今こそ神社仏閣だ
派遣切りで職と住まいを同時に失ってしまうご時世に、圧倒的な境内と本堂を持っている神社仏閣の機能が、まったく働いていないのが不思議です。本来、人助けを身上としているはずの寺の坊さん、神社の神主さん。このご時世になんの働きもしていないのが歯がゆいです。いまこそ宗教者がアピールする絶好のチャンスなのに。 葬式ビジネスにどっぷりつかって、本来の教えを忘れてしまったかのように、なにも世の中の為になっていない。こんなお寺や神社なら、もういらないですね。どうですか?みなさん?
No.546 master 2009年01月29日 (木) 21時14分
同感ですね
たしかに宗教というものは「魂の救済」を目指すものでもあります。 原点(仏教の)に立ち戻ってみれば釈尊(ブッダ)の人生は遊行でありました。 住まいにたてこもってはいませんでした。 行き会った人々に法を説き、同時にその人が今何を必要としているかを聞き、それを行いました。よく誤解されますが大いなる悟達を得たのではあるが、それが終わりではなかったのですね。 いわば入滅するまで「修行の連続」だったのです。 死ぬまで模索です。 そういう彼の元に集まり従った弟子たちで「僧団」を形成していった。 いわゆる「サンガ」です。 釈尊とそのみんなが修行中だったのです。 そもそも「住職」という言葉も概念もおかしい。 すなわち「住む」ことが「仕事」などというのは笑止千万なわけです。 本来はまったく逆で家を出ることが前提。曰く「出家」あるいは「出世間(しゅっせけん)ですね。 ド派手な絢爛たる「袈裟」もおかしい。 釈尊も弟子も「糞ゾウ衣」という黄色の粗末な衣だった。 マスターが仰るように葬式仏教に堕していながら豪華な本堂で講中に説教をしたりするのは噴飯ものといえます。 私自身が尊敬を抱いてやまないのは、勿論私の信仰の祖師でありますが、同時に、あの「マザーテレサさん」です。 救いに具体性があった。 大掛かりなことではなく「ひとりひとり」と向き合った方でした。 物心ともに救おうとした。 人々に尽くしたんですね。 日本の仏教を徹底的にダメにしたのは、あの明治憲法でした。 「肉食・妻帯コレヲユルス(趣意)」として「堕落を促進」したのは政府の確信犯的な思惑でしたが、あろうことかそれに群がり唯々諾々と従ったところから「世襲」が始まり、「職業化」が更に進んだという経緯だと憶えます。 他の誰でもない、自らの「魂」が堕落していったということですね。 だから、彼らにそれを求めてもムリです。 ベクトルが違っているんです。 長くなって、しかも偉そうに書きました。 みなさんお許しあれ。 <(_ _)>
No.547 SISYPHUS 2009年01月30日 (金) 02時14分
同感
政治家も官僚も、経営者も。まったくなすすべなし。自分の保身ばかりで、まったくなさけないご時世です。昨日の国会での代表質問・いったいなんだあれは。小学校のホームルームじゃあるまいし。情けないったらありゃしない。こうなったら国会議員全とっかえで、がらがらポンしかねえんじゃねえの?
No.548 master 2009年01月30日 (金) 23時30分
確かに、神社仏閣はあの広大な敷地を持っているのに何にもしないね。 住む所を失った人に、公園や駅ではなくて、ここをご利用くださいくらい言ってもいいのにね。
私は宗教家には うさんくささを持っています。 いかにも人徳者の振りをして いざというときは保身に回るというか・・・ むしろ期待させておいて 罪なことだと思います。 もちろん、マザーテレサのような方も居ますが・・・ 自分が安全なところにいて、困った人を見ないふりするのなら 初めから偽善者的な振る舞いはするなと言いたい。
No.549 hosikuzu 2009年01月31日 (土) 11時10分
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