軍神 ”広瀬中佐” (5096) |
- 日時:2011年10月26日 (水) 20時54分
名前:伝統
先日、NHKの「坂の上の雲」で、広瀬中佐が出ておりました。
広瀬中佐は、日露戦争において、旅順口閉塞作戦という戦いで戦死し、 その後、軍神として祀られました。
この広瀬武夫が宋の文天祥「正気歌」に倣って作ったのが、次の詩です。 宋の文天祥「正気歌」を倣って、同じく「正気の歌」を作ったのが、 幕末の藤田東湖、吉田松陰、この広瀬武夫がおります。
正氣歌 廣瀬武夫
死生有命不足論 死生命あり論ずるに足らず 鞠躬唯應酬至尊 鞠躬(註2)唯応に至尊(註3)に酬ゆべし 奮躍赴難不辭死 奮躍難に赴きて死を辞せず 慷慨就義日本魂 慷慨(註4)義に就く日本魂 一世義烈赤穂里 一世の義烈赤穂の里 三代忠勇楠氏門 三代の忠勇楠氏の門(註5) 憂憤投身薩摩海 憂憤身を投ず薩摩の海(註6) 從容就刑小塚原 従容刑に就く小塚原(註7) 或爲芳野廟前壁 或は芳野廟前の壁と為り 遺烈千年見鏃痕 遺烈千年鏃痕を見る(註8) 或爲菅家筑紫月 或は菅家筑紫の月と為り 詞存忠愛不知冤 詞忠愛を存して冤を知らず 可見正氣滿乾坤 見る可し正気の乾坤(註9)に満つるを 一氣存磅薄萬古 一気磅薄(註10)万古に存す 嗚呼正氣畢竟在誠字 嗚呼正気畢竟誠の字に在り 呶呶何必要多言 呶呶(註11)何ぞ必ずしも多言を要せん 誠哉誠哉斃不已 誠なる哉誠なる哉斃れるて已まず 七生人間報國恩 七度人間に生まれて国恩に報いん(註12)
(註2)鞠躬(きっきう) 身をかがめ敬う意味。 (註3)至尊(しそん) 天皇のこと。 (註4)慷慨(こうがい) 意気振るいて嘆き悲しむこと。 (註5)三代忠勇 楠正成、正行、正成の弟正季。 (註6)憂憤投身薩摩海 安政五年僧月照と西郷隆盛が共に錦江湾に身を投じたこと。 (註7)從容就刑小塚原 江戸千住にあり、幕末に橋本左内、吉田松陰他、 明治になり雲井龍雄が此処で処刑された。 (註8)或爲芳野廟前壁 遺烈千年見鏃痕 楠正行が後醍醐天皇の陵に拝辞し、如意輪堂の壁に鏃で 143名の名を書き連ね、「かへらじとかねて思えば梓弓 なき数に入る名をぞとどむる」の歌を題した。 (註9)乾坤(けんこん) 天と地。 (註10)磅薄(ほうはく) 充ちふさがる貌。薄は本当は石に薄の字。 (註11)呶呶(どど) くどくど駄弁をいうこと。
(註12)七生人間報國恩 湊川の戦いのとき、楠正季は討死のとき 「願はくば七度人間に生まれて以て国賊を殺サント」と 言ったという。
人の生死は天命なければ論ずる必要はない 天皇を尊び酬いるべきである
勇んで難に向って死をかえりみず 正義の為に死するのが日本魂である
赤穂義士の義 正成、正季、正行の忠勇 西郷と月照は海に身を投じ 吉田松蔭、雲井龍雄は小塚原で刑死した
楠正行は芳野の廟前で鏃を筆に変え書き残し戦死したが その心は今も残っている
菅原道真は流されても その言葉は忠愛に満ちており天を怨むことなかった
こうした正気が天地に満ちて 万古に存している
正気とはつまるところ「誠」の字である なにもくどくどいう必要はない
私はこの「誠」を守って倒れても倒れても 楠氏の七生報国を念願するものである。
<参考Web:広瀬武夫 正気歌> http://www.sakanouenokumo.com/seikinouta.htm
<参考Web:連吟「正気の歌」廣瀬武夫> http://www.youtube.com/watch?v=JEIHZmp9kmA&feature=related
<合掌 平成23年10月26日 頓首再拝>
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