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本流宣言掲示板


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クリスマス (5721)
日時:2011年12月15日 (木) 07時33分
名前:伝統

あと十日もすれば、
クリスマス(イエス・キリストの降誕<誕生>を祝う日)ですので・・


谷口雅春先生・著「光明法語<道の巻>」の十二月中旬の法語は、
イエス・キリストが説かれた真理を中心に展開されています。


十二月十日 天の使とは

  預言が出来たり、透視が出来たりすることが尊いのではない。
  それより尚尊いのは、人の子のうえに神の使たちの昇り降りすること
  即ち人間が神霊の顕現であり、「神の霊波」が昇り降りすることである。

  「神の霊波」を人格的に表現して、「天の使」と言ったのである。


十二月十一日 私のために奇蹟を求むな

  キリストは多くの奇蹟を起こした。
  しかしこれらの奇蹟は、神を試みるための奇蹟でもなく、
  自己を誇らんがための奇蹟でもなく、

  神の栄光をあらわすところの奇蹟である。

  真に公なる愛に基づく祈りが起こるならば更に大なる奇蹟を見るであろう。


十二月十二日 商売主義を排す

  イエスは神を利用して儲けるところの商売主義に反対したのである。

  神に対して商売的な功利主義で相対することは間違いである。


十二月十三日 形式主義を排す

  イエスは形式主義ではなかった。
  「つるぎを執る者は剣に滅ぶ」といったイエスも剣のほかに
  「縄の鞭」は使ったのである。

  イエスは「審判(さば)く勿れ」と教えたが、彼は激して
  形式主義のパリサイを審判いている。

  また「審判(さばき)は子にゆだね給えり」とも言っているイエスは
  生命主義者であり、生命の動く儘に振舞ったのである。


十二月十四日 みずから作る運命

  イエスには磔に架ることが自己の切なる魂の奥底の願いだったのである。
  魂の奥底の願いは必ず成就する。

  彼の生涯は若し彼があんなに神経的に他を裁かなかったならば
  十字架にかからなかっただろう点が多々ある。


十二月十五日 人を赦して眠ること

  イエスでさえも審判いたならば審判(さば)かれて十字架に架るのである。
  普通の人間が人を審判いて幸福になれる筈はない。

  多くのなかなか治らない難病は人を恨んでいる為に、又は人を赦して
  いない為に治らない。

  病める者は眠りしなに、赦していない者があればそれを思い出して
  「私は貴方を赦しました。貴方も私を赦しました。
  私はあなたに感謝しています」

  と深く念ずる事によって治るのである。

            <感謝合掌 平成23年12月15日 頓首再拝>

兄弟よ、仲良くせよ! (5736)
日時:2011年12月16日 (金) 04時59分
名前:伝統


   「生命の實相(第31巻・宗教戯曲篇上巻)」イエスの言葉より

(1)わたしがいなくとも皆仲よくしてほしい。
   わたしがいなくなっても仲よくしてほしい。

   わたしがしばらくいないうちに相争いなぐり合っているのが
   わたしの仲間であるかと思うと、わたしは情けなくなる。

   皆さん、どうぞ、これはわたしの遺言だ。
   
   わたしがいなくなっても互いに兄弟たち仲よくして道を弘めて往ってほしい。

                           (P135〜P136)

            <感謝合掌 平成23年12月16日 頓首再拝>

どんなことでもハイハイと受ける心 (5737)
日時:2011年12月16日 (金) 05時01分
名前:伝統


   *「生命の實相(第31巻・宗教戯曲篇上巻)」イエスの言葉より

(2)すべては時の力だ。
   どんなことでもハイハイと受ける心にならねばならぬ。

   麦は地に蒔かれることを拒んでいては多くの実を結ばぬ。
   地に蒔く農夫を呪ってはならぬのだ。

   一粒の麦の実が地に落ちて死ななかったらいつまでもただの一つだ。
   もし地に蒔かれてみずからの姿が崩れたとき麦は伸びて、多くの実を結ぶのだ。

   生命(いのち)を愛する者は生命(いのち)を失い、
   生命(いのち)を憎むものはかえって永遠の生命(いのち)を得るのだ。

                           (P136〜P137)

            <感謝合掌 平成23年12月16日 頓首再拝>

肉体無し (5758)
日時:2011年12月17日 (土) 06時12分
名前:伝統

   *「生命の實相(第31巻・宗教戯曲篇上巻)」イエスの言葉より


(3)わたしの肉体がこの世から去る去るのは、去って「本当のわたし」が
   みなさんの前に来たらんがためなのだ。

                           (P144)

