No.280 福島県鮫川村 天狗橋の巨石・遷急点 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年09月19日 (土) 14時18分 [ 返信] |
花崗岩の巨石地形事例を集めるため、阿武隈・北上山地の花崗岩露出地を廻っています。 備忘録代わりのまとめ。 東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」 (http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在) から所在情報をもらいました。 この巨石・天狗橋もその一つです。 http://hamadas.exblog.jp/13684097/
IN上で検索してみますと、福島県の緑地環境保全地域であり、ふくしま緑百景にもなっていて、景勝地として知られ、鮫川村の観光地であるとのこと。 鮫川村の公式ホームページ www.vill.samegawa.fukushima.jp/page/page000112.html での記述======= <観光情報 天狗橋(てんぐばし)> その昔、天狗がかけたと言い伝えられる「天狗橋」は、長さ7.9メートル、幅4メートルの自然の石橋です。橋の周辺はイヌブナやアカシデ、コナラなどの 古木がうっそうと生い茂り、涼しい空気が漂います。また、遊歩道沿いには多くの山野草が咲き、訪れる人を楽しませてくれます。 橋を中心とした0.87ヘクタールの地域は、昭和59年6月に福島県の緑地環境保全地域(第1種地域)※に指定されています。 =========== 画像のように、巨石が破断して川底に横たわっていて、石橋になっている変わった形の巨石とのことです。 どうしてこうなったのでしょうか・・・人工なのか、自然なのでしょうか・・・面白そうです。 さらに、所在位置を地形図で調べてみますと、河川の遷急区間の頂部(狭義の遷急点)にあるらしいことがわかりました。 巨石の立地にかんして、尾根や斜面の遷急点に関連した巨石はいくらでもありますが、河川の遷急点に関連した巨石は珍しいので、興味を引かれました。 もっとも、これはマニアの私の興味で、いまどき天狗が作ったと言われて驚く人はいるわけもなく、まして、現地にその現象を解説する解説板も何もないので、私が訪れた時も、観光客が数組訪れていましたが、皆、一目見てさっさと行ってしまいました。 (つづく)
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No.281 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年09月20日 (日) 23時55分 |
天狗橋の所在地を位置図に示します。5万図幅「竹貫」の南西部、2.5万地形図図幅「磐城新宿」にあたります。 鮫川村赤坂東野 字蕨ノ草で、位置図の、鮫川本流沿いの遊歩道が川を渡る部分に当たります。 標高540m付近。 周辺の地形は、阿武隈山地の南西部にあたり、阿武隈花崗岩がマサ化した低い山地です。この山地は、阿武隈小起伏面の中位面(620m前後)と下位面(530m前後)の境付近にあたります。 天狗橋は、その山地を侵食している鮫川の谷底にあります。その谷底の地形は、位置図に示すように、3種に区分されます。 (1)高位沖積谷底 : 図の緑色。標高540mを下限とする床谷地形の谷。沖積谷で、谷底は水田化されています。 (2)低位沖積谷底 : 図の黄色。標高500m以下の床谷地形の谷。沖積谷で、谷底は水田化されています。 (3)遷急区間 : (1)と(2)の谷底面間の欠床谷地形のV字谷峡谷部分。図で赤色で示した。標高540〜510m、比高30mほどの遷急区間。この遷急区間を、「天狗橋遷急区間」とよぶことにします。 この遷急区間は鮫川の本流にありますが、位置図に示すように、鮫川の支流の谷にも、同時期の遷急区間が各所で認められます。 あと、遷急区間は、前述した山地小起伏面の境にあたります。その成因的関連については後述します。 また、このような谷の勾配が大きくなる遷急区間は、阿武隈山地の河川では夏井川などを典型にして、下流から上流にかけて5〜6段見られます。鮫川でもすぐ下流にもう一段あり、「強滝」という景勝地になっているようです。 河川の遷急区間の数は、その地域の山地の形成しに対応して地域差があり、私の地元の房総丘陵の川では、遷急点1つが普通で、多摩川のような関東山地の川は2つが普通と思います。(つづく)
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No.282 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年09月21日 (月) 12時34分 |
