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[1147]歴史を歪曲捏造するもの

教条主義は、幹よりも枝葉に書かれている具体的な物理行為を基本にしてしまう。マニュアル人間は、目的達成のための手段や方法を行うこと自体を目的にしてしまう。比喩れば偶像崇拝はアラーを信仰する人々が具現化したアラーの神に向かって「この偶像をアラーの神と思って毎日、拝んでますからアラーの神様もこの偶像を拝んでください」と言って神を怒らしてしまう。多神教でも天皇が授けた連隊旗に昭和天皇も敬礼して下さいと言われて天皇は頭を傾げながらおかしい?と思いつつ渋々、敬礼する。わかりやすく言えば学校を視察した天皇が御真影に拝礼してくれと言われて「明治大正天皇の写真ではあるまいし、朕の自分の写真ではないか!」と言っても人々は云う「前からやってます、いつもやってます、皆やってます」とステレオタイプな殺し文句で答える。所謂、愚者は経験に学ぶである。一神教では神はその愚者の経験に憤慨して偶像を破壊してしまった。神は事実行為を基本にするな!と教えたのであって偶像破壊はショック療法としての枝葉の行為に過ぎないが、人々は偶像を破壊することを教わったと思うようになる。矮小化して言えば一日中、プレステ、パソコンをやっている子に親が怒ってプレステ、パソコンを破壊してしまった!子は破壊することを親に教わったと信じるようになる。

儒教では「男女七歳にして同席せず」と言ったのは当時、男女混合で性風俗が乱れたから区別したのが時代が下れば差別となる。イスラム教では昔、火力が不十分で生豚肉を食して食中毒になることから豚を食べないよう教えたことが時代が下れば豚が穢れているとなる。つまり元々の主旨を辿れば淫乱禁止や食中毒対策が基本であったことがいつのまにやら枝葉である物理的行為が”前からやっている”を根拠に基本に変質してしまうようになる。ある種、前からやっている既成事実を繰返すのは動物的本能ではあるが人類すべてが愚者の経験を繰返しておったなら、霊長類として地上に君臨することなく今も樹木の上で裸で暮らしておっただろう。

1 宗教史観
開祖の孔子は、弟子に死後の世界を聞かれて「死んでないからわからん」と素っ気なく答えていることから儒教が一概に宗教とは言い難い面はあるけれども歴史は「こうあるべき!こうなるべき!こうでなければならない!」と予め決めつけて大義名分にしてしまうところが教条的で宗教そのもの。ローマ帝国もキリスト教に乗っ取られなければ暴君ネロも名君ネロだったかも知れず。その後の植民地時代の欧米列強の帝国主義も思想的にはキリスト教的価値観を正義にして世界に強要したようなもの。歴史上の戦争、虐殺も宗教絡みがほとんどで、逆に織田信長の視点になれば宗教信仰は狂信者に見えてしまうわけであり、まさに宗教から見れば仏敵そのものであるが信長自身は宗教を嫌っていなかったようで宗教弾圧というよりも宗教の武装解除でもし日本史に信長が登場していなければ異国の宗教戦争やテロも他人事でなくオウム真理教のようなテロも新興宗教の話では済まなかったであろうよ。

2 マルクス史観
マルクスレーニン主義者は宗教は不合理な思想と嫌うようであるが人の心をも支配しようとする共産主義そのものが宗教として競合しているだけ。共産主義の理想は立派なれど人類の民度はそれほど高度なものでなく、未熟な民度で共産主義を実践しようとすれば革命で理想が実現したときに現実は理想に反比例してしまうのことを歴史が証明しておる。つまるところ原因は教条主義で前からやっていることを悪と決めつけた革命そのものが前からやっている、いつもやっている、皆やっていることが全体主義となり異を唱える者を修正主義者と教条的に批難することは宗教が異端者を排除するのと同じ。資本主義が共産主義に勝利したのは、より良きものを追及する修正を受容するからであって仮に世界が共産主義に支配されることになれば人類は、また樹木の上で裸で暮らす生活に戻ることになるだろう。マルクス史観の歴史学者が前方後円墳の遺跡を調査に来たとする地元の農民は「こりゃぁ!灌漑工事で出た土砂を集めたボタ山だよ」と幾ら説明しても学者は「これは人民を搾取して強制労働させた証拠でなければならない」と学説にする。日本では古来、馬車を使用しなかったことから海辺への土砂の陸上搬送が困難で灌漑工事が完成して水路ができてからは船で土砂を運び埋め立てするようになり、古墳時代が終わったというのが実状である。

3 東京裁判史観
歴史は勝者によってつくられる。「日本は悪くなければならない」と教条的に決めつけて裁くことになる。中国、朝鮮と違って通常は、日本とアメリカは正規軍の戦争であって武士道、騎士道精神から敗者にも敬意を持つものであるが、アメリカは原爆を使った後ろめたさから日本は原爆を落とされても仕方ないほど悪い国でなければならないというプロパガンダに基づいたのが東京裁判史観。実際にドイツのニュールンベルグ裁判に比べても証拠がなく偏見に満ちている欧米にとっては植民地主義を破壊した日本への報復でしかない。原爆についてはサイパン・沖縄での日本軍民の抵抗ぶりから、米軍の犠牲回避のためというのも、もっともなれど素手のケンカで瀕死の相手に刃物や拳銃を使って止め刺そうとしたのは相手が悪者だからをいいわけにするのは卑劣としか言いようがない。然しながら建国200年余りの歴史のアメリカには騎士道武士道精神の土壌はなかったけれど。

中国の歴代王朝の易姓革命にしても最後は前王朝の悪政を正す繰返しである歴史は当然、勝者側のプロパガンダにならざる得ない。事実は夏の桀王も殷の紂王も名君だったが戦争に敗れただけかも知れない。必ずしも戦争は先進国が勝つとも限らないエジプトがヒッタイトに敗れ、カルタゴはローマに征服され、マヤ族はアステカ族に滅ぼされる。生類憐みの令で悪評の徳川綱吉にしても大局的には日本史上、殺人が激減したわけであり、田沼意次の重商主義も後任、老中の松平定信が賄賂政治と批判した内容も今の価値観で言えば農民だけ税金を課したのではなく町人商人からも冥加金として課税したただけのことであって当時の朱子学から卑しい商人からカネを掠め取ることはしないという思想的発想からである。因みに朱子学である儒教は商人国家であった殷を滅ぼした周王朝を模範にした政治学である。

名前:舐小路実麿 / 自宅にて / 私信 / HP
2018年01月01日 (月) 18時31分




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