(4)肉体の苦しみでも、魂の苦しみでもどんな罪でもことごとく摂取して
   その本来の「無」に帰せしむるのが私の役目だ。
   重荷を負える者よ我に来れ。

                           (P145)

(5)神の子は、名前を言い当てたり、八卦身の真似事をするために来たのではない。
   肉体が本来無いものだということを現わさんがために来たのだ。

                           (P166)

            <感謝合掌 平成23年12月17日 頓首再拝>

笑顔という贈り物 (5793)
日時:2011年12月19日 (月) 05時00分
名前:伝統

サンタクロースについて

子どもたちには、
クリスマスといえばイエス・キリストよりもサンタ・クロースの方が有名です。

そのサンタ・クロースですが、4世紀のトルコに実在したニコラスという司教がモデルと
言われています。ニコラス司教は貧しい人や子どもたちを助け、
後に聖ニコラス(Saint Nicholas)と呼ばれました。

その聖ニコラスをたたえるお祝いがカトリック教会によってクリスマスのお祝いと
結び付けられるようになり、17世紀になってオランダ人がニューヨークを建設した際に、
その伝統も一緒にアメリカに伝わったのです。

オランダ語では「Sinterklaas」と呼ばれていましたが、
アメリカで英語的な発音になおされて「Santa Claus」→「サンタ・クロース」と
なったのです。


<Web(You tube):あわてんぼうのサンタクロース>
http://www.youtube.com/watch?v=c46KaPQbQKg&feature=related


・・・サンタクロースと言えば、贈り物ですが、笑顔も大切な贈り物になります。

《クリスマスの笑顔》

    *1933年ニューヨークのオッペンハイム・コリンズ社クリスマスセール広告
     (フランク・アーヴング・フレッチャーの哲学)より 

元手が、いらない。
しかも利益は膨大。

相手に与えても減らず、しかし与えられた者は豊かになる。
ほんの少し見せれば、その記憶は永久に続くことがある。

どんな金持ちもこれなしでは豊かになれない。
どんな貧乏人もこれによって豊かになる。

家庭に幸福をもたらし、商売の成功をより近付ける。
友情の合言葉でもある。

疲れたものにとっては休養、失意の人にとっては光明、
悲しむものにとっては太陽、悩める者にとっては自然の解毒剤となる。

盗むことも、 強要することも、買うことも、借りることも出来ない。
無償で与えて始めて値打ちが出る。

クリスマスセールで疲れ切った店員のうち、
これをお見せしない者がございました節は、
恐れ入りますが、お客様の分をお見せ願いたいと存じます。

笑顔を使い切った人間ほど、笑顔を必要とする者はございません。


《THE VALUE OF A SMILE AT CHRISTMAS》

It costs nothing,
but creates much.

It enriches those who receive,without impoversihing those who give.
It happens in a flash and the memory of it sometimes lasts forever.

None are so rich they can get along without it,
and none so poor but are richer for its benefits.

It creates happiness in the home,fosters good will in a business,
and it the couintersign of friends.

It is rest to the weary,daylight to the discouraged,
sunshine to the sad,and Nature's best antidote for trouble.

You it cannot ve bought,begged,borrowed,or stolen,
for it is something that is no eartyly good to anybody till it is given away.

And if in the last-minute rush of Christmas buying
some of our salespepole should be too tired to give you a smile,
may we ask you to leave one of yours?

For nobody needs a smile so much as those who have none left to give!

            <感謝合掌 平成23年12月19日 頓首再拝>

天国に入るには、 (5807)
日時:2011年12月20日 (火) 06時38分
名前:伝統

マタイによる福音書 19章23〜24節には…

イエスは弟子たちに言われた。

「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
重ねて言うが、金持ちが天の国に入るよりも、
らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」


   ・・・ここでの「針の穴」とは、

古代のエルサレムは、城壁に囲まれ、旅人が都市に入る
ときはその城門を通って中に入りました。

ラクダを引き連れて歩く商人なども、その城門を通ることになります。
 
ところが、この城門は夜になると閉められてしまいます。
しかし、城門が開いている時間に間に合わず、都市に入れない旅人もいたようです。

そこで、夜でも人が入れるように、城門の横に人が一人通れる程の、狭い門がありました。
これが、『針の穴』です。

その門は、ラクダの荷物を全部おろさなければ、通ることができません。
お金持ちは、お金や物に執着しているので、つまり、物欲が強いので、
イエスはそれをたしなめて言ったようです。

