形が曲面になるなど、節理面に沿った割れ目とは違った形になります。
 以上、花崗岩巨石の類型の中で位置づけますと、立地・成因の面では、以前紹介した、滝川村破石の破石や花巻市谷内の胎内石、遠野市綾織の続石)などと同じく、地すべりによる小移動により、花崗岩コアストーンが露出したものとまとめられます。
 ただし、露出後の風化重力破断により、破壊されている程度でいいますと、経石は全く壊れていない例で、破石は2つに破断している例、胎内石や続石は破壊が進んでいるがまだ原形をとどめている例といえます。(以上)

No.146 巨石観察ノート2014年版02 福島市渡利 的場石(まといし) 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月06日 (木) 23時10分 [返信]

 画像は、的場石の正面・側面。 高さ5m。 人型に名前をつけました・・・驚子さん。身長165cmぐらいのつもりです。(^^;)

 花崗岩の巨石地形事例を集めるため、福島県の阿武隈花崗岩露出地を廻っています。
2013年8月に、INの巨石情報をもとに、福島県福島市にある巨石を見に行きました。
 東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」(http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在)から、かねがね所在情報を得ています。
 そこから情報を得て、福島市渡利の的場石と五輪石を見てきました。的場石は、HP画像と案内看板の写真で見ますと、火山噴出物が固まってできた火山砕屑岩(略して火砕岩)の巨石で、それが割れて大きな破断面がある立石のようでした。 地層は、阿武隈花崗岩を覆っている霊山層という安山岩質火砕岩層と思われます。
 花崗岩の巨石でありませんので、当初の調査対象から外していましたが、霊山層は北部阿武隈山地で、花崗岩の山地より一段高い岩岳や霊山などの山を作っている重要な地層ですので、どんな岩相の岩かなという興味もありました。
 現地で見ると、小さな岩峰で、画像のように周りに火山灰で覆われた緩傾斜面ができていました。一見訳のわからない地形で、ううむと唸ってしまいました。いろいろ考え合わせてみて、周氷河作用による岩峰地形(トア)と解釈します。
 かって、岩峰より高い位置に火山角礫岩の尾根があった⇒(おそらく氷期に)この地点が尾根先端に当たるために稜線効果で裸地となり、周氷河作用が局地的に働いて、尾根が低下し、岩峰(トア)とそのまわりの緩傾斜面を形成 ⇒ 火山灰層の堆積 ⇒ その後の岩峰の重力破断と滑り⇒現在 という地形変化を考えました。

 五輪石は山梨県山中湖町の石割山の石割石に似た、花崗岩の基盤巨岩。後日紹介します。

No.147 信夫の細道と的場石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月07日 (金) 00時06分

 画像は、的場石位置図。
 福島市街東縁の弁天山から、南東方向へ経城山へと稜線が続いています。
 弁天山には、椿館という山城の跡があり、かの「安寿と厨子王」伝説で有名とのことで、弁天山から経城山の稜線伝いの道が、安寿と厨子王が城から逃れていった「信夫の細道」と呼ばれる古道とのこと。
 この道沿いの、弁天山と向かい合う峰に大きな立石が、的場石(まといし)です。

石脇の説明看板銘文
 的場石(まといし)
大平山配水池(注:池と行っても山の稜線の上にある暗渠水槽らしく、平らな広場です。)を見下ろす山頂に立つこの奇岩が「的場石」です。その昔、弓の名人那須与一宗高が信夫山(注:阿武隈川対岸の山)からこれを的に射たと伝えられており、また、椿館の諸士もこの石を標的に射術を練ったと言われています。
 ここを管理する近くの八幡院は霊験あらたかな聖地として知られており、この石の上に御幣束を立て、ご来光を仰ぎ諸々の祈願をしたと言います。また、日照りの年には近郷の人がここに集まり、雨乞いの儀式を行っていました。 注)八幡院は、福島市渡利所在。この山の東斜面にある。
 的場石の形成と、最近の自壊については後述(つづく)

No.148 的場石の形成 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月11日 (火) 22時24分

画像左:的場石の正面・・・・弓の的になった面。立てかけてある杖の長さ約80cm。手前の緩斜面は火山灰で覆われていて、この岩塊はその上に辷っている。。
画像右:地形地質図と的場石の表面岩相。 地質図の茶色:霊山層(火砕岩) 桃色;阿武隈花崗岩類(花崗閃緑岩) ・・・阿武隈花崗岩の上位に霊山層が堆積した後、侵食により両層とも削られて低い山地になった地形。 赤丸:五輪石と的場石の位置。
岩相:安山岩質の火山礫と、赤褐色に発色した粗粒の火山砂が混じり合った火山噴出物が固結しています。岩種名は火山角礫岩。
 
 この岩の特色は、実はその立地にあります。すなわち、火山灰層に覆われたなだらかな尾根の中央に根石の岩峰が突き出しているという地形です。・・・・画像で示せなくて残念。
 このことから、岩峰の起源は火山灰より古いということになります。
 火山灰層を掘って、下を見ないと確実とは言えないのですが、火山灰層の下に根石の続きの霊山層があると思われます。つまり、緩傾斜地と岩峰が過去に同時にできていて、火山灰に覆われている(岩峰の所は流れてしまうから堆積せず)という地形です。
 類似の地形を尋ねると、緩傾斜地と岩峰が同時にできる侵食地形は、周氷河環境での差別侵食による、岩峰(トア)地形が該当します。 それを踏まえると、以下の地史になりそうです。
 氷期に火山角礫岩からなる尾根が裸地(風衝草原)になる。 →周氷河環境下で凍結融解により稜線の地表が侵食されて低下し、削られ残った岩峰(トア)形成と削られて緩傾斜の稜線が形成された。 →氷期が終わり、植生に覆われ、地形は化石化し、緩傾斜地に火山灰層が堆積。・・・と考えるのが良さそうです。
 実は、この地点は、標高が150mしかなく、周氷河環境になる森林限界以上になる高さよりだいぶ低いのですが、この地点が、尾根先端の稜線部分にあり、風の吹きさらしの場所で樹木が生えない風衝草原が局地的にできる場所になっていたはず(稜線効果と行っています)と考えれば、あり得ないことではなさそうです。
 花崗岩巨石の場合でも、稜線に露出した立地の場合、この稜線効果による局地的な稜線の侵食低下作用・コアストーンの掘り出しの結果と考えるべきだと思われる事例がよくあります・・・・阿武隈山地では、竪破山の太刀割石、丸森町泉の立石など。

