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盤珪禅師 (5442)
日時:2011年11月23日 (水) 07時26分
名前:伝統

スレッド「盤珪和尚」への注目数が50と区切りのよい数字に達しております。
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=518

それを記念して、新たなスレッドにて、盤珪禅師について、さらに詳しく紹介して参ります。
盤珪禅師の概要と、盤珪禅師に関する谷口雅春先生のお言葉については、
スレッド「盤珪和尚」を参照願います。


なお、これからの内容については、別の掲示板(既に一度閉鎖された掲示板)において、
臨済禅を修行された人によって紹介されたものであります。

しかし、このまま埋もれた状態にしておくのは勿体ない内容なので、
少し編集して、紹介して参ります。

(当時、紹介された”宗教研究家 さま”に感謝するとともに、ご了承をお願いいたします)
   <2011年09月14日 (水) 22時34分投稿>



(1)盤珪禅師の話

  @谷口雅春先生の聖典にも度々登場する盤珪禅師です。
   生き通しを、「不生」という言葉で伝えた偉人です。

   谷口雅春先生も、聖典の中で、大変高く評価をされています。

  A不生禅(ふしょうぜん)で有名な盤珪永琢(ばんけいようたく。一六二二〜一六九三)
   禅師は、江戸時代初期の元和八年三月八日に、現在の姫路市網干(あぼし)区浜田で
   生まれた人である。俗姓を菅(すが)氏という。

   十歳で父親を亡くし、十七歳で赤穂の随鴎寺(ずいおうじ)の雲甫(うんぽ)和尚に
   よって出家し、その法嗣の備前三友寺(さんゆうじ)の牧翁祖牛和尚に参じ、
   二十六歳で大悟して不生禅を明らめ、祖牛和尚の法を嗣いだ。

   嗣いだのは臨済宗妙心寺派の法流である。

  Bそして一六五六年に妙心寺第二一八世となり、一六九〇年には仏智弘済(ぶっちこうさい)
   禅師の号を賜り、遷化ののちには大法正眼国師(だいほうしょうげん)国師と
   諡(おくりな)された。

   網干に現存する龍門寺(りょうもんじ)は、盤珪禅の根本道場であり、
   彼はここを中心に不生禅と呼ばれる独自の教えを説いて回った。

  C盤珪禅が不生禅と呼ばれるのは、「不生の仏心」ということを彼が強調したからである。

   盤珪禅師は小釈迦(しょうしゃか)と呼ばれたほどの非凡な徳と力量の持ち主であり、
   彼の元には多くの人が集まってきた。

   出家の弟子だけでも四百余名、在俗の弟子にいたっては五万人を越え、
   廃寺を復興すること四十七ヶ寺、勧請(かんじょう)されて開山となった寺は
   百五十ヶ寺といわれ、龍門寺も盤珪禅師が再興したお寺の一つである。

   しかし残念なことに盤珪禅師の法は今日まで伝わらなかった。

  D私<宗教研究家さま>は神戸の祥福寺(しょうふくじ)という道場で修行をしたのだが、
   この寺の開山は盤珪禅師である。だから盤珪禅師とは浅からぬ縁がある。
   そういう訳でここからは使いなれた「盤珪さん」と呼ぶことにする。

   祥福寺の開山は盤珪さんとなっているが、本当の開山は第三世の和尚だと聞いたことが
   ある。祥福寺を開いた和尚は、盤珪さんを勧請して開山の徳をゆずり、本当の開山と
   しての徳を師匠にゆずり、自分は第三世になったという。

   昔は徳をゆずるという事がよく行われていたらしく、そうした心がけのお陰か、
   祥福寺は神戸でも有数の大寺(おおでら)となった。

  E盤珪というのは珍しい名前である。
   盤は大きな鉢、珪は玉(ぎょく)のことであるから、
   盤珪はたらいのような大きな玉を意味するのだろう。

   僧名の永琢の「琢」には「玉をみがく」という意味があるので、
   それに合わせて盤珪という道号を付けたと思われる。

  F以下に盤珪さんの法話をご紹介するが、
   これは盤珪さんの説法を弟子たちが聞き書きして編集したものである。

   独特の言い回しは姫路あたりの古い方言らしく、
   少し読みにくいが何ともいえない味わいがある。

            <合掌 平成23年11月23日 頓首再拝>

盤珪法話@ (5450)
日時:2011年11月24日 (木) 06時53分
名前:伝統


(2)しっかりと話を聞けば法成就できる

   盤珪さんは、在家の人に向かって坐禅せよとは言わなかった。
   もちろん坐禅するなと言った訳ではないが、死ぬほど苦しい修行をしなくても
   自分の話を聞いて納得すれば、それでこと足りると太鼓判を押している。