これで、必ず問題になるのが「らくだが針の穴を通ること」は
「可能」か「不可能」かという点です。

「可能」であると解釈する人々がいます。

ただし、その解釈には特殊な手続きが必要です。

エルサレムの「針の穴」は、狭く窮屈なので、ラクダは荷物をおろし、
身をかがめて通る必要がある。しかし、全く通れないわけではない。

求められるのは頭を下げること、すなわち謙虚な態度で通ることである!と。

素直になり、謙虚になり、感謝を深めなさい!
とイエスが言っていると、解釈できるようです。

また、荷物をおろし身軽になることにより、この「針の穴」を通ることから、
執着を手放しなさい!と言うことにもつながります。

金持ち(金持ちを含めたすべての人間)は、物欲を抱えたままでは、
天国へは入りることは叶わないが、

心の世界で物欲という荷物を降ろし、すべての執着を手放し、素直になり、
謙虚になり、感謝を深め、愛の心を起こすことで、
天国に入ることができるということを言っているようです。

<参考Web:針の穴をラクダが通る…? >
       http://blogs.yahoo.co.jp/the_precious_7flags/22147186.html

            <感謝合掌 平成23年12月20日 頓首再拝>

サンタさん ありがとう (5849)
日時:2011年12月22日 (木) 04時40分
名前:伝統


     *『涙が出るほどいい話』(第1集)河出文庫(P17〜18)より
 

  私が父を亡くしたのは、小学校へ入学したばかりの春でした。

  オートバイで土手を走っていて、歩いている人をよけようとして
  ハンドルをあやまり、オートバイごと転げ落ちてしまいました。

  お酒を飲んでいたのです。

  そして不運にも相手の人をも巻き込んでしまったのです。

  二人とも瀕死(ひんし)の重症を負い、打ち所が悪かった父は3日後に亡くなり、
  相手の方がなんとか助かったのだけがせめてもの救いでした。


  一家の大黒柱を亡くした我が家は、
  幸せの絶頂から奈落(ならく)の底へと落ちてしまいました。

  耳の不自由な祖母は、何かの役に立とうと腰を二つに折りながら畑仕事に精を出し、
  母は一家を支えるために早朝から夜遅くまで機(はた)を織(お)る。


  そんなころ、毎年クリスマスになると、
  大きなケーキとプレゼントが届くのを楽しみに待っていたものでした。

  その贈り主が、父が交通事故に遭(あ)わせてしまった人からだと知ったのは、
  何年もしてからでした。

  自分も瀕死の重傷を負いながら、こんな形で見守ってくださっていたとは…。

 
  人を思いやるやさしい気持ちを感謝しました。
  父や母の友人、近所の方々も温かく見守ってくださったからこそ、
  明るい気持ちで生活できたのだと思います。

 
   (ここまでが、「サンタさん ありがとう」からの引用でした) 


交通事故の患者さんで被害者意識が強い人は治りにくいと言われます。

交通事故で、しかも酒酔い運転で、相手から重症を負わされたとしたら、
その人を許す人など皆無に近いでしょう。

特に昨今は皆、被害者意識が強く、その傾向は顕著(けんちょ)ですので、なおさらです。

しかし、相手を非難し、呪(のろ)い、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせ、
相手を、「一生許さない!」と、そのことだけに執念を燃やし、膨大(ぼうだい)な時間を
費やすのは、あまりに、つまらない人生になってしまいます。


相手を『許す』、この語源は『緩む』と言われております。

許せないとなるならば、緩まないという状態が続きます。
心も身体も緩まないでいると…病んでしまいます。


この話「サンタさん ありがとう」は、『許す・赦す』『感謝』
そして『愛念』の大切さを示唆しているのではないでしょうか。

            <感謝合掌 平成23年12月22日 頓首再拝>

『許す・赦す』『感謝』『愛念』 (5850)
日時:2011年12月22日 (木) 04時43分
名前:伝統


以下に、谷口雅春先生著「生命の實相<第22巻/聖語篇>」から
『許す・赦す』『感謝』『愛念』に関する言葉を紹介します。

(1)憎みや怒りは生命の摩擦である。摩擦は力の浪費である。
   感謝の心は生命に油を差す。    <聖語篇P14>

(2)なんじら憎みのパン種で膨らしたパンを慎めよ。
   それは美味しく見えても食べる者の心を憎みで膨らますのだ。
                    <聖語篇P40>

