WE ARE THE ROLLER-MANIA!!We Want The BayCityRollers!!
ベイ・シティ・ローラーズ・ファン広場!
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先日、6月5日(日)に東京にて某TV局さんによる、ベイシティローラーズ・マニアの座談会形式のインタビューが行われました。但し、これは番組で放送するとか出版物に掲載するとかと言う主旨ではなく、当時のBCRマニアの熱狂振り!、今も尚BCRマニアであるのはなぜか?っといったような内容の質問形式でのグループインタビューです。BCRを知ったきっかけは?BCRに費やした時間は?BCRに費やしたお金は?・・・などなどいろんなテーマに対して個人ごとに発表したりディスカッションになったりとっても楽しい2時間でした。費やした時間やお金っていわれてもなかなかみんな計算できず?(笑)絶句するシーンもあったり、ライヴや追っかけの話になると黙っちゃいられないくらい盛り上がったり・・「新聞記事でどこかの島で行われたバンドのライヴにファンが海を泳いで島に向かってると言う記事をみてBCRというバンドのすごさを知ってからファンになりました。その記事がBCRというバンドのこととは知らずにすごい人気のバンドなんだなぁ!というのがきっかけでした」と言う発言に僕はびっくりでした。このエピソードそのものは知っていましたが、まさかリアルタイムの新聞記事を見た人なんて。。。また、参加者の中には初来日の1976年12月11日。羽田空港のまさにローラーマニアの渦の中にいた人もいて・・・「始発の電車じゃ間に合わないから徹夜で羽田空港に集まったマニアは数知れず。到着後もローラーズがなかなか出てこない!メンバーはあの1000人のマニアの前を通過するか迷っていたんでしょうね〜。その間に出てくる一般人の人たちがなんだ?なんだ〜〜?って驚いていたこと。警備員の人との喧嘩。でも実際にローラーズが到着ロビーに現れた瞬間はドワ〜〜〜〜と人並みが押し寄せ、みんな将棋倒しになりさっきまで喧嘩していた警備員さんに「警備員さん!たすけて〜〜〜〜!!」って叫んでしまった人がたっくさんいました。もう、あれははっきり言ってヨン様の来日とは比べ物にはならないですよ〜」「そういえば日本ハムが北海道に移った時に、新庄選手の警備を担当した東○パトロールの○丹さんが「こんな警備をしたのはベイシティローラーズ以来ですかね〜」っとコメントしていたよね〜〜」「きゃ、は、は、大体、警備員の○丹さんの名前をみんなが知ってること自体が恐ろしいですよね〜〜」なんて盛り上がってました。「私の学校なんて、BCRライヴ会場の前に先生が待ち伏せしていて、見つかって退学になっちゃった子もいるんだよ!」当時の貴重なお宝もみんな持参して来てくれて、特に感激だったのが当時の新聞記事・・・1976年12月11日の夕刊。羽田空港でWoodyが殺到したファンの頭の上を歩いているシーンのアップ写真がすごかったです。その他、いろいろな話で2時間盛り上がりました。BCRトリビュートバンドの話題も出て、「みんなトリビュートバンドで今も当時の疑似体験をしてるんですよね〜。Nonbayや、昨日行われたビリマジ、ダラーズ、アンリミのBCRバンド祭りで当時の自分を呼び戻したり、ローラーズファンとの再会を楽しんでる、楽しむ場が今もあるんですよ〜」とにかく思い思いに語りあった2時間。とても印象的だった発言は「私、BCRの後に実は他のBandに夢中になってしまったんですよ〜。だけど今またBCRの音楽を聴いたり、こういう場に参加して改めてBCRのすばらしさに感謝してます。あの瞬間を越えるものはないですね〜。BCRは私たちにとっては洋楽の扉を開けてくれた神様のような存在なんです!」以上、たいへ〜〜〜ん長々と書き込み失礼いたしました。このBCR熱の座談会が何らかの形で、貢献の一助になればと願ってま〜ス。尚、今回のインタビューに関しては事前に某TV局さんから僕宛に打診があり「参加者の人選はまちゃりーさんにお任せいたします。」との事でした。人数の限りもあり、僕なりに勝手に悩み、勝手に参加者を選ばさせていただきました。お誘いの声が行き届かなかったマニアの方、僕の独断をお許しくださいね。
>ゆっきー、Erisaさん、のぶりー。本当に楽しかったね!それにしても、ゆっきーとErisaさんの初来日のお話には本当に新聞記事やロックショウの写真が甦ってくるほどのリアルな情景が浮かんできました。自分は当時お子ちゃまだったので(正確には初来日時点でははまだBCRを知っていない。)お二人の貴重な話に感激でした〜。