   そのため若い時に自分が行った修行のことを話す時にも、次のような前置きをしている。

   「ただ今、みなの衆は、いかい仕合わせでござる。
   身どもなどが若き時分は、名知識がござらなんだか、又ござっても、
   不縁でお目にかからなんだか、

   殊に身ども、若い時分から鈍にござって、人の知らぬ苦労をしまして、
   いかいむだ骨を折りましてござる故に、懲り果て、

   みなの衆には、むだ骨を折らしませずに、畳の上にて、楽々と法成就させましたさに、
   精を出して、このように毎日々々出まして、催促することでござるわいの。

   皆の衆は仕合わせなことでござるわ。このような法を説く人が、どこにござろうかいの。

   身どもが若き時分は、鈍にござって、むだ骨を折りました事を、
   みなの衆に話して聞かせましとうござれども、自然若き衆のうちに、
   身どもがように骨を折らねば、法成就する事はならぬように思わしゃって、

   骨を折りますれば、身どもがとがでござるによって、話して聞かせとうはござらねども、
   さりながら若き衆、よく聞かしゃれい。

   身どもがようにむだ骨を折らいでも、法成就しまする程に、必ず盤珪がようにせいでも、
   法成就すると、先ずそう思って聞かしゃれい」

   ・・・

   「刻苦(こっく)、光明かならず盛大なり」と叱咤激励するのが禅宗の常であるのに、
   むだ骨を折って修行をするなと言っているのだから、かなり珍しい和尚といえる。

   またこんなことも言っている。

   「身どもがここに住してより、四十年来、よりより(たびたび)人に示しを致す故、
   この辺りには、善知識に勝(まさ)った者が多くできました程に、みなの衆もこの度、
   遠方より大儀してござった甲斐には、念にしかえぬように、不生の道理をとくと決定し、
   法成就して帰らしゃれい」

   自分が説く不生の道理をとくと決定すれば、へたに修行した善知識よりも悟った人に
   なると言うのであるから、たいへんな自信である。

   とはいえ盤珪さんは坐禅を軽視していた訳ではない。

   龍門寺には立派な禅堂があるから、修行者たちが坐禅に励んでいたのは間違いのない
   ことであるし、なによりも盤珪さん自身、坐禅によって悟りを開いたのである。

   盤珪さんが言いたいのは、
   方向を間違えるとせっかくの修行も役に立たないという事であろう。

            <合掌 平成23年11月24日 頓首再拝>

盤珪法話A (5463)
日時:2011年11月25日 (金) 05時00分
名前:伝統

(3)とっくり聞いて決定さしゃれ

   盤珪さんはいつも同じ話ばかりくり返していたらしく、こんな話も載っている。

   「ある和尚の、身どもに言われまするは、そなたも毎日毎日、またしても同じ事ばかり
   を示さずとも、あいだには少しく因縁故事物語をもして、人の心もさわやかに
   入れ替わるようにして、説法いたされい、と言われまする。

   もっともそうでもござろう。身どもも鈍にはござれども、人の為になることならば、
   鈍ながら故事の一つや二つは、覚えようと思うたらば、覚えかねもしますまいが、
   そのようなことを示すは、人に毒を食わするようなものでござるわいの。
   身どもは、毒を食わせることは、まず得(え)しませぬ」

   「身どもがこの会中(えちゅう)に毎日繰りかえし繰りかえし、同じ事ばかりを
   申しますが、先に聞いた人は、何度聞いても、聞くほど人々たしかにはこそなれ、
   聞いて妨げにはなりませず、いまだ聞かぬ人が毎日々々、代わり代わり来まする。

   今日はじめて聞く衆が多くござれば、その衆のためには、また根本からとっくりと
   言うて聞かさねば、中途より聞く分では、落ちつかず決定(けつじょう)しませぬ
   によって、聞く人のためになりませぬ。

   それ故に同じことを繰りかえし繰りかえし、毎日々々申すことでござる。
   不断、会中にござる衆は、切々(せつせつ。たびたび)聞くほどたしかになりまする。
   ・・・根本からとっくり聞かしゃれば、よく決定しまする。そうでござらぬか」