No.149 的場石の破断と辷り 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月11日 (火) 22時26分

画像は的場石の展開図。

 前述のように、岩峰ができたのは火山灰堆積以前と思われますが、現在見ると岩峰の一部が動いて火山灰の上に乗り上げていますので、割れて動いた・時期は、火山灰堆積以後になります。 つまり、岩峰の破断とすべりは、新しい動きです。
 そこで、的場石の展開図上に、岩塊の最近の動きを記入しました。
 この図から、4つの岩塊A〜Dは元々は1つで、Aの上に他の岩塊B〜Dが載っていたと考えられる。
 当初はAの位置に岩峰(トア)があり、それが自分の重みでAから分離後、傾斜方向に滑り落ちながらさらに3つに破断していると考えられる。BCDの破断は、岩塊の下の地面が凸で、開口破断したと思われます。

No.150 毒キノコ? 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月11日 (火) 22時28分

 的場石への遊歩道沿いには、大きなキノコがたくさん観られました。
 大きくて・美味しそうな・薄紫っぽい地味なキノコ・・・猛毒の「コテングタケモドキ」じゃないのかなあと思う・・・・がたくさんありましたが、撮影せず。
 もう一種類見かけた、とても美しいキノコ。これもたくさん見ました。いかにも毒キノコ風ですが、何というキノコでしょうか。
 時期は、8月初旬。

No.157 タマゴタケ 投稿者:目玉おやじ    投稿日:2014年02月19日 (水) 14時04分

最後の写真のキノコはタマゴタケです.食用です.

No.158  投稿者:滝おやじ    投稿日:2014年02月19日 (水) 23時34分

ありがとうございます。
へー、食用になるキノコですか。
的場石までの一往復で、10個〜20個ぐらいは軽くあったような気がします。残念。

No.142 巨石観察ノート2014年版01 花巻市丹内山神社胎内石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月04日 (火) 00時31分 [返信]

花崗岩の巨石地形事例を集めるため、阿武隈・北上山地の花崗岩露出地を廻っています。
2013年中いろいろ廻りましたが、冬ごもりで、備忘録代わりに簡略まとめ。
 第1回は、胎内石(アラハバキ大神の巨石)です。
 岩手県花巻市東和町谷内、丹内山神社境内に所在。
古代からの創立伝承のある神社の神体石ですので、1000年間以上動いていない石ということになります。
 いろいろの巨石HPや、巨石本に紹介されている有名な巨石です。
 それらのHPや本の画像で見ますと、移動されてきた巨大な岩塊のようであり、胎内くぐりは、移動岩塊が再破断してできたのでは・・・という興味で訪問しました。
 所在地の地質は、北上山地西部の白亜紀に貫入りした人首(ひとくび)花崗岩体。地形は、低い花崗岩山地と、その山麓の山麓緩斜面との境界部にあたります。
 「山麓緩斜面」とは、ただ緩い斜面ということでなく、たとえば「扇状地」と対応するスケールの地形の形態用語で、氷期の周氷河作用で作られた地すべりや泥流・土石流などによる礫層の堆積地形面をいいます。まあ、東北地方の山地なら、至る所にみられる地形ではあります。
 神社境内は、やや古い山麓緩斜面地形の上にあります。胎内石は境内最奥の本殿裏にあり、山麓緩斜面の最上部にある大きな露岩の岩塊です。・・・図参照。 

No.143 胎内石、石の下方から見上げた画像 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月04日 (火) 00時34分

 現地で新しい破断を復元して以前の形を想定復元して見ますと、胎内石は一部を除いて表面が花崗岩の岩体が地表近くで風化して作られる、未風化花崗岩の大きな塊・・・コアストーン・・・・の風化球面がよく残っています。
 本来、すぐそばの花崗岩山地基盤中にあったものですが、現在は、山麓緩斜面の堆積面上にあり、明らかに根石ではありません。つまり元の場所から動かされてきたもので、花崗岩山地の地表下に埋没していたのが侵食により掘り出されたものではなく、移動してきたものです。
 さらに、岩塊下部が埋没していず、全体が露出している状態で、完全な浮き石です。これは移動が地史的にはごく新しいことを示します。
 また、胎内石は、岩塊の大きさでみますと、周辺の山麓緩斜面上や、神社境内地に人工露出している、以前埋没していた岩塊に較べて、際だって巨大です。つまり、山麓緩斜面を形成した周氷河環境下での営力では運べないような巨大岩塊と思われます。
 また、岩塊の上流側がほとんど埋没していず、土石流的な水流の多い移動形式で無く、滑落・地すべりのような水流の無い移動形式による移動です。
 以上から、氷期の山麓緩斜面の形成後に、それまで花崗岩山地の斜面地表下に埋もれていた大きなコアストーンが、斜面の崩壊。地すべりで滑り落ちてきて、平坦な山麓緩斜面上に乗っかったものと解釈できます。
 落ちてきた方向は、地形図からですと、胎内石のNE方、N40°E方向の斜面からということになります。長さ50m弱、比高25mぐらいの斜面です。落ちてきた時代はもちろん古代以前、岩石の露出年代が測定できればわかるわけですが、金がないので・・・。
 さて、滑り落ちてきた岩塊を見ますと、概形は菱餅のような形で、平面が約10×8mの菱形、高さ4mぐらいで、上面が山側に傾いています。
 上流側2面・下流側右面の3側面と上面には、コアストーンの風化球面が残っていて、下流左面だけは、平坦な節理面に沿って割れた破断面となっています。そのことから、現在の形は、コアストーンが、縦方向の節理面で2つに割れた残りであることがわかります。
 画像は、下流側からとったもの。右側が節理に沿って割れた破断割れ目です。
 割れ目の右側にあった岩塊は周囲には見当たりません。より下方に移動し、バラバラになったか埋没したものと思われます。
 すべり落ちてきた後の、木の根開口や胎内くぐりの形成等の件は後述 (つづく)

