同僚と飲みに行った時の話です。
普段は全然飲まないのに、その日は彼、相当呑んで、
日付が変わる頃かな、急に黙り込んじゃって、
「なぁ、誰にも話した事ないんだけど」
と、急に話を切出したんです。
僕はまぁた碌でもない話だろうと思ったんですが、どうも様子が
いつもと違う。　気になって聞いてみたんです。

それは彼が高校三年の頃、兄が飼い犬を連れて近所の山に散歩に出かけ、行方不明になった話でした。
その日、飼い犬だけが戻ってきたそうです。警察に連絡して結構大規模に探したけど、戻ってこなかった。
僕は彼と地元が離れていたので、その話は初耳でした。
最初はお兄さんを想って、元気がないのだと思ったんですが、話には続きがありました。
「おれのお袋さ、兄貴が失踪して何年か経ったあと、飼ってた犬に、兄貴の『アキラ』って名前をつけて、可愛がるようになってさ」
同僚は、母親の頭が変になったのかと思ったそうです。
兄が消えてからまだ７年経過していない、つまりは失踪宣告の申立てがまだなわけですから、
法律的にはまだ兄は死亡していない。
彼の家が母子家庭だという事を僕は知っていたので、さぞ心配しただろうな、と思いました。
しかし彼の母親は、以前に増して愛犬を可愛がるようにはなったけれど、他は普段通りだったそうです。
兄の生存を諦める為の、儀式なのだろうと彼は思う事にしたそうです。

その母上も、彼はひと月前に、亡くしてしまいました。
聞いた話では 急性心不全という事でした。
「それだけじゃ なかったのかもしれない」
同僚は黙り込み、震える唇を手で隠しながら言いました。
「その当日に、お袋から電話貰ったんだよ。　何て事ない話 してたら、急に犬が騒ぎ出してさ」
同僚の顔は、真っ青でした。　この居酒屋は冷え過ぎるくらいなのに、
額いっぱいに汗をかいていました。
「お袋が急に怯えた声になった。　そんで、言ったんだよ。　『アキラが帰ってきた。　どうして、恐い。　許してちょうだい』って言ったんだ。」

兄が消えた後、母がお金にルーズになった時期があったのだそうです。
進学を諦めようとしていた彼に、私大を薦め、気分転換にと旅行にも出かけていたそうです。
兄貴の金を使い込んでたんだと、同僚は顔を覆って静かに泣きました。
兄と母は不仲だった。　兄貴が消えたのは、まさか、お袋が…

彼のお袋さんが亡くなったのは、
お兄さんが失踪してから丁度７年後――失踪宣告の要件を満たした、その当日の事だったそうです。