   ・・・

   これを読むと盤珪さんがいかに聞法(もんぼう)を大切にしていたかがよく分かる。
   これが盤珪禅の大きな特色となっている。
   また仏心の話以外はすべて毒薬だというのだから慈悲の極みである。

            <合掌 平成23年11月25日 頓首再拝>

盤珪法話B (5470)
日時:2011年11月26日 (土) 04時48分
名前:伝統


(4)身の上の批判ですむ

   「ただ人々の身の上の批判ですむことでござれば、すむにまた、仏祖の語を
   引こうこともござらぬ。身どもは仏法をも、また禅法をも言いませぬ。
   それ、なぜにと言いまするに、説こうようもござらぬわ。

   人人みな、今日の身の上の批判で相すんでらちの明くことなれば、
   仏法も禅法も説こうやうはござらぬ」

   ・・・

   この言葉で分かるように、盤珪さんは難しい仏教用語をほとんど使わず、
   誰にでも分かるふつうの言葉で法を説いた人である。
   余程の体験がなければこうした事はできない。

   そしてその説法が的確に人々の迷いを解消し心の重荷を下ろしてくれたので、
   多くの聴衆が集まってきたのである。

   それでは盤珪さんが毎日くり返していたのはどのようお話だったのか。

(5)仏心で一切が調いまする

   「親の産み付けたもったは、仏心一つでござる。余のものは一つも
   産み付けはさしゃりませぬ。その親の産み付けてたもった仏心は、不生にして
   霊明(れいみょう)なものでござって、不生で一切のことが調いまする。

   その不生で一切のことが調いまする証拠は、みなの衆がこちらを向いて、
   身どもが言うことを聞いてござるうちに、後ろにてカラスの声、雀の声、
   それぞれの声が、聞こうと思う念を生ぜずに居るに、カラスの声、雀の声が通じ
   別れて、聞きたがわず聞かるるは、不生で聞くというものでござる。

   その如くに一切のことが不生で調いまする。これが不生の証拠でござる。

   その不生にして霊明なる仏心にきわまったと決定(けつじょう)して、直に仏心の
   ままで居る人は、今生より未来永劫の活仏(いきぼとけ)活如来(いきにょらい)
   でござるわいの。今日より活仏心でおる故に、我が宗を仏心宗と言いまする」

   「不生で居ますれば、一切のもとで居るというものでござる。
   前仏(ぜんぶつ。過去の仏)の決定するところも不生の仏心、
   後仏(ごぶつ。未来の仏)の決定するところも不生の仏心、

   今日、末世なれども、一人でも不生で居る人あらば、
   正法が起こったというものでござる。
   皆の衆、そうでござらぬか」

   「迷わにゃ、活きた仏でござるから、悟ることもいりませぬ。
   仏になろうとするよりも、仏で居るが造作がなくて近道でござるわいの」

   ・・・

   以上が盤珪さんの教えのかなめである。
   盤珪さんは生涯これらのことを説き続けたのである。

   「不生であれば不滅なのは当然のこと」と言っているから、
   不生の仏心は不滅の仏心でもある。

   これを読んで不生不滅の仏心を納得できたであろうか。

   できなかった人のためにもう少し引用してみる。

            <合掌 平成23年11月26日 頓首再拝>

盤珪法話C (5483)
日時:2011年11月27日 (日) 06時50分
名前:伝統

(6)身のひいき故に迷う

   「今、この場にござる衆は、一人も凡夫(ぼんぶ)はござらぬ。
   みな人々、不生の仏心ばかりでござる。凡夫でござると思わしゃる方がござらば、
   これへ出さしゃれ。凡夫は、どのようなが凡夫でござると、言うて見やしゃれ。

   この座には一人も凡夫はござらぬが、この座を立たしゃって、敷居ひとつ越えて、
   人がひょっと行き当たるか、また、後ろから突き倒すか、あるいは、宿へ帰りて、
   子供でも、下男下女でもあれ、