No.144 胎内石を後側から見た画像。 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月05日 (水) 12時02分

 山側・滑り落ちてきた側からみた胎内石。
 下の図の右から左に辷ってきた。左側の割れ目が
割れた破断面です。
 辷ってきて、割れ残った残存岩塊は、地すべりで落ちてきたブロックでよくあるように、移動方向に逆傾斜した形(画面の左から右に下がる)で止まって安定しています。
 その後、岩塊の上部で、旧コアストーンの上面に表面に平行した風化破断面が生じ、表に平行して剥離するような割れ目ができていき、その割れ目に沿って、木の根が入りこんで、層状に開口し破断しました。
 破断した頂上部は平面的には2つに割れて、底面の割れ目の方向に沿って、北東側と北西側2方向に滑動し、北西側岩塊が下の動かないでいる岩塊との間で隙間を作り、胎内くぐり形となっています。
 図では、北東側岩塊が右から左に辷って動いたのが見てとれます。

No.145 胎内石の胎内くぐり部分 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月05日 (水) 12時05分

 上画像:岩塊全体の移動方向上流側からみた画像です。丸みのあるコアストーン上面が、層状に剥離破断して落下している状況が見て取れます。
 右側部分で、岩塊間に隙間ができて胎内くぐり形が作られています。
 下画像:胎内くぐりの隙間を反対側の下流側から見た画像です。
 なお、この層状の剥離は、岩の上に生えている大木による木の根開口によるものと解釈しました。
 ・・・・木の位置と剥離した岩塊の想定復元位置との関係によります。
 そうすると、層状岩塊の剥離と移動=胎内くぐり隙間の形成時期は、岩の上の大木の年齢と同じということになります。ということは、そんなに古いことではなさそうですね。(以上)

No.141 2014年賀状の滝追加 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年01月30日 (木) 23時04分 [返信]

 拙HPに、「年賀状の滝」2014年分を追加掲載しました。
 掲示板に既出の「屏風ヶ浦に懸かる名称不明の海食崖滝 銚子市小浜町」を載せただけですので、新事実はありません。
 崖上からの画像は新しくしたぐらいかな。
興味ある方はどうぞ、御笑覧いただければ幸いです。

No.139 岩手県花巻市、丹内山神社一の鳥居の地震変形 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年01月29日 (水) 20時38分 [返信]

 地形観察ノート 2014-No.01
 花崗岩の巨石地形事例を集めるため、先年、北上山地南部の花崗岩分布地を廻りました。
 花巻市東和町谷内にある、丹内山神社の胎内石(アラハバキ大神の大石)を訪ねたときの一コマ。
 丹内山神社から1.3kmも離れた水田・・・・基盤は白亜紀に貫入した人首(ひとくび)花崗岩。その凹所を埋めた更新世の砂岩・シルト岩からなる緩やかな丘陵地の峠部分まで開田・人工平坦地化されている地形・・・・・・に立っている大きな木製の鳥居がありました。
 標柱によると、花巻市指定文化財。6本柱の立派な鳥居です。これから訪ねる丹内山神社の一の鳥居で、神社本殿は画像左の山にありますから、こんな離れた所に鳥居が立つ神社とは豪勢なものだなと感心したのですが・・・・・そのうち気になったのは、主柱2本に補強のつっかえ棒をしていて、構造的にかなり痛んでいそうなのに色がえらく奇麗なこと。解体修理していて組み立て途中なのでしょうか。しかし、作業中の様子がありません。
 看板によると、嘉永元年(1849年)造立、当時は南部藩領一の大鳥居といわれたものとのこと。 当初は現在地より少し東方に建立されていたが、昭和50年に道路整備のため現在地に移設されたもので、その後鳥居の痛みが著しくなったため、平成7年度(1995)に鳥居の全面解体修理を実施し現在に至っている。・・・・・とのこと。 塗装は、平成7年のようです。

No.140  投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年01月29日 (水) 20時40分

 よくよく見ると、画像のように、6本の柱が、皆、根元のところで土台から10cmぐらいずれています。
 6本の柱が全部ズレて、鳥居が歪んでいるので、倒れないように応急補強していたのですね。
 どうやら、2011年の東北大震災の時に、6脚の鳥居全体が移動してしまったものらしい。そのための補強のようです。2013年9月24日撮影。
現在はどうなっているのでしょうか。

No.137 房総鹿野山 本村川 源流滝(その2) 投稿者:ゴンタ    投稿日:2014年01月21日 (火) 19時38分 [返信]

写真撮ってきました。両岸の絶壁の間を、まるで人工的に埋めた壁のような涸れ滝。沢床の砂礫は、下流にある砂防堰堤群から推定すると数mの深さあり。堰堤が建設された昭和53年以前の姿は、本村川の隣の恩田川、間滝ソックリの巨大な「井戸底滝」だった可能性あり。そうだとすれば双子滝、双子沢ですね。滝の巻き道なし。この上の源頭帯も絶壁続きで、クライマーしか下降できそうにありません。

