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天皇一元〜『大義』(軍神・杉本五郎中佐遺著)から (980)
日時:2011年05月05日 (木) 12時51分
名前:伝統

(Webから、杉本五郎中佐の情報を集め、まとめてみました)

日本人として生きる上において、精神的基盤となる本が2冊あるとし、それは、
杉本五郎中佐遺著『大義』と谷口雅春編著『天皇絶対論とその影響』であると
唱える人がいます。

<参考Web『大義』: http://shikisima.exblog.jp/279645 >


(1)杉本中佐の家訓

   聲高ラカニ唱ヘヨ 我等ハ 陛下ノ 股肱ナリ

   (昭和十一年十二月一日 中隊長)

(2)杉本五郎中佐がご子息に遺された言葉

   「汝、吾を見んと要せば、尊皇に生きよ、尊皇精神ある処、常に我在り」

第一章 天皇 (981)
日時:2011年05月05日 (木) 12時53分
名前:伝統

  @第一章 天皇

   天皇は、天照御大神と同一身にましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統治の最高神。

   國憲・國法・宗教・道徳・學問、藝術乃至凡百の諸道悉皆(しっかい) 
   天皇に歸一せしむるための方便門なり。

   即ち 天皇は絶對にましまし、自己は無なりの自覺に至らしむもの、諸道諸學の最大使命なり。

   無なるが故に、宇宙悉く 天皇の顯現にして、大にしては上三十三天、
   下奈落の極底(ごくてい)に貫き、
   横に盡十方に亘る姿となり、小にしては、森羅万象 天皇の御姿ならざるはなく、
   垣根に喞(すだ)く虫の音も、そよと吹く春の小風も皆
    天皇の顯現ならざるなし。

   釈迦を信じ、「キリスト」を仰ぎ、孔子を尊ぶの迂愚(うぐ)を止めよ。
   宇宙一神、最高の眞理具現者、天皇を仰信(こうしん)せよ。萬古 天皇を仰げ。

   日本臣民は自己の救濟を目的とせずして、皇威伸張を目的とせざるべからず。
   勿論自己は 皇威に於て救はる。
   然れども救はれんがために 皇威伸張を念願するにあらず。

   天皇の御前には自己は無なり。
   君民一如の自己尊きにあらず。自己に體現せられたる 天皇の尊きなり。

   天皇への修養即ち 忠は、飽く迄も 天皇其れ自體のためならざるべからず。
   悉皆無所得 悉皆無所得、 天皇は人生のためのものにあらず、
   人生、 天皇のためのものなり。


   大楠公の歌へる

       身のために君を思ふは二心  君のためには身をも思はじ


   天皇は國家のためのものにあらず、國家 は天皇のためにあり。

   此の大自覺は、世上的價値を倒換して、
   永遠悠久の 天皇に唯一最高の價値を認むる時、單純極めて明白に現れ来る。

   魂の救ひ永遠の幸福が究竟の目的ならば、 天皇は手段方便にして最高の存在に非ず。

   自己の學殖・職業乃至生活程度によりて、
   尊皇の程度に上下あらば、其は自己中心の人物なり。

   唯々身心を捨て果てゝ、更に何物をも望むことなく、只管に 天皇に歸一せよ。


第二章 道徳 (982)
日時:2011年05月05日 (木) 12時54分
名前:伝統

   天皇の大御心に合ふ如く、「私」を去りて行爲する、是れ日本人の道徳なり。
   天皇の御意志・大御心とは如何なるのもなりや。 
   御歴代皇祖皇宗の御神勅、皆是れ 大御心の發露に外ならず。

   別けて 明治天皇の教育勅語は、最も明白に示されたる 
   大御心の代表的なるものと拜察し奉る。
   換言すれば、天皇の御意志は教育勅語に直截簡明に示されある故に、
   教育勅語の御精神に合ふ如く
   「私」を去りて行爲すること、すなわち日本人の道徳なり。

   而して此の御勅語の大精神は「天壌無窮ノ皇運扶翼」にして、個人道徳の完成に非ず。

   天皇の御守護には、老若男女を問はず、貴賤貧富に拘らず、齊しく馳せ參じ、
   以て死を鴻毛の輕きに比すること、是れ即ち日本人道徳完成の道なり。
   天皇の御爲めに死すること、是れ即ち道徳完成なり。

   此の理を換言すれば、天皇の御前には自己は「無」なりとの自覺なり。
   「無」なるが故に億兆は一體なり。
   天皇と同心一體なるが故に、吾々の日々の生活行爲は悉く皇作皇業となる。

   是れ日本人の道徳生活なり。
   而して日本人の道徳生活必須先決の條件は、「無」なりの自覺に到達することなり。

   
   橘曙覽先生歌

     大綱と天(あま)つ日繼(ひつぎ)を先づ取りて
     もろもろの目(もく)をあむ國と知れ


第三章 「無」の自覚到達の大道 (983)
日時:2011年05月05日 (木) 12時55分
名前:伝統

   元来宗教・教育・藝術・武道・文学等凡百のもの悉く「無」に到るの道ならざるはなし。

   即ち寸毫も余す所なく「我」を捨て去る手段なり。 
   無に到るの部分は此の如く多種多様なるも、共通の根本道は唯一つ「人境不二」の道是れなり。
   換言すれば、境其物に成り切る境に没入一体化する無雑純一となること是れなり。

   時に日に月に此の訓練を重ねたる時、遂に人境共に無き無一物の境、否、無一物も亦なき
   絶対無の当体に到達すべし。


     眞 忠 忘 忠 念 々 是 忠 故 (眞忠ハ忠ヲ忘ル 念々是レ忠ナルガ故ニ)

     眞 孝 忘 孝 念 々 是 孝 故 (眞孝ハ孝ヲ忘ル 念々是レ孝ナルガ故ニ)

   味ふべき此の一句。

第四章  神国の大理想 (984)
日時:2011年05月05日 (木) 12時56分
名前:伝統

   「養正ノヲ弘メ、六合ヲ兼ネテ都ヲ開キ、八紘ヲ一宇トナサン」の神武天皇の大宣言、

   「四方ヲ経営シ万里ノ波濤ヲ開拓シテ、天下ヲ富岳ノ安キニ置カン」の 明治天皇の大信念、

   共に共に神国日本建立以来の大理想なり。

   山川草木悉皆靡々として靡かざるなき 聖天子の眞姿顕現こそは、人類救済の根基なり。
   八紘一宇の大理想実現の前に、先づ国に聖天子の眞姿顕現を計らざるべからず。
   これなくして何の神国、何の人類救済ぞ。

   天皇に帰命し奉れ。然れども万人悉く 
   天皇に帰一し奉ることの困難なることは、茲に喋々を要せず。
   各方面に於ける権威者・枢機参画者にして、
   君臣一体の実を把握しあらば(其の体験に厚薄深浅はあれ)、
   燎原の火の如く国内に瀰漫すること、

   換言すれば、其の程度に厚薄深浅はあれ、万人万古  天皇を仰ぎ奉るに到ること明白なり。

   否々、大楠公の笠置山に於ける「正成一人だに生きてありと聞召さば、
   聖運必ず開かるべしと思召し候へ」と
   奏上せることを思へ。一人にて沢山なり。
   一人だに大透徹しあらば、心火に依り悉皆焼了し終らんのみ。

   身は是れ神国、心は是れ大御心、脚跟下是れ高天原、神想具現に聖旗を進めん。

   「四海ノ内誰カ朕ガ赤子ニ非ザル」又「罪アラバ我ヲ咎メヨ天津神、民ハ吾身ノ生ミシ子ナレバ」の
   歴代 天皇絶対無限の大慈悲は「一切衆生成仏せずんば我正覚をとらじ」
   の法蔵菩薩の四十八の大誓願となつて現れ、
   将又十字架上に於ける「キリスト」の贖罪の悲願となり、

   人類救済こそは、歴代 天皇の念願にして、肇国の大理想なり。

   釈迦もキリストも孔子もソクラテスも 天皇の赤子なり。
   八紘一宇顕現の機関的存在なり。
   世界を救うて 天皇国となすこと実に 皇民の大使命なり。
   此の聖戦途上鉄火に焼かるる何の恐るる所ぞ。

   元来 皇国に領土なし。現在の国土は 皇威の及べる地域のみ。

   (或は曰く「四囲皆敵なり、内騒ぐ時に非ず」と。 天皇精神発動による戦争は領土拡張に非ず、
   人類救済なり。皇威を冒涜するもの内外共に敵賊なり、共に滅すべし。)

   皇国元来無一物、人類各々其の所を得て安穏なれば、皇国皇民の大使命は終んぬるのみ。
   国各々眞の平和を得て永く其の慶びを楽しめば、皇国の大理想は了したりといふべし。

   世界一家の達成は 天皇道に依るあるのみ。
   我国体こそは宇宙最高の道徳否宗教なり。
   世界を救ひ得る唯一無二の大眞理なり。

   国号「日本」を三思せよ。
   「太陽」を国旗となす大信念を省察せよ。 

   天皇を「天津日嗣」と申し奉る正に千省万思せよ。
   皇国の大理想自ら明らかなるべし。


   橘 曙覧先生歌

       一 一日生きば一日心を大皇の みためにつくす我が家のかぜ

       二 大皇の勅にそむく奴等の 首引き抜いて八つもてかへれ

       三 大皇にそむける者は天地に 入れざる罪ぞ打つて粉にせよ

       四 国汚す奴あらばと太刀抜いて 仇にもあらぬ壁に物いふ

第五章  皇道 (985)
日時:2011年05月05日 (木) 12時57分
名前:伝統

   皇道とは 天皇の歩ませ給ふ大道なり。 故に億兆共に歩むべき大道なり。

   至正至純は 天皇の實相にして、宇宙最高の大道なり。

   明治天皇御製

      浅緑澄み渡りたる大空の 廣きを己が心ともがな

   是れ正に天地と同根、萬物と一体、至正至純なる 天皇の御姿なり。

   此の至正至純の大御心より流露し来るものは

   明治天皇御宸翰の一節

   「天下億兆一人モ其所ヲ得ザルトキハ皆朕ガ罪ナレバ今日ノ事
   朕自ラ身骨ヲ労シ心志ヲ苦メ艱難ノ先ニ立チ」との大慈悲なり。

   至正至純なるが故に大慈悲なり。大慈悲なるが故に至正至純なり。

   佛心者大慈悲是れなり。佛とは執着繁縛なきをいふ。
   執着繁縛なきが故に「浅緑澄み渡りたる大空の廣き」と同大にして大慈悲なり。

   大慈悲なき無執着無繁縛なるはなく、
   誠に至正至純は、宇宙の大と無限の慈とを兼ねたる宇宙最高の大道なり。

   世界指導の根本原理は實に此の 天皇道なり。
   民亦繁縛なく至正至純ならば 天皇と不二一体、君民一如なり。

   此の 天皇道こそ悉く以て依るべき大道に非ずや。人類救済の秘鍵に非ずや。
   唯一無二の避難所に非ずや。
   萬古 天皇を仰ぎ、兆民相率ゐて驀直に 天皇道を進前せよ。

   怒涛襲ひかかるとも、鉄火に焼かるるとも、萬邦競ひ來るとも、莫妄想一途に 
   天皇道を直進せよ。 是れ神国顕現の最良最短の直道なり。

   世界の聖者説く所悉く是れ 天皇道なり。至正至純と純一無雑と混同する勿れ。

   北条高時に殉じたる八百人の家臣も、同仲時に殉じたる四百人も、
   将又北条義時に孝養を盡くしたる泰時も、将軍足利及び徳川に殉じたる家臣も、
   乃至美濃部達吉・北一輝及其学徒一党も純一無雑の心境なる点に於て或は特筆すべきも、

   決して至正至純には非ず。純一無雑の大不忠なり。

   至正至純は 天皇なり。 天皇に殉ずるもののみ至正至純なり。
   即ち忠なり。即ち孝なり。

第六章 解党 (986)
日時:2011年05月05日 (木) 12時57分
名前:伝統

   聖徳太子憲法第一条「和ヲ以テ貴シト為シ、忤フコト無キヲ宗ト為ス。人皆党アリ。
   亦達者少シ。是ヲ以テ或ハ君父ニ順ハズ…」

   實に人皆党あり、軍閥・政党・学閥・宗閥・財閥・無産閥・権閥・乃至郷党あり。皆之れ党なり。
   各首領に従ひて党閥の拡張を之れ事として、殉皇の大義を滅却すること共に其の軌を一にす。

   其の党首を以て主体となす所、機関説と同罪なり。
   況んや他国を模倣して 皇国を忘却する奴輩に至りては論外の一党にして、
   茲に引例するだに日本人として無限の屈辱を感ずれば除外す。

   党あり、達者少く、相争ふて、皇国の安危を度外視す。
   誠に臣は君に、子は父に従はざること皆靡々として然らざるなし。

   最も解脱を旨となす宗教を見るに、開祖を中心となす党閥にして、
   開祖の命に千鈞を感じ是れに忤はざらんとし、各宗各派相争ふこと世間見るが如し。
   即ち解脱に非ずして開祖の奴隷なり。

   見よ、日夜佛前に経を読むことを知るも、聖天子の詔を奉読奉戴するもの稀なり。
   尚以て宗教の日本化を高唱せんとするか。近時宗教家とし云へば、皆日本化を唱導す。
   然り而して 天皇陛下の尊像乃至名号を安置するもの極めて尠し。

   是を以ても日本化は表面を糊塗せんとする一方便に過ぎず。
   日本人は己の子すら私すべからず。 陛下の赤子として育て教へざるべからず。

   門人或は弟子として赤子を私するのみならず、不逞の思想を流布せんとする学閥、
   多数以て 大権を強奪せんとする政党、皇軍を私せんとする軍閥、 
   皇民・皇土・皇財を私せんとする財閥、君と臣の間を閉塞せんとする権閥、

   多数を以て対立抗争を之れ事とし、引いては独裁せんとする無産閥、 
   皇国を自己郷族を以て私せんとする郷党、皆悉く 聖天子の賊なり。

   速かに党を解け、而して 聖天子に帰一帰命せしむる為めの総べては方便門なり
   との自覺に立ち返れ。

 
   大道は無門、  千差路あり、此関を透得せば、乾坤に独歩せん、
   乾坤独歩の大自在底の大丈夫児にして、始めて 君臣一如の當体を見得することを
   得るなり。   

   大道は長安に通ずるも、長安に止まるべからず。
   更に竿灯離れ難き歩一歩を進めて、萬古 天皇を仰げ。
   党は雲散霧消し去らんのみ。

   大丈夫憂ふる所は 皇国の安危、撰ぶ所は、大義のみ。


   橘曙覧先生歌
  
      皇国の御ためをはかるほかに何することありて世の中に立つ

                       (昭和十一、九、九)

         <平成23年5月5日>

大御心を生活に生かす (1555)
日時:2011年05月18日 (水) 04時27分
名前:伝統

杉本五郎中佐は支那において、敵の銃弾に倒れながらも、持っていた銃剣を杖に立ち上がり、
皇居を遥拝したまま絶命(立亡)したと言われる人物です。

後に、この銃剣が、天覧(昭和天皇さま)された際、
昭和天皇さまは、これほどの忠義なものがおったのかと、感動されたとのことです。

以下からは、「大義」第7章以降を紹介してまいります。


  F第七章 生活原則

   君民一如は、永遠の平和を世界に確立すべき唯一無二の大原則なり。

   一如的生活が人間の人間たる特質にして、世界人類が意識すると否とに拘らず、
   期せずして欲する所のものは、一如なり。
   一如を國體とせるもの、世界に於て我が日本のみ。

   昭和3年11月10日 御即位礼当日、 紫宸殿の御儀に於て賜りたる勅語に

   「皇祖皇宗国ヲ建テ民ニ臨ムヤ、国ヲ以テ家ト為シ民ヲ視ルコト子ノ如シ。
   列聖相承ケテ仁恕ノ化下ニ洽(あまね)ク、兆民相率ヰテ敬忠ノ俗上二奉ジ、
   上下感孚(かんぷ)シ君民体ヲ一ニス、
 
   是レ我ガ國體ノ精華ニシテ当ニ天地ト竝(ならび)存スベキ所ナリ」

   我が國體を其の儘に、親子一如・師弟一如・夫婦一如・労資一如・兄弟一如・
   自他一如・仏凡一如・神人一如・生死一如と顕現せば、娑婆即ち浄土なり。

   君民相剋の國體が其の儘に生活に具現せるが、諸外国殊に欧米諸国の対立闘争の社会なり。
   悲しむべし、此し相剋生活を常道なりとして、これを模倣せんとする徒横行し、
   一如の國體生活は破壊せられ、対立修羅の社会を此の 皇土に実現せり。

   我見我慢を抱蔵して一如なし。あるものはただ対立闘争のみ。
   対立を緩和し、以て平和を得たりとせば、是れ単に一時的現象に過ぎず。

   一如を行するも、其が個人・一家将又一社会を出でざれは、
   国亡ぶることは世界興亡の跡歴然として吾人に物語る。
   亡びざる迄も國體の変革を招来せること先蹤(せんしょう)(一)総べて是れなり。

