これが危機管理というもの (5580) |
- 日時:2011年12月05日 (月) 19時01分
名前:歴史
(3)「これが危機管理というものです」
真の危機管理とは、どういうものか、 佐々氏は内閣安全保障室長在任中に体験した大島三原山噴火の際の対応を例に語っている。
昭和61(1986)年11月に大島の三原山が噴火し、溶岩が地元の町に迫った。 全島民1万人、観光客3千人の生命が危機にさらされた。
最初に、国土庁に19省庁を集めて災害対策会議が始まった。 ところが、名称を「大島災害対策本部」とするか「三原山噴火対策本部」とするか、などと、 どうでもいいようなことを議論している。
これでは埒があかないと見た佐々氏は、 即座に中曽根康弘総理に安全保障会議の設置を進言した。 これは重大な危機の発生時に各省庁の動きを一元化して、取り組むための体制である。
中曽根首相は「全責任を私が負うから、指揮しろ」と佐々氏に命じた。 佐々氏はすぐに都知事の鈴木俊一氏に、海上自衛隊出動要請を促した。
さらに島民を避難させるために、橋本龍太郎・運輸大臣の権限で、 夏しか就航しないフェリーボートなども含め、約40隻を現地に向かわせた。
国土庁の災害対策会議が終わった午後11時45分頃には、すでに島民に避難指示が出され、 午前4時までには全島民1万人、観光客3千人が船に乗っていた。
船団が東京の竹芝桟橋に向かっている間に、 東京の公立学校やYMCAなどで宿泊所を確保し、毛布や握り飯の準備が進められていた。
「これが危機管理というものです」と佐々氏は語る。
(4)国民を護ろうとする首相、しない首相
この事例を今回の大震災と比べて、改めて感じるのは、首相の姿勢の違いである。
中曽根首相は「全責任を私が負うから、指揮しろ」と佐々氏に命じた。 こうした場合の首相の役割とは、適任の人材を実務のリーダーに任命し権限を与えること、 そしてその責任をとること、の2つである。
その結果、専門家の佐々氏が辣腕を振るって、島民救助に成功したわけである。
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菅首相の姿勢はまるで逆である。専門家の意見も聞かず、自分がしゃしゃり出て、 放水の方法まで指示する。失敗しても責任はとらない。
今の政府に佐々氏に匹敵する人材がいたとしても、 こんな首相のものでは、腕を振るえるわけがない。
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姿勢の違いの根本にあるのは、政治家としての志の違いであろう。 中曽根首相の言葉からは、この危機にあたってなんとしても国民を護ろうという 意思が感じられる。
逆に菅首相の「まずは防災服に着替えよう」という言葉からは、 国民を護ろうという心はかけらも感じられない。
【 政治の根本をつきつめれば、犯罪者や災害や外敵から国民を護ることである。】
佐々氏は「治安と、防衛と、外交だけが国家の仕事である」という言葉を引用して、 それがリーダーの仕事である、と主張している。
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