高位沖積谷底の景観 天狗橋遷急区間上流に広がる床谷地形です。遷急区間上流の草木橋上から望む。 位置図の草木集落下の谷底で、水田化されています。 周りの山地は、花崗岩マサの山。 画面右の緩斜面は、畑や集落に利用されている麓屑面地形です。この地形は氷期に形成されたものかもしれません。 阿武隈や北上山にはよく発達していますが、私の地元房総半島の侵食谷底には発達が悪く、あっても高さが低い。
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No.283 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年09月23日 (水) 00時01分 |
最初の画像では、「天狗橋」というのがよく分からないという声があったので、側方からの画像を示します。 上流側から見た景観。巨石の下が川になり、橋として利用されているのが分かります。 橋になっている巨石とその左の木の生えている巨石、および人物像の後ろの破断割れ目のある巨石は、いずれも丸みのある表面が見てとれ、大きなコアストーンの破断したものであることが分かります。 たしかに、珍しい景色です。ただし、花崗岩の渓谷で、河床が土石流で運ばれたり、転落してきた大きな角張った岩塊が積み重なって、谷底を埋めている場所を沢登りで通過する際に、巨岩の下がトンネル風になっているのを見たり、くぐった経験のある方は多いと思います。 そのような、花崗岩角礫が作るトンネル地形の、丸石版といえそうです。
後述しますが、現地での観察で、これらのコアストーン破断片は、画像右手枠外の斜面上部から転落し、画像右手の崖錐部分を転がり落ちてきて、鮫川の河床に落ち込んで破断し・止まった岩塊であると結論しました。 ただし、それだけでは、石橋にはならないですが、転落・堆積後の石橋化についても、後で述べます。(つづく)
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No.284 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年09月23日 (水) 19時03分 |
天狗橋遷急区間の景観 画像は遷急区間の急勾配河床と、河道両側のV字谷斜面下部。 比高約25mの遷急区間は、谷幅が河道幅と同じ、欠床谷になっています。河道両側の谷斜面は、森林に覆われたV字谷地形で、下部は崖錐が連続する。 画像に見えるように、河床にはびっしり丸い巨石が積み重なり、川の水が石をよけつつ小さな段々をなして流れ下っています。これらの丸石は、斜面上部のマサとコアストーンの崖に露出していたコアストーンが、転落してきたものです。大きな岩塊ほど崖錐末端に集まるので、崖錐末端にあたる河床に、コアストーン起源の丸みの面を残す破断礫が河床に集積します。 画像手前の木や草の生えた巨大岩塊も移動してきたものだと思われます。 普通、遷急区間地形は硬い岩石が露出することで、滝場となり、岩盤河床であるのが通常で、阿武隈山地でも各所に見られます。 それに対して、天狗橋遷急区間の河床は岩盤ではなく、花崗岩の風化したマサ砂で、斜面から落ちてきた未風化コアストーンが河床に集積して岩盤の替わりをしているという珍しい地形だと思います。 岩塊が1個や2個なら、洪水時に押し流されてしまうでしょうが、この区間では河床に多数のコアストーンが供給され、それが互いに組み合って河床を固め、河床の変化を止めているので、遷急区間の地形変化が起こらず、遷急区間が保存されているということができます。(つづく)
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No.285 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年09月24日 (木) 20時29分 |
画像は、天狗橋脇の杉植林碑 <現地解説板についての感想> 天狗橋とその遷急区間は、上述のように、マニアックな地学的見地で見ると、なかなか珍しい、興味ある景観です。しかし、勿論のことそれに関する解説板などありません。 では、生物方面で、「天狗橋緑地環境保全地域」になっているので、そちらの紹介があるのかというと、「天狗橋緑地環境保全地域につき、□□すべからず」の看板が1枚あるのみ。 一般観光客(県民)に、石橋の驚異や、この林の価値と保全の意味を、興味を持って分かってもらうような解説看板の設置を望みます。 そもそも、緑地環境保全地域には、事業として保護の観点はあっても、紹介する観点は乏しいようですね。INで検索してみましたが、緑地環境保全地域について、福島県のHPには、ほとんど情報がありませんでした。 県の一覧表に、「S59.6.15指定 第1種 0.87ha 天狗橋と一体になった自然環境」 とあるのみで、それより詳しい解説は見当たりませんでした。 もう一つ、ここは、「ふくしま緑の百景 天狗橋の緑」というのになっていて、その石碑があります。 