   独り我が国のみ厳乎として萬揺ぎなきこと天地の如くなるは、
   唯々 君民一如を國體とせるが故なり。


   看取せよ、君民一如は 大君に一体化することなり。 
   大御心を以て心となすことなり。

   断じて 君民共和に非ず、君民同和に非ず、君民共治に非ず。 
   大君に一元化することなり。
   茲に始めて天地と同根不動の國體生るゝなり。


   我が國體を深く省察して、之を日常の生活に具現する時換言すれば、
   國體的生活を行する時、相剋相喰む修羅の社会は消滅し、
   人類の待望せる八紘一宇の大理想は燦乎として顕現せん。

   萬古 天皇を仰ぎ奉れ、是れ人類浄化の最大原則なり。


     利(もうけ)のみむさぼる国に正しかる
              日嗣のゆゑをしめしたらなむ

・・・・・・・・

(解説)

(1)本章では、永遠の平和の確立のために必要な我々日本人の生活原則について
   述べられています。

(2)その生活原則とは君民一如の生活を実行すること。
   もっとわかりやすく言うのならば大君に一体化して大御心をもって
   自分の心となることである。

(3)大御心というのは、天皇精神のことです。
   天皇精神は、種々の詔書で公示されています。

   五箇条の御誓文、大日本帝国憲法、軍人勅諭、教育勅語、
   戊申詔書、国民精神作興に関する詔書・・・・

(4)また、御歴代 天皇の御製等は最も端的な大御心の発露として拝察される
   ものです。


   例として

   「世治まり民安かれと祈るこそ  我身につきぬ思ひなり」
                    <後醍醐天皇 御製>

   「澄し得ぬ水に我身は沈むとも  濁しはせじな四方の民草」
                    <孝明天皇 御製>

   「照るにつけくもるにつけて思ふかな  わが民草の上はいかにと」
                    <明治天皇 御製>

(5)眞・善・美・聖・清等々の人類史上におけるすべての美徳・美点を
   兼備してるのが大御心の内容実体であるといってよいと思います。

(6)杉本精神に依れば大御心を以って心として国体的生活を行ずる時、
   相克相食む修羅の社会は消滅し、人類の待望せる八紘一宇の大理想は
   燦乎(さんこ)として顕現せんということになるのです。

   *「大義」(復刻版)(P63〜67)より

         <平成23年5月18日>

七生滅賊 (1877)
日時:2011年05月23日 (月) 12時45分
名前:伝統

  G第八章  七生滅賊

   私利私慾に耽り、國體を無視する奴は、時の古今、洋の東西、国の内外を問はず、
   将又(はたまた)貴賤貧富を論ぜず、皆悉く 大御心に背ける賊なり、朝敵なり。
   然れども、忘れ易きは自己胸中の賊、実に平げ難きは自己心中の朝敵なり。

   聖賢悉く此の所に苦しむ。
   釈迦も孔子も今尚修業最中とは、実に此処を道破せるなり。

   深く内省して胸中の賊を把握せよ。
   日夜心中を奔馳するものは強賊高氏(きょうぞくたかうじ)にして、
   大楠公は常に戦死しつゝある悲しむべき胸奥を凝視せよ。

   西哲いわく、「善人たらんとすれば、先ず悪人たるを知れ」と。
   即ち自ら悪事をなせりとの自省のみならず、悪人たることを知れとの意なり。

   汝自ら高氏なることを知れ、私利私慾の権化なることを知れ。

       
      大皇(おおきみ)に背ける者は天地(あめつち)に
           入れざる罪ぞ打つて粉にせよ

   須く破邪顕正の剣を心奥の強賊に振ひ滅却せよ、打つて粉にせよ、
   躍如たる善人、真正日本人の姿は出現せん。

   然り而して

      一秒生きば一秒心を 大君に尽せ

      一日生きば一日心を 大君に尽せ

   生れては忠孝の民となり、死しては国家の神となり一意 皇祚を護る。
   是れぞ日本人の真姿なるぞ。


   付言す

     「松影の暗きは月の光かな」

   萬古 天皇を仰ぎ奉るが故に心胸の賊を内省し得。

   天皇を仰ぎ奉ることに依り、滅賊の大精神を発現し、破邪の利剣も振ひ得るなり。

  
   橘曙覧先生歌

      ますらをが朝廷(みかど)思ひの忠実心(まめごころ)
         眼を血に染めて焼刃見澄す(昭和一一、九、三〇)

・・・・・・・・

(解説)

(1)七生滅賊

  @大楠公の忠烈無比の精神

  A維新の精神

  <参考Web:
   ・大楠公精神を継いでゆけ
     http://shikisima.exblog.jp/5457324/

   ・楠木正成公(大楠公)
     http://www.minatogawajinja.or.jp/history/

  B軍神・杉本五郎中佐は、この大楠公のただ忠誠あるのみでその絶対無視の
   自己犠牲の極致ともいうべき精神・行動を深く敬慕し、自らもその境地に
   達するようにいろいろ修行を重ねられました。

(2)そして、かつて足利高氏のような自己ないし一門の利益・権勢の確保のため
   最も大事な忠義を忘れてしまった人にはならないように、平素からの反省・努力を
   怠ってはならないと、この章で述べられているのです。

(3)また、天皇の絶対無私・自己犠牲の極致の大御心の発露の御製として、


   例として

   「照るにつけくもるにつけて思ふかな  わが民草の上はいかにと」
                    <明治天皇 御製>

   「身はいかになるともいくさとどめけり ただふれゆく民のおもひて」
                    <昭和天皇 御製>

   軍神・杉本五郎中佐は、天皇の大御心を仰ぎ奉ることの大切さを、この章でも
   強調しているのです。

   *「大義」(復刻版)(P68〜71)より

         <平成23年5月23日 記>

眞の国防 (2010)
日時:2011年05月26日 (木) 04時56分
名前:伝統

  H第九章  國  防

   普天の下(もと)、率土の濱(ひん)、 皇臣皇土に非ざるなし。
   世界悉く 天皇の赤子にして、 天皇の國土なり。然るに何をか國防というや。

   論者曰く、「國防とは國家の独立及び永昌を確保するの謂ひなり、
   即ち外敵の侵入及攻撃に対する國家の防衛、國策遂行に対する妨害の排除は勿論、
   海外に於ける利権の擁護等をも包含するものとす」と。

   世界通念としては、斯く論ずるも当然ならん。
   主権在民の國家ならば、かく論ずるを至当とせん。

   天皇國日本は然らず。萬邦無比の國體たる 皇國(こうこく)には、
   自ら萬邦無比の国防眞義なかるべからず。

   萬邦無比ならば、正に無比なる大精神に生くること、是れ 皇國国防の基調なり。
   八紘は 天皇の所有なり。何をか国家の独立永昌といふや。

   何故に、天壌無窮の 皇運扶翼といはざるや。
   外敵の侵入及攻撃に対する國家の防衛とは何んぞや。

   何故に、伏(まつろ)わぬ朝敵、 皇道布施を妨害する賊徒を排撃すると謂はざるや。

   太陽は萬物を育成す。太陽を以て國旗となす、世界に君臨せらるべきは、
   天津日嗣の 天皇にお在しますことを歴々分明(ぶんみょう)に表現す、
   肇國(ちょうこく)以来の大信念なり。

   天皇は萬国を修理固成し給ふ。然しながら 天皇は世界修理固成の機関に非ず。
   即ち 天皇は世界のためのものに非ず、世界こそ 天皇のために存するなり。
   どこ迄も主体は 天皇に在(おわ)します。尊皇は絶対なり。

   涅槃経に曰く、「五戒を受けざれども、正法を護ることをなさば、乃ち大乗と名づく。
   正法を護る者は応(まさ)に刀剣器仗を執持すべし。刀仗を持つと雖も、
   我是等(われこれら)を説きて名けて持戒といはん」と。

   世界唯一最高の正法は正に 天皇にお在します。

   挙世刀剣器仗を執持して
   天皇を守護し奉るべし。是れ世界最高の持戒なり。最高の道徳宗教なり。
   是れ 皇國國防の眞義なり。

   御鏡は 天照大御神の神體、祖宗の大靈、最高の正法なり。
   御剣・御玉は其の用なり。

   即ち 御玉は正法流通の大慈悲心以て伏(まつろ)はしむるの用となり、 

   御劍(みつるぎ)は毀正謗法(きしょうぼうほう)の
   伏はぬ輩を払拭するの用となるものなり。

   鏡なき玉用(ぎょくよう)は正法に非ず、鏡なき剣用(けんよう)は覇道なり、
   玉なき劍用は暴なり、劍なき玉用は観念の遊戯なり。

   然して鏡は絶対なり。
   御鏡を體となし、劍玉両用を兼備するもの、即ち大義を護持して 皇道の宣布に驀進し、
   八紘一宇を顕現するもの 皇國國防の眞実義なり。

   然るに今や世界を挙げて魔軍一體以て大義を侵犯せんとす。



   皇旗を東方に凝視しつゝも百尺竿頭更に一歩を進め得ざる伊太利・独逸・ポーランドに
   聖手を與えよ。然り而して魔軍の統領ソビエツトに對し驀直に降魔の正剣を彼の頭上に振へ。

   此の遠慮なくんば 皇國破滅の近憂あらん。「正道を踏み國を以て斃(たお)るゝの精神
   なくんば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて
   彼の意に從順する時は、輕侮を招き、好親却て破れ、終には彼の制を受くるに至らん。

   國の凌辱せらるゝに當りては、縦令(たとい)國を以て斃(たお)るゝとも、
   正道を踏み義を盡すは政府の本務なり」と。

   流石に大西郷の遺訓、屈從を以て國際協調と思惟する輕薄分子以て正に範となすべし。

   天皇は救世主、皇國は舉げて其の使徒なり。
   天皇の、世界に名實共に君臨し給ふは、何れの日ぞ。
   世界をして「祖國日本」と呼ばしむるは、何れの年ぞ。

   幾度か死生の難關を突破し、幾十度か蒼竜の窟に下らざるべからざるか。
   将又(はたまた)幾十年を經るか、幾百年を經ざるべからざるか。

   天孫民族よ、此の辛酸苦修に堪へ得るの 皇覺ありや、日露戦は僅か二年なりしに、
   而も戦争の惨禍國内に何ら及ぶ所なかりしに拘らず、既に非戦論澎湃(ほうはい)
   として瀰漫(びまん)せる當時を回顧せよ。

   又大正十二年関東大震災当時、治安維持に兵力五萬を要したりしことを思ひ起せ。
   実参實悟なき空見識、何するものぞ。

   全日本臣民!! 皇國は正に興亡の岐路に起てり。
   一瞬の苟安(こうあん)を許さざる秋(とき)なるぞ。

   欧州大戦勃發当時の露獨両國内の思想乱離の状態が、其の儘五年後に現はれ、
   亡滅・變革を来したることを深く慮れ。

   皇國を滅するものは決して他に非ず、大義なき大衆と軍隊なることを牢記せよ。
   皇國總べての機構悉く大義護持而して布傳の機関たらざるべからず。

   論者或は云はん、「皇道布施の足場を守るこそ國防なり」と。

   天皇は國家のために存し給ふものに非ず、國家が 天皇の御為に存する日本國體
   なることを認識する時、足場の防衛は 天皇の御為にして、國防の本義は、實に
   天皇御守護に存すること明々白々なり。

   太陽は火團なるが故に萬物を育成す。
   使徒は自ら「萬古 天皇を仰げ」の一句に身を焦がせ。
   然して 皇國自ら聖火團となれ。斯くして修理固成の大使命は達せらるゝなり。

   誠に 皇國國防の眞骨頂は茲に存す。
   故に 皇國の國防は「皇基を恢弘し、皇道を宣布し、朝敵の侵犯及攻撃を撃砕
   剪除するにあり」と謂ふべく、断じて機関説的外國模倣の國防觀の存在を許さず。


     孝明天皇 御製

      戈(ほこ)執りて守れ宮人九重の
     
        御階(みはし)の櫻風 そよぐなり

 
     橘曙覧 先生歌

      神國の神のをしへを千よろづの
      
        國にほどこせ神の國人

            (昭和一一、一〇、一六)

・・・・・・・・

(解説)

(1)軍神・杉本中佐は、「国防の本義は、天皇御守護にある」と道破しているのです。

(2)天皇とは、世界一家・人類平等・世界平和の大理想の顕現者としての存在を
   指しており、この理想・理念の体現者として万世一系であることに絶対的な
   神聖性・神秘性・道徳性等々の御存在であることを認識することが大切です。

(3)戦後、占領軍の悪しきマインド・コントロールの一環としてなされた「平等」
   工作により、いまだにその迷盲からから抜け出すことのできないのが多くの
   日本人であり、これは悲しいことであります。

・・・・・・・・

   *「大義」(復刻版)(P72〜78)より

         <平成23年5月26日 記>

第一等の人物 (2092)
日時:2011年05月28日 (土) 04時08分
名前:伝統

  I第十章 第一等の人物

   古今に其の理想人物を求むる時、年の長幼、性の區別を論ぜず、
   萬人齊(ひと)しく指すものは、高位に非ず、高官に非ず、蓄財に非ず、
   唯々事の大小に拘(かかわ)らず、道のために殉ぜし忠臣義士なり。

   殊(こと)に敬慕して暫くも止まざるものは、大義に殉ぜし忠烈の大士なりとす。
   然り而して殉皇(じゅんのう)忠烈の大士をして現世に蘇らしめなば如何、
   而かも萬人敬拝して止まざる殉皇刹那の行持を現代に生かしめなば如何、

   時流に逆らひ、権勢と闘ひ、大義顕揚に驀進したる此等忠烈の大士は、
   正に當代随一の大危險人物と目せられんこと必せり。

   回顧せよ、如何に冷酷且薄幸の運命に飜弄せられたるか、
   如何に仇敵の如く追放・處断・迫害を受け、甚しきは九族滅殄(めってん)せられたるか。

   誠に大楠公を以てして、尚且三百年間逆賊なり。
   「先覺憂世の士は、生きては刑戮(けいりく)に遭ひ、死しては萬人敬慕して神に祀る」と、
   古人はいみじくも道破しつるもの哉。

   時の古今、洋の東西を問はず、悉く然らずや。


   凡庸に先つ數十百年、既に大義の衰亡を憤り、國の安危を慨し、
   憂憤難(ゆうふんなん)に赴(おもむ)きしもの、實に先覺憂世の大士なり。

   死して祀る程ならば、何ぞ生前其の言を用ひざる、其の行を學ばざる。
   其の言行を用ひることに依り、私利我慾の徒亡減して、極めて和平裡に 
   皇國は不断の進歩をなすに非ずや。

   殉皇忠烈の大士は秩序の破壊者に非ず。
   御神勅乃至 祖宗の神策を如實に成就せんとする所の穏健中正の士なり。

   凡庸度し難き蛤的者流(こうてきしゃりゅう)こそ、
   日新月進の 皇國の國是を阻まんとする奴輩(どはい)なり。
   此の奴輩なかりせば、如何に 皇國は名実共に駸々(しんしん)たりしことか。

   歴史は常に陰惨血腥き此の一事を繰返す。
   歴史こそは、一面、殉皇の大士と
   凡庸我慾の姦賊との戦の展開なりとも謂うべし。

   看取せよ、三千年一日の如く、
   古も今も變ることなき姦賊の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)の様相を。

   菩提樹下 釈尊 真性徹見の修業の其れの如く、無数の魔軍と闘い、 
   皇國解脱の一途に奮進するもの、實に殉皇先覺の大士なり。

   然るに何事ぞ、今人、口に説けども、心常に大義を捨てゝ、一途に高位顕官たらずんば、
   財家(ざいか)を以て畢生(ひっせい)の願望となし、自利・利己の極致を把行して
   洒々落々、百官亦聖賢の行履(あんり)説話をなして賢者の風を形づくれども、

   實は大義を顧みざること土芥(どかい)の如く、昼は名利に耽り、夜は愛着に酔ふ。
   外、持戒を表して大人の装をなせども、内、貪慾を抱いて常に密犯をなす。

   金的を得たるものは得々として他を顧みず、
   之を得ざるものは怏々(おうおう)として他を怨む。
   
   上下左右相剋相討の修羅の巷を現出し、擧世滔滔(きょうせいとうとう)紛騒乱離、
   手脚(しゅきゃく)を下すに所全くなし。

   受け難きの人身を 皇國に受け、聞き難きの正法を今こゝに聞き、何すれぞ、
   殉皇清節の大士たらんとはせずして、官位名利の奴隷に甘んぜんとする。

   何すれぞ、五十年の自己を築き上ぐるに汲々として、無窮なる
   皇運扶翼の大道に、永遠に生くることを放擲する。

   キリストは「幸福なる哉、義のために責められたる者、天國はその人のものなり」と。
   げに大義に殉ずるものこそ永遠無窮の大生命に生くるものなることを
   千省万思せよ。

   古往今来、宇宙を友とせる偉人・傑士・聖僧の死に臨むや、松風泉石の間名月を吟ずる如く、
   従容迫らず、凡庸慚死の一句を吐露して、浩然として逝く、
   正に萬斛(ばんこく)の清涼颯々として盡きず、俗凡者流の企て及ぶ所にあらず。