   我が気にいらぬことを、見るか聞くかすれば、はやそれに貪着(とんじゃく)して、
   顔に血を上げて、身のひいき故に迷うて、つい仏心を修羅に仕かえまする。

   その仕かえる時までは、不生の仏心で居まして、凡夫ではござらなんだが、
   一念、向こうなものに貪着し、つい、ちょろりと凡夫になりまする」

   「みな賢き人でいながら、不合点(ふがってん)ゆえに、仏心を餓鬼に仕かえ、
   修羅に仕かえ、種々様々なものに仕かえて、餓鬼となり、あるいは修羅となり、
   畜生となりまする。

   もし畜生などになったならば、もはや道理を聞くも、耳に入らず、たとい耳に入れども、
   人でいた時さえ、聞いて持たなんだほどに、畜生になったならば、道理を聞くも
   なお耳にたもつ智慧がなければ、

   地獄より地獄にうつり、畜生より畜生にうつり、餓鬼より餓鬼にうつり、
   生々世々、暗きより暗きに入り、輪廻きわまりのう、無量の苦しみを受けて、
   万劫千生があいだ、我が作りました罪業を、我れがまた叩きまするに、
   ひまがござらぬわいの。

   一念ひょっと取りはずしましたれば、誰でもこうしたことでござる。
   ただ仏心を余の物に仕かえぬということを、よくよく合点したがよう御座る」

            <合掌 平成23年11月27日 頓首再拝>

盤珪法話D (5491)
日時:2011年11月28日 (月) 06時01分
名前:伝統


(7)法成就すれば人の心肝が見ゆる

   「決定すれば、その決定した場より、人を見る眼(まなこ)が開けて見えまする。
   身どもは人を見損ないはしませぬ。不生な眼は、誰にても同じ事でござる。
   それで我が宗を明眼宗(みょうげんしゅう)とも言いまする。

   また決定すれば、親の産み付けたもうた不生の仏心で居るゆえに、
   我が宗を仏心宗とも言いまする。

   人を見る眼が開いて、人の心肝(しんかん)が見ゆるならば、
   法成就したと思わしゃれば、その時が法成就した場じゃほどに、

   身どもがただいま言うことを決定せぬ衆は、
   身どもがみなの衆を言いくらますように、当分は思わしゃれて、
   うけがわぬ人もござろうけれども、

   ここを去らしゃれて、以後、身どもが言うたことを、誰にでもあれ、
   誠にと決定さしゃった日がござらば、その日その時、その場を立たずして、
   人の心肝がみえましょう程に、その時はじめて身どもが、みなの衆を
   言いくらまさなんだことを知らしゃれう。

   その時の為に、ただいま精を出して、このように催促して、
   みなの衆の耳へ入れて置きまする」

   ・・・

   人の心肝が見えるというのは、相手が本当に悟っているかいないかが分かる
   ということであろう。しかし話を聞いただけで、多くの人が仏心を納得できたのは
   何故だろうか。それは盤珪さんの存在が仏心そのものだったからだと思う。

   盤珪さんの声や態度や眼ざしが如実に仏心を表していたので、
   話を聞いた人たちも仏心のありかを如実に理解し、
   日々の生活に活用する事ができたのである。

            <合掌 平成23年11月28日 頓首再拝>

盤珪法話E (5500)
日時:2011年11月29日 (火) 04時31分
名前:伝統


(8)未来永劫の生き仏

   「直に仏心のままで居る人は、今生より未来永劫の活仏(いきぼとけ)でござる」と
   盤珪さんは言っている。この未来永劫という言葉を見過ごしてはならない。

   仏心は不滅なものであるから未来永劫なのである。

   「この体と申すものは、一たび地水火風を仮に集めて生じた身でござれば、
   この体はつひに滅せいでは叶(かな)ひませぬ。

   しかるに、この仏心は、不生な物でござるによって、体は土とも灰とも成りますれども、
   心は焼いても焼けませず、また埋めても朽ちる物ではござらぬ。

   ただ生じたる体を、しばらく仏心が家と致して、住したまでの事でござる。

   そのうちは、音を聞き、香をかぎ知り、物言うことも自由なれども、仮に集めて
   生じたるこの体が滅しますれば、仏心の住み家が無くなりて、見聞き物言う事が
   ならぬまでの事でござる。

   右申す如くに、この体は一たび拵へたる故に生滅がござれども、
   心はもとよりの仏心でござるによって、生滅はござらぬ。ここを不生不滅と申す」

            <合掌 平成23年11月29日 頓首再拝>

生い立ちと修行、臨終 (5506)
日時:2011年11月30日 (水) 06時31分
名前:伝統

(9)生い立ちと修行

   「身どもが親は、もと四国浪人でござって、しかも儒者でござったが、
   この所に住居いたして、身どもを産みましたが、父には幼少で離れまして、
   母が養育で育ちましたが、腕白者でわるい者でござったと、母が話しました」