No.138  投稿者:滝おやじ    投稿日:2014年01月23日 (木) 13時36分

おお、すごい画像ですね。
河床の埋積礫もすごい。

No.136 房総鹿野山 本村川 源流滝 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年01月08日 (水) 11時34分 [返信]

神野寺の門前商店街の裏はすぐ崖、ここが本村川本流の源頭。ここの植林帯の下部に、高さ7m、幅3mくらいの立派な垂直滝あり。普段は落水なし。壁面は柔らかそうな砂岩。なのにどうして溝滝にならなかったのか?滝の名前も分かりません。両岸はずっと20mくらいの断崖。下の田倉林道から遡上すると、沢床は砂で埋め尽くされ、平らな伏流。砂防堰堤が数箇所あり。ひどい竹藪で大変。カメラ忘れたので再度、行きます。

No.135 謹賀新年 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年01月03日 (金) 01時08分 [返信]

2014年正月 
本年もよろしくお願いいたします。
今年も、滝・巨石・川廻しと、屏風ヶ浦の地形調査で忙しくなりそうです。

 画像は、山梨県山中湖町、石割山の石割石。
 花崗岩のマサ化した山に未風化の大岩塊が残っていて、それが谷斜面下部に露出した場合の例と位置づけられます。
 中新世に貫入した甲府花崗岩体の未風化岩塊が侵食谷渓流斜面下部側壁に露出。
 縦方向の節理面に沿って岩塊が大きく割れ、斜面から露出した岩塊前面は節理面に沿って割れ、割れた岩塊は渓流を流下する土石流により運ばれて取り去られてしまい、平滑な節理面が残って露出している。
 さらに、平滑な節理面に重力による斜めの割れ目が入って、曲線の割れ目がすぱっと入っている。
 岸壁下の神社敷地は侵食谷底の土石流堆積面。

No.133 2012年の年賀状の滝を掲載 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年12月29日 (日) 22時49分 [返信]

2013年分を掲載したら、2012年分も掲載し忘れていたことを発見。
 「粟又の滝の滝壺」というマニアックな画像ですが、拙HPの「年賀状の滝」2012年分としてアップしました。
御笑覧いただければ幸いです。

No.132 2013年の年賀状の滝を掲載 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年12月28日 (土) 00時05分 [返信]

2013年も押し詰まり、年賀状の季節になりました。
 というわけで、2014年の年賀状を作っていたら、2013年の年賀状にした「荒川の滝」を、「年賀状の滝」にアップしていなかったことに気づく。
 拙HPの「年賀状の滝」2013年分としてアップしました。
 すでに、「滝の新情報」の方に、2012年に記録を出してありますので二重になるが、まあ形ですのでアップします。御笑覧いただければ幸いです。

No.125 屏風ヶ浦に、現役の海食崖滝がありました 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年11月19日 (火) 20時46分 [返信]

珍しい滝を見つけたので報告します。
活動的な海食崖に懸かる自然の滝です。
先日、別の調査で歩いていて、滝から落ちて岩盤を流れている水流を見つけました。
場所は、銚子市小浜 屏風ヶ浦に面する海食崖型懸谷の河口が滝になっていました。
位置は、ここ。
高さは、銚子市の2500地形図から、約12mと予想されます。下総台地を侵食する谷ですので、台地上の分水界が不明瞭で、流域面積は0.6平方キロメートルぐらいですが、地下水の流れ方は分かりませんので、実質の流域はもっとあるかも。ということで、先日見たときは結構水量があって、普段も割と水量がありそうです。
 しかし、どうして知られていないかといいますと、陸側からは、滝面は全く見えません。基本的に陸からは見えるところがなく、滝の姿は、海側からしか見えません。

No.128  投稿者:滝おやじ    投稿日:2013年11月19日 (火) 22時09分

さがしたら、空中斜め写真がありました。
画像は、海食崖型懸谷の典型的な形です。上から見下ろしていますので、高度感が無いですが、海食崖の高さ(台地面の高さ)は約60mあります。
 崖の地層は上の赤いのが、関東ローム層といわゆる香取層、下の白いのが犬吠層群の小浜層のシルト層。崖は垂直で近くに上から下の海岸に降りるルートはありません。

No.129  投稿者:滝おやじ    投稿日:2013年11月19日 (火) 22時10分

画像は、上の画像の河口部分の拡大。海食崖を滝になって落ちています。滝の高さが地図から推定12m。
 手前の堤防はだいぶ破損して、海藻が生えている消波堤です。
 写真は、もの凄く波が静かな時の写真です。普通はこんなじゃないですね。
 というわけで、私は、下から見上げる勇気はありません。

滝の名前は不明。名前あるのかも不明です(^_^;) 
滝の珍しさとしては、関東地方の海食崖滝で、(1)自然のままで、(2)ある程度水量があり、(3)直接海に落ちている、というのは、超珍しいのでは無いでしょうか。
 千葉県で海食崖を落ちて、水量まあまあ、海に入る滝はありますけど、この滝以外は自然のものは壊されてしまっていますし、水量多いのは人工の余水吐です。
 もっとも、この滝も、本来のより水量が増えてる可能性はあるかもしれません。

No.131 崖上から滝の画像 投稿者:滝おやじ    投稿日:2013年12月11日 (水) 22時45分

先日、滝東方の崖上台地から画像を撮りました。
横からなので落ち口は見えないが、拡大すると滝の姿は大体見えます。
超逆光ですが、たまたま影になっていたので写っていました。
朝に行って撮ればもっと良く撮れるかも。

No.123 鹿野山、高宕山、鋸山、七つ釜にはヤマヒルはいません! 投稿者:ゴンベ    投稿日:2013年11月17日 (日) 11時12分 [返信]