   然れども生死超脱の辞世の句中、
   尊くも気高き最高の一句は、實に砲烟弾雨の中、無名戦士臨終最後の一叫

   「天皇陛下萬歳」の聖聲是れなり。

  
   此の一句こそは、實に古今冠絶の如何なる英傑の辞世にも
   百千萬倍勝りたるの聖句なり。

   此の無名戦士此の聖叫、此の心境乃至此の態度は、
   世界最高のものたらずんばあるべからず。

   然して尚此の無名聖士にも増してすぐれたる第一等の人物は

   「天皇陛下萬歳」を日夜自己生活に具現し奉行しつゝ、
   神勅顕現成就に全身全力を傾倒しつゝある聖者なりとす。


   即ち天下第一等の此の聖者は

   (一) 全智全能尊皇絶對そのものなり。従て

   (二) 忠姦(ちゅうかん)を峻別し得る明敏なる洞察力を発揮して時流を看破して
       神勅のまにまに 神國を富岳の安きに置かんと欲して

   (三) 天皇の外天下何物も恐れざる絶大なる断行力を發現し、
       一閃乱麻を断ち、以て

   (四) 皇運を無窮に扶翼し、 皇業を四海に宣布し、八紘一宇の 神勅を
       此の土に建立せんとする組織的にて且高邁なる神識神慮を具有す。

   尊皇は絶對なり、他の三者は自然に流露する作用り。

   吾人未だ尊皇に絶對なり得ざるが故に、洞察力を欠き、断行力に乏しく、
   高邁なる神慮湧出せず。

   眞に此の四者を兼ね備へたる天下第一等の人物は、古今を通じ蓋し
   大楠公唯一人か。

   日夜只管殉皇の一途に驀直進前以て 尊皇絶對に近爾せんことを努めよ。

   洞察力に明敏を缺くも断行力旺盛なるあり、
   断行力乏しきも組織的なる識見を有するに至るもあり、
   かくして両三乃至百千一體となれば、大楠公近爾の人物たるに至るべし。

   信不及なれば致方もなし、
   彼此相依りて第一等の人物たらんことを努めざるべからず。

   冀(ねが)はくは 皇國一体、此の聖者第一等の人物となりて、
   叡慮を安んじ奉らんことを。


   橘曙覧先生歌

     御ひかりを朝夕うくる御めぐみは
          身を粉にすともむくいえられじ


     大皇(おおきみ)に背ける者は天地に
          いれざる罪ぞ打つて粉にせよ

             (昭和一一、十、二三)

・・・・・・・

(解説)

(1)日本の歴史・日本の国体から鑑みた国家民族にとっての理想的人物とは、
   『大義』に殉じた忠烈の大士であると、軍神は喝破しています。

(2)そして、日本の歴史をふりかえって見るとき残念ながら理想的人物たる
   殉皇の大士ばかりでなく、むしろ敵対する自己保身的我欲の姦賊たる者が
   かなり多いとの軍神の深い嘆きが出てきております。

(3)天下一等の人物とは

  @ 全知全能尊皇絶対そのものにして
  A 忠姦を区別できる明敏なる洞察力を発揮し
  B 絶大なる断行力を発現し
  C 組織的にて且高邁なる神識神慮を具現すること。

   と、軍神は挙げています。

(4)一度しかない人生なのですから官位名利の奴隷になるのではなく、
   清く正しく明るく美しい堂々たる日本人として胸を張って生きていく
   ことが大切です。

   そのためには、真の人生の価値観を、学ぶことが必要となります。

   *「大義」(復刻版)(P79〜87)より

         <平成23年5月28日 記>

第十一章 維 新〜その1 (2230)
日時:2011年05月31日 (火) 07時50分
名前:伝統

  J第十一章 維 新〜その1

   維新は 神勅成就にあり、 皇謨(こうぼ)顯現にあり、
   本来具有底の大義を明かにし、萬古 天皇に帰一せしむるにあり。


   一箪(いったん)の食(し)・一瓢(いっぴょい)の飲も、
   神食神飲なりと欽仰す、實に維新の實證なり。

   一個半個も此の人物を増し行く行為こそ維新なり。
   個身に明徳ある如く、国に明徳あり、之を 天皇と申し奉る。

   明徳を明かにするは修養の根基にして、
   心賊剪除(しんぞくせんじょ)の血闘を、永遠に続けざるべからず。

   明徳顯然たらば、**(確認後掲載)悪(かんあく)其の影を没し、
   賊勢盛んなれば、忠臣其の跡を潜む。

   忠**(確認後掲載)の死闘こそ修養、而して忠の勝ち行く聖姿こそ維新なり。
   即ち本来具有の正心に還り行くを向上と謂ふべく、之を維新と名づく。

   一個の維新成れるを聖者とし、一国の維新成れるを 天皇國となす。

   國憲・國法・文物・制度乃至百事悉く明徳具現(めいとくぐげん)の手段にして、
   賊心芟除(ぞくしんせんじょ)の方便たらざるべからず。

   自己を善人なりと思惟乃至鼓吹するものに善人なく、反省なきものに修養なし。

   自己の缺陥を認むるか乃至自己は悪人なりと自覚する時、
   躍如して菩提心は生起(せいき)し、
   向上進前寸歩を退(ひ)かず、滅賊の力澎湃(ほうはい)として全身に滾(たぎ)る。

   是れ維新の發起なり。

   皇國の現況を以て十成底(じゅうじょうてい)となすものありとせば、
   そは向上心なき増上慢の個人と齊(ひと)しく、冒?(ぼうとく)不敬
   之に過ぐるものなく、速やかに焚了(ふんりょう)し去るべき存在なり。

   天皇一元化が 皇國の完成にして、茲に至る道程が修養即ち維新なり。

   維新は一時の現象に非ず。名利獲得の手段にも非ず。
   連綿不断なる捨身滅賊なり。
   子々孫々相傳へて實行し、寸暇も止むべからざる聖業なり。

第十一章 維 新〜その2 (2231)
日時:2011年05月31日 (火) 07時51分
名前:伝統

   古往今來 皇國に於ける總べての戦争は、悉く維新到達の手段、
   殊に日清戦争・北清事変・日露戦役・世界大戦参加・満洲事変等の如きは、
   皇道布施(こうどふせ)の大業にして、

   中大兄皇子の入鹿誅戮(ちゅうりく)・大楠公の高時高氏征伐・
   明治維新の幕府討滅(とうめつ)と
   何等異るなき 皇謨顯現の維新なり。

   世上(せじょう)維新とし言えば、所謂國内的に考察するを例となすも、
   是れ國體を知らざるの痴論、
   伏(まつろ)はぬ輩に對する膺懲(ようちょう)が戦争なり、維新なり。

   境の内外は問う所に非ず、共に維新なり。
   風碧落(かぜへきらく)を吹いて浮雲盡き、月青山に上る玉一團、雲盡きぬれば、
   元より空に有明の明徳は、本來の眞姿を露呈し、大義は歴々分明となる。

   大義に立脚して日進日新、明け行く空の如く、向上の一路進んで止まず、
   是れ維新成就の根本方策なり。


   古殻を超出して一大復古をなすの秋(とき)に方(あた)りては、
   一大果断非常の人材を要す。

   是れ亦獨裁人物の謂ひに非ずして、勤皇絶對第一等の人物を指すこと論を待たず。

   此の殉忠の大人物を廟堂に網羅して、翼賛の聖責に任ぜしめ、内を治むるに、 
   詔勅を大綱となして諸(もろもろ)の目を編むを以てし、
   之を中外に施すを外交の大方針となし、

   以て内外打成(ないがいだじょう)一片、億兆一心、天壌無窮の
   皇運扶翼に邁進すること、維新成就の秘法なり。

   捨身滅賊 此の秘法を實行して止まざれば、軈(やが)て 天皇を主・師・親と仰ぎ、
   人類一和、兆民其の堵(と)に安んずるの 皇謨は實現成就し、維新は完成せらるるなり。

第十一章 維 新〜その3 (2232)
日時:2011年05月31日 (火) 07時52分
名前:伝統


     吾子には散れと教へて己れ先づ

           嵐に向ふ櫻井の里

   大楠公の偉大なる一(いつ)に茲の所たり。


   「父なき後は必ず高氏の天下だ、其の節汝が自己の一身を全くせんと欲し、
   禍福を計較(けいかく)して利に嚮(むか)ひ、大義を忘れて我家多年の忠節を失ひ、
   以て彼に隷属し、我が祖先の名を辱め汚すが如き行為があつてはならぬ、

   我汝を此の世に留め置くは親子の情に絆(ほだ)され、汝を不便に思つてのことに非ず、
   唯々 大君のために滅賊のために汝を残すのだ」と。

   擧世悉く魔賊たりとも、正道を踏んで不退轉、
   最愛の吾子をも此の荊棘(けいきょく)の難道を歩ましめんとする大楠公の大愛大悲、
   親子(しんし)相傳以て朝敵を滅せんとす。

   而かも死に臨むや、七生滅賊を末期の一句となす。

   釈氏によれば、「罪業深き惡念に似たれども」と詳知しながら、敢て此の辞世の一句をものす。
   嗚呼、壮烈殉皇の義心、一點私心あるものゝ企て及ぶ所に非ず。

   楠公逝いて六百年、今何處にか其の生を受く、誰人か其の衣鉢を繼ぐ。

第十一章 維 新〜その4 (2233)
日時:2011年05月31日 (火) 07時54分
名前:伝統

   禪家に於ては、「其の嗣を得ざれば、如何なる聖者も堕地獄の罰を受く」と、
   其の嗣法を得ることは、大法護持のために斯くも儼乎(げんこ)として
   尊き極みとせられあり。

   古来兵法乃至藝道諸家の極意相傳亦然り。
   況んや無比の正法國體守護のために其の嗣を得ることは、最緊最要最重最大の事にして、
   嗣法の資に於て吾子を以て好適となせる正成公に學べ。

   身も心も譲り與ふべきは吾子なり。児の教育を他に全委すべからず。
   子を教ふることは親の努むべき喫緊の責務にして、大慈大悲大愛の至極なり。
   全力を傾尽して殉皇の大節を鍛錬傳授すべし。

   教育に従ふもの、又維新遂行の人物養成を以て念願とせよ。
   教育の尊厳全く茲にあり。
   若し其れ吾児にして其の嗣たるに適せざれば、青年乃至後世の士に此れを選ベ。

   「見、師と等しくして師の半徳を減じ、見、師に過ぎて始めて譲るに堪へたり」、
   一世の智勇を傾倒して出藍の後嗣を作れ。

   正に七生滅賊の實行なり。
   斯くして始めて、天壌と共に窮りなく維新完成への一途を驀進し得るなり。

   然らずんば七生滅賊も空論なり。
   無窮の 皇運扶翼といふも勇ましき一時の空声・空念仏に終るのみ。

   上下一體 皇國は今やこの一箇の殉皇純忠の火團と化し、 
   天業を恢弘し、皇道布施の世界維新に邁進せよ。

   少くも東亜の維新即ち 天皇を盟主とし奉る東亜の結成に奮進せよ。

   而して漂へる人類を救へ。
   一人を済(すく)へば一人の維新、十人を度すれば十人の維新、
   一國を済(すく)へば一國の維新なり。



    頼三樹三郎の刑死に遭うや

       わが罪は君が世思ふまごころの

         深からざりししるしなりけり


    平野二郎国臣

       今更にわが身惜しとは思はねど

          心にかかる君が世の末

    同

       山守とならんはかなき我が身かは

          世をなげきてぞ憂目をもみる

              (昭和一一、一二、五)


・・・・・・・

(解説)

(1)軍神は、大義を明らかにして、天皇に帰一せしめるための過程たる
   努力・行動ないし修養をもって維新ととらえています。

   そしてその努力・行動等の対象が何であるかには本質的な差異はなく、
   自分に対象が向けば一身の維新となり、次に対内的な敵に向えば一国の維新となり、
   さらに対外的な国へと向えば世界の維新であるということになります。

(2)維新を断行する「目的」は、神勅等に示されている日本の建国の精神・
   理想の実現・完成を図るためであります。

   まず日本が世界人類の模範となるべき道義国家を建設しひいては世界人類が
   一切の差別なく兄弟・同胞として平和に生存できるような世界を創造すること
   こそ日本の理想ないし使命ということになります。

   これを一言でいえば八紘一宇ということになります。

(3)この理想の達成のためには連綿不断に修養すなわち維新を行なう必要があります。
   そしてどの維新を断行するためには一大果断非常の人材を必要とするので、吾が子
   ないし青年後世の人を選んで維新遂行の人物たるべく、平素からその養成に意を
   用いておくべきことを懇切に説いているのです。

   *「大義」(復刻版)(P88〜95)より

         <平成23年5月31日 記>

第十二章 ~ 勅〜その1 (2941)
日時:2011年06月23日 (木) 04時38分
名前:伝統


   皇祖皇宗の賜へる 聖詔乃至聖言聖行は、總べて ~勅ならざるなきも、
   天照大~の下し賜える 肇國の~勅は、実に世界の齊(ひと)しく依るべき
   ~典なることを宣言し、同時に國體の無比なる所以を明徴にせんとす。

     ~ 勅

   天照大神勅 皇孫 曰
 
   葦原千五百秋瑞穂國是吾子孫可王之地也宜爾皇孫就而治焉行矣
   宝祚之隆当与天壌無窮矣  (日本書紀)


   古事記にある所を要約すれば
   「天照大御神 太子(ひつぎのみこ)天忍穂耳命ニ詔リタマハク、
   今葦原ノ中ツ國平(ことむ)ケ訖(お)ヘヌト白ス、
   カレ言依シ賜ヘリシマニマニ降(くだ)リマシテ知ロシメセト詔リタマヒキ。

   天忍穂耳命(あめのおしみみのみこと)ノ白(もう)シタマハク

   僕(あれ)ハ降(くだ)リナム装束(よそひ)セシ間ニ御子生(あ)レマシツ、
   御名ハ日子番能(ひこほの))邇邇芸命(ににぎのみこと)、
   コノ御子ヲ降スべシト白シタマヒキ。

   是ヲ以(も)テ白(もう)シタマフ随(まにま)ニ

   日子番能邇邇芸命ニ詔科(みことおお)セテ

   コノ豊葦原水穂國ハ汝(みまし)知ラサン國ナリト言依サシ給フ、
   カレ御命(みこと)ノ随(まにま)ニ天降(あち)リマス可シト詔リタマヒキ」


   古語拾遺に記しあるところを要約すれば、

   「天祖(あまつみおや)天照大神 高皇産霊尊乃(すなわ)チ相(ともに)
    語(のりごち)テ曰(のたまわ)ク、
   夫レ  葦原ノ瑞穂國ハ吾ガ子孫ノ王(きみ)タルべキノ地ナリ。

    皇孫(すめみまのみこと)就(い)デマシテ治(しろしめし)給ヘ、
    寶祚(あまつひつぎ)ノ隆(さかん)ナルコト當(まさ)ニ天壌(あめつち)卜
    窮リ無カルべシ、即チ八咫鏡(やたのかがみ)及(および)草薙剣

    二種(ふたくさ)ノ~寶(かむたから)ヲ以(もち)テ、
    皇孫ニ授(さずけ)ケ賜ヒテ永ク天璽(あまつしるし)ト為ス、
    矛玉(ほこたま)自(おのずか)ラ從フ。」


   大日本は~國なり。 天祖始めて基を開き、日神長く統(とう)を傳へ給ふ。
   大義天地を貫き、君臣の分炳乎(ぶんへいこ)として日星のごとし。

   君無窮なれば、扶翼の臣亦無窮ならざるべからず。
   七生滅賊以て 皇統を無窮に扶翼すべきは此の ~勅に瞭々明白に包含す。

         <平成23年6月23日 記>

第十二章 ~ 勅〜その2 (3006)
日時:2011年06月26日 (日) 08時40分
名前:伝統

     ~ 勅

   天照大~手持 寶鏡 授 天忍穂耳尊 而祝 之曰 
   吾児視 此寶鏡 当 猶 視 吾可 与同 床共 殿以為 齋鏡

   又勅曰

   以 吾高天原所御齋庭之穂 亦当 御 於吾児
                         (日本書紀古語拾遺)


   古事記の記述を要約すれば、
   「此ノ鏡ハ専ラ我ガ御魂トシテ吾ガ御前ヲ拝(いつ)クガゴト齋(いつ)キマツレ」

   日夜 天照大~と御同座、誠に戒律の極致、無上信仰なり。 
   天照大~其の儘の御心に成らせられ、即ち 天皇は眞に現人~として
   萬民を統べさせ給ふ。祭政一致とは實に此の謂ひにして、これ~の政治なり。

   借問す、大命を奉じ、閣班に列し、綱紀を紊乱(びんらん)して、
   平々洒々職を辭するも敢て死せず、而かも何事ぞ、再び政権を強奪せんと狂奔し、
   以て政治の常道なりとす。知らず、~域を犯すは何れの夷人ぞ。

   現人~を中心に~(かん)集ひに集ひ、以て 皇運を無窮に扶翼する、
   是れ 皇國の政道なり。
   断じて私利私黨の存在を許さざるなり。

   無窮の 皇運扶翼を以て、教育の淵源となし給へる 大御心を深く拝し奉れ、 
   ~勅顕顯が教育の根源なることを銘記せよ。

   殉皇は寶鏡に一元化する最高道徳にして、無上信仰なり。
   ~化するの唯一道なり。

   天照大~は復た吾々に肉体を養うて行くべき道をも教へ給へり。
   斎庭之穂(ゆにわのいなほ)の~勅是れなり。日本書紀巻一に

   「天照大~喜びて曰く『是ノ物ハ則チ顕見(うつくしき)蒼生(あおひとくさ)ノ食ヒテ
   活クヘキモノナリ』とのたまいて、乃ち、粟・稗・麦・豆を以て陸田種子(はたつちの)
   と為し、稲を以て水田種子(たなつちの)と為す」

