生命(いのち)をいただく (5616) |
- 日時:2011年12月09日 (金) 16時52分
名前:歴史
(4)食べ物を通じて、我々は自然とつながっている
「作物はそれだけで育つことはない」と宇根さんは語る。 稲ならカエルを、キャベツならモンシロチョウを、ニンジンなら黄アゲハを、 イチゴならミツバチを同伴してる。
カエルは、オタマジャクシの頃には田んぼの中で枯れ草や藻などの有機物を食べて分解し、 稲が吸収しやすい栄養分に変える。 カエルが育つと、ツマグロヨコバイやゾウムシなどの害虫を食べる。
モンシロチョウはキャベツの葉に卵を産み、それが青虫になるとキャベツの葉を食べて育つ。 そしてモンシロチョウになると、キャベツの受粉を助けて恩返しをする。 同様に黄アゲハはニンジン、ミツバチはイチゴの受粉を助ける。
宇根さんの講演を聞いたある若い母親は、こんな手紙を出した。
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今まで、アゲハチョウは自然に育っているとばかり思っていました。 ニンジンの葉を食べて育っていたなんて、本当に驚きでした。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
この母親には離乳食を与えている子供がいるが、その子がニンジンを食べなくて困っていた。 そこで、こう語りかけながら、食べさせるようにした。
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あのね、このニンジンはアゲハチョウの幼虫さんも食べているニンジンなのよ。 あなたもお母さんも、そしてアゲハチョウもこのニンジンを食べて育っていくのよ。
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こう語りかけると、その子は次第にニンジンを食べるようになっていったという。
食べ物というと、我々はとかくカロリーとか、鮮度や味、安全性、価格などという科学的、 経済的な面からとらえがちだが、食べ物を通じて、我々は自然とつながっている、 という感覚を忘れてはならない。
そして食べ物によって我々を自然とつなげてくれているのが、農業なのだ。
(5)誰に向かって「いただきます」と言うのか?
日本人は食事をする時に「いただきます」と言うが、これは誰に言っているのだろう。
一つの答えとしては、食事を与えてくれた人に対する感謝の言葉である、という考え方だ。 とすると、学校の給食では親が給食費を払っているので、子どもたちが「いただきます」 という必要はないという事になる。
こういう理由で自分の子供に「いただきます」というのを拒否させる親もいるそうだが、 我々の素直な感性からすると、こういう親はモンスター・ペアレントではないか、 という気がする。
自分のお金で出された食事に対しても、「いただきます」と言う人はいるし、 それに対しておかしいという感じはしない。
もう一つの答えは、食事を作ってくれた人に対する感謝の言葉というものである。 確かに、子どもたちが食事を準備してくれた母親に「いただきます」という時には、 これに当たるかも知れない。
しかし母親も、自分で作った料理に対して「いただきます」と言ったりする。
この問題に対して、宇根さんは「いただきます」とは、 「命をいただく」ことに対する感謝の気持ちである、と説く。
食べ物は、穀物にしろ、野菜にしろ、魚にしろ、肉にしろ、すべてもともとは生きものである。 その命をいただいて、我々は自らの命を維持している。 それに対する感謝の念が「いただきます」には籠もっているのである。
我々は食べ物を通じて、生きとし生けるものの命とつながっている。 そして農業は生きものの命から食べ物を作り出し、我々の命を養うという重要な役割を 果たしているのである。
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