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本流宣言掲示板


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親日国ブータンの品格 (5393)
日時:2011年11月18日 (金) 22時20分
名前:伝統

昭和天皇崩御の際、大喪の礼に参列した先代のブータン国王が、
下記のような逸話を残している。


1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が、
昭和天皇の大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で数人の供を連れて来日した。

他の国の首脳の多くが日本から経済的な協力を得るために、
葬儀の前後に日本政府首脳と会談する弔問外交を行うなかで、
ブータン国王はこうした弔問外交を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。

新聞記者が理由を尋ねると、国王は、
「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」
と答えた。また、同年には1ヶ月間も喪に服した。

       <合掌 平成23年11月18日 頓首再拝>

超親日国 (5396)
日時:2011年11月19日 (土) 04時45分
名前:伝統

ブータンは知る人ぞ知る超親日国。

その由来は、容姿が非常に似ていることもあるが、
一人の日本人の活躍がきっかけとなっている。

1964年、農業生産高が非常に少ないブータンに、国際協力事業で一人の青年が訪れた。
西岡京治氏である。

かれは文字通り“無私”の貢献を、28年間ブータンのために行った。
それによりブータンの農業生産は飛躍的に伸び、人々の生活は驚異的に改善された。

その貢献を評価したブータン国王から、
「ダジョー」(最高に優れた人)という称号を贈られたのである。

その後もブータンのために働いた西岡氏は、病に倒れブータンで息を引き取った。
文字通り、ブータンの地に骨を埋めたのである。

葬儀はブータンの農業大臣が葬儀委員長をつとめる国葬であった。

彼の業績をブータンの人々は今も忘れていないのである。

・・・

今年の東日本大震災に対しても、ブータン王国は供養祭を執り行うとともに、
義援金100万ドルを贈ってくれている。




*西岡京治氏の具体的な活動・業績については、次のWebのP56で確認できます。
 なお、このWebでは、GHN(国民総幸福量)や、ブータン国の詳細についても
 確認できます。

 http://www.waseda.jp/w-com/quotient/publications/pdf/wcom420-421_02.pdf

       <合掌 平成23年11月19日 頓首再拝>

幸せの王国ブータンと”ダジョー西岡京治” (5407)
日時:2011年11月20日 (日) 00時15分
名前:伝統

(1)ブータンは、インドと中国にはさまれた世界唯一のチベット仏教国家です。
   国土の一部を、隣国の中国に占領されたままになっております。

   国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)という概念や、さまざまな環境政策、
   伝統文化保持のための民族衣装着用など、非常に特色のある国でもあります。

(2)日本とブータンの共通性

  @どちらも、モンゴロイドであるとうことだけでなく、顔立ちや民族衣装が、
   日本の縄文時代のものと酷似しています。

   ブータンの民と日本人というのは、遠い遠い親戚なのかもしれません。

  A共通的な特性

   家族、誠実さ。
   そして名誉を守り
   個人の希望よりも

   地域社会や国家の望みを優先し、
   また自己よりも公益を
   高く位置づける強い気持ち

(3)ダジョー西岡京治

  @昭和33(1958)年、大阪府立大学農学部に、ある依頼がありました。
   「ブータンに、日本の農業専門家を派遣してほしい」というのです。

  Aブータンという国は、ある意味、非常に閉鎖的に伝統を重視する国家なのであって、
   そういうところで民衆に溶け込んで、農業指導をする。
   これはたいへんな仕事です。

   ブータン王国で農業指導をするためには、ブータンの人々の生活の中に溶けこみ、
   「あの人のいうことなら間違いない」という人としての信頼を勝ち得ないといけないのです。
   ただ頭ごなしに技術を「教えてやる」方式では、絶対にうまくいかない。

  Bブータンの首相から直接依頼を受けた同大学の中尾佐助助教授は、たいへんな依頼を
   請けたと思うとともに、「あの男なら!」と、すぐにピンとくる者がいました。
   それが、同学部の学生であった「西岡京治」(当時25歳)です。

   性格が、穏やか。しかも謙虚。友誼に篤く誠実で努力家。
   根気と忍耐が予想されるブータンでの生活に最適な男は、西岡京治しかいない!