   とあり、實に國民の生活を保證遊ばし給ひしがこの ~勅なり。


   明治天皇の國威宣揚の御詔勅の中に

   「今般朝政一新ノ時ニ膺リ、天下億兆一モ其ノ所ヲ得ザルトキハ、
   皆 朕ガ罪ナレバ」
   と宣はせられたる 大御心、

   全く 天照大~の御精~、~勅に昭々乎たり。

   物心共に偏在し、浮浪の民あるは、~勅冒涜なり。國民齊しく恐懼慚死すべし、
   何の面目ありて 祖宗の~霊に相見(しょうけん)せんとはする。

   
   無比の國體も観念に終らんとするか、生活に具現せずして、何の國體明徴ぞ。
   心も身も悉く 天皇より賜はりたる恩賜品なり、
   仏前に茶菓浄膳を日夜に供御すれども、 天祖の御前に供御せざる忘恩の徒、
   正に罪科彌天餓死せよ。

   「普天の下、率土の濱、皇臣皇土に非ざるなし」の一句、
   「一人の天下にして、萬人の天下に非ざる」の意、
   共に共に此の ~勅に明白に拝察し得るなり。

   萬邦無比の國體歴然として此の ~勅に顯はる。

         <平成23年6月26日 記>

第十二章 ~ 勅〜その3 (3064)
日時:2011年06月28日 (火) 06時48分
名前:伝統

    神 勅

   高皇産霊尊因テ勅シテ曰ク(古語拾遺ニハ天照大~勅セラレタルゴトク解セラル)

   吾則起 樹天津~籬及天津磐境 当為 吾孫奉齋矣、汝天児島根命・天太玉命
   宜 持 天津~籬 降 於葦原中國 亦為 吾孫 奉 齋焉(日本書紀巻巻二古語拾遺)

   
   ~籬(ひもろぎ)とは霊籠木(ひこもるき)、霊(ひ)の寵る木、
   ~霊の鎮ります木といふ義にて、榊(さかき)へ紙又は麻布などを附けたるものにして、
   ~様が天降つて御(おん)宿り遊ばす木という義なり。

   磐境(いわさか)とは祭場祭壇なり、~籬を安置せる所が磐境なり。
   従つて、~籬と磐境とは心(こころ)と身、二にして一つ、不二一体なり。


   心は是れ 天照大~、身は是れ高天原、心身一体、君國一元、君臣一如なり、
   滅我殉皇の大精~を以て 皇孫(すめみま)に歸一し奉れ、
   しかして「マツラン」「マツル」とは、「マツラフ」ことにして、

   大君に合一し奉ることなり。
   即ち天も地も舉げて 皇孫(すめみま)を寿(ことほ)ぎ、
   天壌無窮の 皇運を扶翼せんこと、是れ此の ~勅の眞実義なり。

   ~籬磐境の思想は不二一體の妙所を指針せるものにして、
   更に別言すれば、~籬は人、磐境は境(さかい)、即ち人境(じんきょう)不二の妙境、
   無我境を以て事に當り、以て 皇運を無窮に扶翼せよとの義なり。

   人境不二の妙境把握、決して容易の見をなす勿れ。 
   日~(ひのかみ)に於かれて尚且「同床共殿」の行事を励み給ふことを思へ。

   不二妙境の極致、況んや凡庸幾十百度(たび)か蒼龍の窟に下るの苦練を積め。
   行じ難きを能く行じ、忍び難きを能く忍び、以て鍛錬せざるべからず。
   輕信慢心の徒の能くする所に非ず。

   乞う更に第三章及第七章を看取せよ。

         <平成23年6月28日 記>

第十二章 ~ 勅〜その4 (3096)
日時:2011年06月30日 (木) 07時06分
名前:伝統


   然り而して、三つの ~勅を綜合謹察するに、 
   天皇は 天照大~に在しまし、幽顯一貫、唯一最高の現人~にして、
   天地の太祖、萬物の根源、

   従つて無窮の寶祚(ほうそ)は絶対無条件の~定の大事実、萬古実に不動不變、
   天~地祗乃至一切衆生山川草木皆悉く 天皇の彌栄を寿ぎ、
   無窮扶翼の聖行に歸一没入するの ~想、三勅を通貫す。

   誠に世界浄化の根基、宗教道徳の大本は、茲にあることを教へ賜ひたるものなり。

   独断に非ず、専断に非ず、盲信に非ず、霊眼を活開して此の 三~勅に参せよ。
   此の ~勅こそは無上眞理宇宙法則の成文化なることを徹見せん。

   大地は打ち外づすことあるも、此の言に疑ひなし。

   自己を救ひ、他を濟(すく)ひ、乃至世界を救済せんと念願するものは、 
   ~勅顯彰に没我精進せよ。

   「詔ヲ承ケテハ必ズ謹メ」~勅顯彰は即ち世界維新なり、
   天孫民族捨身の大使命は全く茲にあり。 

   天業恢弘(かいこう) 皇道宣布といふも、
   将(はた)又(また)八紘一宇といふも、
   ~勅成就の異名なり。

   皇祖皇宗 ~勅具現に日夜の聖闘を続け給ひ、祖先亦血戦死闘をなして、
   ~勅成就に邁進せり。
   吾等又 ~勅のために何んぞ喪心失命を避けんや。

   伏(まつろ)はぬもの即ち ~意に合一せざるものを討平(うちたいらげ) 皇化せられたる
   ~武御東征は、實に維新の規範なり。

   今や正に ~武御東征再擧の秋(とき)、 
   ~勅體得は方今(ほうこん)喫緊(きっきん)の急務なり。
   茲に 聖詔(せいしょう)を掲げて更に ~勅に徹底し、
   國體を不惑に立(たた)せんとす。

         <平成23年6月30日 記>

第十二章 ~ 勅〜その5 (3154)
日時:2011年07月03日 (日) 07時05分
名前:伝統


   神武天皇建國の大詔(たいしょう)

   (上略)上(かみ)ハ則チ乾霊(あまつかみの)國ヲ授クルノ徳(うつくしび)ニ答ヘ、
   下(しも)ハ則チ皇孫(すめみま)ノ正(ただしき)ヲ養フノ心(みこころ)ヲ弘メ、
   然(しか)ル後 六合(くにのうち)ヲ兼ネテ都ヲ開キ八紘(あめのした)ヲ掩(おお)ヒテ
   宇(いえ)トナサソコト、亦(また)可(よ)カラズヤ(後略)

   是れ古今に通じて謬(あやま)らず、中外(ちゅうがい)に施して悖(もと)らざる
   「養正(ようせい)」の道義を以てする世界維新の大皇謨(だいこうぼ)、 
   天皇親帥の下(もと)大和(やまと)民族の大進軍なり。



   明治天皇皇威宣揚の大詔(たいしょう)

   (前略)表ニハ朝廷ヲ推尊シテ、實ハ敬シテ是ヲ遠ザケ、億兆ノ父母トシテ絶エテ
   赤子ノ情ヲ知ルコト能ハザルヤウ計リナシ、遂ニ億兆ノ君タルモ唯名ノミニ成リ果テ、
   其ガ為ニ今日朝廷ノ尊重ハ古ニ倍センガ如クニテ、
   朝威ハ倍々衰ヘ、上下相離ルルコト霄壌(しょうじょう)ノ如シ。

   カカル形勢ニテ何ヲ以テ天下ニ君臨センヤ。

   今般朝政一新ノ時ニ膺(あた)リ、天下億兆一人(いちにん)モ其ノ所ヲ得ザルトキハ、
   皆朕ガ罪ナレバ、今日ノ事、朕自ラ身骨(しんこつ)ヲ勞シ心志(しんし)ヲ苦シメ、
   艱難ノ先ニ立チ、古列祖(これつそ)ノ盡サセ給ヒシ蹤(あと)ヲ履(ふ)ミ、
   治蹟(ちせき)ヲ勤メテコソ、始メテ天職ヲ奉ジテ億兆ノ君タルニ背(そむ)カザルべシ。

   往昔(おうせき)列祖萬機ヲ親(みずか)ラシ不臣ノ者アレバ自ラ将トシテ之ヲ征シ給ヒ、
   朝廷ノ政(まるりごと)總テ簡易ニシテ、此(かく)ノ如ク尊重ナラザルユヱ、
   君臣相親(あいしたし)ミ、上下相愛(じょうかあいあい)シ、
   徳澤(とくたく)天下ニ洽(あまね)ク、國威海外ニ輝キシナリ(中略) 

   朕ココニ百官諸侯卜廣ク相誓ヒ、列祖ノ御偉業(ごいぎょう)ヲ継述(けいじゅつ)シ、
   一身ノ艱難辛苦ヲ問ハズ、親(みずか)ラ四方(しほう)ヲ經営シ、汝億兆ヲ安撫(あんぶ)シ、
   遂ニハ萬里ノ波濤ヲ拓開シ、國威ヲ四方ニ宣布シ、天下ヲ富岳ノ安キニ置カソコトヲ欲ス(後略)

   
   神勅成就のために、御自ら身骨を労し心志を苦め艱難の先に立たせ給ふ、
   唯々恐懼(きょうく)措く所を知らざるなり、 
   皇道宣布の御紹述、吾等憤起せざるべけんや。

   「広く會議を興し萬機公論に決すべし」

   是れ立黨の基本原則なるかの如く愚且つ不敬にも大言叱呼する政黨者流、

   「官武民一途庶民に至る迄各々其の志を 遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す」

   の條に到りては、物心の偏在、失業の大量製産、怨聲下に満つるも意に介せず、
   現状維持に鞠窮(きっきゅう)如(じょ)たり。

   「舊来の陋習(ろうしゅう)を破り天地の公道に基づくべし」

   立黨既に数十年 弊習 続出、外国模倣の舊来の陋習を以て天地の公道と誇る、咄!! 
   まさに大死一番 神勅に蘇れ。

   「智識を世界に求め大に 皇基を振起すべし」

   凡百(ぼんびゃく)の事象悉く此の聖章に叛逆す。 
   皇基振起即ち 神勅成就が萬学乃至政道の根基なることを深く悟れ。


     大綱(おおあみ)と天津日嗣を先づとりて
         もろもろの目をあむ國と知れ

         <平成23年7月3日 記>

第十二章 ~ 勅〜その6 (3218)
日時:2011年07月07日 (木) 07時40分
名前:伝統

   五ケ条の御誓文は實に ~勅顯現の大指針なり。


   大正天皇御即位大礼當日紫宸殿の御儀に於て賜(たまわ)りたる勅語

   朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ、惟~(かんながら)ノ寶祚ヲ践(ふ)ミ、爰ニ即位ノ禮ヲ行ナヒ、
   普ク爾臣民ニ誥(つ)ク、

   朕惟フニ、皇祖皇宗國ヲ肇メ基ヲ建テ、列聖統ヲ紹(つ)キ裕(ゆう)ヲ垂レ、
   天壌無窮ノ~勅ニ依リテ萬世一系ノ帝位ヲ傳ヘ、

   ~器ヲ奉シテ八洲ニ臨ミ、皇化ヲ宜ヘテ蒼生ヲ撫ス、爾臣民世世相(あい)継(つ)キ、
   忠實公ニ奉ス、義ハ則チ君臣ニシテ情ハ猶ホ父子ノコトク、
   以テ萬邦無比ノ國體ヲ成セリ、(中略)祖宗ノ~霊照鑑上ニ在(あ)リ。

   朕夙夜(しゅくや)兢業 天職ヲ全クセムコトヲ期ス、
   朕ハ爾臣民ノ忠誠其(そ)ノ分ヲ守り、
   励精(れいせい)其ノ業ニ従ヒ、以テ皇運ヲ扶翼スルコトヲ知ル、(後略)



   國體の無窮なる所以を説示し給ひ、戦々兢々 ~勅顯彰を御祈念遊ばさるゝ 聖慮の程、
   畏くも畏き極みなり。感憤興起せざらんや。


   今上陛下御即位大礼當日紫宸殿の御儀に於て御下賜の勅語

   (前略)皇祖皇宗國ヲ建テ民ニ臨ムヤ、國ヲ以テ家ト爲シ民ヲ視ルコト子ノ如シ。
   列聖相承ケテ仁恕(じんじょ)ノ化下(かしも)ニ洽(あまね)ク、
   兆民相率(むき)ヰテ敬忠ノ俗上ニ奉シ、
   上下感孚(かんぷ)シ君民體ヲ一ニス、

   是レ我カ國體ノ精華ニシテ、
   當ニ天地(あめつち)卜竝(なら)ヒ存スヘキ所ナリ、(後略)


   瞥見忽ち國體の真髄に徹し、 寶祚の無窮なる所以を把握し、
   世界救濟の根本道は全く此の 聖勅にあることを大悟せん。

 
   天皇陛下は 天照大~

   國    は  ~  國
   民    は  ~  民

  一系同統、祖先殉忠の誠血は滾々(こんこん)として渾身に溢る。
  大~輪を轉じて、誓つて ~勅成就に前進せん。

  天地~明来り鑑(み)よ。


  橘曙覧先生歌

    ~國(かみぐに)の~のをしへを千よろづの  國にほどこせ~の國人

    天皇(おおぎみ)は~にしますぞ天皇(おおぎみ)の 勅(みこと)としいはば畏みまつれ



    利(もうけ)のみむさぼる國に正しかる 日嗣のゆゑをしめしたらなむ

    たのしみは~の御國の民として  ~の教へをふかくおもふとき

    御ひかりを朝夕うくる御めぐみは  身を粉(こ)にすともむくいえられじ

               (昭和一一、一二、二〇)

  *「大義」(復刻版)(P96〜109)より

         <平成23年7月 7日 記>

第十三章 信仰〜その1 (3278)
日時:2011年07月10日 (日) 06時43分
名前:伝統


   信仰は一如なり。

   ゆえに、永久不退轉、對者に芥子(けし)許りも背馳なき實行ならざるべからず。
   實行は義を行ふより大なるはなく、義は君臣を以て最大となす。

   大義實践は実に信仰の最高峰なり。

   世論往々武士道實践を以て道の至極となす、大いに誤り了れり。
   武士道は大逆無道、藩主に對する忠誠の義を以て極則となす。
   義は義なるも小義、節は節なるも小節。

   宇宙双日なく乾坤唯一神、 天皇よりも藩主に忠たらんとする、
   正に武士道は道は道なるも逆道なり。

   甚だしきは、朝家(ちょうけ)無力の致す所、武家専権の緒を開く、となす學者あり、
   武士道擁護とはいへ、何ぞその言の不逞なる。

   此の義を推し進むれば、君君たらざれば臣は臣たらず、
   社稷(しゃしょく)のためには君主も亦輕しとの結論に到達して、
   禅譲放伐の思想乃至君主は君臨すれども統治せずとの結果となり、

   體に於て民主國と何の択ぶ所かある。


   軍人に賜りたる勅諭の中に

    遂に武士となり、兵馬の権は一向に其武士どもの棟梁たる者に歸し、
    世の乱れと共に政治の大権も亦其手に落ち、
    凡(およそ)七百年の間武家の政治とはなりぬ。

    世の様の移り換りて斯くなれるは、
    人力(ひとのちから)もて挽回すべきにあらずとはいひながら、
    且は我國體に戻り、且は我祖宗の御制(おんおきて)に背き奉り、浅ましき次第なりき。

    (中略)

    夫兵馬の大権は朕が統ぶる所なれば、その司々をこそ臣下には任すなれ、
    その大綱は朕(ちん)親(みずから)之を攬り肯て臣下に委ぬべきものにあらず、
    子々孫々に至るまで篤く斯旨を傳へ、

    天子 は文武の大権を掌握するの義を存して、
    再中世以降の如き失體なからんことを望むなり。


   諄々乎として武士道は國體に戻り、祖宗の御制に背けることを諭示し賜ひ、
   ふたたび中世以降の如き失體なからんことを要望し給ひたるに、何事ぞ、
   此の武士道の復活を絶叫して止まざるものあるとは。

   實に悪逆無道の限りにあらずや。


   唯一無二の大道は大義実践なり。

   如何なるか是れ道、古徳曰く、「平常心是道」と、更に説いて曰く、
   「道は知にも属せず、亦不知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、
   若し眞に不疑の道に達せば、猶ほ大虚の廓然洞豁(とうかつ)なるが如し」と。

   春に百花有り、秋に月有り、夏に涼風有り、冬に雪有るが如く、
   捨身滅賊を以て平常心となし、更に閑事の心頭に挂くるなくんば、
   誠に大義実實の至極、 天皇信仰の極致と謂はずんばあるべからず。

   結城(ゆうき)入道道忠聖圖(せいと)成らず、中途に重病のため起居も叶はず、
   定業(じょうごう)極まりぬと見えける時、善知識の曰く、

   「今は御臨終も遠からず、相構へて後世善所の御望み惰(おこた)る事なくして、
   稱名の聲の内に三尊の來迎を待ち給ふべし、御心にかゝることあらば
   御子息の御方へも傳へ申すべし」と。

   入道既に目を塞がんとしけるが、かつぱと跳ね起きてからからと打ち笑ひ、

   「我已に齢七旬に及んで 聖恩身にあまる今更に思ひ残すことなし、
   たゞ今度罷(まか)り上つて遂に朝敵を亡ぼし得ずして空しく黄泉の旅に赴くこと、
   多生廣劫までの妄念なり。