銘文:ふくしま緑の百景 天狗橋の緑 昭和60年6月選定 主唱 福島民報社・福島県緑地推進委員会 きれいな郷土 みんなの願い、東北電力 こちらも、解説はなし。 というわけで、現地には、地域を知る情報装置がほとんど無いのですが、唯一、いわくありげな仙台石の板碑・・・画像参照・・・があって、「天狗橋植林の記」と刻まれていましたので、紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 〔表面銘文〕 天狗橋植林の記 鮫川の上流 渓谷林相の美を極めるところ 一大巨石をもって架する橋がある 人よんで天狗橋という この地はもと国有であったが後にこれを村有とした ここに本村議会の議に因り 周辺の山に杉を植えて村有林とする 以って後世村民の福祉に資せんとするものである 天然の美 人心の和を加えて 美わしき村の源泉とならば幸甚である 昭和三十四年四月 鮫川村長 石田卯子八識 〔裏面銘文〕 事業概要 施行面積 三町 反 畝 植樹本数 杉 七三◯◯本 施業□□ 昭和三十三年四月 □樹□□実施者 鮫川村議会議員 議長 山形 武 〔以下 役職人名〕 ・・ 鮫川村青年会長 ・・・・ 鮫川村婦人会長 ・・・・ □:写真画像から判読できず。 ・・・・:翻字省略。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以上、昭和33年に鮫川村が杉7300本を植樹した記念碑でした。範囲は3町歩ということで、緑地保全地域の0.87haより3倍以上広い範囲に植樹したとのことです。 しかし、天狗橋の遷急区間には、下流端に一部杉林がありますが、渓流部の両側の斜面にも、遷急点より上流の堰堤にかけても、杉は見当たらず、落葉広葉樹林の林が広がっています。生育しなかったのか? 植林事業の20年後、昭和59年に緑地環境保全林になって以降、落葉広葉樹林であることが評価され、保全されてきたらしいです。 想像するに、天狗橋の渓流沿いを杉の美林にしようとした、この昭和34年の杉植林計画は理念的にも、実際上でもうまく行かなかったようです。 ということで、せっかく紹介した、この石碑もガセネタということになりますが、自然保護行政の時代変化を示している歴史資料と言えるのかもと思います。 というわけで、ここに足を運ぶ人が、石橋や渓谷林を見て感心するための仕掛けが全くないので、これでは一目見てみんな行ってしまうのも無理もないと思われます。 再度言いますが、一般観光客(県民)に、この石橋の驚異や、林の価値と保全の意味を、興味を持って分かってもらうような解説看板の設置を望みたいと思います。(つづく)
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No.286 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年09月27日 (日) 22時37分 |
<天狗橋遷急区間の地形> 天狗橋遷急点をもう少し詳しく見てみます。 ・ちょっと一言:駐車場、道 今回書き込みの平面図に示すように、駐車場が2カ所あります。 個人的感想ですが、草木橋から行く上流側の駐車場は、天狗橋へは近いのですが、あまりお勧めできません。 地図では草木橋から歩道です。この道は、拡幅されて車が通れるのですが、急な谷斜面の未舗装路でガードレールもなく、道幅がやや物足りない感じです。軽ならともかく、車幅が大きい車で入って、操作を誤ると谷底へ転落しそうです。 その点、下流側の駐車増は、道は狭いですが、ちゃんとした舗装道路で安心。 なお、下流側からですと、2.5万地図の道通りに行くと道が消えて藪に突入。遊歩道は平面図に示した位置に掛け替えられています。 ・河床縦断面図 平面図に対応する河床縦断面図を下に示します。 横軸に、鮫川の河道沿いの距離をとり、縦軸に、河床の標高を、読図と現地での簡易測量で計測して作成しました。あんまり正確ではありません。誤差は2m以内だとは思いますが・・・(^_^;)。 堰堤には、銘板があり、「昭和48年3月竣工 戸草ダム 工事概要 高さ8.5m 長さ52.0m 福島県」となっていました。 図の遷急点や堰堤の基部に、地中塔状態の未風化基盤が存在しているかもしれません。・・・未調査です。 ・縦断から見た遷急区間 遷急区間は、長さ120m、比高25mですが、天狗橋付近を境にして、緩やかな上半部 (長さ35m、比高3mぐらい)と、急勾配な下半部 (長さ85m、比高22m)に分かれます。 後述しますが、上半部と下半部の境に、天狗橋があるのは、単なる偶然ではないと思います。 前の書き込みで、この遷急区間は丸石が河道を保護することによりできていると述べました。 現実は、丸石の高さ分の小段の連続ですが、図化した縦断形はそれが馴らされて、直線状の縦断形なことです。 岩石型の遷急区間は、瀑布帯になり、滝の所は急な段になり、滝の間の河床は緩傾斜で平滑な断面形なので、全体は不揃いな階段状の形になります。 