   彼は二つ返事でブータン行きを承諾します。

  C昭和39(1964)年2月、海外技術協力事業団(現・国際協力事業団)から、
   西岡に、正式な派遣決定の通知が届きます。
   西岡は、新妻の里子を伴って、その年の4月に、ブータンに飛びます。

   西岡が、妻を伴ったということは、彼自身に、妻を愛する心と、
   ブータンに骨をうずめる覚悟があった、ということです。

  D最初は、非常に苦労したようです。

   農業局は、局長も職員もすべてインド政府から派遣されたインド人です。
   彼らは、自分たちこそがブータンの農業事情を一番知っている、ブータンの農民は
   遅れていて因習深く、何を言っても始まらないと、ハナから西岡をとりあいません。

   西岡は、めげそうになる心を振り絞って、政府に働きかけ、ようやく農業試験場内で、
   60坪ほどの土地を提供してもらいます。
   そこは、ひどく水はけの悪い土地でした。

   西岡が派遣された目的は、農業指導です。
   荒れ地で、ひとりで栽培をしても、それでは意味がない。

   それでも西岡は、そこでなんとか頑張ろうと、農業局にブータン人の実習生を要求します。
   ようやく許可が出て、西岡に実習生がつけられた。
   その実習生は、なんと12〜3歳の子供が3人!

   ここまでされたら、ふつう、怒るかあきらめるかします。
   事実、いろいろな国から派遣された指導員は、それで怒って帰国している。

   ところが西岡は、笑顔で少年たちと土を耕し、樹木を抜き、水利を図って、
   日本から持ち込んだ大根の栽培を開始します。

   畑の耕し方、種の蒔き方、土のかけ方、ひとつひとつを西岡は少年たちに実演し、
   一緒になって大根を育てた。

   3ヶ月後、それまでみたこともないような、おおきな大根が育ちます。

   野菜の栽培は、到底無理、と思われる荒れ地で、西岡は見事に野菜の栽培に成功して
   みせたのです。

  E西岡の成功を喜んだブータン政府は、翌年、試験農場を水はけのよい高台に移して
   くれます。農業局ではなく、もっと上が動いてくれたのです。耕作地面積も、3倍です。
   水利がよければ、野菜はますます育ちます。

   西岡の農場は、狭いけれど、青々とした野菜が見事に育った。
   噂が噂を呼びます。
   ブータンの知事や議員たちも、西岡の試験農場に視察に来ます。

   感動したある議員の提案で、西岡は、ブータン国会議事堂前で、
   試験場で栽培した野菜を展示します。これが、大評判となります。
   みたこともないほど肥えた野菜です。しかもおいしい。みずみずしい。

   噂が噂を呼び、ついには国王陛下から、もっと広い農場用地を提供するという申し出を
   いただきます。

   後に西岡は、このときの模様を「ブータンに来て、これほど嬉しいことはなかった」と
   語っています。

   国王から提供された農場は「バロ農場」と名付けられます。
   「バロ」というのは地名で、ここには、ブータンに仏教を伝えたパドマサンババが
   空飛ぶ虎の背から降りてきたという伝説が残っているところです。

   ただし、ここは標高2200メートルの高地です。

   そして西岡のバロ農場は、その後のブータンの農業近代化を一気に加速することになる。
   まさに、空飛ぶ虎の背(飛行機)から降りてきたバドマサンババ(西岡)が、
   ブータンの人々の生活を一変させる事業が行われることになります。

  F昭和46(1971)年、西岡は、この高地で、米作りに挑戦します。
   日本では田植えというと、縦と横を一定間隔で植える並木植えがあたりまえの習慣ですが、
   当時のブータンでは、勝手気ままな植え方をしていました。

   西岡は、村人たちと再三、並木植えについて相談を持ちかけ、何とか「やってみよう!」
   といってくれる農家が現れたのだけれど、もし、並木植えで収穫量が上がらなければ、
   西岡の信頼は一気に失われます。

   西岡は祈るような気持ちで、稲の生育を見守りました。

   結果、並木植えの田は、従来型の雑多な植え方の田と比べて、なんと40%もの増産!!

