憂いなければ備え無し (5562) |
- 日時:2011年12月04日 (日) 10時34分
名前:歴史
(4)「憂いなければ備え無し」
米国では原発防御も対テロ戦の重要な項目となっていて、 過激派に乗っ取られた航空機が原子炉に突入し、原発が全電源を喪失した事態を想定する シミュレーション訓練も定期的に実施している。
東電は福島第一原発の全電源喪失を「想定外」と言ったが、 米国で電源喪失、中央制御室の機能喪失といった非常事態を想定した訓練を行なっている ことを調べていれば、「想定外」などとは言えないはずだ。
たとえば、津波でなくとも、 某近隣諸国のテロリスト集団が日本海沿岸の原発を攻撃するという事態は、 素人でも考えつく。
これも「銃の所持は法律違反なので、想定外でした」とでも言い訳するのだろうか?
今回の津波を想定して多くの人命を救った事例もあった。 岩手県釜石市内の死者・行方不明者は約1300人にものぼったが、そ のなかで釜石市立の14の小中学校全校では、学校管理下になかった5人を除く 児童・生徒約3千人が無事に避難した。
「釜石の奇跡」と呼ばれる事例である。
これは群馬大学大学院の片田敏孝教授が市の防災・危機管理アドバイサーをしていて、 その指導で徹底した防災訓練をしていたからだった。
「備えあれば憂いなし」をひっくり返して、 「憂いなければ備え無し」と語ったのが危機管理の第一人者、佐々淳行氏だ。
今回の原発事故はまさに、この「憂いなければ備え無し」そのものであった。 危機を想定する憂いがなければ、何でも「想定外」になってしまう。
そして憂いを持たないのは、国民の安全を真剣に念じていないからである。 平和ボケの真因はここにある。
(5)「トモダチ作戦」を支えた「備え」
今回の大震災では、自衛隊と在日米軍の共同作戦である「トモダチ作戦」が 被災者救援で大きな効果をあげたが、メア氏はその舞台裏を紹介している。
__________
地震発生後に開かれたホワイトハウス、国防総省、国務省の指導部の会議では、 対日支援をすべきか否かという問いは最初から発せられませんでした。
対日支援作戦の発動は自明であり、 そのため、現場に最も早く駆けつけられる部隊は今、どこにいるかということが まず議論されました。
その時、日本の最も近い海域に展開していたのは原子力空母ロナルド・レーガンを 主力とする空母打撃群でした。
大震災発生時、東南アジア方面に向かっていた強襲揚陸艦エセックスも急遽呼び戻され、 東北地方沖に展開しました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
駆けつけた米軍は20人くらいの小部隊に分かれて被災地の孤立した地域に出動して 救援活動にあたったのだが、不意に米兵ばかりが姿を見せると、被災地住民が驚いて しまうのではないかという心配から、同行した自衛隊員が「先見要員」として避難所に赴き、 この後米軍がやってくる事を知らせるという配慮をしていたという。
__________
私はこの話を聞いて、こんな繊細な心配りを伴う共同作戦が遂行可能なまでに 日米部隊の一体運用のレベルは上がっているのだと思い、感動を覚えました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
メア氏の言う「日米部隊の一体運用」とは、平成17(2005)年10月の両国の 外務・国防トップによる安全保障協議委員会(2プラス2)で、
自衛隊と在日米軍の相互運用性の向上、共同訓練機会の増大、計画検討作業、輸送協力、 情報共有などで合意し、以来、危機に対して共同対処態勢を強化してきたことを指す。
そうした積み重ねが「トモダチ作戦」の成功につながっている、とメア氏は言う。
「憂いなければ備え無し」の政府・官僚の陰で、 自衛隊と在日米軍は、国民を護るために黙々と「備え」をしてくれていたのである。
|
|