──暗転する視界。 対峙していたロイドの悲痛な叫びが耳を貫いた。 切羽詰まった響きに、自身の命の灯火が消える間際なのだと思い知らされる。 必な呼びかけの向こうから、小さな声が聞こえた気がした。 遠く微かに響く、幼い少女のそれ。 屈託のない、自分を兄と慕っていた、声──。
不意に意識が覚醒した。 満天の星空が視界一面に広がり、一瞬、何が起こったのかが解らなくなる。 「……ここ、は……」 口を付いて出た呟きが、覚醒を促した。 深い夜の静寂の中、耳に届いたのは、小さく火のはぜる音。 そして、いくつかの微かな寝息。 それらを仲間のものだと認識したことで、ようやくゼロスの意識が現実へと引き戻される。 「もう起きたのか?」 暢気なロイドの声が飛んできた。 視線を巡らせてそちらを見やると、焚き火の前で座っていた少年と目が合う。 先程の呟きに似た声を拾っていたのだろう、ゼロスの目覚めを確認したロイドは、すぐに手元へ視線を落とした。 程なく、木を削る音が耳に届く。 夜の静寂の中では小さな物音すら拾ってしまうものだ。 どうやらロイドは何かを作っているらしい。遠目にも右手に握った彫刻刀を動かしている様子が見て取れた。 ゼロスはゆっくりと身を起こす。 夢の余韻は消えていた。……筈だが、鈍い頭痛が残っている。 軽い溜息をついたものの、動く気になれなかった。 「どうしたんだよ、ゼロス」 目を覚ましてから一言も喋らない彼の態度を不審に思ったのだろう、ロイドは手を止めると改めて問いかけてきた。 「あー、いや……何か変な夢見てた……らしいわ」 曖昧に濁したものの、記憶は明瞭だった。 救いの塔での出来事を思い返す。 コレットを捕らえてクルシス側に寝返り、ロイドたちの前から姿を消した、あの時。 もしも、その場に残ってロイドと対峙していたならば、与えられた力を解放して全力で戦っていただろう。 結果は火を見るよりも明らかだ。 夢に見た光景はおそらく、ゼロスが選択し得たもうひとつの未来。 ……自身の存在しないであろう、時間軸。 最後に幼いセレスの声を思い出していた事に、思わず苦笑が洩れた。 純粋に自分を慕っていた少女のあどけない声は、今も耳の奥に残っているのだ。 真実を知って以来、セレスがゼロスに向けるのは硬い声ばかりだった。 そう、心の壁を露わにした声しか聞かなくなって久しいというのに。
──お兄様、どうぞお気をつけて……。
不安げなその声は、微かに震えていた。 背を向けた兄に送られ続けていたであろう、彼女の本音。 長い間目を逸らしていた。 受け止めるだけの覚悟を決めた、あの時まで。 ゼロスは軽く頭を振って立ち上がり、ロイドの傍らへと移動する。 「ったく、目ェ冴えちまったな。見張り替わるから寝とけよ、ロイド」 今日の見張り担当はロイドとゼロスの二人だった。 交代にはまだ早いが、とても眠れる状況ではない。 「ああ、サンキュ。けどもう少し進めたいからさ、キリのいいところまで出来たら頼むよ」 「何作ってんだ?」 言いつつロイドの手元を覗き込む。と。 掌に収まる大きさの丸い木板に、三人の人影らしい姿が彫り込まれていた。──正確には二人と幼い子供である。 とはいえ細部に手を入れるのはまだ先らしく、木板の絵姿はまだ朧気だ。 人物像がはっきりと理解できたのは、手本がすぐ傍らに在ったせいだ。 おそらく、家族の肖像として描かれたものを納めたロケット。 女性の姿に見覚えはないが、小さい子供はどこか今の彼を彷彿とさせるものがあり、残る男性の姿は──。 「……クラトスに貰ったんだ」 ゼロスの視線に応じるように、手を休めることなくロイドが答えた。 ロケットの中で穏やかな表情を浮かべる人物──クラトスを一瞥し、ゼロスは軽く返す。 「器用だねぇ、ロイドくん」 「まあな、こういうの得意だからさ」 クラトスから譲られたロケットの替わりに、手製の彫り物を渡すつもりらしい。 彫刻を続けるロイドの横顔を眺めていたゼロスは、少しずつ輪郭が整ってゆく三人の姿にちらと視線を投げかける。 「なあ、ロイド」 黙々と手を動かしていた少年へ、いつしかゼロスは声をかけていた。 「ん?」 ロイドは手を休める事無く応じる。 ゼロスの瞳が細められた。 「……なんで信じられたんだ?」 ロイドの手が止まった。 「え?」 驚いた様子で顔を上げたロイドの瞳に、ゼロスの姿が映る。 一瞬の沈黙。 ……唐突な質問ではあったが、意図は理解している筈だった。 救いの塔での出来事から、さほど時間が経過しているわけではない。 だが、ゼロスは敢えて口に出してみた。 「あの時……救いの塔でだよ」 不思議そうな光をたたえたロイドの双眸を、ゼロスは真正面から見つめる。 その瞳には、真剣味を帯びた自身の表情が映っていた。 こういった眼差しで相手を詰問するのは久しぶりだ。 どこか醒めた思考のままゼロスは続ける。 「裏切った俺のことをよく信じられたと思ってよ」 俺さまだったら信じねーよなあ、と嘯きつつ──本心だが──ゼロスは自嘲混じりの笑みを零した。 最初から胡散臭い態度を見せていたのだ。裏切られた直後に思い当たる節は多々あった筈である。 むしろ、信じる根拠が見当たらないだろう。 だが。 「当たり前だろ。仲間なんだし」 さも当然と言わんばかりに答えられ、一瞬ゼロスは言葉に詰まる。 ロイドの瞳には微塵の疑いすら映っていない。 