   村人達は、驚き、喜び、バロ盆地では、数年のうちに約半数が、西岡が持ち込んだ
   並木植え栽培をはじめます。

   この農法はいまではブータンに広く普及し、ブータン王国の8割の田が、
   並木植えになっている。

  G1970年、西岡は、国王の命によって、シェムガン県の開発に従事します。
   この地は、貧しいブータンの中でも最貧地区・・・というより極貧地区です。

   しかし、いきなり「よそ」からやってきた西岡の言うことなど、誰も聴きません。
   ただでさえ貧しい。ようやっと食べている。

   先祖伝来の農法を変えることで、万一、収穫が落ちたら、
   村人たちは飢え死にしてしまうのです。

   西岡の村人たちとの話し合いは、なんと800回に及びます。
   西岡は根気強く村人たちを説得した。

   西岡はこのとき、無理に近代化を行うのではなく、
   あくまで彼らの「身の丈にあった開発」を進めます。

   そして村人たちと共同で、60ヘクタールもの広大な水田を作った。
   西岡が来る前までの水田は1〜2ヘクタールです。50倍の規模です。

   同じ人数、同じ労働力、同じ土地で、焼畑農業で農地を転々とさせるのではなく、
   水路を引き、道を作り、橋を架け、広大な定置農地を確保したのです。

   その広大な農地に、満面の稲が稔ります。
   ものすごい収穫高です。

   極貧地区は、またたく間に生活が安定します。子どもたちが喜ぶ学校もできます。
   診療所もできた。村人たちは、定住することができるようになり、生活も安定します。

   西岡たちが村を去る日、集まった全員の村人たちは、
   「はじめに西岡さんが言ってくれた通りになった」と、
   涙を流しながら西岡たち一行を見送ったといいます。

  H昭和55(1980)年、西岡は長年のブータン農業への貢献を評価され、
   国王から「ダショー」の称号を受けました。

   「ダショー」というのは、ブータン語で「最高に優れた人」という意味です。
   この位は、最高裁の判事クラスしかもらえない称号です。
   ブータンでは最も栄誉ある顕彰です。

   このとき西岡、47歳。
   そしてその後も12年、西岡はブータンにとどまります。

  I平成4(1992)年3月21日、西岡はブータンにて逝去。

   ダショー・西岡の葬儀は、妻と娘の到着を待って、同月26日に行われました。
   それは、農業大臣が葬儀委員長を務める国葬でした。

   ラマの僧侶の読経が山々にこだまします。
   葬儀には、西岡を慕う5千人もの人々が、ブータン全土から集まりました。

   ブータンは、国をあげて西岡に感謝の心を捧げてくれたのです。

(4)西岡京治が、ブータンで成功したのは、
   彼が性格が穏やかで、謙虚で、友誼に篤く誠実で努力家だからです。

   世界ではどこの国でも、そういう人が尊敬されるのです。

   西岡京治をはじめ、かつて日本人は、礼儀正しく、人にやさしく、
   高次元の国家観と正義感、道徳心を持っており、高い教育によって築かれていたのです。

   *以下のWebから抜粋・要約いたしました。

    ダショー西岡の貢献 
    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1374.html
    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-916.html

       <合掌 平成23年11月20日 頓首再拝>

ブータン国王 演説(抜粋要約版) (5416)
日時:2011年11月20日 (日) 19時38分
名前:伝統


(1)演説の機会を与えていただき、感謝いたします。

(2)ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、
   何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。

(3)3月の壊滅的な地震と津波のあと、大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、
   日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、
   ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。

   そのときからずっと、大災害から復興しなければならない日本国民に対する
   私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。

(4)いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。
   しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、
   それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。

(5)皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。
   我々の物質的支援はつましいものですが、
   我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。

   ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると
   考えてまいりました。

(6)2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。
   ブータン国民は、何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを
   誇らしく見ていたのを知っています。

   日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、
   以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。

   日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。

   このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、
   強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。

(7)世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、
   歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、
   そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。

   知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると
   認識してまいりました。

   それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。

   皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。

   他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう
   事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを
   持って対処されました。

   文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、
   我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。

(8)その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。
   卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。

   偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。
   他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。

(9)ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。
   言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人で
   あり続けます。

   日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。
   それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、我々とともに働いてきてくれた
   日本人の方々の、ブータン国民へのゆるぎない支援と善意に対し、
   感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。