   されば愚息親朝にも『我が後生を弔はんと思はば、供仏施僧の作善をも致すべからず、
   更に稱名讀経の追善をもなすべからず、唯朝敵の首を取つて我が墓前に懸け雙べて見すべし』
   と云ひおきたる由傳へ賜りたし」と、刀を抜きて逆手に持ち歯噛して死す。


   大楠公の臨終にも相似て 何ぞ其言の悲壮なる、其行の忠烈なる、
   血涙滂沱禁ずる能はず。

   全身全霊更に私心なく、三世一貫唯々絶忠、大義實践の亀鑑、臣道の最高峰、
   信仰の絶峰なり。

         <平成23年7月10日 記>

第十三章 信仰〜その2 (3378)
日時:2011年07月16日 (土) 07時35分
名前:伝統

   道元禅師曰く、「仏法とは自己を習ふなり、自己を習ふとは自己を忘るゝなり」と。
   自己を忘るゝとは身心を放下(ほうげ)し、放下も亦放下着(げちゃく)、放下し盡して、
   無も亦無き大虚の廓然洞豁なるが如く、眞に不疑の大道に達せるの謂ひなり、

   斯くして宇宙の大法則、至正至純の大精神は髣髴として箇身に顯然たり。
   是れ君臣一如の当體、 天皇信仰の根基なり。

   萬法は最高峰に到る千差の行持、中路に歩を止めて奴(やっこ)となる勿れ。
   諸宗諸學の信仰は半途の虜、高峰に非ず。萬難を踏破して極頂を窮めよ。
   皇國の真姿自然に透得せん。

   然して 聖詔(せいしょう)實践は其の直路(じきろ)最捷道なり。
   國體明徴は國體観念の正持(しょうじ)のみにあらず、
   國體の実行、 聖勅の實践は、其の骨髄(こつずい)なり。 

   聖徳太子は、「私(わたくし)ニ背キテ公(おおやけ)ニ向フハ是レ臣ノ道ナリ」と、
   悠久不變 天皇に歸一し 聖詔實践を以て臣の道なりと誡示(かいじ)し給へり。

   聖賢は敬すべし、信ずべし、然れども絶対の信を捧ぐべきは 御一~のみ。

   釈尊の教典を要せず、孔孟の教(おしえ)を要せず、耶教(やきょう)亦不要、
   唯々聖詔の実行あるのみ。

   山崎闇斎曾て問ふ、「孔孟大軍を親帥(しんそつ)し来り 皇國を攻むる時如何」。
   孔孟の心髄に触れ得ざる蝦蟆(がま)躍(おど)れども斗(と)しょう を出でずして答ふる能はず。


      *山崎闇斎 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B3%BA%EA%B0%C7%BA%D8

      *斗しょう(斗そう)・・・器量が小さいこと。
                   http://kotobank.jp/word/%E6%96%97%E7%AD%B2

   闇斎自ら答へて「孔孟を捕へて 天子に献ぜんのみ」と。

   善なる哉、流石に大義名分を命脈となす崎門(きもん)學道、其言や誠に忠なり。

   釈迦一度釈軍を帥(ひき)ゐ攻むれば、皮を得て其髄を得ざる輩忽ち其の軍門に降りて、
   釈典あるを知つて 皇典を解せず、来世を希うて 皇運の無窮扶翼を知らず。

   キリスト耶(や)軍を提げて来れば、耶も亦 皇慈の一轉化なるを解せず、
   脆くも一敗其の十字架上を仰信し、 皇神を輕んじ礼拝だにせざるあり。

   咄哉(とつさい)咄哉。何んぞ其の無能不逞の甚しき。

   其の他近時簇々(そうそう)たる形を装ふ浮游(ふゆう)宗に至りては茲に喋々を要せず、
   言語道断の一語に盡く。

   欧米の諸邦民主軍を総動し来れば、最高無比なる 皇國體を忘却して、
   忽ち其の配下を盟(ちこ)うて、大義を捨つること弊履(へいり)の如し。

   蘇邦共産軍を主體とし、人民戦線を先駆となして席捲し來れば、
   倏忽(たちまち)赤賊の奴となりて乱舞其の防衛を甘んず。

   嗚呼、三千年の魑魅魍魎一時に蠢動し、大義黒漫々(こくまんまん)、名分七花八裂、
   無二の國體も唯空名に終るか。 

   皇國の危機、速かに惑と疑とを拂拭して不惑不疑 聖詔實践に直心たれ。
   無私忘我期せざるに矩(のり)を越えざる 聖詔の實践こそ、
   至忠至孝正しく信仰の最高峰、是れ危機脱得の秘法なり。

   世界 皇化の礎石なり。


    明治天皇御製

     善きをとり悪しきをすてゝ外國(とつくに)に 
       おとらぬ國となすよしもがな


   國體を解せずして何の善と悪ぞ、 皇基を振起するもの善なり、
   皇基を危くするもの悪なり。

   天孫民族善悪取捨の秤竿(しょうかん)は實に大義なり。
   否々 世界民族の以て正邪判断の根本基念となるものは、 
   皇國國體たらずんばあるべからず。

   宇宙最高濟世の大法則は 皇國一如の國體なり。
   國體の眞髄を把握し三世通貫不動不轉 大御心のまにまに實行せよ。


   是れ眞実の信仰なり。


    橘曙覧先生歌

     一日(ひとひ)生きば一日(ひとひ)心を大皇(おおきみ)の
           みためにつくす吾が家のかぜ


    川合清丸翁の橘中佐に贈りたる詩

     生爲忠孝民(いきてはちゅうこうのたみとなり) 
     死作國家~(ししてはこっかのかみとなる)
 
     一意護皇祚(いちいこうそをまもる)      
     眞成日本人(しんせいのにっぽんじん)

     *川合清丸翁
      神職の家に生まれて幼少より神道を学び、更に禅を鳥尾得庵から学び、
      勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟らの知遇を得、明治21年に鉄舟の援助を
      得て日本国教大道社を設立し、神・儒・佛の三道に因る国教確立を唱えた宗教家。

     *橘中佐
      http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/125.html
            (昭和一二、一、三一)

  *「大義」(復刻版)(P118〜123)より

  *「信仰」の解説部分については、次回紹介予定です。

         <平成23年7月16日 記>

第十三章 信仰〜その3(解説) (3495)
日時:2011年07月21日 (木) 06時44分
名前:伝統

(1)この章は信仰の最高峰ないし信仰の極致についてついて述べられている章です。

(2)ここで使用されている「信仰」とは、たとえ生命を奪われるとしても変化することのない
   「不動の絶対的信念」といったほうがより的確であるといえます。

   例えばあの有名な吉田松陰先生が刑死前に江戸小伝馬町の別室に在牢した、
   水戸の志士堀江克之助に与えた書の中の一節、即ち

   「神勅相違なければ日本は未だ亡びず。
   日本未だ亡びざれば正気重ねて発生の時は必ずある也。
   只今の時勢に頓着するは神勅を疑うの罪軽かざる也。
   皇神の誓ひおきたる国なれば正しき道のいかで絶ゆべき・・・」

   に示されている神勅への絶対的信念・信仰と同じ意味なのであります。

(3)ここでいう信仰とは、いうまでもなく、天皇絶対信仰のことであり、軍神は
   その積極的具体例として南朝の忠臣たる結城入道道忠の臨終の事跡を紹介し、
   逆の反面教師的具体例として武士道実践をとりあげています。

   この武士道に対する軍神の識見もまさに38年の人生において至正至純に終始した
   軍神の面目を躍如とさせるものがあります。

  @天皇信仰を最高峰とする以上は徳川幕府時代のように、天皇より幕府・藩主に
   忠たらんとする武士道は、義は義なるも小義であって大義ではないのです。

  A幕末期の滅びゆく幕府に忠義を尽くした新撰組などは、一つの自己犠牲的な義の
   ための行動であるがために、共感を引きつけている部分はあります。

   天下の大勢にそむいてまでも最後まで徳川幕府に殉じたその首尾一貫性・純一無雑性
   はそれなりに評価されるべきものが有ることは第5章でも述べた通りです。

   しかし、惜しむらくはその純粋性は多分に歴史的・国体論的に
   「井戸の中の蛙大海を知らず」的な視野・識見の狭いものであった事実をも
   厳然と直視する必要があるのです。

   しかも、それがために、多くの有為な維新の志士の喪失(*)によって、
   明治維新は少なくとも1年は遅れたといわれているのであります。

   (*宮部鼎蔵<ていぞう>や吉田稔麿<よしまろ>等々が池田屋事件で、
   殺害されたこと)

   単なる純粋性に基づく新撰組を英雄視する以上に、何らの落ち度なく大義のため
   非命に死した宮部鼎蔵以下の志士の無念さ・至正至純性をより顕揚評価する
   必要があるのです。

(4)これらの区分・峻別をしない人、あるいは出来ない人は、我々の陣営に属する
   人の中にもかなりいると思われますが、それはミソとクソとを一緒にするような
   もので明白に誤りであると言わざるを得ません。

   そこで、杉本軍神はわざわざ
   「世論往々武士道実践を以て道の至極、即ち最高峰となすは大いに誤り了れり」
   と直言する所以があるわけなのです。

   念のために言っておきますが、武士道をすべてダメだと言っているのではなく、
   往々にして武士道こそが日本精神のすべてであり最高のものであると得々と自慢
   している人達への頂門の一針として、即ち、「上には上が有るのだ」、
   井の中の蛙になってはいけないという趣旨を述べているのにすぎません。

   したがって、これらの区別・峻別がキチンと出来ているのならば状況を踏まえて
   戦略的に語るという意味で武士道や新撰組等々の事を語るのは一向にさしつかえは
   ありません。

(5)そしてこれらの趣旨は平俗的にわかりやすい具体例でいえば
   次のような事を言っています。

   即ち、関東でいえば老若男女が容易に昇れる低山の高尾山も有れば、
   これより高い丹沢の山(標高2千メートル未満)も有るが最高峰はやはり
   富士山であるので、山に登る以上は最高峰たる富士山を最終目標にするということです。

   物事においてもすべからく段階があるのだということを示しているのです。

(6)従って、「義」においても、小義から大義まであることをわきまえ、
   少なくとも最終的には大義実践をもって最高峰となす信念に到達することを、
   軍神は、今なお皇国三千年史の語り部として皆さんに熱く語りかけているのです。

    *「大義」(復刻版)(P124〜127)より

         <平成23年7月21日 記>

第十四章 大命 (3929)
日時:2011年08月16日 (火) 07時02分
名前:伝統

   萬山重からず君命重し、一髪輕からず我命輕し。

   平重盛は父清盛の不臣を諫めて曰く、「父命を以て王命を辞せず、王命を以て父命を辞す、
   家事を以て王事を辞せず、王事を以て家事を辞す。 
   君と父とを竝べて親疎を分つことなく、君に付き奉るは忠臣の法なり」と。

   実に重盛は國體を弁(わきま)へ、君臣の大義に透徹せる忠臣といふべし。

   昭和十一年二月二十六日の大逆事件参加将校二十名下士官兵千四百名、
   一党一閥の事を以て遂に、勅命に抗するに至る。

   然して其の思想的幇助大衆に到りては優に百万を超えたり之(これ)亦抗勅の徒なり。
   其の他一身一家一門の利害を以て、外(そと)忠誠を誓ひ、内(うち)王事を辞し、
   勅命に抗しつゝあるもの幾百千万人ぞ。

   身(み)のために 君を思ふ輩、皆此の類なり。
   個人主義・自由主義・功利主義の徒悉皆此の同類にして、日本國内に蠢動する
   約八十萬の共産党の如きは、唯物の事を以て 勅命に抗して、日々反乱しつゝある
   鬼畜の類なり。

   北条高時鎌倉に切腹するや、一門二百八十余名・部下八百七十名之に殉じ、
   六波羅探題北条仲時の臨終には、四百二十二名殉死し、
   九州探題北条英時の死に方りては、三百四十名の家来之に殉ず、

   其の行は壮なるも、彼らは皆一門の事を以て、王事を辞したる不忠の臣と
   謂はざるべからず、不孝の子と謂はざるべからず。

   一門並びに相恩の家臣門人ならずとも、又順逆の理(ことわり)明かならざりしと雖も、
   北条義時乃至高時及び足利高氏乃至二・二六事件に参加たる軍は、
   共に私事を以て 王事を辞し、且つ之に抗したる不臣不逞の輩、

   心事(しんじ)は燐むべしと雖も、断じて軽視許容すべからず。

   若し夫れ思想的に共鳴し参加せりとせば、主魁(しゅかい)と同罪、
   不忠の極み、断乎として極刑に処すべきものなり。

   古人曰く「父もし 王に背かば、父を捨てゝ 王に参ずるは孝の至りなり」と。
   誠に 皇國の真髄を道破せるものと云ふべし。

   承久の変において、北条義時及び子泰時、 後鳥羽上皇を隠岐に、 順徳上皇を佐渡に、
   土御門上皇を土佐に流し奉り、 仲恭天皇を廃し、後掘河天皇を擁立し奉りて不臣の至極、
   今もし義時を此の主謀者なりとなすも、泰時は不臣の父に随順せるもの、
    皇國に於ては不孝の極なり。

   父命を以て 王命を辞したるもの、不忠の限りなり。

   隠岐島に十九年間櫛風沐雨(しっぷうもくう)具(つぶさ)に煉獄の惨苦を嘗めさせられ、
   遂に崩御遊ばされたる 後鳥羽上皇を御追憶申し上ぐる時、就中(なかんずく)、


    御製

     我こそは新島守よおきの海の
           あらきなみ風こゝろして吹け


   この一悲曲を拝唱する度毎に、三百六十の骨節(こっせつ)驀然(ばくぜん)一散、
   八萬四千の毫竅(ごうきょう)熱血滾(たぎ)る。

   義時・泰時の如きは、八つ裂きにして打つて粉にするとも、飽き足らざる大悪党なり。

   嗚呼、 皇史三千年、天日全かりし日幾何(いくばく)なりしぞ。

   回顧すれば、私事を以て 王事を辞し、消積(しょうせき)の両極、
   其の何れたるを問はず、王命を干犯せる連綿たる一大汚史にあらずや。

   然れども未だ 皇位を覬覦(きゆ)せるもの、道鏡一奴を除いて曾て之れあらざりしに、
   此の聖代何事ぞ、 皇祚を打倒せんとする鬼畜共産党、 皇位を覦ふ迷妄大本教徒等
   簇々(そうそう)として輩出す。正に是れ 皇基の危機なり。

   醍醐天皇延喜元年、菅原道実公 佞**(確認後掲載)(ねいかん)藤原時平の讒(ざん)に遭ひ、
   順逆の一大事なるに、さらに弁疏(べんそ)の意なく、只管に 勅命を畏み、
   太宰府に貶(へん)せらるゝや、常に謫居(たつきょ)の門を閉じて謹慎し、

   日夜恩賜の御衣を捧持して余香を拝し、 聖恩無窮を喜び、 聖寿無窮を祈る。
   嗚呼、何ぞ其の心の敦厚忠烈なる。

   高杉東行(とうこう)の歌へるが如く、「君見ずや忠鬼と爲る菅相公、
   霊魂尚ほ在り天拝峯(てんぱいのみね)・・・古より讒**(確認後掲載)(ざんかん)忠節を害し、
   忠臣 君を思ふて躬(み)を懐(おも)はず」

   讒(ざん)と否(いな)とを問はず、 勅なればいとど畏み鰭伏(ひれふ)し奉り、
   君君たらずと雖も、詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹み奉る、
   是れ 皇國臣道の第一義なり。


   大楠公献策遂に用ひられず、大命出づるや一途に畏み、愚案(ぐあん)湊川に出陣し、
   大君を思へば心安らかならず、一子正行(まさつら)を残して、 天皇の御守護に
   任ぜしめ、躬は忠鬼と為り、三世一貫更に私心なし。

   忠厚の権化、百世相伝へて感憤(かんぷん)興起(こうき)せざるなし。
   大命重し、身命を羽毛の軽きに比す、 皇軍の亀鑑たり。

   軍人に賜りたる勅諭の中に、「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ、されば朕は汝等を
   股肱と頼み、汝等は朕を頭首と仰ぎてぞ、其親(そのしたしみ)は特に深かるべき」
   と宣(の)らせらる。

   股肱とは頭首の指すまゝに働きてこそ健康体なれ、股肱頭首の命に応ぜざれば病体なり。

   大命に死力を尽すは、 皇軍最高の大使命たらざるべからず。
   即ち 聖心(おおみこころ)と一体的活動をなすこそ 皇軍の本質たらざるべからず。

   軍隊内務書綱領第一に、「軍は 天皇親率の下に 皇基を恢弘し、國威を宣揚するを
   本義とす」と、「頭首・股肱」と「天皇親率」不二一体昭々乎として 
   聖論歴然たり。


   政党の反國體性は憲政常道と称し多数を擁して政権を 天皇に強要し、大命を左右し
   奉らんとするにあり。

   今若し他の容喙を許さざる条規を楯に、軍が大権の発動を阻止したりと仮定せば、
   そは 皇軍の本質を游離したる軍閥なり。
   大命よりは条規の存在を重しとなしたる機関説思想なり。