「……いやいや、俺さまイロイロ怪しかったでしょー? 気づかなかった?」 殊更に軽い調子で訊き返すと、ロイドは何かに思い至ったらしい。 「ま、そうだな。確かに、何かありそうだとは思ったよ」 ここでロイドは一呼吸置く。 「けどさ、お前、信じてくれって言ってたし」 刹那、ゼロスは我が耳を疑った。 煙に巻く言葉は数多く使った。だが、そんなことを言った覚えはない。 ……いや、ないはずだ。そう願っていたが、口には出さなかった。 言えるはずがない。 時間にして数瞬。少しだけ間を置き、ゼロスが言葉にならない口調で訊き返す。 「……はい?」 目を丸くしたまま固まったゼロスを見つめ、ロイドは首を傾げた。 「あれ、言ってなかったか? けど、そんな事を聞いたっていうか、感じたっていうか……そんな気がしたんだよな」 「いやいやいや、ロイド君。そいつはおっかしいでしょ」 返しつつも、声が妙に上擦っていた。 自信に満ちたロイドの様子にゼロスは動揺を隠せない。 しかし、否定しようとするものの、具体的な反論が出てこなかったのも事実である。 何にせよ、有り得ない事だと伝えようとしたのだが。 「違ってたのか?」 一分の疑問も抱くことなく、ロイドは不思議そうに尋ねてくる。 自身の発言に対しての確信は全く揺らいでいないらしい。 ……我知らず、苦笑が滲んだ。 だが、ゼロスはその場を誤魔化すべく口に上りかけた言葉を飲み込む。 信じてほしかったのは、事実だった。 しかし、信頼よりも重要だったのは、協力関係の維持である。 ロイドたちがコレットを救うべくテセアラを訪れた時、シルヴァラントとテセアラは表裏一体の関係だった。 一方が繁栄すれば、もう一方が衰退する。 暗殺者として送り込まれていたしいなの進言とゼロスの提案によって、テセアラ国王はコレットの救済を黙認したのである。 監視役を仰せつかったゼロスはロイド達と行動を共にしながら、その実力を測っていた。 クルシスとレネゲート、そしてロイド達。どの勢力が他を征する力を得られるのかを。 手を組むべき相手を模索していたのだ。 尤も、ゼロス自身が彼らに必要とされる相応の力を持たなければ、意味はない。 だからこそ自身の存在意義を示すための協力は惜しまなかったし、能力は発揮していたつもりだ。 事実、ゼロスは有効な戦力足り得たはずである。 だが、真の意味で仲間とは到底言えなかっただろう。 それを自覚していたからこそ、ゼロスはロイドたちから仲間として信頼されているとは思わなかった。 しかし、一向に構わなかったのだ。いずれ裏切るであろう相手なのだから。 信じていればこそ、裏切られれば激昂する。その経緯を持つならば、再び他人を信じようとは思わないだろう。 ましてや、最初から疑わしい相手ならば、尚の事。 仲間だなどと口にしながら、値踏みを繰り返していた。 ロイドのクラトスへの信頼を嘲りながら──羨んでいたのだ。 ──クラトスからアイオニトス奪取の計画を持ちかけられた時、成功率の低い賭だと判断したのも当然だろう。 ただ、それでも。 たとえ裏切り者であったとしても、命を賭しての頼みならば、セレスの事を託せるのではないかと……そう、思えたのだ。 元々お人好しばかりの集団だ。 世界に一人となってしまう妹を、ロイド達ならば見捨てる事はないだろう。 これまで騙していた贖罪もかねて、計画に乗ってみようと思い至ったのは事実だ。 セレスを救えるならば。 だが、本心は。 ──信じてほしかったのだと、今ならば断言出来る。 そんなゼロスの心の声をロイドは聞き取っていたいうことだろうか。 零れてしまいかねない声を、拾い上げることが出来たのだと。 「いや、まあ……」 言葉を濁そうとしたものの、ロイドは目を逸らさない。 ただ、ゼロスの答えを待っている。 「……ま、そうだったのかも……な」 今は夜。眠ってしまえば忘れる話だ。 消極的ながらもゼロスが肯定すると、ロイドは嬉しそうに破顔した。 反面、妙な照れ臭さのためにゼロスは視線を泳がせる羽目となってしまったけれども。 やがて、ロイドは手作りの肖像画を彫り始めた。 木彫りに集中するその様子に、自然とゼロスの眼は彼の手元へと向けられた。 手本にしているロケットに描かれた男は、穏やかな笑みを浮かべている。 その表情には、ゼロスにも見覚えがあった。 ──ロイドについて話す時に浮かべる表情だ。 次第に輪郭が明瞭になる彫り物を眺めつつ、彼の読みが正しかった事を──息子への揺るぎない信頼を、ゼロスは改めて実感する。 しかし、不思議と不快ではなかった。
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ロケットを受け取るのはクラトスルートのみなのですが、以前書いたロケットの代わりに木彫りの肖像画を送るというというネタが気に入ったので、ここでも使っております。 ロイドは直感型の人間ではないかな、と思います。 だからこそ、ゼロスを信じられたのではないかと。 説明はいらない、後からついてくるタイプ(笑)。 また、以前クラトスとのやりとりがあった事も一因のような気がしますね。 今更ですが、クラトスとゼロス、両方仲間にしたかったなー。
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