(10)改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。

   ご列席の皆様。簡単ではありますが、
   (英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。

   「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」

   ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。

   小さな祈りですけれど、

   『日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験し
   そしてこれからも繁栄を享受されますように』

   という祈りです。

   ありがとうございました。

   <参考Web:日本は歴史を通じてあらゆる逆境から繰り返し立ち直った>
      http://yoshiro.tea-nifty.com/yoshiroteaniftycom/2011/11/post-5cbb.html

       <合掌 平成23年11月20日 頓首再拝>

プータン国王のメッセージ (5428)
日時:2011年11月21日 (月) 20時08分
名前:伝統

プータン国王ご夫妻は、日本全国を爽やかな旋風を巻き起こして
昨日、6日間の滞在日程をこなし、離日いたしました。

おそらく、日本国民お一人お一人が、プータン国への愛着を持たれたことと思います。
また、心ある日本国民の中には複雑な思いを心深く刻まれた人もおられると推察しております。


以下に、6日間滞在時で、印象に残る部分をまとめておきたいと思います。

(1)慶應義塾大学での講演では

   「あなたが人生を振り返ったときに、後悔なく満たされていて幸せであることを祈ります」

   「多様で変化の激しい世界で明らかに感じるのは、個人一人ひとりが孤立しつつあると
   いうことです。携帯電話のようなコミュニケーションツールが発達する一方で、
   自然で親密な人間の絆は失われています」

   <参考Web:ブータン国王夫妻、大忙しの一日>
          http://www.youtube.com/watch?v=yTsBSwjPl8M&feature=related

(2)国会での演説

   「(ゾンカ語での祈り)

   天皇陛下と皇后陛下が健康と幸福を享受されますように。
   美しい日本そして日本国民の上に平和と安定、繁栄の太陽が永遠に降り注ぎますように」

   <参考Web:ブータン国王陛下>
   http://sanjoutei.blogspot.com/2011/11/1-3-201125-3-70-httpthanks2happiness.html

   <参考Web:多くの日本人が心を打たれ思わず涙 ブ−タン国王(全21min)国会11/17 >
          http://www.youtube.com/watch?v=-h5CzvtJky8&feature=related

(3)皇居での歓迎式典

   <参考Web:皇居でブータン国王夫妻の歓迎式典 >
          http://www.youtube.com/watch?v=d7YRKiMUwhs&feature=related

   <参考Web:ブータン国王夫妻を招いて宮中晩餐 >
          http://www.youtube.com/watch?v=FEgyslher-U&feature=related

(4)被災地での福島の子どもたちへの励まし

   「皆さんは竜を見たことがありますか?
   私はあります。

   みなさんの中に人格という竜がいます。
   竜は『経験』を食べて大きくなります。
   年を取って経験を積むほど竜は大きく強くなります。

   だから、竜は日増しに強くなるのです。

   皆さん、自分の中の竜を大切にし、その竜を養ってください。」

   <参考Web:ブータン国王、福島の子どもたち励ます>
          http://www.youtube.com/watch?v=NsfN13SfsyY&feature=related

   <参考Web:ブータン国王夫妻、被災児童と交流>
          http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111121/dst11112109240006-n1.htm

(5)京都への訪問

   <参考Web:2011/11/19 ブータン国王夫妻 京都 >
          http://www.youtube.com/watch?v=Cr-nz0AECnQ&feature=related

   <参考Web:ブータン国王夫妻京都へ 和傘さし金閣寺を訪問(11/11/19)>
          http://www.youtube.com/watch?v=ei5i7mCxO-c&feature=related

(6)11月20日、ブータン国王夫妻、離日

   「ブータンの人は以前から日本を愛しているが、今回の訪問でそれが10倍になった」
   と応えた。


(7)全体を通して

  @宮内庁によると、国王は「今回訪日した主な目的は、被災者と心を一つにすること」と
   応じたという。

  Aブータンというのは英語での国名で、現地の言葉では「ドゥク ユル」、
   電龍の国という意味を持つのだそう。
   (今回の王妃陛下の民族衣装にも白い龍が描かれておりました)

  B来年は「辰年」。
   龍のように力強いメッセージで日本の復興を応援してくれるブータンは、
   これからもブームが続きそうです。


  <参考Web:つれづれなるままに >
         http://plaza.rakuten.co.jp/pinkladylove/diary/201111210000/

