(2)大宮上等兵と妹あけび (3899) |
- 日時:2011年08月14日 (日) 19時29分
名前:歴史
(2)大宮上等兵と妹あけび
帰還した英霊たちの一柱、大宮鉄次上等兵は、大正8年岩手県八戸郡遠野村に生まれた。 父母を幼い時に亡くし、妹あけびと親戚をたらい回しにされたあげく、 東京・浅草の見世物小屋の客引きをしていた。
以来、ヤクザとの出入りに駆り出されて、負け知らず。
その後、徴集され、2等兵として北支やラバウルに従軍したが、上官を殴るなど問題を 起こしては本国に送還された。
昭和20年6月9日、秋吉大隊の一員として、沖縄に向かう途中、輸送船が撃沈され、 行方不明。戦死と認定された。享年26才。
大宮は、妹のあけびを訪ねた。すでに老女になっていたあけびは都内の病院にいた。 意識はあるが、体中の筋肉が動かず、5年以上、人工呼吸器で生かされていた。
あけびには、一人息子の健一がいた。 浅草オペラ館で踊り子をしていた際、熱烈なファンだった帝大生が学徒動員で出征する 前夜、体を捧げて授かった子どもだった。
あけびは戦後、進駐軍の米兵士の囲い物になったり、飲み屋で働いたり、地方周りの ストリッパーをしながら、健一を育てた。
その健一は、すでに65歳。大学教授となり、金融問題の専門家としてテレビに出たり、 政府の財政顧問として活躍していた。 夫人とその両親、長男夫婦と田園調布で幸せに暮らしていた。
しかし、あけびの病院には、治療費は送ってくるものの、ほとんど見舞いには来ない。 大宮上等兵は、妹のあまりの変わりように、ベッドのそばの椅子に座ったまま、 動けなくなっていた。
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