
□ dass ich lachen musste. 陳述 |
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神聖ドイツ第三帝国、ヒトラー総統閣下よりお言葉を!!
・女性が権力を持った国は数年以内に滅びる。 ・少数の男性が大多数の女性と性交渉する時代が来る。 ・老人が多く自殺する国は滅ぶ。 ・男性は女性と比べ、生物学的にも全てにおいて能力が上。だからといって男は女性に優しくする必要はない。 女性に優しい女性優遇国家は成長しないどころか衰退する。 ・一般人までもが近代科学文明に頼るようになると性交渉の低年齢化が進み、子供が子供を産む時代が来る。 ・私は間違っているが世間はもっと間違っている。>>挨拶。
我らがドイツ軍のほほえましい写真集。 http://mediabox.blog38.fc2.com/blog-entry-4461.html
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| [4224] Rudolph von Gartheimer愛連合理事長 2010年01月08日 (金) 23時37分 |
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□ Schwäche. 陳述 |
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数千万人の血に染まり史上最も恐れられた独裁者の一人として知られるアドルフ・ヒトラーですが、民衆の前では「恐れ知らずの勇敢なリーダー」というイメージを提示した彼も歯医者に対する恐怖だけは生涯克服できなかったようです。
ヒトラーお抱えの歯科医Johannes Blaschkeについて書かれ今年11月にドイツで出版されたMenevse Deprem-Hennen著「Dentist des Teufels(悪魔の歯医者)」では、これまで公開されたことのないJohannes Blaschkeの手記やヒトラーほかナチス要人のカルテを含む興味深い記録がひも解かれています。
ヒトラーの歯医者嫌いは内輪では有名だったとのこと。Johannes Blaschkeの手記ではヒトラーが「痛みに耐えきれず、単純な歯根管の手術を8日間に分けて行った」ことや、「膿瘍(のうよう)や歯周病があり、非常に臭い息の持ち主だった」ことが明かされています。
20年間ヒトラーのお抱え歯科医だったJohannes Blaschke。武装親衛隊の少将の地位にあったBlaschkeはヒトラーの歯科医であることを非常に誇りに思っていましたが、ヒトラーの方はというとBlaschkeに会わねばならない機会を忌避していたようです。
自らも歯科医である「悪魔の歯医者」の著者Menevse Deprem-Hennen博士は、数奇な経緯により、これまで公開されたことのなかったJohannes Blaschkeにより記録された1930年代から40年代のヒトラーを含むナチスの要人たちの歯のカルテを研究する機会を得ました。
「ヒトラーが自殺したベルリンのバンカーには頭がい骨やあご骨の一部が残されていたため、ヒトラーの歯の状態について知る立場にあった人物は連合軍にとって非常に重要でした。戦後、米軍はヒトラーの死を確認するため戦争捕虜キャンプでBlaschkeにいくつかの記録を見せました」とDeprem-Hennen博士はカルテが博士の手に渡ることとなった経緯を語ります。
ヒトラーと新妻のエヴァ・ブラウンの遺体を実際に発見したソビエト軍は、米軍側にいたBlaschkeには手を出せなかったものの、Blaschkeの助手Kaethe Heusermannを捕らえました。Deprem-Hennen博士によると、「その後彼女(Kaethe Heusermann)は10年間ソビエトの強制収容所へ姿を消すこととなりました」とのことです。
ヒトラーの医学的な記録のほとんどは、ベルリン陥落前の1945年5月に、包囲されたベルリンを飛び立った飛行機のうち一機が撃墜されると共に失われたと言われています。「しかし、多くの記録がBlaschkeの診療所には残されていたのです」とDeprem-Hennen博士。「ベルリンに潜伏して戦争を生き延びたユダヤ人歯科医のFedor Bruckが終戦時にBlaschkeの診療所跡で開業し、ソビエト軍の手が伸びる前にそれらの記録を発見したのです」
Bruck氏は1947年にアメリカへ移住し、ヒトラーのカルテを含む書類もBruckと共に海を渡りました。その後書類はBruckの息子Wolfgangへと相続され、Wolfgangは州首相のもとで弁護士として働くためデュッセルドルフへ渡りました。
デュッセルドルフで博士課程に在学するDeprem-Hennenさんの元にWolfgang Bruck氏が「興味深い資料がある」と持ち込んだことにより、Deprem-Hennenさんはこの貴重な記録をひも解く機会を得、6年間の研究の後に博士論文として提出することができたそうです。「大学の医学史の教授は初め、これらの記録の価値を認めることに気乗りしない様子でした。おそらく数年前の『ねつ造されたヒトラーの日記』のスキャンダルが念頭にあってのことでしょう。しかし、最終的にBlaschkeの書類は本物であるとのお墨付きをもらうことができました」
数カ月前に出版されたヒトラーの健康状態についての本では、記録に残された証拠がないにもかかわらず「ヒトラーの歯の詰め物は強制収容所の犠牲者の金歯を溶かして作られた」と示唆されていたのですが、Blaschkeの記録によると、ヒトラーの歯にそのような出自の金が使われたことはないとのことです。Blaschkeの患者であったほかの親衛隊将校には強制収容所で没収された金が使われた記録も残っています。
アドルフ・ヒトラー。歯並びまではっきり映っている写真は見たことがない気がしますが、歯周病や虫歯に悩まされていたようで、Blaschkeの記録によると1944年だけでも10個所歯に詰め物をしています。また、口内の右側にブリッジをはめていて、1944年7月20日の暗殺未遂の際には顔に破片が当たったためそのブリッジがずれ、非常な痛みに苦しんだとのこと。
Blaschkeは、ヒトラーの後年の歯周病や歯のトラブルの主な原因は、第一次世界大戦前のウィーンで浮浪人のような生活を送っていたときの粗末な食生活のせいだろう、とも書き留めています。
