投稿日:2009年09月17日 (木) 11時00分
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2008年のお正月2日のこと、事務所で箱根駅伝をテレビ観戦していると孫の古川君がお母さんとやってきました。近所のジャスコの初売りに出かけて、お気に入り機関車トーマスのバルーンを買ってごきげんでした。
歩きはじめたばかりで、ひとりで外へとびだすのを、「あぶない」と追いかけて入口でつまづいてしまいました。健常ならタタラを踏んでこらえるところ、脳内出血の後遺症で左半身マヒから回復したものの、感覚が鈍く、全体重が左足首にかかるかたちで転倒しました。右足首緋骨が箸を割ったように折れて、脱臼した関節も破損という状態で、手術による整復を選択しました。
プレートと11本のボルトで固定し、骨がつながるのを待って、リハビリを開始しました。通常、つけたままにしておく、ボルトとプレートを半年たった7月に再手術で取りはずしてもらいました。
左足は、半身マヒと、2度の手術で受けたダメージから回復しようとする神経組織の模索で、何とも言えない感覚があります。
夕方になると右足の2倍ほどむくみで腫れていましたが、十か月もすると循環が回復して、靴がはけるようになって、ランニングを始めました。
走り始めると、血圧が逆転するなど、目に見える成果に気をよくしています。
よく、無理をしないようにとのアドバイスをいただきます。誠に恐縮ですが、お言葉を返すようにしています。
袖を通さない長袖のシャツのようにダラ〜ンとしていた左半身から回復するために無理ナシでは成らなかった訳で、決して無茶はしませんが、すべてドクターと相談しながら少しづつ負荷をかけている無理をご笑覧いただければと存じます。
奥日田グリーンマラソンは42分39秒で5kmを完走したことで、ボルトとの差は1/6.3に縮まったことになりました。
アスリートデビュー間近の佐賀の減点パパ・中村でした ジャンジャン |
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