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「おかげさま」 (10615)
日時:2012年06月27日 (水) 06時46分
名前:伝統


     *村上和雄・著「幸せの遺伝子」(P64〜67)より

「おかげ」という言葉は、「ありがたし」より古い言葉だといわれています。

もともとは「影」でなく、「光」を表していました。

「おかげ」は「かげ」の尊称で、日月の光から派生して、
人知を超えた神仏からいただく光を意味するようになりました。
「おかげさま」といって、人は神仏からいただいた不思議な霊光の恩恵に感謝したのです。

「あいつのおかげで損をした」というように悪い意味で用いるようになったのは
江戸時代以降といわれています。

「おかげさま」も、外国語には相当する表現がありません。
アメリカ人にこの言葉を教えたら、「何のおかげですか?」と不思議がられました。

英語で近い表現を探すと、「thanks to you」(あなたのおかげで)とか、
「the grace of God」(神さまのおかげで)というのがあります。

つまり、感謝すべき対象を明らかにして謝意を伝えるわけですが、
日本語の「おかげさま」は、だれのおかげでもいいところが素晴らしい。

日本人は、とくにお世話してもらわなくても、「おかげさま」という言葉を使います。
そこにはやはり、生きていることの有り難さ、
自分はいろいろなものに生かされているという感謝の念があるからでしょう。

「おかげさま」というのは、自分を生み育ててくれた母や父のおかげ、
両親を生んでくれた先祖のおかげ、生命を維持してくれる太陽のおかげ、水のおかげ、
空気のおかげ、地球のおかげ、大自然の恵みのおかげ、
つまるところはサムシング・グレートのおかげ、という意味なのです。

何に対しても感謝の思いを抱くのは、日本人が一神教、つまり絶対的な神をもたず、
森羅万象を神や仏として敬ってきた自然崇拝の心があり、
目に見えないものに対する感謝の念をもっていたからです。

残念ながら、日本には、そういう意味での「おかげさま」がなくなりつつあります。
先祖や目に見えないものに対する畏敬の念が失われてきているからです。


金子みすずの詩に「星とたんぽぽ」と名づけられた次のような作品があります。


  青いお空の底ふかく、
  海の小石のそのように、
  夜がくるまで沈んでる、
  昼のお星は眼にみえぬ。
     見えぬけれどもあるんだよ、
     見えぬものでもあるんだよ。


  散ってすがれたたんぽぽの、
  瓦のすきに、だァまって、
  春のくるまでかくれてる、
  つよいその根はめにみえぬ。
     見えぬけれどもあるんだよ、
     見えぬものでもあるんだよ。


目にはみえなくても、確かに存在するものがこの世にはあります。
愛も見えない、心も見えない、命も見えない、サムシング・グレートも目に見えない。
目に見えないけれど、あるのです。

また、ヘレン・ケラーはこんな言葉を残しています。

「世のなかでもっとも楽しくて素晴らしいものは、
目にも見えないし、手にもさわることができない。
ただ、心で感じるだけ」

その感じる力、素晴らしい感性を日本人はごく最近までもっていたのです。

         <感謝合掌 平成24年6月27日 頓首再拝>

江戸時代に流行った「おかげ参り」 (10680)
日時:2012年06月29日 (金) 04時21分
名前:伝統


     *村上和雄・著「幸せの遺伝子」(P68〜71)より

江戸時代に「おかげ参り」という庶民の間で起きた伊勢参宮ブームがありました。

一説によると、始まりは1617(元和3)年ごろ、伊勢の大神宮のお札が天か降ってきて、
不治の病が治ったとか思わぬ幸運を得たとかいった噂が広まり、爆発的な数の人々が伊勢を
めざしたといいます。

その後、1650(慶安3)年、1705(宝永2)、1771(明和8)年、
1830(文政13)年とほぼ60年に1度の周期で盛り上がり、多い年には約500万人
もの人々が全国から神宮に集りました。