房総半島の三島湖、豊栄湖脇を南北に走る国道410号線を境界として東側は壮絶なヤマヒル王国です。でもこの西側ではまだ安全。ヒルが寄生する日本鹿が、この国道を境に交流できないから?でもいつかはやってくるはず。
なお間滝はマザー牧場の下、西にも牧場あり、夏後半には金色アブが大量発生します。ツツガムシもヤバイ。だから12月から3月までが快適期ですね。

No.124 広がってますね 投稿者:滝おやじ    投稿日:2013年11月18日 (月) 22時41分

>房総半島の三島湖、豊栄湖脇を南北に走る国道410号線を境界として東側は壮絶なヤマヒル王国です。
⇒小糸川流域の東半分ですね。10年前は、小櫃川流域の東半分だったように思います。着実に広がってますね。

No.122 鹿野山 間滝へはクライミングギア不要 投稿者:ゴンベ    投稿日:2013年11月17日 (日) 08時30分 [返信]

市の管理地?の尾根から降りれば、下の滝壷まで懸垂下降などしないで「後期高齢者のキコリのジイサン」でも登れます。ただし途中の、たった2mの小滝は、身長がないと手こずります。シャワークライムするのはツライ。私は竹の束に縄ハシゴを縛って突破しました。

No.120 鹿野山 間滝の野犬? 投稿者:ゴンベ    投稿日:2013年11月08日 (金) 16時05分 [返信]

「間滝周辺に野犬がいる」とネットで流れていますが、猪除けの飼い犬しかいません。安心して来てください。たまに恐ろしい鳴き声がしますが、これは野生化して増殖した中国鹿キョン、別名「吼え鹿」です!30年前の富津市は、野犬の群れが通学路にも出没、だが今は一掃された。その結果、猪、日本鹿、キョンの天国となってます。沢ではときどき出会います。でも襲われた例はありません。

No.121  投稿者:滝おやじ    投稿日:2013年11月10日 (日) 12時45分

富津でもキョンが増えましたか。
ヒルはどうでしょう。
前の知事がキョンは絶滅させるなどと言ったが、ますますはびこってきたんですね。

No.118 房総 鹿野山 本村川への別な最短コース 投稿者:ゴンベ    投稿日:2013年11月01日 (金) 16時25分 [返信]

本来は田倉地区の本村、地蔵坂の橋から入渓するのですが、橋下は流木が詰まり易い。そこで、、、マザー牧場先から田倉へ下る林道の最初のトンネルを抜けてから800mくらいのカーブ右に「防火用水ドラム缶」あり。鹿野山頂上の神野寺霊園下端からの尾根道を降りてもここに合流する。ドラム缶脇からの尾根道を下れば本村川途中の分岐に直接到達します。台風で林道は工事中だがいずれ開通するはず。歩行はOK。本村川本流の「崩れ天然ダム」が大雨で消失していればこ滝の多い楽しい沢です。ただし源流は林道直下の大滝で行き止まる。

No.119  投稿者:滝おやじ    投稿日:2013年11月03日 (日) 13時14分

貴重な情報ありがとうございます。

No.134 鹿野山 本村川 上流からの入渓 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年01月01日 (水) 16時40分

田倉林道の「鹿野山トンネル」西出口脇から、簡単に天神堀滝直下へ到達できます。ところがそこは、あたり一面、林道から不法投棄された古タイアの山!下流へ流れ落ち始めてる。情けない。また数ケの砂防堰堤もあり。
ですから楽しめるのは中流のみということです。トンネル上の尾根上を通る古道をしばらく本村方向へ降りれば、中流に直接下りれる枝沢があります。本流の深くて狭いVの字ゴルジュは異様です。

No.117 鹿野山 間滝 続々報 投稿者:ゴンベ    投稿日:2013年11月01日 (金) 15時10分 [返信]

間滝の奥は暗くて肉眼ではよく見えない。ガケ上からはシブキ、前からは瀑風が吹き付ける。まるで井戸の底。だから「嵐の夜間撮影」のつもりで準備されたし。

No.115 福島県浅川町 破石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年10月29日 (火) 12時32分 [返信]

花崗岩の巨石地形事例を集めるため、阿武隈・北上山地の花崗岩露出地を廻っています。
いろいろ廻りましたが、今年もそろそろ終わりですので、備忘録代わりに簡略まとめ。
まず、8月に廻った、浅川町の巨石を拙HPにアップしました。
<出向記録>、48.福島県浅川町山白石字破石 破石(われいし) 2013年8月訪
 東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」(http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在)から所在情報をもらいました。
 この破石もその一つです。
 いろいろ巨石を見て回っていますが、この石は大きさといい、姿といい、文句なく第一級です。
 迫力ありました。
 地中にあった巨大コアストーンが小さな尾根上部に露出した後、尾根下に滑り落ち、落ちた先で停止後自重により傾斜方向に直行する割れ目が入って2つに破断したものと判断しました。
 成因や破断形は類例が多いタイプ。

No.114 北上山地、遠野市続石 山が鳴った 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年09月12日 (木) 00時11分 [返信]

 先日、北上山地の花崗岩巨石を見に行ってきました。雨が多くて、正味2日半ほどしか使えず、遠野市の石しか廻れませんでしたが。
 画像は、有名な続石。ご覧のように、不定形の笠石なので作図に凄く時間が掛かり、周辺の地形も難解で、雨の合間を見ながら、2日通って、延べ7時間(正味は5時間ぐらいかな)かかりました。
 その時の話ですが、初めて「山が鳴る」のを聞きました。聞いたときはそれとは思わなかったのですが、思い起こしてみると、雷や飛行機等の音とは違った、「ブン」といった低い一回きりの特異な音が山の奥から響いてきました。山の中にいると結構いろんな音がしてるものですが、この音は異質で印象的でした。