   という語り出しで、盤珪さんは訥々と自身の生い立ちと修行について話をしている。
   そのままだと長くなるので、要点をまとめて禅師の生涯をご紹介してみよう。

   十二歳のとき、盤珪さんは儒教の先生から大学(だいがく。儒教の四書のひとつ)を
   学んだ。

   ところが「大学の道は明徳(めいとく)を明らかにするに有り」という所で引っかかった。
   「明徳とは、いかようなるものか」と疑いを生じたのである。

   そこで儒者に会うごとに聞いてみたが誰も知らなかった。
   ある時ひとりの儒者が、「そのようなことは禅僧が知っているから禅僧にお問いやれ」と
   言ってくれた。ところが近くには禅宗はなかった。

   ようやく機会を得て禅宗の和尚に参じ、さっそく明徳のことを聞くと、
   「明徳が知りたくば坐禅せよ。明徳がしれる程に」と教えてくれた。
   そのためすぐ坐禅に取りかかった。

   山に入って七日も物を食べずに坐ったり、尖った岩のうえに着物をまくって坐り、
   命を失うことも顧みず、自然と転げて落ちるまで坐り通したりした。
   食べ物を持ってくる人もござらねば、幾日も食べないことが多かった。

   それから故郷に帰って庵を結んで修行を続けたが、
   あまりに無理をしたので尻が破れて血が出て痛かった。
   それでも、その頃は上根でござって一日一夜と横になったことはなかった。

   やがて、その数年の疲れが一度に出て大病を患うようになったが、
   それでも明徳を手放さなかった。

   さらに病気が重くなって血痰(けったん)が出るようになり、
   ついには食べ物が喉を通らず七日ほど重湯(おもゆ)ばかり飲んでいた。

   それ故、是非もないことと死ぬ覚悟をしたが、
   明徳をあきらかにするという願いが成就しないことだけが心残りであった。

   そうする内に、喉がつかえたので痰を壁に吐きかけてみたら、
   まっ黒に固まった痰が出て、ころりころりと転がって落ちた。

   痰が出て胸のなかがスッと気持ちよくなった時、
   ひょっと、一切のことは不生で調うものを、今日までそれを知らなかったために、
   さてさて、むだ骨を折ったことかな、と思いついた。

   それから、気色がよくなり嬉しくなってきて食欲も出てきたので、
   すぐに粥を作ってもらった。

   急いで作ったので、まだロクに煮えぬぼろつく粥であったが、
   かまわず二・三椀食べたが当たりもせず、
   それより段々に回復して、今日まで生きながらえておる。

   それ以来、天下に身どもが三寸の舌頭(ぜっとう)にかかる者がござらなんだ。

   知った人があって教えてくれたなら、無駄骨を折らなかったものを、
   知った人が居ないばかりに骨を折って体を悪くしました。
   それ故に、今に至っても病人で、皆の衆に思うように話をすることも出来ませぬ・・・。


   以上が盤珪さん自身が語った彼の略歴である。
   盤珪さんはたいへんな苦労の末に大悟徹底した人なのである。

   また盤珪さんはたいへん親孝行な人でもあった。
   このような苦しい修行をしたのは親に孝行したいがためであり、
   孝行の志が無かったなら修行は成就しなかったと言っている。

   「母親に大安心を得させたいがための、一片の孝心より修行を始めたのであったが、
   ついに願いが成就して、母にもよく弁えさせて死なせましてござる」

(10)臨終

   一六九三年九月三日、盤珪さんは網干の龍門寺で亡くなった。

   「ご病中なにの殊勝奇特なる事もなく、御末期(おんまつご)まで平生底にて
   御終焉(ごしゅうえん)なりき」と

   行業略記(ぎょうごうりゃっき)は臨終の様子を伝えている。

   また行業記には、「辰時(たつのとき。午前八時)門人を集めて、右脇にして寝室に寂す。
   身体温柔、慈顔生けるが如し」とある。七十二歳であった。

   法嗣には、大梁祖教、節外祖貞ら八人がいた。

            <合掌 平成23年11月30日 頓首再拝>



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