つゆ知らず
関東甲信越は入梅だけど、ここはまだ。 うっとしい曇り空です 足もうずきます(苦笑) 人間は自然と共に生きてるんだねぇ。 おれの行動はすごい不自然だけど。。(爆)
No.282 SISYPHUS 2008年06月07日 (土) 17時47分
うっとうしい日
うっとうしい日は、弱いところがうずくよね。 足うずくんだね。可哀相・・・
うっとうしいけど 雨の日も好きです。 緑がきれいになって 紫陽花がきれいになって だから 雨でもうきうきしてしまう 私です。 私って不自然?
No.283 hosikuzu 2008年06月08日 (日) 01時06分
雨の日は傘をさして。
シーシューポスさん、前にも書いたと思うけど、島根は雨が多い地方なんです。だからぜひ、雨を楽しんで島根というんで、番傘を島根ブランドとして雨の日は番傘をさして雨の音を楽しむ、そんな仕掛けを去年やっていたんだけど、定着していますか?雨の日を楽しむ、、、JTBのコマーシャルじゃないけど、梅雨を楽しむ、ですよね。それにしても足が疼く?
No.284 master 2008年06月08日 (日) 22時32分
それぞれの梅雨
入梅は、島根ではまだです。四季おりおりを楽しむという風情は古来よりこの民族にも交配されてきた遺伝子なのでしょうか。 したたかさという言い方よりも、それを「楽しむ」余裕や情緒を持ちたいものです。 少なくともそれは美しい心です。 愛や感謝、歓喜さえも内在して、動植物よりもプラス何かをそこから得ることができるのが人間であるからですね。 季節の移ろいがただつまらないだけになってきたら、これは黄信号かな。 季語があり、風物詩があり、風の音からもその到来を感じ取る心がある。 この年になったらそういう感覚をいつも持っていたいものです。
「番傘」は小学校の時にはときおり登下校でさしていました。 あの量感や雨音、そして独特の懐かしい匂い。 貧乏だからではなく、気取りでもなく、自然にそれをさして出かけたものでした。 親父が故郷の松江市での生活の話をよくしてくれたものだったが、その頃は清貧な生活の夕食では「松葉がに」を普通のメニューとして食べていたそうなのだが、それが今では贅沢の極みになっている。 それと同様に、「稀になったものごと」を現代で再現しようとするのはいささか「不自然」になってきている。 時代は流れる。常識も変わる。 時代とともに味わい方も、季語も変わる。
「変わらないもの」を望み、「変わりゆくもの」を惜しむ。 ささやかな人生のたかだか70余年ではあるが、時代の変化を受け入れつつも、堅持したいことにもこだわる年齢になった。
時代に棹差すことが不自然だと言われれば、抗弁するつもりもないが56歳にして今ほど、そういうことを意識している時はなかった。
「横並び」が厭でたまらないのだ。 こうなったら徹底して「変人」の高名に浸ろうか。
No.285 SISYPHUS 2008年06月08日 (日) 23時31分
☆.。.:*・゚☆.。
「横並び」が厭でたまらないのだ。 全く同感です。 私も変人と言われたいです。 でも変人になるには、他人が変人と認めてくれる要素が不可欠で、これがなかなか手に入れるのが難しいのです。 望んでもなかなか変人には成れないのです。 たいがいは「私変でしょ?」と言う割にたいしたことがなく「いいえ」とも言いにくく、返答に困るのです。 相手は変と言ってもらいたいのでしょうから・・・
変人に徹するとは すごい事です。 凡人が変人になることはとても難儀なことです。。
「変人」の高名は尊敬に値します。 変人憧れです^^
暑いところは暑い時期に行け、寒いところは寒い時期に行け と聞いています。そこの特色が一番分かる時期。まさに自然の旬。自然に旬があるかは分かりませんがw 寒いときに暖かいところに行くのは不自然なのです。 「松葉がに」は食べれるときに食べて 食べれなくなったら食べない これが自然なのです。 「番傘」はある時にさして 無ければささない 実に自然です。
変人 SISYPHUSがんばれ^^
No.286 ☆.。.:*・゚☆.。 M45 2008年06月09日 (月) 01時12分
・・・
ぺこ <(_ _)> ・・・
No.287 SISYPHUS 2008年06月10日 (火) 01時14分
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