No.109 永瀬嘉平先生(日本の滝百選選考委員)の講演会 投稿者:しゃけ     投稿日:2013年09月03日 (火) 23時57分 [返信]

最高の舞台を作りました。永瀬嘉平先生の講演会の開催が以下の通り決定しました。

日時:平成25年11月16日(土) 13:15〜17:00(予定)  

場所:竹の塚地域学習センター 3F レクリエーションホール
http://www.kousya.jp/manabi/institution/02takenotsuka/summary.phtml

住所:東京都足立区竹の塚2−25−17

入場料:1,000円

※参加希望多数の場合は先着順となります。

※申し込み方法の詳細等は下記のリンクをご参照下さい。
http://takituu.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-966d.html


※こんな機会は金輪際ないかも知れません。来る来ないは別として
 知ってたら絶対に行ってたのに・・・と悔しがる方が出ないように
 一人でも多くの滝好きに永瀬先生の講演会が開かれるということを
 お伝えしたいと思っておりますので、宜しくお願いします。

No.110 百選発表かあ。時間の経つのは早いですね。 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年09月06日 (金) 13時28分

滝百選の選定時、選定委員会から薄い本がでました。
その本に、百選の選考過程や選考基準などについて書いてあるが、その部分を会場で複写して配ったらどうでしょうかね。そんなにたいした量でもないし。

No.111 本のタイトルは? 投稿者:しゃけ     投稿日:2013年09月09日 (月) 22時49分

こんばんは!滝おやじさんのおっしゃっている滝の本は
講談社から出版されたグリーンルネッサンス事務局編の
『日本の滝100選』でしょうか?

No.112 パンフのタイトル 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年09月10日 (火) 23時45分

日本の名瀑 「日本の滝百選」記念誌 43p
発行 グリーンルネッサンス 平成2年4月29日発行です。

No.113 お願い 投稿者:しゃけ     投稿日:2013年09月11日 (水) 00時36分

その本をお借りする、またはそのページを
コピーしたものをお送りいただくことはできますか?

No.108 屏風ヶ浦の地形 一部追加 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年08月19日 (月) 21時33分 [返信]

拙HPの屏風浦の地形の項に、以前この掲示板に載せた情報を追加しました。おしらせまで。

 

No.107 二本松市鈴石 鈴石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年08月05日 (月) 00時10分 [返信]

花崗岩の巨石地形事例を集めるため、福島県の阿武隈花崗岩露出地を廻っています。6月に、多くの巨石が報告されている二本松市内を歩きました。
備忘録代わりに簡略まとめ。拙HPに一部アップしました。
<出向記録>、38.二本松市鈴石町 鈴石 2013年6月訪

阿武隈花崗岩地域のマサ中のコアストーンが露出したもの。稜線上の平坦面にある小型のコアストーンの形態として典型的と思う。

No.106 福島市飯野町大久保 高石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年08月03日 (土) 21時29分 [返信]

花崗岩の巨石地形事例を集めるため、福島県の阿武隈花崗岩露出地を廻っています。6月に、巨石の位置情報がパンフで紹介されている福島市飯野町(旧飯野町)を歩きました。
備忘録代わりに簡略まとめ。拙HPに一部アップしました。
<出向記録>、40.福島市飯野町大久保 ta高石 2013年6月訪

留石・ドンドン山の大石のある留石公園の一角にありました。阿武隈花崗岩地域のマサ中の未風化基盤が露出したもの。地中にあったコアストーンや未風化基盤が地表に露出した後、重力破断していく最初期の形を示す好例と考えられます。凄く大きい。

No.104 千葉県鹿野山の間ノ滝出合いまでの最短ルート 投稿者:ゴンベ    投稿日:2013年07月27日 (土) 22時45分 [返信]

有名なマザー牧場先の、田倉方面への舗装林道を下がる。最初のトンネル手前50m右手に、ヤブを降る舗装!踏み跡あり。ここを水平に南へたどると、100mくらいで舗装が切れる。そのわずか先の切り通しから尾根に右折で登り込む。そのまま尾根通りに下がれば20分で恩田川源流川床に降りれる。
そこが間ノ滝の出合いです。手作り案内板と、固定ガイドロープあり。出合いから滝壷まではミニサイズの黒部!です。自己責任でどうぞ。

No.105 教えてくださってありがとう。 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年07月31日 (水) 12時53分

私は凄く昔に行ったきりで、最近のルートは疎かったので、このお知らせありがたいです。
当時は川が荒れていてというか、汚れていて2度と行きたくないという感じであったが・・・。近頃は直ってきた感じのようですね。

No.116 千葉県鹿野山の間滝出合までの最短ルート(続報) 投稿者:ゴンベ    投稿日:2013年10月29日 (火) 17時42分

この最短ルートに突然、数本の立派な「地形板」が行政?によって設置された。ここは富津市の管理地で「自然観察路」に指定したらしい。市は近々、だれかが勝手に立てた「間滝への手作り案内板」を全て撤去すると宣言。いずれ、来訪者の危険を理由に間滝への進入も禁止するかも?自由に入れない時代になった!ここから下降するなら今のうちです。もしそうなったら更に南へ降りた支流源流から下降すれば「民有地」を通らずに」間滝出合に降りれます。ただし傾斜はきつい。入渓を禁ずる法律などないはずなのにイジメられる、、、、、

No.103 福島市飯野町大久保 モアイ石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年07月23日 (火) 13時22分 [返信]

花崗岩の巨石地形事例を集めるため、福島県の阿武隈花崗岩露出地を廻っています。6月に、巨石の位置情報がパンフで紹介されている福島市飯野町(旧飯野町)を歩きました。
備忘録代わりに簡略まとめ。拙HPに一部アップしました。
<出向記録>、41.福島市飯野町大久保 モアイ石 2013年6月訪