  <参考Web:ブータン国王夫妻帰国の途 >
         http://zara1.seesaa.net/article/236125248.html

            <合掌 平成23年11月21日 頓首再拝>

ブータン国王、日本人の心を打った言葉 (5495)
日時:2011年11月28日 (月) 18時40分
名前:伝統

(1)慶応大学での講演

  @「多様で変化の激しい世界で、明らかに感じるのは、個人一人ひとりが孤立しつつある
   ということです。携帯電話のようなコミュニケーションツール発達する一方で、本来ある
   親密な人間関係の絆が失われています。

   再び絆を強めるために、お互いを思いやることから始めよう。
   基本的な人間としての価値観、共感、高潔さ、正義感、
   これらを大切にしなければなりません」

  A「Work hard , being a good human .
    (よく勉強して欲しい。でもそれ以上によい人間であって欲しい)」


(2)福島県相馬市立桜丘小学校での励まし

  @「皆さんが親しい方を亡くされたり、大変な被害を被ったりして非常に困難な生活を
   強いられたということを痛感しております」

  A「龍が存在すると思っている人は手を挙げて下さい。   ありがとう。

   じゃあ、龍の存在を信じない人は?         ありがとう。

   私は見たことがあります。本当です。
   王妃も見たことがありますよね?   王妃もハイと言っています。

   ここで問題となるのは、龍は何を食べて生きているのか、ということです。
   龍は何を食べていると思いますか? 」

   (子どもたちが口々に、「草!」「肉!」と答える)

   「龍は自分の体験の上に存在しています。
   私たち一人ひとりの中に存在するんです。
   ブータンの子どもたちには、自分の龍を養いなさいと言っています。

   私たちの中に人格という龍が住んでいるんです。
   年をとって経験を積むとその龍が大きく、強くなっていく。
   
   大切なことは、自分の感情とか、湧いてくるものをコントロールすることです」


(3)大津波に呑まれた原釜地区での犠牲者たちへの祈り

   「Very sorry , we are completery behind you .
    (お悔やみ申し上げます。私たちは常にあなたたちとともにあります)」


(4)国王夫妻を迎えた方々による印象

  @都内での歓迎レセプション時において
   〜日本ブータン友好議員連盟議連会長(町村信孝代議士)

   「国王陛下のご挨拶は時間にして10分ほど。国会演説同様に、被災された方へのお見舞い
   と、ブータン発展のために多くの日本人が支援したことに対してのお礼でした。

   非常に率直で、美辞麗句はありませんが胸にジンとくる、ともすれば過分なるお言葉とも
   いえる内容でした。

   異なったのは、”皆さんを抱きしめたいけれど、出来ないので私の王妃を抱きしめること
   にします”という微笑ましいジョークがあったことですね」

  A金閣寺 有馬頼底 住職の話

   「報道陣が写真を撮る際、両陛下が私に傘をさしかけて下さるなど、お心遣いも頂戴
   いたしまして、ありがたかったです。妃殿下に”今、日本では、大変お美しい、と
   大人気なんですよ”とお伝えした時にニッコリされていたのが印象的でした。
   本当にお人柄の良い両陛下でしたよ」

  B通訳として帯同したペマ。ギャルポ氏(桐蔭横浜大学教授)の話

   「国王、王妃は日本で見聞きされる様々なことに感銘を受けていらっしゃた。
   ”日本人からはたくさん学ぶことがある”と度々仰っていました」


(5)(記者による)印象

   「国王のその謙虚な態度と言葉にこそ、日本人は多々学ぶことがある」

・・・
   *以上は、週刊新潮・最新号(12月1日号)からの紹介でした。

             <合掌 平成23年11月28日 頓首再拝>

「ダジョー西岡京治」の動画 (6003)
日時:2012年01月03日 (火) 07時24分
名前:伝統

平成24年は「辰(龍)年」です。

龍の国プータン国に関するスレッド「親日国ブータンの品格 (5393) 」への
注目数が「100(三桁)」を達成致しました。

それを記念し、プータン国で活躍し、骨を埋め、プータン国に日本の技術を伝え、
プータン国と日本国の絆を強くした「ダジョー西岡」の業績の動画を紹介させていただきます。

