人は見た目が九割
という名前の本が前に売れていたから、買って読んでみた。 (一昨年?) なにやらデータを出していろいろ書いてあったが買ったことを後悔した憶えがあります。 そんなこと言われたらおれなんざどうなるんだ!と怒ったりもした。 あれは題名だけで売れた本でした。 男性の場合、「色男」と「いい男(いい女との対語)」とは違うと思える。 男としての特分に満ちていて、サッパリとして情に厚く、決してえばらない。 他人の立場をまず考え、誇りも勿論、持っている。 死んだ「河島英吾」さんの「時代おくれ」という歌があるけど、あの詞が好きな男子は結構多いと思う。 そうなれないからこそ意識して少しきどって歌ってしまうこともある。 少し話は変わりますが、いわゆる永田町で「いい顔」の人があまりいない。 悪いけどそう思う私です。 狡猾さや貪欲さが顔にみえるのです。 この世界の場合「見た目が九割」説は当たっているように思う。例外はただ一人。あくまで私見として、「田中角栄さん」ですが。 ここにきて彼のような政治家の出現を渇仰する記事が目立っているが、虫のいい話だなぁと一人憤慨している私です。
No.491 SISYPHUS 2008年12月04日 (木) 23時47分
田中角栄か?
シーシューポス君の文章に反応です。角栄待望論が跋扈しているようですが、無いものねだり?政治家の面々の人相、確かに小ぶりですなぁ。自分のことばっかりで、大局が見えていない、お金より大切なものがあると、学校でもおすわったはずなのに?言ってることと、やつてることが、ごちゃごちゃの出鱈目になっている。だから昨日言ったことを平気で言い換える傲慢さには、ほとほと参りました。そこいらの子供より始末が悪い!
No.492 master 2008年12月05日 (金) 22時41分
そうだね
いわゆる「担当能力」よりもあえてまず「当事者意識」が欲しいと思うのです。 能力?があると思ってるからこそムダで無為な論戦になってしまうのですね。 論のための論・・テレビが入った時の「委員会」はいつもそう。 演技が多い。
だから今日の与野党のやりとりを見てても、真摯なイメージが湧かなかった。 かといって「落しどころ政治」の竹下手法も好きじゃなかったが、あれも我が国のセイジではひとつの処方箋だったのかもね。 「人事は上から」が「鉄則」だろうから、「首相公選制」を支持する立場なのですが、どうでしょうか。。
「角栄的なるもの」とは云わば「対・官僚」の硬軟入り交えた手法や「派閥政治」の典型だった。 「今太閤」と持て囃されてもやることはやった。 やり過ぎてアメリカにしてやられた後は世論のメッタ打ちにあった。 毀誉褒貶は世の常だが、彼を最後は酷評していたジャーナリズムがその同じ口で客観性をまとってほめる側にまわる。 マスコミなんてのはいつもそうだし、責任など取らない前提があるから始末が悪い。 そんな記事に気をとられる国民だって始末がなお悪い。 挙句、無関心に逃げ込む若者なんか多いからなおさら悪い。 今は、そういう「負のスパイラル」になってしまってると思う。 当事者意識ってのは「投票する」側の我々国民に、まず課せられるはずのものでしょうに。。 ・・とオジさんはぼやくのであった。・・嗚呼・・ またここのBBSを野暮な雰囲気にした私・・ ゴメン・、
No.494 SISYPHUS 2008年12月06日 (土) 01時26分
野暮なんかじゃないよ。 どんどん言って。 国民が物言わなくなったらおしまいだよ。 つぶやき四郎じゃなくて つぶやきし〜さんだね。
私はそのマスコミにしてやられたのかもしれませんが あまり角栄さんには良いイメージを持っていないのです。 角栄の再来?え〜〜〜ってかんじです〜。
No.495 hosikuzu 2008年12月06日 (土) 18時01分
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