(3)一つの憎みは十人の憎みを招び、
   一つの愛念は百人の愛念を招ぶ。   <聖語篇P70>

(4)感謝は実に絶大な力である。
   それは与えられた事物に対する受け身の力だけはなく
   積極的な創造力である。       <聖語篇P46>

            <感謝合掌 平成23年12月22日 頓首再拝>

クリスマスの使者 (5901)
日時:2011年12月24日 (土) 20時04分
名前:伝統

【サンタさんは、(今日)16時に出発しました】

北アメリカ航空宇宙防衛司令部。
アメリカとカナダが共同で、宇宙空間を観測監視し、宇宙からの
さまざまな脅威から北米を守るべく、日夜活躍しています。

その監視網は、節穴ではありません。
クリスマス・イヴの日になりますと、空を飛ぶサンタさんが、
当然、その監視網にキャッチされるとのこと。

今どの辺を飛んでいるのか、インターネットに発表されます。
こちらでご確認ください。

サンタ カメラ
http://www.noradsanta.org/

(「サンタ カメラ」をクリック)


・・・クリスマス・イブ・ソングでちょっと一息

クリスマスイブ 山下達郎
JR東海 X'mas Express 歴代CM 1988年〜1992年
http://www.youtube.com/watch?v=ZGu7SGxNWyo&feature=related

ChristmasEve・TatsuroYamashita
http://www.youtube.com/watch?v=q7s43uYKZ28&feature=related


・・・以下は、「心のチキンスープ」からの紹介です。

 ”クリスマスの使者”
             
去年のクリスマスはとてもつらかった。
家族も親友も、遙か遠い故郷のフロリダにいた。
私は一人、寒いカリフォルニアで働き続け、体調も崩していた。 

私の職場は、航空会社のチケットカウンター。
その日はクリスマス・イヴ。

私は昼夜のダブルシフトをぶっとおしで勤務していたが、夜も9時
をまわり、内心みじめでならなかった。
当番のスタッフは2、3人いたものの、乗客の姿はまばらだった。

「次のお客様、どうぞ」カウンター越しに声をかけると、
柔和な顔をした老人がつえをついて立っているのが見えた。

老人がそろりそえろりとカウンターまで歩いてくると、
聞き取れないほどの小声でニューオリンズまで行きたいといった。

「今夜は、もうそっちへ行く便がありません。明日までお待ちいただくことになりますが」
と言うとその老人はとても不安げな顔になった。

「予約はしてあるのですか」「いつ出発のご予定だったのですか」などと聞いてみたが、
聞けば聞くほどいよいよ困った様子で、ひたすら「ニューオリンズに行けって言われたから」
と繰り返すばかり。

そのうち、いくつかのことがわかってきた。
老人はクリスマス・イヴだというのに、義理の妹に「身内のいるニューオリンズに行きなさい」
と車に乗せられ、この空港の前で下ろされたらしい。

彼女は老人に現金をいくらか持たせ、
「中へいってこれで切符を買いなさい」と行って立ち去ったのだ。

私が「明日もう一度来ていただけますか」と聞くと、
「妹はもう帰ってしまったし、今晩泊まるところもない。このまま、ここで待つことにします」
と言った。 

これを聞いて、私は自分が恥ずかしくなった。
私はクリスマスの夜にひとりぼっちの我が身を憐れんでいた。

でも、クラレンス・マクドナルドという名の天の使者が、こうして私の元につかわされ、
ひとりぼっちとはどういうことか、本当の孤独とはどんなものかを教えてくれている。
私の胸は痛んだ。

私はただちに「ご安心ください。万事うまくやってあげますからね」
と彼に伝え、顧客サービス係に明朝一番の便を予約してもらった。

航空運賃も年金受給者用の特別割引にし、差額は旅費の足しにしてあげることができた。

一方、老人はくたびれ果てて立っているのも辛そうだ。
「大丈夫ですか」とカウンターの向こうに回ってみると、片脚に包帯を巻いている。

こんな脚で、衣類をぎっしり詰め込んだ買い物袋を下げて、ずっと立ちつくしていたのだ。 
私は車椅子を手配し、みんなで老人をその車椅子に座らせたが、見ると足の包帯に少し血が
にじんでいる。

「痛いですか」と聞くと、老人は「心臓のバイパス手術をしたばかりでね。
そのために必要な動脈を脚から取ったんだよ。」

なんということだ!
老人は心臓のバイパス施術を受けたばかりのからだで、付き添いもなく、たった一人で!

