下に付け足すと見にくいので新たに立てました。
When playing music 〜と
Numbers become more inconceivable 〜の
段落です。
やく
↓
音楽を演奏するときは音を1つずつ数える必要はないよ。
むしろ望ましいのは、違いを表現することと同時に、つながりや関係を狙うこと。
たとえばベース・プレイヤーがギタリストの弾くコードのなかでいちばん低い音を弾くのに慣れてしまっているようじゃ、
まず彼は自分を表現するという能力を活かすことができないだろうね。
でも同じようにギタリストにコードを弾かせつつ、
自分はいろんなリズムや音を弾くというならば、
しかも彼とギタリストのあいだで気持ちが通じ合っているならば
その時、音楽は2人の特異点やつながりあっているところを同時にあらわすんだよ。
それについては日常の生活でも同じさ。
めいめいの意見や感覚・知性はそれぞれ異なるよね。
そしてそういうことがボクたちへ
「どんなことでもいろんな違いがあるんだ」と気づかせてくれる能力を授けてくれているわけなんだけど、
同時にそれは、特異性を持つ他者との関係についても理解できるという能力に恵まれているわけ。
そういう関係は、みんながまるで1つになったかのように一緒にいるってことを示しているんだよ。
数は、数量そのものからは想像できないくらい大きくなったり小さくなったりする。
たとえば心の中でキミのともだちの姿を1人思い浮かべてごらん。それは簡単だろう?
でも2人のともだちの姿を同時に思い浮かべるってなると、難しいよ。
もっともっと難しいのは、3人から以上のともだちの姿を同時に思い浮かべること。
というわけで、数量の大きな数も、数量がとても少ない小さな数も、
ボクたちが想像も及ばないものを持っているからこそ
ボクたちは数や数量といったものに関心をもっていることや
ボクたちの心は数を把握したり理解する能力を持っているということがわかるだろう?
ミュージシャンの場合、ボクたちはたいてい小さな数のことをあれこれ考えている。
音楽では4という数と、その比較的小さな倍数がかなりよく発生するんだよね。
けれどもボクたちは4や4の倍数をもてあそぶ能力を持っていて、音楽のなかにそれらすべての数を導入している。
たいていの人びとは、音楽がたいてい4という数字のグループに属していると考えたこともないようだけど
ボクは4という数字がみんなの好きな数字や数量であるに違いないと思うよ。
だって欧米圏の歌のたいていは4分の4拍子で、人間が最初に発見したハーモニーは平行4度なんだから。
(訳註:この場合の平行4度は、グレゴリオ聖歌等で平行4度で重ねて唄う平行オルガヌムのことを指していると思われるが、
人間が最初に発見したハーモニーとまで断定してしまうのはちょっとアレかもしれません)
それにボクたちは16小節や32小節で起きることには納得しやすいようだし、
拍子記号に奇数が加えられていてもそれを分解し、
16小節や32小節や64小節の後を追って新しい旅に出発する。
もし例外があっても、それは16小節や32小節や64小節のために作られたんだよ。
というわけで、数には無限の可能性がある。
そして音楽の中での数や数量の活動を無視すると、
同じ数量パターンの繰り返しを何度でも繰り返し続けてしまうという結果にしょっちゅうはまる。
けれどもそのことに気づくと、ボクたちは数のそういった傾向やワンパターンから逃れられるとともに、
数や数量の活動が、自分たちの新しい音楽的アイデアをぴったりと合うところへ導いてくれるというわけ。
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ここまで。
時間があったら、また盗んでやってきます(笑)。