留石・ドンドン山の大石のある留石公園の一角にありました。阿武隈花崗岩地域のマサ中の未風化基盤が露出したもの。岩塊が、座屈型の動きをしている例です。

No.102 福島市飯野町大久保 ドンドン山の大石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年07月17日 (水) 00時24分 [返信]

花崗岩の巨石地形事例を集めるため、福島県の阿武隈花崗岩露出地を廻っている。6月に、巨石の位置情報がパンフで紹介されている福島市飯野町(旧飯野町)を歩いた。
備忘録代わりに簡略まとめ。拙HPに一部アップ。
<出向記録>42.福島市飯野町大久保 ドンドン山の大石 2013年6月訪

留石のある留石公園の一角にある。阿武隈花崗岩地域のマサ中の巨大コアストーンの露出巨岩。
図の細線のハッチで示した面は、破断・剥離面。白抜きで示した面は、コアストーンの風化球面
 地質は、地質図では粗粒花崗閃緑岩(角閃石・黒雲母花崗閃緑岩)だが、岩相は花崗岩体の風化したマサが大部分で、その中に未風化のコアストーンが散在する。
 このような、未固結な粗粒砂中に未風化の堅硬なコアストーンが散在する岩石が侵食を受けて、山地が掘り出されているので、コアストーンが侵食に対する抵抗点になり、山頂や稜線末端の肩となっている。
ドンドン山の大石は、稜線末端の肩にある単独コアストーン。幅が4.2m、奥行きが3.3m、高さは山側から見て2.6m、谷側からは3.5mぐらいある、大きなコアストーン岩塊である。
 図の細線のハッチで示した面は、破断・剥離面。白抜きで示した面は、コアストーンの風化球面
 当初は、節理面にそって割れてできた立方体で、各稜が丸くなった形のコアストーンだったが、谷側に面する部分が破断して欠け落ち、2/3ぐらいになっている。
 破断転落した岩塊片は、下の急斜面を転落して行ってしまい、近傍には全く残っていない。

No.101 巨石 福島市飯野町の留石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年07月09日 (火) 19時21分 [返信]

<出向記録>、備忘録代わりに簡略まとめ。拙HPに一部アップ。
43.福島県福島市飯野町大久保 留石 2013年6月訪問
 山頂の緩斜面に露出する、移動がなく、破断のないタイプのコアストーンの例。
 まあ、よくあるタイプかな。

No.100 福島市飯野町 藤加羅神社の巨石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年07月07日 (日) 20時35分 [返信]

<出向記録>、備忘録代わりに簡略まとめ。拙HPに一部アップ。
39.福島県福島市飯野町飯野 藤加羅神社の巨石 2013年6月訪問

宮城県沖地震で転倒した岩片だそうです。
立地も特異。

No.99 阿武隈山地の残丘,山頂の地すべり破壊 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年07月05日 (金) 00時05分 [返信]

013年5月撮影、福島県本宮市和田 岩角山にて。
岩角山は有名な巨岩群の山。阿武隈花崗岩の風化したマサからなる丘陵性山地のなかで、未風化基盤によるちょっと高い残丘。
 残丘というと侵食されつくして残った高まりなので、新鮮な侵食地形など無いように思われますが、阿武隈山地の残丘は、意外に、山頂が地滑りで破壊されつつある例が多いようです。本当の意味での残丘ではないということか。
 画像は、岩角山山頂南斜面の地すべりによるブロック滑動地形。

No.98 阿武隈山地の残丘 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年06月28日 (金) 22時58分 [返信]

最近、阿武隈花崗岩の巨石地形を廻っています。
ついでに見える、阿武隈山地の残丘地形は、ほれぼれする程かっこいい。

 今度は、残丘巡りをしてみたいです。
 画像は、移ヶ岳。周りの山は阿武隈花崗岩、移ヶ岳は閃緑岩岩体が、突出している例だったと思います。

No.92 名主の滝 投稿者:赤松    投稿日:2013年06月21日 (金) 17時28分 [返信]

御無沙汰しております。
出向記録を拝見しました。

東京北区の名主の滝に行かれたのですね。
古い文献等を調べると、王子付近には名主の滝以外にも10以上の滝があったようですが、残念ながら名主の滝以外は全て消滅しています。
せめて、その場所だけでも特定しようと思い、色々と調べている途中ですが、まだ半分程度です。

ところで、名主の滝で気になるのは「絵本江戸土産」の挿絵では男滝・女滝が並んでいるのに対して、現在の現地ではこの2滝の場所が異なっていることです。

個人的には、現在の男滝だけが一目で人工だと言う事がわかるほど他の滝に比べて非常に雑な作りであることから、現在の女滝と独鈷の滝が、以前は男滝・女滝であったが、その後に追加造成した一番大きな滝を男滝と呼ぶ様に(途中から)変更したのではないか? と思っています。

滝おやじ様は、どのように感じましたか?