こんな状況に出くわしたのは初めてだった。
なにをしてあげたらいいのだろう。

私は上司の部屋に行き、どこかに老人を泊めてあげてほしいと相談した。
上司はすぐさま、ホテル一泊の宿泊券と夕食と朝食の食事券を出してくれた。

カウンターに戻った私は、ポーターにチップを渡して
「この方を階下までお連れして、シャトルバスに乗せてあげて」とたのんだ。

車椅子の彼の上に身をかがめて、ホテルのこと、食事のこと、旅の段取りを今一度説明
しながら、彼の腕をとんとんと叩いて励ました。

「すべてうまくいきますからね。」

いざ出ていく段になると、老人は「ありがとう」と頭を下げて、泣き出した。
私ももらい泣きしてしまった。

あとになって、上司の部屋に礼を言いに戻ると、彼女はほほえんでいった。

「いいわねえ、こういう話。
その人は、あなたのためにやってきたクリスマスの使者だったのよ。」 
 
        <感謝合掌 平成23年12月24日 頓首再拝>

”神の子”があなたに新たに降臨する日 (5908)
日時:2011年12月25日 (日) 05時02分
名前:伝統

”マザー・テレサ日々のことば(12月25日)”

  クリスマスの日、
  私たちは、
  か弱く、貧しく、
  幼い乳飲み子としてのイエス様を見ます。

  彼は、愛し、愛されるために来られました。
  私たちは今日の世界で、どのようにして
  イエス様を愛することができるのでしょうか?

  私の夫に、私の妻に、
  私の子供たちに、
  私の兄弟や姉妹に、
  私の周りの人たちに、
  そして貧しい人たちの中におられるイエス様を、
  愛することによってできているのです。

  さあ、ベツレヘムの
  貧しい飼い葉おけの周りに集いましょう。

  そして、私たちが日々出会う
  全ての人の中におられるイエス様を
  愛することを固く決心しましょう。

  メリー・クリスマス!

・・・

キリストの誕生
http://www.youtube.com/watch?v=uuVRKvav0v0&feature=related

・・・

”神の子”があなたに新たに降臨する日

  *谷口雅春先生・著「神と偕に生きる真理365章」(P−339)より

クリスマスに臨んで、私は諸君に宿る”神の子”を祝福し、
その健康と幸福の源泉に燃燈(ともしび)を点ぜんことを願うのである。

今日、この日”神の子”は新たにあなたの内に自覚され、あなたは新生したのである。

神はこの日あなたを祝福して
”神の子よ、われは汝に完全なる健康を送る。われは汝の健康の本源である”
と宣言したのである。

”神の子よ、われ汝に平安を送る。われは汝の平和の基(もと)である”
”神の子よ、われは汝に、なくてはならぬすべてのものを裕(ゆた)かに送る。
われは汝のあらゆる供給の本源である”

”神の子よ、われは汝のいだく希望の本源である。
それゆえにわれは汝を祝福して必ず希望を成就せしめるのである”

”神の子よ、われは汝の生活の光であり、生活を導く燈台である。
その燈台の光に照らされ汝は今より後迷うことも躓くこともなし”
と宣言したまうのである。

まさにこれこそ、真のキリストの降誕である。

しずかに坐して神想観してこれらの神の宣言のことばを、繰り返し、繰り返し、
心の内に深く強く念ずるならば、

この神が”神の子”祝福して宣言せられた言葉の通りに、

あなたは健康となり、魂は平安を得、生活は無限供給を得て裕(ゆた)かとなり、
希望は成就し、今より後迷うことも躓くこともなくなるのである。

既にキリストは諸君の中に降誕したまえり!!

            <感謝合掌 平成23年12月25日 頓首再拝>

「生命の種」 (5932)
日時:2011年12月28日 (水) 07時16分
名前:伝統


    *谷口雅春先生・著「生命の實相」(第22巻聖語篇)より

(1)生命の種子

   キリスト教のみが善いと思うな。仏教のみが善いと思うな。
   天理教のみが善いと思うな。金光教のみが善いと思うな。
   黒住教のみが善いと思うな。

   生命の種子(たね)は、いずれも相応(ふさわ)しき地に落ちて万花を開くのである。

   生命の種子はミチ(遍満の光明)にして、人を通じてあらわれるとき生活となり、
   虹のように七色に分光してそれぞれの教えとなる。

   紫の光が紅の光を笑わば、紅の光は紫の光を笑うであろう。
   紫の光が紅の光を讃えれば、紅の光は紫の光を讃えるであろう。(P28)
 
(2)本当に生きるとは 

   キリストは肉体を十字架にかけた時、本当に生きたのである、
   肉体は無いと抹殺しないものは本当の生命を生かしていない。
   「十字架を負うて我に従え。」               (P11)

            <感謝合掌 平成23年12月28日 頓首再拝>



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