この差異は、岩石露岩型の遷急点は、河床縦断形が変化しつつある地形であるのに対し、丸石型の遷急点は、一種の化石地形で変化していない、あるいは、変化し始めたらすぐ壊れてしまう地形であるからではと思います。 以上、今までの書き込みをまとめて、この丸石型の遷急区間の地形を考察してみると 岩石露岩型遷急区間の地形景観:河床が岩床で、両岸は岩の廊下地形になり、河床縦縦断は階段状で、瀑布帯か単一瀑布になる。 これに対し、 丸石型遷急区間の地形:河床はマサと積み重なった丸石で、両岸は崖錐地形とそれが切られたマサと丸石の土崖になり、河床縦断面は直線状で、丸石の重なり合った渓流になる、と考えられます。 もっとも、大規模な例はこの一例だけなので、推測です。・・・妄想かも。(^_^;) (続く)
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No.287 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年09月28日 (月) 20時23分 |
<天狗橋より上流の渓流景観> 天狗橋の石橋の上から上流を望む。 遷急区間の上半部にあたり、河床勾配が緩い。 両側左右の斜面は崖錐地形の末端で、手前の巨石3つ(一番大きいのは長径5m位はあったと思う)は、右側の斜面から落ちてきた崖錐礫。 平凡な緩やかな渓流景観に見えますが、 (1) 川の流れがささやかな割に、礫が大きい。 (2) 礫が、上流から動かされてきた河床礫でなく、側面から転落して溜まった崖錐礫である。 (3) 河床の礫が、すべて、球面をもった未風化コアストーン起源である。 などの点で、ちょっと変わっています。 (続く)
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No.288 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年09月29日 (火) 18時12分 |
<天狗橋より下流の渓流景観> 284の画像でも示しましたが、上に出した上流景観と対比の意味で、下流の急勾配遷急区間の画像をもう一枚出します。 こちらの画像でも、河床に、コアストーン起源の丸みの面を残す破断礫が集積、川の水が石をよけつつ小さな段々をなして流れ下っている様子が分かります。 「丸石型」遷急区間とよぶにふさわしい景観です。 なお、画面奥に、天狗橋の石橋下のトンネルが見え、石橋付近ではやや河床勾配が急になっていることが分かります。 後述するように、石橋の巨石は単独で落ちてきたものではなく、右岸側から多数の岩塊が転落して、河床に溜まり、積み重なってできた、平面半円形の高まりの地形・・・「崩落堆」の頂上の岩塊です。河床が石橋下流で急勾配になるのは、崩落堆の下流側側面に当たるためと思われます。 (つづく)
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No.290 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年10月01日 (木) 14時30分 |
<天狗橋の岩塊群> 天狗橋周辺の岩巨石群の景観です。 巨石が落ちてきて止まった側(右岸・東側)の対岸(左岸・西側)から見た様子です。 下の画像は、この景観の解釈図です。 この地形のでき方を順に述べると・・・・、 (1) 最初に、斜面上部で崩壊がおこり、主にマサ砂からなる崩落堆が谷底に落ちて溜まり、平面半円形の高まりを作りました。そのため川が堰き止められ、水路が手前側に迂回しました。 (2) 崩壊後、斜面の大きなコアストーンが、転落し、落ちてきて破断し、崩落堆の上に転石群として乗っかって止まりました。 (3) その後、天狗橋石下の崩落堆に、マサ砂が洗いだされて,トンネルができ、直行する水路ができて、石橋化された。その結果、迂回した水路と直行する水路の2つに分流するようになった。この経緯はこちらからは見えないので後述。 ・・・・・ということになると思います。 (1)と(2)のイベントは、別の現象ではありますが、崩落堆の頂上に、ぴったり転石群の主体が乗っていることなどから、時間をおかず連続して発生した現象で、斜面のマサ砂崩壊の発生が、その直上のコアストーン露岩の転落を誘発したのだろうと思われます。 (つづく)
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No.291 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年10月09日 (金) 16時09分 |