個人的には、感動の涙を流してしまいました。

是非、正月という比較的自由な時間が確保できるこの時期に観ていただければと思います。


(1)国旗の重み 〜西岡京治物語・前編〜
   http://www.youtube.com/watch?v=xctivYQ7C14&feature=related

(2)国旗の重み 〜西岡京治物語・シェムガン開発編〜
   http://www.youtube.com/watch?v=TNvC4m1adQs&feature=related

(3)国旗の重み 〜西岡京治物語・後編〜
   http://www.youtube.com/watch?v=KITmWAvIITU&feature=related

            <感謝合掌 平成24年1月3日 頓首再拝>

心豊かな人々の国:ブータン王国 (6359)
日時:2012年01月27日 (金) 06時25分
名前:伝統

   *Web【大紀元日本11月9日】より

ブータンの国民の97%が、自分は「幸福である」と感じているという。
この「幸福」は外在の物質的な物による満足ではなく、信仰と観念による満足である。

ブータン人にとって本当の貧しさとは、他人に恵みを与えられないこと。
田畑があり、家があるだけで幸せなのだ。

仏教徒なので殺生はせず、肉類はインドから輸入している。
テーブルに上がる肉は少ないが、青菜や乳製品などで満ち足りている。

足ることを知り、必要以上に求めなければ心は自然と豊かさを保つことが出来る。
すなわち、「足るを知る者は常に楽しく、欲張ると不満を感じ易い」のだ。

ブータンには様々な呼び名がある。
国内に雪山が多いことから「東方のスイス」と呼ばれたり、
景色が美しいため「アジアの桃源郷」などと呼ばれたりする。

また、落雷や雨が多く、渓谷に囲まれていることから、
神仏に守られた「雷龍の国」であると現地の人々は信じているようだ。

環境を保護するため外国人観光客の入国は制限されており、必ず旅行会社を通す必要がある。
また、治安の悪い南部へ行くことは制限されているため、
観光できる都市やビューポイントはそれほど多くない。
このため、中部地区にあるヒマラヤ山脈の渓谷がブータンの主要な観光地となっている。

国民の環境保護意識は高く、少なくとも毎年一人あたり10本の木を植樹する。
ブータンは、世界でも数少ない、よい自然環境を保っている国のひとつといえるだろう。

国内には空港が1か所あるだけで鉄道はない。
国土の72%が森林で、26%が国立公園に指定されている。

木材の蓄積量は約6.7億立方メートルで、材木となる品種が多く概ね良質だが、
乱伐されることなく合理的に開発されている。

また、環境保護と「金儲けは少しでいい」という文化から、鉱物の採鉱も行っていない。

ブータンは物質と精神のバランスがとれた発展を目指しているため、
環境と伝統文化の保護を経済発展より重視し、「国民総幸福量」で発展基準を評価している。

「本当に良い生活とは、物質を多く享受する生活ではない。
豊かな精神と文化を持つことである」

とブータンの人々は信じている。

            <感謝合掌 平成24年1月27日 頓首再拝>

ブータンの徳、全教科で (9514)
日時:2012年05月27日 (日) 04時10分
名前:伝統

   *読売新聞(2012.5.25)教育ルネサンス〜幸せの国から
    ブータン国の教育への取り組みを紹介したします。

(1)GNH(国民総幸福)教育

  @幸せと感じる人を増やすのが目的ではない。

  A実現したいことは

   ☆足るを知る生活のバランス

   ☆自国文化への理解

   ☆環境の保全

(2)学校での徳育

  @授業は、国語であるゾンガ語を除き、どの科目も英語で教える。
   その内容には、英語を学びつつ、全ての生き物への思いやりと寛容といった
   伝統的価値観も学べるようにしている。

  A「善い面を見て付き合えば良い結果になる」という教えが埋め込まれている。

  B朝礼での読経と国歌斉唱。

  C校内の一斉清掃。

  D各授業前の短い瞑想。

   「瞑想すると子どもが落ち着き、授業に集中する」と、どの教師も効果を認めている。

  E下校前の読経。

 <参考Web:国をあげて幸福の実現を実践する国 >
        → http://kurabee.blog16.fc2.com/blog-entry-1240.html

           <感謝合掌 平成24年5月27日 頓首再拝>



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