   政党の國體不明徴に比肩す。
   財力以て 大権を動かさんとする財閥と何の差異ありや。
   異学以て 皇基を危くせんとする学閥と其程度何(いづ)れぞ。 

   天皇に伏はぬものを討平すべき 皇軍自ら 天皇に伏はぬ不逞の存在となり、
   剪滅せらるべき朝敵と化し去らんとするか。

   山川草木悉皆靡々として靡かざるなき 聖天子の真姿顕現こそは、
   天孫民族別けても 皇軍の最大唯一の使命なるぞ。

   微賤以て股肱たる絶対無限の恩寵を辱くせる 皇軍、大義護持のためには、
   昭和一億の民衆と戦ふとも、将又(はたまた)世界を焼土と化すとも、
   可惜の念更に無き大信念に安住せざるべからず。


   政党・財閥・学閥・乃至宗閥の顰(ひそみ)に倣(なら)ひて軍閥と化する勿れ。
   軍閥に冠せらるゝものは、天業恢弘に非ず、世界皇化に非ず、
   唯々軍國主義・帝國主義戦争の醜名のみ。

   今既に、二心、三心、「山はさけ海はあせなん世」ともならば如何なりなん、
   思ふだに 皇國の前途、冷水萬斛(ばんこく)。

   「君のためには身をも思はじ」と表には叫びつゝも、裏には常に一身一家の
   名聞利慾乃至一軍一党の主張貫徹を条件としてのみ忠節を誓ふことなきか。

   従ひて名利獲得乃至主義貫徹のためには愛國の美名の下、 
   大君を機関説的存在となすことなきか。 

   天業翼成の中核は 皇軍なり。
   先づ、殉皇の聖火となれ、然して諸賊焚了(ふんりょう)以て
   八紘一宇の大誓願に法輪を轉ずべし。


    橘曙覧先生歌

      天皇(おおきみ)の大御使と聞くからに
               はるかにをがむ膝をり伏せて

      天皇(おおきみ)は神にしますぞ天皇(おおきみ)の
               勅(みこと)としいはゞかしこみまつれ

      天皇(おおきみ)の勅に背く奴輩(やつばら)の
               首引抜いて八つもてかへれ

      天皇(おおきみ)に背ける者は天地(あめつち)に
               いれざる罪ぞ打つて粉にせよ

            (昭和一二、二、一一)

・・・(以下は解説部分より)


(1)大命即ち、天皇陛下の御命令の絶対性、重要性について、北条高時以下昭和11年の
   二・二六事件に至る歴史上の人物・事件等の具体的事例を挙げながら強調しているのが、
   章です。

(2)軍神がこの十四章を、いや「大義」そのものを書くことを決意された重要な動機として
   二・二六事件の勃発がありました。

  @事件参加した青年将校達は、当時の腐敗堕落した世情を憂い、また荒廃・疲弊した農村
   に義憤を感じて決起した事、即ちその精神は私利私欲を離れた純粋・純一無雑なるもの
   でありました。

  Aしかし、純粋・純一無雑であれば何ら問題はないでは、十分ではないです。

   日本の国体論・尊王論的見地からいうならば、換言すれば日本の歴史に鑑みるならば、
   純粋であることは必要条件であって十分条件ではなく、天皇絶対という意味での
   至正至純であって始めてその条件を充足するということになります。

   すなわち、物事には段階があり、純粋よりもっと高い精神段階があり、
   この高い精神段階に基づく行動でなければ真の大義に基づく行動とは言えないのです。

  B二・二六事件の首謀者の一人とされている磯部浅一的純粋性・純一無雑性に基づく
   行動は、日本の国体・歴史を無視したいわゆる借り物の国家社会主義的思想に基づく
   ものでありました。

   磯部は天皇なるものを、権力的・機関説的にのみとらえており、それだからこそ
   彼の国体観は根本的に誤っている乃至は未熟であると言わざるを得ないものなのです。


  C維新とは、日本の国体の本義よりすれば、過去も現在もまた将来においても
   その行動は単なる愛国・憂国の情よりするものでは足りず、あくまで尊皇の大義に
   基づいたものでなければならないのです。


(3)軍神による二・二六事件等への痛烈な批判そして、
   軍神の皇史三千年に対する深い自省・反省は、

   決して偏った狭いものではなく、むしろ軍神の修業・学問の高度にして徹底している
   ことを如実に示しているものに他ならないということです。

    *「大義」(復刻版)(P128〜134)より

         <平成23年8月16日 記>

第15章 神社 (4614)
日時:2011年09月24日 (土) 08時26分
名前:伝統


(註、茲に所謂神社とは、普通の意味の神社、即ち死せる人を祀れる神社には非ずして実に生身の神社なり、
 著者の所謂神社人なり。読者諸賢、冀はくば普通の神社の観念を以てこの章を読むこと勿れ。)


仏教は無我を本とし、儒教は仁を説き、耶教は愛を叫ぶ。
この三徳を兼備し、諸宗諸學を統合し、人類を救済し給ふは、實に 天皇御一神にお在します。

天皇に透徹せる士は、即ち 天皇を御神體とする神社なり。
その氏名を冠して、和気神社(和気清麻呂公を祀れる護王神社の謂ひに非ず、
和気清麻呂其の人なり)、
楠神社(湊川神社の謂ひに非ず、楠公其の人のことなり)、
乃木神社(乃木大将を祀れる乃木神社のことにあらず、乃木希典其の人の謂ひなり)と称呼すべし。

日本臣民は須く皆 聖心を御神體とする神社ならざるべからず。
君臣一体は正に此の神社の謂ひなり。

此の身は既に 天皇の宿らせ給ふ神社、尊重すべし、鍛錬せざるべからず。
広く世界に智識を求めて、 聖神を悟り、神域を清淨廣大にせよ。 

皇國に受け難きの生を受けながら、尚且つ 本尊を我慾我執とし、仏とし、異神・異学とす。
何ぞ其の思はざるのはな甚しきや。

大なる哉(かな)、 皇道、 天皇に私あることなし。
明徳太陽に等し、洋々乎として萬物を發育す。 
天皇は御生れながらにして御姓もなく、御氏もなく、
宇宙唯一神、是れ 上御一人と申し奉る所以なり。

古来洋の東西を問はず、聖賢の求めんとするものは、皆 皇道に存して餘蘊(ようん)なし。
聖賢、無我・仁・愛を以て修道の極致となしたるは、大卓見と謂ふべくも、
此の歸趨中心明かならず、乃至非現実的なりしために、彼等自らの道も祖國に行はれず、
祖國亦亡滅す。

聖賢 皇國に生を受けたりしならば、救済の大原則は 皇道に存することを体得し、
皇運扶翼の一途驀進は、即ち人類救済なる所以を了解せしならん。

大御心を心となし得たる時、始めて、君民一如、君臣一體なり。
聖心を以て体となさんと欲せば、私心を去れ、私心を去らんとせば、行持鍛錬せよ。
行には動静両面あり。

事々物々に自己を突入滅却、莫妄想驀直進前底は、動的行の要諦なり。
但し難中の難、道元禅師曰く、
「外相は世人と変らず、ただ、内心を調べ行く人こそ、真の道心者なり」と。

鍛錬の進歩は内なるぞ、自己究明底は静的行の秘鍵なり。
西哲曰く、「神に昇るの道は自己に降るの道なり」、
また曰く、「神の深さを探らんとすれば、須く汝自身の精神の深きを探れ」と。

 天皇を知らんと要せば、自己は無なることを知れ。
自己を究明して無極に到らざれば、 尊皇を叫ぶも 天皇と相隔る、實に天地遥かなり。

無私無極なる故に、君臣不二一体、 大御心は我物となり、日夜の所作悉く 皇作 皇業たり、
心既に 大御心たり。

一切を 天皇に一元化せんとする無縁大悲の誓願たる忠は、箇身のみの奉還に非ず、
一切をして奉献せしめんとする佛行是れなり。

汝波旬(はじゆん)の宮殿たる勿れ。
外道宮殿を占拠するが故に、自己本来の面目を失却す。甚しきは正法を誹謗す。
正法誹謗は正に罪中の至罪、外道は正法に違へるを謂ひ、正法は 天皇信仰なり。

古徳毎日自ら主人公と喚ぶ、復自ら応諾す、乃ち云ふ、「惺惺著、諾、他時異日、
人の瞞を受くる莫れ、諾々。」自己胸裏の主人公 天皇を常時内省せよとの教示、
終日紅塵を走つて、自己主人公を失却する勿れと誡めたるの警語と悟れ。

日々夜々に斯くの如く千思萬省、遂に勉めずして中(あた)り、思はずして得る、
平常心是れ絶対尊皇底の道人たらざるべからず。

學道の人、眞を識(し)らず、聖主を識らざるが故に、従前の識神悪知悪覺乃至異神を
以て本体となす、是れ無量劫来生死の本と知れ。

世の所謂愛國者・尊皇家と称へらるゝもの多くは自己を捨て得ざるがために、
常に 君臣二体なり。無窮の 皇運に限りを付け、百年に泣き、五尺に屈す、
皆是れ暗窟裡の徒なり。

眞の尊皇家は然らず、殉皇無雑打成一片にして、君臣両忘たり。
眞忠の忠を忘るゝ底、常見も迷、断見も妄、常断両頭を裁断せば、
一剣天に倚つて寒し。無窮の 皇生命躍如たり。

   水鳥のゆくもかへるもあとたえて
         されども道は忘れざりけり

両忘一如を道得せる言、

  雁過長空影沈寒水
  雁無遺蹤之意水無沈影之心  

   雁長空を過ぎ、影寒水に沈む
   雁に遺蹤の意なく水に沈影の心なし

君臣両忘の端的を頒出したる語、
祭神あり、祭主あり、神殿ありと見るは未だ悟らず、大悟底は三位一體、
一も亦無し、是れ眞正の見解、眞の神社人なり。

  諸天花を捧ぐるに路無く
  外道潜(ひそか)に (うかがひみ)るに見えず

風も洩らさぬ綿々密々、夢だにも 君を見奉り 聖主を懐(おも)ふ 
念々是れ忠、念々是れ滅賊、念々是れ大悲、是れ実に神社人の真面目なり。

往々庸愚の學人、愛國とし言えば、一國に限定せらるゝの故に、偏狭となし、學得するに足らずとす。
嗚呼、何んぞ其の無學無能の甚しき、誠に憐むに堪へたるも、又以て萬國冠絶の國體を否定せんと
するもの、共産主義と同罪、国を亡滅に導く輩、極刑に処すべきの徒なり。

天孫民族は萬邦無比に独善の王座を占拠すべからず。
他に比類なき 皇國なればこそ、皇道を宣布し、世界をして斉しく 
皇光に浴せしめんと至心に念願する大慈悲行とはなるなり。

純乎たる日本精神は太陽精神、從ひて世界の指導精神、人類救済の大法則なり。
 天皇を一國に制限せんとするこそ、実に偏狭・不敬・無智・度し難きの奴徒。

學んで奴となる勿れ、名利の隷となる勿れ、諸学の研鑚に依り、
無尽蔵なる 皇國精神、未知の世界を開発認得せざるべからず。

中庸に云く、
「誠者不勉而中、不思而得、従容中道聖人也 (誠は勉めずして中(あた)り、思はずして得、
從容として道に中る聖人なり)」と。

悲惨惨烈の極頭、知慮尽き果つるも尚且つ從容として正道を踏んで 
皇運扶翼を忘れず、臨終 聖寿無窮を絶叫す、是れ聖人なり。

此の皇漢ならずんば非常の秋常に自己以外總べてを忘却し去り、国を亡ぼすに到る、
前蹤皆是れなり。

心の欲するまゝに行ひて而かも矩を越えず、 皇道の一途を邁進底の大義漢となれ。

臨済いわく、「赤肉團上に一無位の眞人あり、常に汝等諸人の面門より出入す、
未だ證拠せざるものは看よ看よ」と。

                                        ヽ
 宇多天皇の御言葉

  百姓ノ単寒、朕見ルニ忍ビズ、既ニ富國ニ謀リナシ、
  唯、體ヲ貧民ニ合センノミ。


 後醍醐天皇御製

  世治まり民安かれと祈るこそ
        わが身につきぬ思ひなりけり

 孝明天皇御製

  澄し得ぬ水に我身は沈むとも
        濁しはせじな四方の民草


 明治天皇御製

  罪あらば我を咎めよ天津神
        民は我身の生みし子なれば


恐れ多くも一無位の眞人に降り給ひて、衆生を済度し給ふは、御歴代の 天皇にお在します。

衆生佛を憶念すれば、佛も亦衆生を憶念す。

然るに 皇祖皇宗 衆生を憶念し給ふに、衆生の 祖宗の大御心を憶念せざる幾百千万人ぞや。
臣の罪、五逆の外に超出す、而かも 君憶念し給ふ。

嗚呼、茲に到れば筆尖涙滂沱たり。
吾正に罪科彌天、何を以て此の大罪を償はん。

眞に君臣一如ならば、色受想行識、即ち是れ 皇の五蘊、諸作諸業皆 皇作皇業なり。
是れ眞実眞正の神社、他は總べて虚仮なり。

無位の眞人未だ見得せざるものは、看取せよ、看取せよ。

釈経に曰く、
「百千諸仏を供養せんより、一箇無心の道人を供養せんに如(し)かず」と。

實に、一箇無心の道人とは 上御一人の御事なりと、汝等諸人恐懼せざるや。
深く 神勅の章に参せよ。


  衆 生 無 辺 誓 願 度
  朝 敵 無 尽 誓 願 断
  法 門 無 量 誓 願 学
  皇 道 無 上 誓 願 成

            (昭和十二、三、二一)

    *「大義」(復刻版)(P141〜148)より

         <平成23年9月24日 記>

第16章 高天原 (4885)
日時:2011年10月10日 (月) 08時32分
名前:伝統

神皇正統記開巻劈頭に曰く、

 大日本は~國なり。 天祖始めて基を開き、 日~長く統を傳へ給ふ。
 我國のみ此事あり。異朝には其類無し。

と。古今論じて、高天原の所在に及ぶや、議して決せず、紛々として百出千來、摸索不着なり。
脚下を照顧せよ、外に向つて馳求(ちきゅう)して何の極(きわめ)かあらん。

日~長く統を傳へ給ふ  ~國を外にして、何の高天原ぞ。

  尽日尋春不見春 (じんじつはるをたずねてはるをみず)
  杖藜踏破幾重雲 (じょうれいとうはすいくえのくも)
  歸来試把梅梢看 (きらいこころみばいしょうをとりてみる)
  春在枝頭已十分 (はるはしとうにありてすでにじゅうぶん)

  尽日春を尋ねて春を見ず
  杖藜(じょうれい)(一)踏破す幾重の雲
  歸来試みに梅梢を把(と)りて看る
  春枝頭に在りてすでに十分


如何なるか是れ高天原の實相、~正~純(しんせいしんじゅん)之れなり。
 聖天子の大御心を以て心とし、更に私心なき時、神正神純にして、
此身は即ち高天原の小なるもの、天地は即ち高天原の大なるもの、

長者は長高天原、短者は短高天原なり。 皇國無窮の大使命は、世界の高天原化なり。
即ち 天業を恢弘し 皇道を宣布し、八紘一宇の實現にあり。


明治初頭廃佛の喧(かまびす)しき秋、占部~祗官一日独園和尚に問うて曰く、
「地獄極楽が眞に存在するものならば、我に見せよ」と。

和尚答へて、「地獄極楽御覧になりたくば、随意に御縦覧遊ばせ、佛家では地獄極楽を
決して隠さず、諸人(しょじん)の面前に洒け出してある、眼を開けば直ぐに見える。

然し~道の高天原や下夜國(よもつくに)を見た人でなくば、地獄極楽は見えませぬぞ。
貴官は高天原や下夜國へ旅行召されし事ありや」と、迫れば、
占部氏一言の返事もなく、梶X(そうそう)に退散せり。

枯骨者流は常に概ね此類なり。外に向つて天國を探り、~を求め、極楽を尋ね、
佛を問うて寧日なく、脚下を忘却して現実を游離し、國の興廃常なき例証は、
限前露堂々、将又(はたまた)青史歴然たり。

皇國亦萬邦冠絶といふも名のみに成り果てたるか。外に向つて高天原を論じ、~を古人化し、
~域を固定し、天國極楽を他に向つて馳求す、自己本尊者流と共に亡國の大素因、
共産主義者の蘇國を祖國となすと同断、共に亡國の大**(確認後掲載)なり。

~道は 皇國の大本、忠君殉皇の大節を以て宗とす。然らずんば虚妄なり。
~道家眞に 「天皇は 天照大御~と同一身に坐しまし、普天の下・率土の濱、
皇臣皇土に非ざるなし」と、信念しありしならば、幾百千年、兵政の大権、権武両門に帰せるを、
何んぞ洒々平然として眺め去らん。必ずや此等不逞剪除の急先鋒たりしならん。

又~道家眞実に、「~社の祭~は 皇道翼賛の権化、純忠の大士にして、決して怪力乱~にあらず」
と、悟りなば、何んすれぞ三冬無暖気底の暗窟裡に獨坐して、自ら潔しとせんや。

直ちに進んで自ら祭~の化身となり、滅賊の一途に驀進せん。
是れ祭~の大精~に合一する祭祀の大本旨に非ずや。

聖天子は無私絶対に坐しますが故に、時空を超え宇宙に満ち給ひ、「森羅万象悉く 聖姿の顕現
ならざるなし。」是れは之れ 聖君先天自然の悟得底(第十二章神勅を徹見すればさらに明かなり)、