<天狗橋巨石群の平面図> 天狗橋巨石群の平面スケッチです。 前の書き込みの画像と同じ範囲。概念略図なので細かいところは大雑把です。 崩落堆の堰き止めにより、谷底に迂回した水路が作られた後、天狗橋他のコアストーン破断岩塊が転落してきて転石群となった後、崩落堆中央を横切る新水路ができています。これは、転石群下の崩落堆がマサ砂と岩塊からなり、スカスカで水が浸透しやすく、浸透水によりマサが流されて上流側からの水あたりの所が掘られて新水路ができたと判読されます。 この地形は、谷斜面から、コアストーンが谷底に、崩壊あるいは転落して堆積し、谷底を埋めているタイプの巨石堆積地形ということができます。 ありふれたよく起こる地学現象で、この巨石のある遷急区間も、この現象の積み重なりで形成された地形と言えます。珍しいと言えば、落ちてくるのが球形のコアストーン岩塊という所ぐらいでしょう。 しかし、巨石地形としてはあまり見かけません。谷底に落ちてきても、その後の洪水や土石流で運搬されてしまうため、長期にわたって残存せず、伝説の対象になったり、名前を付けてもらえるのが、意外と少ないのかもしれません。 私も、そんなに歩いているわけでもなく、2例だけしか例が挙がりません・・・・落下した岩塊がコアストーンでない例なら、御岳昇仙峡を始め至る所にありますが。 1例は、まだ訪ねておりませんが、浜田氏の東北巨石番付2011年5月28日のページで紹介されていた、福島市飯坂町茂庭、茂庭湖上流の亀石地区にある亀石巨石。コアストーンが転石型の典型例ではないかと思っています。 もう1例は、有名な栃木県足利市名草の奥ノ院巨石群で、こちらは崩壊型の典型例と思います。(つづく)
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No.292 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年10月11日 (日) 00時31分 |
名草奥ノ院巨石群 画像は、栃木県足利市名草弁天 奥ノ院巨石群の景観。下流側から見たもの。 足利市名草弁天の山は、足利花崗岩体と呼ばれる花崗岩の小規模な貫入岩体からなる山地です。 奥の院巨石群は、名草弁天上流の谷底平地に、破断した花崗岩コアストーンが多数積み重なり、水は伏流している景観の巨石群です。 今まで紹介してきた天狗橋の巨石群とは、谷斜面から移動した、コアストーンが谷底に堆積し、谷底を埋めているタイプの巨石堆積地形である点で、似ています。 ただし、似ているところはそこまで。でき方はかなり違います。 奥ノ院巨石群の成り立ちは、画像に示す現地景観観察から、以下のように復元できます。 (1)風化マサ化した花崗岩山地の谷斜面から、未風化コアストーンと風化マサ砂が一緒に崩落し、谷底に堆積して崩落堆となり、谷底を埋め、谷水は伏流となった。 (2)その後、洪水時に伏流が地表水流となり、流路に当たる部分のマサ砂を流し出して、涸れ谷を作り、その涸れ谷の空中に積み重なってコアストーン群が露出した。 天狗橋巨石群の成り立ちとは微妙に違いますね。 (蛇足) ちなみに、奥の院巨石群の下流にある、名草弁天宮の巨石群は、別タイプの地形で、峡谷の谷頭に地中塔が林立して露出する、侵食地形景観です。 (つづく)
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No.293 投稿者:滝おやじ 投稿日:2015年10月11日 (日) 20時59分 |
<補足> 今までの天狗橋巨石群の紹介で、後回しにして書かなかった観察・読図事項を補足します。 (1)天狗橋遷急区間の位置と、山地の小起伏面境界部とが対応している事について。 丸石型の遷急区間の成立には、地表近くに未風化コアストーンがたくさん埋まっているのが条件となります。 未風化コアストーンの頻度は地下深くなるほど多くなるはずです。また、山地小起伏面の境界部分では、高位の小起伏面山地の地下側面が地表近くに露出しています。 この2つのことから、境界部で、未風化コアストーンの頻度が多くなる・・・おそらく地中塔の形で・・・と考えられ、河川が、低位の小起伏山地を下刻していって、境界部分にさしかかったときに、丸石型遷急区間が作られやすくなると思われます。
(2)遷急区間上半部と下半部の境に、天狗橋がある事について。 本来独立名現象のはずの、遷急区間の傾斜変換点位置と、天狗橋の崩落堆と転石群の位置が一致しています。 どちらが先かと考えると、傾斜変換点にぴったり合わせて崩壊し、落ちてくるというのはおかしいので、崩落堆と転石群の位置から、傾斜変換が起こったと思われます。 つまり、天狗橋の崩落堆と転石群により、河床の堰き止めがおこり、その結果、上流側勾配が緩くなっていると考えた方が良いと思います。 画像は、天狗橋近くで咲き終わっていた花。この花だけが彩りでした。 花には興味ないのですが、何草というんでしょうか? (以上、天狗橋巨石群の紹介終了、次は、銚子屏風ヶ浦の海食崖後退絵図の予定だが、先のことは分かりません。)・・・(^_^;)
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