当時の日本の人口は約3000万人ですから、なんと6人に一人が参詣しているわけです。

「伊勢に行きたい伊勢路が見たい せめて一生に一度でも 
わしが国さはお伊勢に遠い お伊勢恋しや参りたや」
伊勢音頭に歌われているように、江戸の庶民にとって伊勢はあこがれの地。

そのために費用を積み立て、くじ引きで順番に出かける「お伊勢講」という
互助会も流行りました。事情があって参詣できない人が他人に頼んで代わりに
参詣してもらう「代参」もあったのです。

「御蔭参明和神異記」によれば、犬の代参というものまであったらしく、犬に家名や所番地
などと伊勢の神宮への代参であることを記した札などをつけ、いくらかのお金を入れた袋を
首に下げてやり、伊勢へ送り出した。

道中の人々は代参犬とわかると、エサをやったりお金を足してやったりして、犬の多くは
無事に伊勢参りを果たして帰ってきたと伝えられています。

江戸時代といえば、まだ交通機関は発達していません。駕籠や馬に乗れるのは、よほどの
金持ちか病人くらいで、旅人は皆、歩いて行くしかない。

江戸から伊勢まで片道15日、大阪からでも5日はかかりましたから、東北や九州の人たち
はどれほどたいへんな旅だったか。しかも宿泊施設も十分に整っていませんでした。
にもかかわらず、なぜ、それほど多くの人々が伊勢へ押し寄せたのか。

理由の一つは、祭神です。
伊勢の神宮の内宮にまつられている「天照大御神」は皇室の御祖神で日本人の総氏神であり、
外宮の「豊受大御神」は神々の食べ物を司ることから、衣食住や農耕、あらゆる産業の守り神
としてあがめられています。

伊勢信仰を広めようと活動した「御師(おんし)」と呼ばれる神主たちの存在も大きかった
ようです。彼らは守り札や伊勢土産をもって諸国をめぐり、神宮のPRに努めました。さらに、
お伊勢参りを企画し、宿泊や観光案内、お土産の手配まで請け負うなど、いまでいう
旅行代理店のような役割も担っていたといいます。

そして、もうひとつ、おかげ参りに拍車をかけたのが、街道沿い住人たちの「施行」です。
旅人に握り飯や餅(もち)、茶を振る舞い、わらじを無料で配り、無料の宿泊所をもうけ、
歌い踊って、物心両面からもてなしました。

伊勢参りとあれば、たとえ無一文でも道中で布施を受け、一生に一度の大旅行ができる
とあって、伊勢路には人があふれかえります。「抜け参り」といって、子供が親に、妻が
夫に、奉公人が主人に無断で、路銀さえももたずに出かけることもできましたが、
これは、施行があったからこそ可能だったのです。

施行は、伊勢人の信仰心の表れでもありました。
神宮の祭神である天照大御神はすべての生命の根源であり、自分たちはその恵みにあずかって
生かされている、そういう考えがあればこそ、参詣者を無償で歓迎したわけです。

なぜ、60年ごと人々がそのような行動を起こしたのかハッキリわかりませんが、
当時の社会情勢や日々の暮らしに対する不満を発散させる役割を果たしたとも
いわれています。

しかし本来、伊勢参宮は生かさせていただく有り難さを感謝する「おかげさま」のお参り
だったのです。

<参考Web:おかげ参り
       → http://www.iseokagenosato.jp/okagemairi/   >

         <感謝合掌 平成24年6月29日 頓首再拝>

日本人の魂のふるさと (10911)
日時:2012年07月04日 (水) 07時16分
名前:伝統

     *村上和雄・著「幸せの遺伝子」(P71〜72)より

現在、神宮のそばに、おかげ参りでにぎわったころの伊勢の町並みを再現した
「おかげ横丁」があります。参詣した人々が、帰りにそこで名物料理を食べたり
地酒を振る舞われたりして、「おかげさまで」と感謝する。