従ひて「宇宙悉く 聖天子の所有ならざるなし」とは、臣として金剛不壊(ふえ)の信仰にして、
「四海の内誰か 朕が赤子にあらざる」とは、 聖天子大悲の 聖信なり。

此の正念に安住するもの天孫民族なり。
萬有をして此の正念に覺醒し、 日~聖天子に歸一安住せしむる、是れ世界 皇化の眞實義なり。

さはあれ、 皇化途上に横はれる幾多の大難関は、皇史三千年を一瞥すれば、了々として明白なり。
想起せよ、~武天皇御東征、 当時を回顧せば、今後の世界 皇化も比すべき難事にも非ず。
難事は寧ろ自己 皇化なり。

自己 皇化せば、爆薬に点火したるに等しく、諸賊焚了せずんば止まざるの殉皇心勃然として
爆發せん。然らば自己 皇化の道如何。曰く、「聖勅實践のみ」。

高天原は~國なり、~國は 天皇國なり。 天皇國は 天照大御~と同一体に坐します 天皇を
仰信し、 大御心を以て億兆一心、救世の大慈悲心國是れなり。

正念を忘却せる文字葛藤片言隻語を捕へての対立抗争に余念なき凡愚乃至閑言語裏の奴となる
勿れ。只管(ただひたすら)に精進して 聖天子の下に至正至純 聖意を體して、高天原成就に
一切を放擲せよ。

げに高天原は 聖天子の大御心のままに、千古の 聖勅、教育勅語、軍人勅諭を實践し、
聖寿を無窮に祝(ことほ)ぎつつ、対立なき一如生活の行はれある聖域なり。

第六・七章を参見すべし。

 明治天皇御製

   よもの海みなはらからと思ふ世に
        など波風かたちさわぐらむ

   開けゆくときにいよいよ仰がれぬ
        聖(ひじり)の御代のたかきをしへは


 橘曙覧先生歌

   眞心といはるべしやは眞ごころも
         正しき道によらで盡くさば

   潔き~國(かみくに)の風(ふう)けがさじと
         こゝろくだくか~國(かみくに)の人

   ~國(かみくに)の~のをしへを千よろづの
         國にほどこせ~の國人

   尊かる天日嗣(あまつひつぎ)の廣き道
         踏まで狭き道ゆくな物部(もののべ)

   愚(おろか)にもまどへるものか大勅(おほみこと)
         たゞ一道(ひとすじ)にいたゞきはせで

             (昭和一ニ、四、三〇)

・・・(以下は解説より)

(1)高天原(理想世界)をいたずらに外に求めるのではなく、内に即ち求めるべきである。

   最初の漢詩(七言絶句)もこの趣旨を示しているものであります。

(2)軍神は、現実の実践を軽視して観念論に堕することの無益を説いております。
   軍神も第11章で維新の章を書いておられますが単に記述するのみでなく、
   大義顕揚のために種々の実践運動を行ないました。

   また幕末において吉田松陰はあえて生命の危険を冒してまでも
   「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」の歌の通りに
   行動して小塚原の露と消えました。

   その他の忠臣義士も数多く存在しています。

   かくして何故か日本歴史上において殉皇忠節の大士もまた陸続として
   天壌無窮なのです。

         <合掌 平成23年10月10日 拝>

第17章 戦 争 (5350)
日時:2011年11月15日 (火) 04時39分
名前:伝統

(陣中遺稿)

大義明白なる戦争発起も、之に従ふ上下、
大義不分明ならば、各々自己を執(と)つてその保存に懸命の努力を終始せん。

聖上を尊崇し奉る、戦庭(せんてい)に立つもの皆靡々(びび)として然らざるなし。
歩一歩を進めて、 皇道宣布に邁進せざる所以のものは、尊崇に徹骨(てっこつ)ならず、
従ひて宣布の精~流露せざればなり。

尊皇だに透徹しあらば、 皇道布施の大業は自(おのずか)ら流れ出づる清泉なり。

極大尚少しと憂ふべきは、尊皇の聖精神、極小尚多しと忌むべきは自己保存の汚精~。
此の自己保存の汚心(おしん)を剪滅(せんめつ)し、 尊皇の聖心を拡大し行く、
是れ心的戦争、即ち修養なり、一身の維新なり。

尊皇を無視する利己的不逞を一掃し、君民一如の國體を顯現する、是れ一國維新戦なり。

御稜威(みいづ)布施途上(ふせとじょう)障碍(しょうがい)たる不靡國(ふびこく)を
討伐し、皇化(こうか)に進前する、是れ世界維新戦、即ち 皇國の對外戦なり。

身・國・世界と區別すれど、三者一貫せる精~は一つなり。 尊皇と其の宣布にあるのみ。
故に 皇國の戦争は聖戦なり、~戦なり、大慈悲心行なり。

即ち 皇軍は、~將・~兵ならざるべからず。
此の精~だに徹骨徹髄透徹しあらば、
忌むべき 皇軍汚辱の自己功名保存の利己的戦争とはならざるなり。

~將は戦術秘奥の極上を傾倒し、~兵は訓育精華の極底を吐露して、殉皇す。
茲に萬生化育の聖業は進む。 皇軍の真面目躍如たり。

然るに見よ、一会戦終わる毎に、上下の秩は愈々乱れ下(しも)は増上慢となり、
自己所蔵の將にあらずんば、全く無差別下克上となり上(うえ)之を指導するの明識を欠き、
功名に酔ひて一時(いちじ)を糊塗して、

皇軍崩壊の遠因素因を為し、皇國の安危慮外に在るものの如し。
皇軍緒戦(こうぐんちょせん)に於いて既に然り。

世界興亡の足跡を仔細に検討せよ。
其の滅亡の最大原因は常に飽くなき利己心、停止を知らざる自己保存ならずや。

斯くて今次の戦争は帝国主義戦争にして、亡国の緒戦(ちょせん)と人(ひと)謂はんに、
何人(なんぴと)か是(これ)に抗辯しうるものぞ。

国を廃頽に導くものは共産輩(きょうさんはい)に非ず、
人民戦線に非ず、乃至社会主義にも非ず。

此等の主義は日本精~練磨の大砥石なり、為に 皇精~(こうせいしん)は愈々光を放つ。

亡國は底なき自己保存、飽くなき利己心にあるのみ。

戦争は一身乃至世界の修養なり、利己心滅却にあり、自己保存崩壊にあり。
我執無きものにして始めて尊皇絶對、
外に向つて 御稜威(みいづ)を布伝(ふでん)し得るのみ。

軍よ、挙軍功名心を去れ、自己保存の汚体(おたい)より脱却せよ。
戦(たたかい)は先づ心に向つて開始せよ。

一身の維新を計りて、眞の日本軍人に蘇生せよ。
かくして始めて、軍は 皇軍、將は~將、兵は~兵、戦は聖戦なり。

    昭和十ニ年八月三十一日

   長城戦参加(ちょうじょうせんにさんか)有感以誌(かんありもってしるす)

・・・(以下は解説より)

(1)第17章から第20章までの4章は、昭和12年7月に日支事変が起って同8月に
   勇躍出征され、北支において敵と交戦中、すなわち陣中においてその軍務多忙の中に
   午前2時、3時までかかって書き上げられたものなので、特別に陣中遺稿と呼ばれて
   おります。

(2)世界史上、戦争の目的は植民地・領土の獲得や国家の利益・権益の保護や自国民の
   生命・財産の保護とするものが大部分でした。

   しかし、軍神は、そのように解しておりません。

   それは、日本がまず世界人類の模範となる道義国家を建設し時と場合によっては
   いわゆる「身を殺して仁となす」ことによって世界人類が一切の差別なく兄弟・同胞
   として平和に生存できるような世界を創造することをもって

   その建国の精神・理想とする皇国日本にとっては、その理想の実現の妨害・阻害を
   する国をこらしめて討伐することが戦争なのであって、自国の利益の保護等々は
   いわば第二義的なものにすぎないのです。

   すなわち、軍神は今迄のような自国の利益・権益の保護のためというような功利的な
   目的でなく、建国理想の実現のためというような道義的な高いレベルで戦争を考えて
   います。

   そして、この理想の実現過程を維新といっており、さらに維新を次の3つに分けて
   おります。

   @自己の卑小な自己保存の汚心をせん滅して尊皇の聖心を拡大していく心理的戦争を
    一身の維新とし、

   A対内的に利己的な尊皇を無視する奴をせん滅すること(例えば足利高氏討伐)を
    もって一国維新戦とし、

   B対外的に自国の利益ばかりを考えて皇国の理想を妨害しようとする国々を討伐
    するのが世界維新戦と名づけています。

(3)この考えから、戦争は当然自己功名保存の偽・悪・醜の利己的なものいわんや侵略
   戦争であってはならず、建国の理想の体現者・統合者であられる 天皇陛下の大御心
   に沿ったものでなくてはなりません。

  @軍神は常々「名誉・功名や勲章や感状を欲しがるようでは本当の軍人ではない」と
   いっていたそうですが至言であります。

  A「四方の海みなはらからと思う世になど波風立ちさわぐらむ」との大御心を真に体し
   て入る以上、自己の功名保存のために行動するなどもっての他であると軍神は言って
   おられるのです。


   この点、日露戦争においては旅順開城のときに乃木大将の敵の将軍ステッセルに対する
   礼節ある態度などに見られるごとく広大無比なる大御心を忠実に奉じようとする態度が
   徹底していた。

    *参考Web:水師営の会見
           http://www.geocities.jp/iwa_kaz/suisiei.htm

          :文部省唱歌「水師営の会見」
           http://www.youtube.com/watch?v=WVVS56hWx30

           http://www.youtube.com/watch?v=-UDbRyry5dk&feature=related

   しかし、日支事変以降は徹底を欠いた面もあり、
   その点を軍神が厳しく本章に於いて指摘しているわけです。

  Bいいかえれば、目的が正しく聖なるものであればその手段も合致したものでなくては
   ならず、古来から言われる「目的のためには手段を選ばない」という考え方は皇軍に
   は適用する考えではありません。

   日露戦争時をピークにして皇軍の道義性・純粋性が下降していった(勿論、個々的
   には立派な人物は数多くいたが)原因はいろいろあるでしょうが、やはり国ないし
   国民全体が日露戦争の勝利に悪い意味で浮かれてしまったという点が最も大きい原因
   であったと思います。

   軍神はこれらの事実を承知して、その尊皇愛国の情より、世界各国の興亡の足跡を
   くわしく検討し、その滅亡の最大原因は外ではなく内にあり、具体的にはとどまる所
   を知らない自己保存、あくなき利己心にあると断言され一刻も早く大義に基づく昭和
   維新を断行することを力説されたのであります。

            <合掌 平成23年11月15日 頓首再拝>

第18章 皇國民(こうこくみん)の定義 (5587)
日時:2011年12月06日 (火) 06時38分
名前:伝統

威武(いぶ)も屈する能はず、貧賤も移す能はず、富貴も淫する能はざる者、是れ大丈夫の漢、
何故に然るか、殉皇の大精神内に充溢すればなり。
殉皇の精神是れ日本精神、殉皇の大士是れ日本人。

自己無きが故に萬徳自ら備はる、是れ副作用、根基は殉皇の聖心なり。
殉皇なるが故に、自己保存を極少も尚多しと忌み、尊皇を極大も尚少なりと優ふるなり。
殉皇の所以を以て最大幸福は忠死、最大不幸は自己保存と信念するなり。

總べて 皇國民たるの準基梯尺(じゅんきていしゃく)は大義なり、
悟迷・智愚・眞偽・善悪美醜・邪正・理非・曲直乃至大小等は、
大義の深浅厚薄に依つて、一切定むべきものなり。

大義の真髄を把取体得せしむるもの、修養教育乃至政治の眼目ならざるべからず。
心の欲するまゝに行(おこの)うて而も大義に協(かな)ひあるもの、
修養至れる日本人と謂ふを得べし。

「平常心是れ殉皇(じゅんのう)」底(てい)是れ眞の 皇民(こうみん)なり。
行かんと要せば即ち行き、眠らんと要せば即ち眠る、
食はんと要せば即ち食ふ底の自在人無執着の士、必ずしも修養至極の人には非ず。

批の無執着自在底の精神が殉皇行為に於て自然(しぜん)に終始するに到りて、
即ち作為なき自然的行為が常に殉皇なる時、
始めて 皇國臣民としての修養は至れりと謂ふべし。

教育は指針、修養は実行、政治は物心両面を深く考慮して、臣民を真の 皇民たらしめ、
 皇國を富岳の安きに置くにあり。三者一體を以て 皇國の理想とす。

眞の無執着は此の心身を捨了せざるべからず。
大死一番絶後に蘇るとは、心身破棄の行為なり。

生にして此の心肉を脱体する実に難中の難、人十度にして此を善くすれば、
我之を百度(ひゃくたび)するの大根気無くんば、無執着殉皇の聖精神は決して得べからず。
眞の日本人たる亦難い哉。

鈍鉄(どんてつ)鋳(い)るも鈍刀(どんとう)の規範を脱する能はず。
名刀は始めより素地あり。大和民掛(やまとみんぞく)は名刀の素材たり。
宗教乃至凡百の學悉く是れ鍛錬の材料なり。

名工は古往(こおう)今來(こんらい)の殉皇の大士、
以て百錬千鍛(ひゃくれんせんたん)すべし。
而して八紘一宇の第一線の戦士たれ。

尊皇と 皇道宣布、是れ 皇國民定義の二大綱領なり。

           (昭和一二、八、三一)

・・・(以下は解説より)

(1)本章は日本人はいかにあるべきか即ち、日本人としての生き方について明快に述べられている
   文章です。

   そして本章は、戦後60有余年を経た現在もアメリカ占領軍によって行なわれた民族・国家
   観念を忘却ないし喪失せしめようとする、いわゆる日本弱体化マインド・コントロール犯罪
   政策の呪縛の中にある現代に対しての一つの強力な問題提起となるものといえるでしょう。

(2)およそ物事を評価するためには何らかの判断基準が必要なわけですが、
   軍神はそれは大義であるといわれるわけです。

   吾々凡人は得てして威武には弱くややもすると「長い物には巻かれろ」のような生き方その他
   をしがちありますが、

   軍神は、それらに対して、日本人としての行動目標は、「尊皇と皇道宣布」の2つになると、
   極めて明快且つ具体的に説かれているのです。

(3)つまり、大義に最も深く透徹した人物こそが天下第一等の人物であって、その理想人物像が
   第十章<第一等の人物 (2092)>に示されており、古今の歴史をみれば大楠公然り、
   吉田松陰然りということになるわけです。

            <感謝合掌 平成23年12月6日 頓首再拝>

第十九章 行 (5658)
日時:2011年12月12日 (月) 04時56分
名前:伝統


行なき知識、行なき教育、行なき修養、等々有り得べからざる言句なるも、
世上滔々然らざるなし。

肉身の歳月乃至知識の修得は常に止どまる所を知らず、流れて止む時なけれども、
心の年齢に到りては極めて幼推にして、更に進むこ上を知らず、道を聞いて大いに笑ふ。

高位高官一度開口せば、美辞麗句流るゝが如く、釈・耶・孔・孟も三舎(さんしゃ)を
避くるに間暇(かんか)なき程に溢出(いっしゅつ)すれども、行に於ては曾(かつ)て
省(かえりみ)ることなく、徒(いたずら)に他を責むるのみ。

下(しも)亦(また)他を怨んで自己省察の餘地更になし。

上下交々(こもごも)利を執(と)つて、言説に急にして、自行(じぎょう)を
云為(うんい)するもの曾(かつ)てなし。

或人(あるひと)因(ちなみ)に鳥巣道(ちょうそうどう)禅師に問ふ、
「如何なるか是れ仏法」。

禅師曰く、「衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)、諸悪莫作(しょあくまくさ)」。
人曰く、「三歳の童子と雖も之を知る」。

師曰く、「三歳打童子も亦知ると雖も、八十歳の老翁も之を行ふこと能はず。」と。

皆知ることは古聖人よりも多く之を知る。行ふことは即ち得じ。
實に三歳の童子にも亦おとる。

従ひて道の深浅を知らず、高位高官に登るを以て修養又は向上と誤思するか。

更に向上修養を考へず、増上慢に陥り、自己保有の極峯(きょくほう)に坐して動かず、
自己身辺修飾に汲々として利己飽くなし。

「漸(ようや)く入(はい)れば漸(ようや)く深(ふか)し」の妙諦も、
粉飾例證の一句に止まりて、其の真諦(しんてい)を把(は)する能はず。

誠に憐(あわれ)むに堪へたるも、世間皆靡然(びぜん)として此の徒なり。
自己に行なきを以て 皇國の現状も達見する能はず。

日新日進の國是にも拘(かかわ)らず、舊體(きゅうたい)を保持して十成(じゅうじょう)
と思惟(しい)し、無窮の 皇運を知らず知らずの間に阻止す。

行なきが故に自己の眞底(しんてい)を知らず、國家の現況を洞察する能はず。
行有るが故に自己修養の難事を知る。

況)いわ)んや國家の向上修養の如何に至難なるかを見得(けんとく)し、
慨然(がいぜん)國難に赴(おもむ)くに至(いた)るなり。

歩々進み得て始めて山の高きを知り、海の深さをも知る。
眺むるのみにて如何ぞ其の眞實に徹し得ん。
世皆此の眺望底(ちょうぼうてい)の輩(やから)のみ。

道を聞いて内心大いに笑ひつゝも、外観(がいかん)道(みち)を以て扮装之れ努む。
之(こ)れ大方(おおかた)の人士(じんし)なり。

孜々(しし)として行(ぎょう)する漢(おのこ)にして、始めて道の愈々(いよいよ)
遠く愈々深きを感じ、謙譲となり、自己の極小(ごくしょう)を知り、
道(みち)の極大(ごくだい)を知る。

