平和の風景
自分の拙ブログでも書いたが、今頃になって中島みゆきの「世情」という歌を思い出し聴いている。 この人の歌は媚がないし、視点や訴えたいものがすっきりと、詩やメロディに乗せてあるところがいい。 それがあの童顔なのに少し凄みを効かせた声で押し寄せてくるから「マイッたなー・・」となってしまう。 「目力(めぢから)」(この字でいいのかな)もある。 それがキャラの転換をいとも容易く成し遂げて迫ってくると、ついつい聴きいってしまうので困ってしまうのだ。 失礼ながらこの歌は例えばITWMYMさんとかだとハマり過ぎてしまって、更に辛くなるだろう。 歌は「ご維新」の前後の佐幕・倒幕の士たちの写真のバックに流れていた(YOU TUBEの話) 時代というものは一体何に拠って作られていくのだろう。 少なくとも今の時代は表立っての主役は見当たらない。 総理にしてもM党首脳にしても、パワフルなものは感じられない。 あくまでシステムの内部での調整(しかも失敗の連続)でしかなく、時代が作り上げられているのではない。 台風の中心みたく、低気圧であるところを迷走して住民に大迷惑をかけているだけに思える。 だから意志ある自動ではないのだ。 「世情」を引っ張り、そのエネルギーをすくい挙げていくだけの力はない。 だから本能的に永田町というところは疎んじられるのだ。 「民意民意」と口先で言うだけでは今回のように逆にその民意に押し返されて身動きがとれなくなるだけだ。 若者がヘルメットに角材で武装してデモ行進やシュプレヒコール、激突を繰り返したあの時代でさえ、「世情」は味方とはならなかった。 まして「政治的アパシー」の蔓延するこの時代だから体良く「無党派層」などと括られているだけで、要はみんな「知らんもんね」ってことになってしまった。 ところがその「無党派層」をいかに取り込むか、が勝敗のキーワードになっちまうなんて、どう考えてもおかしいと思うのである。
それらは積極的な意思表示ではなく、まして熱烈な愛国心の団塊ではないのではないか。 それのきまぐれに任せていつのまにかこの国が壊滅してしまうなんてヘンな話である。 私だって支持政党はあるが、そんなことは言ってられない。 みんな明確な意思を持って投票に行きませう。 中島みゆき嬢だって「たった1票」でしかないのだ。 大切なのである。
No.873 SISYPHUS 2010年05月09日 (日) 03時14分
イワシの群れ
SISYPHUSさん無事不時着よかったです。^^
たしかにイワシの群れみたいに、明確な意思はないのに集団としてのものすごいエネルギーをもってる。 それを構成してる彼ら自身だって、自分たちの行く方向を知らない。 自分の身近な仲間に方向を合わせ、それが全体としてまるで意志を持った生きもののごとく動くイワシの群れ。
民意なんてイワシの群れみたいなもんかもしれないね。 自分の周りのことしか見ない集団が、自分たちもどこに行くのかわからない まるで意志を持ったかのような力を持つ。 でも、実際には共通した意思なんて持っていない。 その集団が破滅に向かっていたとしても、止められない。
No.874 hosikuzu 2010年05月10日 (月) 23時29分
うーん、なんと。
深いなぁ。シーシュウポス君の憂慮、hosikuzuさんの警鐘。 同感ですが、少し時間をください。返信したいけど感情的になってしまうので、ここは、間が必要です。間なんです。 時代は確実に我々、僕たち、私たちで作られてきた物ということを前提に話をしようと思うのだけど、いや、そうじゃないのじゃないか?という懸念もうまれて少し時間が欲しいのです。 シーシューポス君のブログ、教えて!
No.875 master 2010年05月11日 (火) 19時46分
すみません
>ほしくずさん 「イワシの群れ」は素晴らしい指摘ですね。 ポン!とヒザを打ちました。 イワシ君たちにしてみれば、「生き残るための積極的な行動」です。まわりにはサメやシャチ、海面近く浮上すれば海鳥が襲い掛かる。 大きく見せながら一糸乱れぬその団塊は戦っているのですね。 そうみれば、「無党派葬」・・いや「無党派層」とマスコミの勝手なネーミングで呼ばれるところの人々は「回避行動」をとっているだけかもしれないです。 これも勝手な言い分ですけどね。
>masterさん
多分、仰りたいことは分かるような気がします。 でもワクワクしながら待ちます。 私の場合、書きたいことをたたみかけるように書いてしまうので、よく失敗します。 視点の分散が下手なんです。
No.876 SISYPHUS 2010年05月12日 (水) 00時59分
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