No.93 男滝⇒独鈷の滝 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年06月21日 (金) 21時21分

赤松様 お久しぶりですね。
うーむ。成る程。
おっしゃる通りかもしれませんね。
 有名観光地ですから、明治中期に改装される前の絵図面か記載が、広重の絵のほかにもあるのでは・・・。

No.94  投稿者:赤松    投稿日:2013年06月22日 (土) 17時34分

返信、ありがとうございます。

私も古い文献などを色々調べてはいるのですが、名主の滝としてひとくくりにされている物ばかりで、確証にはたどり着いていません。

ただ、個人的には現在の男滝は、当初、大滝と呼んでいたのではないかと思っています。
つまり、
おおたき(大滝)→おたき→おだき(男滝)
おとこたき(男滝)→とこたき→どっこたき(独鈷滝)
おんなたき(女滝)→めだき(女滝)

従って、当初、男滝/女滝をおとこ/おんなと言っていたのか、お/めと言っていたのかが重要な手掛かりではないかと思っています。

PS.当日は、付近の他の滝跡は回られましたか?
特に、弁天滝跡と見晴滝跡は、今でも滝があった雰囲気が多少感じられます。

No.95  投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年06月22日 (土) 22時17分

通りがかりに、王子神社の崖下に、市杵島神社の建物脇の滝造作跡は見ました。
水さえ流せば滝を再現できそうでしたが。
弁天滝というのはこれですかね。

No.96  投稿者:赤松    投稿日:2013年06月23日 (日) 17時18分

その滝(?)は、新しく作られた滝です。

その滝の横の階段を挟んだ場所に稲荷の滝がありましたが、幼稚園を建てる際に無くなってしまいました。
ただ、絵本江戸土産を見る限り、元々の稲荷の滝自体が湧水を利用した人工の水垢離用施設の様ですから、神社側としては灯篭や手水鉢の場所を動かすのと同程度の認識なのかも知れません。
そう考えれば、その写真の滝を新稲荷の滝と呼んでも良いのでは?と思っています。

ちなみに弁天の滝は、現在の音無もみじ緑地の角にあった滝です。
滝の水(湧水)は、既に戦前には枯れていたと言うことですが、滝面及び滝壺は少なくとも昭和40年代までは確実に残っており、写真も存在しています。

しかし、残念ながら、音無もみじ緑地の造成時に滝面ごと埋め立てられてしまいました。

No.97 弁天滝ではない 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年06月23日 (日) 21時38分

成る程。そうなんですか。奥が深いですね。(^_^)

No.91 屏風ヶ浦の地形 その3 通蓮洞付近の海岸後退  投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年06月21日 (金) 01時40分 [返信]

 通蓮洞付近・磯見川河口付近は、海岸線が平滑な屏風ヶ浦沿岸の内で、唯一、岬と入江があり、海岸線が屈曲している場所です。
 以前、岬が削られて、島になっている例を紹介しました。書き込み49参照。
 時間と空間をより広く取って、約130年前の、明治17年測図の地図(迅速測量図・迅速図と略称)と、2.5万地形図を較べました。
 迅速図上に、2.5万地形図の海岸線(青線)と崖線(赤線)を入れました。
 1884年以来の、約130年間で、どんな地形が消滅したかを見ることができます。
 磯見川河口右岸側の岬部分が、平滑海岸化されたのは予想通りですが、磯見川河口左岸側では、平滑な海岸がより屈曲に富む海岸へ変化しつつあった(戦後、離岸堤が作られた結果、変化の方向が変化したので、過去形です)事が読み取れます。
 屏風ヶ浦の海食というと、一様な平行な海岸線の後退のイメージがありますが、必ずしもそうではないということでしょう。
 さらに、陸上が懸谷の谷の部分で、侵食が進み、入り江が形成されていたのは、特筆すべき変化パターンと思います。
 海食崖の高さが、海岸線の後退速度に影響を及ぼしているのかもしれません。

No.90 海食崖型の懸谷と風隙地形模式図 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年06月13日 (木) 23時29分 [返信]

屏風ヶ浦に見られるような懸谷と風隙地形の模式図を作ってみました。
懸谷と風隙の模式図というと、河谷同士の侵食による図しかない。海成段丘を切る河川と海食崖の作る懸谷と風隙は、以外と現成の例がなく、図がないので作成してみました。簡単な地形なのだが、あまり知られていないようですので。特に懸谷タイプは、屏風ヶ浦のような生きている海食崖に特有の地形と思います。
 屏風ヶ浦の風隙と懸谷は、書き込み41〜46参照。

 Dは、屏風ヶ浦西部で海に注いでいる磯見川河口の地形を例にした図。模式図としては蛇足かも。

No.89 本宮市和田の蛇舐石  タフォニのある石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年06月11日 (火) 23時59分 [返信]

<出向記録>、備忘録代わりに簡略まとめ。拙HPに一部アップ。
http://chibataki.moo.jp/
33.福島県本宮市和田・蛇舐石 2013年5月訪

岩角山の入口にある。大きな石ではないがタフォニがあるので、特別視された石。

No.88 地震動で飛び出した岩塊 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年06月09日 (日) 13時29分 [返信]

2013年5月撮影、福島県本宮市和田 岩角山にて。
岩角山は有名な巨岩群の山。阿武隈花崗岩の風化したマサからなる丘陵性山地のなかで、未風化基盤によるちょっと高い残丘。
山頂や尾根稜線沿いにコアストーンとその破断した岩塊群が多数露出し、侵食谷谷頭にあたる岩角寺本堂周辺や那智堂裏の岩壁では、重力破断で変形した基盤岩体が露出している。
超が付く、これは凄い!という岩塊はないけど、中〜小型の各種巨石が目白押しで、花崗岩類風化巨岩地形の諸類型が一カ所で見られる良いところです。
山頂直下の緩斜面で、転倒して埋まっていた小型のコアストーンが、1mぐらい動いて飛び出していました。
先年の大地震で飛んで動いたものと思います。
巨石めぐりをしていると、各所で石が動いた例を目にします。
大きさや向き、斜面角度等の条件があるようで、一部の石だけですが。

No.86 二本松市舟石の舟石  投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年06月05日 (水) 19時12分 [返信]

<出向記録>、備忘録代わりに簡略まとめ。拙HPに一部アップ。
http://chibataki.moo.jp/
28.福島県二本松市舟石・舟石 2013年5月訪
阿武隈花崗岩地域のマサの山裾にある巨岩
コアストーンでもないし、未風化基盤でもなさそうで、よくわかりませんでした。



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