私もお酒をごちそうになってきましたが、
このおかげさまも、何のおかげなのか特定していないところがいいなと思いました。

伊勢の神宮にお参りすると、自然と「おかげまさ」という深い感謝の気持ちなります。
鎌倉時代、初めて伊勢の神宮に参拝した西行法師は感動のあまり、
次のような歌を詠んだと伝えられています。

   
  なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる


この神々しさの実体が何なのかわからないけれど、いま自分が存在していることが
身にすぎてありがたく、ただただ涙があふれて止まらない。

ちなみに、「かたじけない」とは、ありがたいのあらたまったいい方で、
自分には不相応で畏れ多いという意味から感謝を表す日本人独特の感情表現です。

伊勢の神宮の杜(もり)で、西行法師みたいな心持ちになる人は、
いまも少なくないでしょう。

日本人は忘れかけていても、伊勢の神宮のような伝統をしっかりと守ってきている
ところには、日本文化の特徴である自然と共生するという精神が息づいている。

だから、お参りすると、眠っていた「おかげさまの気持ち」が目覚めるようです。
お伊勢さんは、”日本人の魂のふるさと”なのかもしれません。

         <感謝合掌 平成24年7月4日 頓首再拝>

「いいこと」は「おかげさま」 (11000)
日時:2012年07月07日 (土) 04時35分
名前:伝統


     *メルマガ「人の心に灯をともす(2010年11月21日)」より

   江口克彦氏の心に響く言葉より…


   松下幸之助は、物事がうまくいったときは「これは運がよかったのだ」と考え、
   失敗したときは「その原因は自分にある」と考えるようにしていたそうだ。

   つまり成功は運のお陰だが、失敗は自分のせいだということである。

   実際、成功といっても、その過程には小さな失敗がいくつもあるものだ。
   一歩誤れば、大きな失敗につながりかねなかったかもしれない。

   けれども驕りや油断があると、そういうものが見えなくなってしまう。

   反対にうまくいかなかったときに、それを運が悪かったとか、
   社会や時代背景が悪かったと他人に責任を転嫁すれば、その失敗の経験が生きてこない。
   悪くすれば、たんに他人を恨み、ますます失敗の坂道を落ちかねない。


   松下幸之助の会社がそうだった。
   不況・不景気のときにいっそう成長した。
   だからこそ一代でワールド・エンタープライズをつくることができた。

   業績の良否の原因を不況という「外」に求めるか、
   みずからの経営のやり方という「内」に求めるか、
   その考え方の違いによって、行動が変わり、結果が大きく変わってくるのである。

   成功への道は、いわば無限にある。

   それが松下幸之助の考え方だった。

   逆風であろうと不遇であろうと、「必ず道はある」という考えに立って、
   それを求めていけば、そこに新たな成功への道はひらけるものだ。

       <『きっと芽が出る人の法則』PHP文庫>

   ・・・

「いいことはおかげさま わるいことは身から出たさび」とは、相田みつを氏の言葉だ。


陰(かげ)は、光の反対語だが、神や仏といった目に見えない偉大なものに照らされる光のおかげで、
その恩恵を受けているのが陰だ、という意味もあるそうだ。

うまくいっているときに、それは「運がよかったから」と言う人は、
いつも「おかげさま」という気持を持っている人。

失敗や、うまくいかなかったことの原因を、人や環境のせいにせず、
自分の内に求めたときの言葉が、「身から出たさび」。

すべての起きた出来事を、自らに求めたとき、不況も、失敗も、災難も、
そこに意味があるのだろう、と考える。

原因を内にもとめたときだけ、自分の行動が変わる。

成功への道は無限にある。

どんな逆風であっても、原因を常に内に求め、決してあきらめることなく、行動し続けたい。

         <感謝合掌 平成24年7月7日 頓首再拝>



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