達磨大師は、「正法(しょうほう)は深重(しんちょう)なり、永劫(えいごう)に
忍び難きを能く忍び、行し難きを能く行する底(てい)の鐵漢(てつかん)にして
始めて得(う)べし。軽信慢心輩(けいしんまんしんはい)の能くする所に非ず」と、喝破す。

正法 皇道の極大(きょくだい)を知れ、然して之に到るの唯一道(ゆいいつどう)は行のみ。

世の軽信慢心輩に道(い)はん、「些少(さしょう)たりとも行(ぎょう)して正法の深きを
知れ、更に進前して妙底に触れよとは道(い)はじ、唯々(ただただ)正法の深きを知れ、
唯これだけにて汝が思想は正方向に轉ぜん。汝の増上慢は忽然(こつぜん)として解消せん」

「意(い)は毘盧頂(びるちようねい)を踏み、行(ぎょう)は幼児の足下を拝す」。
意は常に最高正法を把握し、而(しこう)して之(これ)を生活に具現せんために、
謙々(けんけん)として行(ぎょう)し來り、譲々(じょうじょう)として争はず。

此の士眞(ししん)に 皇道の行者なり。
萬世を動かし感ぜしむるものは、言に非ず、終始行(ぎよう)なり。

回顧せよ、千歳(せんざい)の下(もと)、猶(ん)ほ吾人(ごじん)をして
憂憤(ゆうふん)難(なん)に赴(おもむ)かしむる者は、唯忠烈義士の行為に非ずや、
殉皇(じゅんのう)の行(ぎょう)を行(ぎょう)して驀直(ばくじき)に進前せよ。

脈々として子孫を叱咤勵打(しったれいだ)するものは、唯此の行のみ。

殉忠せよ、忠死の一事は、生くる幾千(いくせん)萬歳(まんさい)に勝(まさ)る
萬々(まんまん)なることを銘記せよ。

殉皇(じゅんのう)の行(ぎょう)を行(ぎょう)せよ、
子孫に對し、長生(ながいき)に勝(まさ)る幾千萬倍の警策(けいさく)たることを
牢記(ろうき)せよ。

          (昭和十二、八、三十一)

・・・(以下は解説より)

(1)古来より、智識と行とは一致・合致しなければならないと説かれています。
   本章もこのような趣旨で書かれているのです。

   実践を伴わない傍観者に堕してはならないのです。

(2)軍神が書かれた『大義』は、実に生命がけの修行によって悟得された殉皇の誠心より
   書かれたものですが、閣山に於いて敵の小銃弾や手榴弾を全身に受けながらも軍刀を
   杖代わりとして、皇居当方へ正対して立ったまま戦死するという

   およそ物理的・常識的に考えられない空前絶後の壮烈無比の最後こそ
   軍神の最後の行といってよいでしょう。

(3)また、軍神は戊辰詔書や国民精神作興に関する詔書が発布されるに至った、
   いわゆる軽佻浮薄な国情を憂えて昭和維新を断行するために真剣な努力を重ねて
   おられたのです。

   吉田松陰も世俗的には何の不自由・不足の無い学者としての安穏な生活を送れる立場
   にありましたが、

   「さてもさても思ふまいと思ふても又思ひ、云ふまいと云ふても又云ふものは
   天下国家の事なり」と彼自らが告白しているように、

   その純粋性の故に遂に世俗的な学者とはなりえず、いわゆる志士として下田の踏海事件
   その他の実践行動に挺身し最後は幕府によって斬首されるに至る激しい行動を
   行なったのです。

(4)時代を経ても今日我々をして感奮興起せしめるのは、
   このような生命をかけた、忠烈義士の行為によってであります。

   本章はこのように皆さんに語りかけているのです。

            <感謝合掌 平成23年12月12日 頓首再拝>

第二十章 死生観 (5811)
日時:2011年12月20日 (火) 07時00分
名前:伝統

萬人齊(ひと)しく千古の大疑(たいぎ)となすは死生なり。
宗教乃至学問の極致は、死生(しせい)透脱(とうだつ)にあり。
而(しか)も議論百出容易に決せざるもの死生なり。

孔子曰く、「未だ生を知らず、焉(いづくん)ぞ死を知らんや」と。
永遠の謎は死生なり。

死は心身の滅なり、生は身心の活動なり。
即ち心身に左右せられざる無執着こそ死なり、心身の滅なり。

更(さら)に換言すれば、心身に拘らず無執着なる心身の活動は滅に等し。
是れ心身活動の極天(きょくてん)なり。生死一如とは実に此の謂ひなり。

即ち知る、 死生は生身(なまみ)にして解決することを得。
如何にして此處(このところ)に到るか、曰く、唯一なり、身心の放棄是れなり。
自己滅却是れなり。

關山国師は、人の死生観を問うあれば、「吾這裏無生死(わがしゃりにせいしなし)」と、
一喝するを常とせり。

宜(むべ)なる哉、心身放棄の達人に生死なし。
生死は茶飯事(さはんじ)にも非ず、将又(はたまた)餘事(よじ)にもあらず、
唯(ただ)無生死(むせいし)一(ひとつ)のみ。

但し大死(たいし)一番絶後に蘇りたる大達(だいたつ)の死生観にして、
凡庸の窺知(きち)を許さず。

達人は生身にして観自在生死(せいし)透超(とうちょう)、
凡百(ぼんひゃく)は心身死滅して無執着の域に入るも、
菩薩たり得ず、仏たり得ず、神たることを得ず。

如何(いかん)となれば衆生濟度(さいど)の力(ちから)無ければなり。
遺(のこ)し置きし行為乃至著述にして、後世の人々をして 皇國のため
憤起せしむるに足るものあれば、此の人は神なり、菩薩なり、仏なり。

大楠公に過ぎたる佛なく、和気公に勝りたるの菩薩なし。
酔生百年夢死千年の後(のち)なるも、此の人長生の人とは言ふを得ず、生ける屍に過ぎず。
形骸は短命なるも、永く人心を支配し、後世を感憤(かんぷん)善導するあり。

小楠公・景岳・松陰の諸公等殉皇の傑士は、皆長生不死の神なり。
死は一切の束縛より脱却せる境地なるも、凡傑両者隔絶すること天地遥かなり。
殉皇の士は、不死永生、真に無生死の神佛と謂ふべし。

宗教は無執着・無生死の人を造るを以て其の眞生命となす。
然るに、今や宗教に心身放棄の真面目なく、愈々執着を多くし、益々生死の人たらしめ、
生と死と区別して転生を説き、極楽往生に執着せしむ、是れ亡国宗教なり。

皇國民たるもの、死生一貫、無窮に 皇運を扶翼(ふよく)せざるべからず。

思はずして殉皇(じゅんのう)、勉(つと)めずして殉皇、一も殉皇、二も殉皇、
寤寐(ごび)恒(つね)に殉皇、行住坐臥共に殉皇、
斯(かく)の如き人物を絶忠といふ、絶忠の士に三世なく、死生なく、常に殉皇なり。

此の士にして、無窮に 皇運を扶翼し、無窮に国民を指導誘掖)ゆうえき)し、
眞の日本人を造り、八紘一宇、世界を 皇國たらしむるを得るなり。

絶忠に死生なし、死生あるは絶忠に非ず。
死生観を云々する間は、此の人未だ純一無雑に非ず、心身放擲に非ず。

純忠に死生なし、唯々(ただただ)純忠に生きよ。
否、「生きよ」といふも、手緩(てぬる)し、唯々絶忠。
忠も亦無し、是れ真の絶忠なり。


 橘曙覧先生歌

   大皇(おおきみ)の醜(しこ)の御楯(みたて)といふものは
           かゝるものぞと進め真前(まさき)に

                         (昭和十ニ、九、四)

・・・(以下は解説より)

(1)軍神に依ればただ単に肉体的・物理的に長生きしたからといってそれが何の価値が
   あろうか、むしろ生ける屍に過ぎないのではないかと軍神は問題提起をされている
   のです。

(2)では本当の意味での長生の人、いいかえれば価値のある人とはどんな人のことを
   いうのでしょう。

   その点について軍神はその本人の生前の行為ないし著述によって、後世の人々を
   皇国日本のため感憤興起しむるに足るものであれば、この人がそうなのだと
   いっています。

   そして、このような人であれば肉体的・物理的には短命の人であっても精神的・
   歴史的には長生不死の人といってよいといわれています。

(3)このような具体的人物として例えば小楠公や橋本景岳(左内)や吉田松陰のことを
   あげています。

   ちなみに小楠公が四条畷(しじょうなわて)に忠孝両全の花と散ったのが23才、
   橋本左内26才、吉田松陰30才にて殉皇されました。

   そしてこのような殉皇の傑士は肉体的には死滅しても、その精神・魂・志に感激して
   それを継承・実行しようとする者が後世にも永遠に連続して出現するという歴史的・
   継承的な意味に於いて、殉皇の士は長生不死ないし不生永生の神であるといっても
   よいことになります。

(4)ここで吉田松陰の「七生節」について簡単に説明しておきましょう。
   その論文の中で松陰は次のようにいっています。

   「私はかつて三たび湊川に楠公の墓を排して涙を禁ずることができなかった。
   朱舜水(江戸初期に来日した儒者)の碑文を読んで更に泣いた。
   それは何故だったのであろうか。

   考えてみると私は楠公とは骨肉父子の恩があったのでもなければ師友交友の親しみが
   あったわけでもない。いわば赤の他人である。
   それなのに自然と涙があふれでたのは何故であったのか。

   このことを茫々たる天を仰いで、また一己の小さい肉体をかえりみてつらつら思ん
   みるに、私は楠公のその絶対無視の忠義の心・志・精神に泣いたのであって、この意味
   において私の心は時間と空間を超えてつながっている。

   そして、これから先も忠孝節義の人は楠公をみて感憤興起するに違いない。
   すなわち楠公の後にまた楠公が生ずることになってその数は計り数えることができない。

   とすると、楠公は七生はおろか初めよりいまだかって死さざる不滅の不死の人である
   ことになる。そして、理を同じくするおのが心もまた七生をつらぬき永遠に生きること
   になる。」

   『留魂録』の最後の辞世、
   「七たびも生きてかへりつつ夷(えびす)をぞはらはんこころ吾れ忘れめや」
   はこの「七生説」の延長上にあります。

(5)これらの不滅不死の人は、本章でいう殉皇の傑士たる長生不死・不死永生の人のことを
   いうのです。

   まさに時間と空間を超えて絶対無私の忠列の人と心もつながっているのです。
   
・・・

吉田松陰の七生説については、次のWebが参考になります。
<Web:七生説(松陰先生遺文)>
     http://kaikikuyou.blog.fc2.com/blog-entry-10.html

・・・

 絶筆(遺品手帖より)

汝、 吾を見んと要せば、 尊皇に生きよ 尊皇精神ある処、常に我在り


*以上で、「大義」の全文の紹介が完了いたしました。
 次回以降は、若干の補足を、他の文献等より、
 引用して紹介して参りたいと思っております。

            <感謝合掌 平成23年12月20日 頓首再拝>

「大義」が遺された背景 (6016)
日時:2012年01月04日 (水) 06時31分
名前:伝統

本スレッドへの注目数が「50」を通過しました。

その記念として、「Web:皇国史観研究会」から
軍神杉本五郎中佐に関する資料を紹介いたします。


(1)「軍神杉本五郎中佐のあらまし」

   明治33年5月25日(大楠公が湊川で戦死した日)に広島県安佐群に、
   杉本五郎中佐は生まれた。

   市立天満小学校、私立修道中学校から陸軍士官学校(第33期)を卒業し、
   昭和8年に補歩兵第十一連隊中隊長に就任。

   同12年9月に支那で壮烈な戦死、享年38歳。

   死後、中佐の遺品の軍刀は 昭和天皇の天覧に供せられ、
   陛下は「そのような忠義の者もおったか」と感嘆されたという。

   杉本中佐は士官学校に入学した初めの時、
   東京の禅道場を訪ね、平松亮郷老師に禅を学び、士官学校で夜中に皆が寝静まった後に
   風呂場で坐禅をしていた。

   士官学校を卒業して広島に帰ったあとは臨済宗大本山の仏通寺に出征直前まで
   約20年近くにわたり、中央方面への転勤の話も断って参禅し続けた。
   大義の中に仏教的語句が多いのはこのためである。

   杉本中佐の参禅していた仏通寺管長山崎盆洲は杉本中佐の人柄の一端を偲ばせる話を
   遺している。

   「(中佐は)部下を可愛がることは深切を極めてゐた。兵士には貧しい百姓の子弟が
   多いので、よく農民の生活状態について心配して居つたらしい。天津へ出動して
   行つた時には、自分の中隊の兵の家庭をよく調べて置いて、無名で自分の俸給の一部を
   さいてその家庭に送金してゐた」

   そのためか中佐は軍服以外はいつもボロボロの服を着て、
   何でも文句を言わずに食べていたという。

   常に剣術、坐禅、読書だけは怠らず、楠木正成、吉田松陰、乃木希典を尊敬し、
   橘曙覧の歌を好んでいた。

(2)「”大義”の書かれた時代背景」

   大義は昭和11年夏より、翌年の9月14日まで、約1年にわたり記されたものである。

   この昭和11年の2月には、いわゆる二・二六事件が起き、明治の末期から行われて
   いた 天皇機関説論争(東京帝国大学の上杉慎吉博士と美濃部達吉博士による)が
   社会的に広く認識され、北一輝を首魁とする国家社会主義的風潮や、ソビエトの手先で
   ある日本共産党が主導する共産主義運動が台頭し、大きな問題となっていた頃である。

   これらの事柄に憂慮を抱いた杉本五郎大尉(当時)が、自分の子供達と部下達のために、
   正しい日本人の道として書いたのが「大義」である。

   これは緒言が「吾児孫の以て依るべき大道を直指す」にはじまり、
   「歳々大義の滅し去ること、掌を指すよりも明白なり」と書き、
   本文においても度々二・二六事件や 天皇機関説に言及していることから、
   こうした時代背景が中佐をして「大義」執筆に導いた事は明らかである。

(3)「”大義”の影響」  

   「大義」は昭和13年2月に平凡社から発行され、昭和20年の敗戦までに
   123万部が発行され、若者を中心に熱狂的に広まった。

   当時、大義を読み、大きな影響を受けた作家の城山三郎は、戦後『大義の末』を
   書いている。

   当時は学校の生徒から若い教師に至るまで、ほとんどの者が大義を読んでおり、
   戦線に赴く友人に大義を贈っていたことなど、当時の若者や兵士が「大義」を
   心の拠り所としていた事が書かれている。

   敗戦後、日本を占領したGHQは、何冊もの本を発行・販売・譲渡禁止にして焚書扱い
   にした。もちろん「大義」もこの処分を受けたが、民間の有志達により何度も復刊
   された。

   戦前・戦後を通して維新運動を展開し、敗戦を獄中で迎えた中村武彦氏は自著
   『私の昭和史』で敗戦直後に獄中に面会に来た妻と会った時の事として次の様に
   書いている。

   「(妻の)別れてまだ二十日足らずの間に別人のように痩せて蒼ざめた姿には愕然と
   した。妻の方でも真赤な獄衣を着た私を見てショックだったようだが、ともあれ
   お互いに運命に従って懸命に生きよう、

   軍神杉本中佐の『汝我を見んと要せば尊皇に生きよ、尊皇精神ある処 常に我在り』
   (原文ママ)という言葉をそのまま我々の言葉としよう。」

   このように「大義」は戦後においても維新者の心の支えであった。
   また、大義の名を冠した民族派団体が何団体も創設されたことから、
   大義が如何に長期にわたり大きな影響を及ぼしたかが分かる。

(4)「”大義”の現代における思想的位置付け」

   現代では大義自体が殆ど忘れ去られているが、その中で大義を取り上げ、
   思想としての位置付けをしている者もある。

   評論家の吉本隆明、浅羽通明などのリベラル派は、大義を「ナショナリズム」、
   その中でも取り分け「超国家主義」に分類している。

   「大義第九章国防」には、
   「万邦無比の国体たる 皇国には、自ら万邦無比の国防真義なかるべからず。
   万邦無比ならば、正に無比なる大精神に生くること、是れ 皇国国防の基調なり。
   八紘は 天皇の所有なり。何をか国家の独立永昌といふや」

   とあり、さらに明快に
   「 天皇は国家のためのものにあらず、国家は 天皇のためにあり。」と書いている。

   「大義」は通俗的に言う所のナショナリズムでは分類出来ない思想的次元に存在し、
   その根本は 天皇主義とでも言うべきものである。

      *Web:皇国史観研究会

      (『大義 杉本五郎中佐遺著』)
       http://shikisima.exblog.jp/279645/

      (1月27日、皇国史観研究会定例勉強会)
       http://shikisima.exblog.jp/m2006-01-01/ 

            <感謝合掌 平成24年1月4日 頓首再拝>



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