ヒトラーのほかにも、空軍総司令官であったヘルマン・ゲーリングもBlaschkeの患者であり、ゲーリングもまた歯医者を非常に恐れていて、Blaschkeによると「イスに座る前から泣いていたほど」とのこと。「ドイツ空軍の総司令官として歯が欠けた姿は部下に見せられないとのことで、歯を抜くときは事前にプロテーゼを用意し、その日のうちに入れなければいけなかった」と、当時見られたら命が危なかったのでは?と少し心配してしまうような内容も赤裸々に書かれています。
モルヒネ中毒と肥満に悩まされたゲーリング。歯の状態も良くなかったようです。
1957年に死亡したJohannes Blaschkeは熱狂的なナチ党員で、親衛隊将校の歯に詰めるための金がどこからやって来ているのかも十分に承知していましたが、人間的な優しさを見せることがまったく無かったわけではない、とDeprem-Hennen博士は著書の中で述べています。「連合軍の爆撃機が頭上を飛び交う中、Blaschkeは歩けないユダヤ人の家主を抱えて防空ごうへ避難していた」とのことです。
ワタシも歯医者は怖いな…。
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| [4222] Rudolph von Gartheimer愛連合理事長 2009年12月12日 (土) 03時27分 |
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□ erster Auftritt. 陳述 |
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ギャラリーに飾ってあったNさんの作品ですが、このたびNさんがメジャーデビューしたアーティストのグラフィック関係を制作することになりまして、少しの間イラストの掲載を中止してほしい要請がありましたので削除しました。
あらかじめご了承ください。
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| [4220] Rudolph von Gartheimer愛連合理事長 2009年12月12日 (土) 02時16分 |
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□ Nationalhymne. 陳述 |
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英歌手ピーター・ドハーティ(Peter Doherty、30)は28日、ドイツ・バイエルン(Bavaria)州ミュンヘン(Munich)で行われた音楽祭「On3 Festival」に出演した際、ナチス・ドイツ時代の国歌「Deutschland, Deutschland ueber alles(世界に冠たるドイツ)」を歌い、ステージから引きずり降ろされていたことが明らかになった。地元紙TZが30日、報じた。
この模様は同州の公共ラジオで生中継されていたという。
ドハーティは、観客からやじを浴びながらも歌い続け、とうとうスタッフにステージから引きずり降ろされた。「我々はできるだけ早くピーター・ドハーティーの演奏を止めさせようと決めた」と主催者は語った。
ドハーティが歌ったのは「Song of Germany(ドイツの国歌)」の1番の歌詞で、ナチス・ドイツ時代の国歌として使われた。1番の歌詞はドイツでは禁止されていないが、ナチス・ドイツの総統、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)と密接に関連していることから第二次世界大戦後は歌われていない。
世界に冠たるドイツの三番目の歌がドイツでは国歌なんですが、一番目だって別に歌ったって良いじゃない。
歌詞は適当にググってもらいますが、そんなにナチス・ヒトラー総統と関係性は薄いと思う。
おそらく客はユダヤ人だな。
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| [4219] Rudolph von Gartheimer愛連合理事長 2009年12月03日 (木) 14時14分 |
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□ Kriegsverbrechen. 陳述 |
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【12月1日 AFP】第2次世界大戦中のナチス(Nazi)強制収容所の元看守とされるジョン・デムヤンユク(John Demjanjuk)被告(89)の公判が30日、ドイツ・ミュンヘン(Munich)の地方裁判所で始まり、同被告は医療従事者と警備員に付き添われて車いす姿で出廷した。ナチス関係者の主要な裁判としては、この裁判が最後になるものと見られる。
ウクライナ生まれの同被告は大戦中、現在のポーランドにあるソビブル(Sobibor)の強制収容所でユダヤ人など2万7900人を殺害した罪に問われている。同収容所は、ナチスの独裁者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)がユダヤ人大量殺りくのために設立したものの1つ。
同被告はうなり声をあげたものの目は閉じたままだった。家族によると被告は重病で、収容されていた拘置施設から救急車で運ばれてきた。
被告はソビブルの強制収容所にいたことを否定しているが、検察側は、被告の名前が記されたナチス親衛隊(SS)の身分証明書と異動命令書の存在を明らかにし、被告が1943年3月から9月までソビブルの収容所で看守を務めていたとしている。
有罪となれば、同被告が余生を刑務所内で過ごすことはほぼ確実。有罪とならなくても、米国籍をはく奪され無国籍のため、将来は不透明だ。(c)AFP/Richard Carter
もう、許してやれよ(´;ω;`)ウッ
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| [4218] Rudolph von Gartheimer愛連合理事長 2009年12月03日 (木) 13時38分 |
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