[3096]いま
うちも”ぶたじる”だよ。
犬の思い出は飼ったことがないから あまりないのだけれど、 ひとつだけすごく覚えてることが。
ダンボールに入った犬の子供(あのころはまだ野良犬や捨て犬がまだまだいました。)を公園で見つけ、家につれてかえりました。茶色くて、毛がふさふさしてて、目がくりくりの、とってもかわいらしい子犬でした。 ただ、わが家は国道に面した道路で商売をやっていたため、飼う場所もなく、しかも母は動物嫌いでとくに犬はダメなのでした。そんなわけで、とても自分の家では、飼えませんでした。
そういうときのための秘密の場所が私たち姉妹にはありました。 近所の神社です。 神社のお堂の下は、木と木が組み合わさってできており、その隙間をぬって中に入ると、そこはもう要塞のように、薄暗く、外からは見えにくいけれど、中からは周りの様子がばっちり見える、小学生には最高の隠れ場所でした。
親が子供そっちのけで商売に従事しているすきに、ダンボールや水のみ用の入れ物、ウィンナーやパン、牛乳などを持ち出し、 せっせと姉妹で入れ替わり立ち代りお世話をしにいきました。 私は4人姉妹だったので、4人プラスそれぞれの友達たちで結構まめにお世話してあげれました。
給食の残り物をはこぶ(今時の小学校では、食中毒をおそれるため、残ったものは手をつけてない牛乳やパンまでも全て捨てるそうです。持ち帰りは絶対禁止。)のはもちろん、小学校の校庭(小学校のとなりが神社なのです。わが家は小学校のななめ前。すべてが近所でした。)に夕方おそくに連れて行って散歩や運動をさせたり、それはそれは可愛がっていました。土曜日は半日授業なので、牛乳を持ちより、誰が言うでもなく、みんなで神社に集合しました。そして、思う存分遊びました。 多いときで10人以上いたと思います。 休日は、一日中一緒にいれるので、待ち遠しくて、待ち遠しくて、前日の夜などは、布団にもぐって4人で犬の話ばかりしていました。
そんな小さな幸せ(子供の時分にとっては大きな幸せでしたが)も、長くは続かず、いつのまにかいなくなっていました。 きっと今思えば神主に見つかって、処分されたのだと思います。 拾った動物や小鳥やネズミ、もらいもののウサギなど、自宅で飼えない動物たちは、いつもここで飼っていましたが、全ていつのまにかいなくなってしまうのです。
ちなみにその神社は、菅原道真公がまつってある学問の神様の神社で、今はもう立派なお堂になっており、お堂の下には隠れる場所すらありません。 形あるものはいつかはなくなるとは言っても、思い出の場所がなくなるというのは、とてもさびしいです。 なんとも言えず、胸がつまります。
2004年05月13日 (木) 00時48分
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