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No.294 福島県二本松市立石地区 立石巨石群 投稿者:滝おやじ     投稿日:2015年10月14日 (水) 01時13分 [返信]

<位置>
 花崗岩の巨石地形事例を集めるため、阿武隈・北上山地の花崗岩露出地を廻っています。
 備忘録代わりのまとめ。
 東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」 (http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在) から所在情報をもらいました。 
この立石もその一つです。
  http://hamadas.exblog.jp/13618095/  
 所在地は、位置図を参照。国土地理院2.5万地形図「安達太良山」図幅に注記しました。
 福島県二本松市立石地区にあり、有名な岳温泉の近くです。
 位置図に示したように、岳温泉への道沿いに案内看板があり、そこから、荒れかけた林道を行って、尾根の肩に登り、巨石の前まで車で行けました・・・2015年4月。
 この尾根は、立石から山を越える、旧二本松街道として利用されていました。巨石のある尾根の肩は、立石集落から急坂を登り切った場所に当たり、集落の山の神が祀られています。また、露岩の立石が集落名の元にもなっています。
 なお、立石集落から直接登る旧街道道は、歩道のみ。
<立地>
 阿武隈花崗岩からなる低い山地の稜線肩にあります。標高約485m。
 残念なことに2.5万地形図にしては珍しく地図の等高線表現が不正確で、稜線の形が正確でありません。
 現地でみると、その稜線の肩は、重力すべり起源と思われる二重山稜地形で、その二重山稜の峰部に、花崗岩コアストーンが露出している地形です。
 二重山稜や、稜線立地などから、コアストーン露岩の露出には氷期の周氷河作用と、稜線効果による裸地化が関わっていたのだろうと思います。

 全景画像は、尾根肩の地点から撮影。前面の浅い凹地が二重山稜の底にあたり、凹地底の道路が二本松街道で、道脇に山の神と刻まれたコアストーンの半切岩塊が、文化年間に石塔として立てられています。なお、最近、林道工事に伴って、山の神塔前の道幅が、さらに拡張され、道沿いの岩塊も動かされているようです。
 画像の右手が、二重山稜の峰部分で、そこにある岩塊群が、立石とよばれる石です。この露岩群の信仰の中心となっていると思われる石で、岩の麓に小宮が祀られています。
 
<コアストーンの破断分解>
 実を言うと、そんなに規模の大きな巨石群というわけではありません。私が、興味を引かれて訪れたのは、この露岩コアストーンが見事に破断して壊れているという点です。
 近接画像は、その立石の壊れっぷりを側面から見上げた景観です。変質者人形(身長1.7mぐらい)を、スケールにしました。
 一見して、元はひとかたまりで、もっと高く聳えていたコアストーンが、破断して周りに落下したり、落ちかかっていると見えます。
 落ちている1つ1つの岩塊について、落ちてきた方向を矢印で記入してみます。すると、砕ける前は、画面に記入したコアストーンAとコアストーンBの2つが少し離れて立っていたと考えられます。コアストーンAは、尖った卵形で、背が高く、コアストーンBは、球形で、こぶり立ったようです。 その後、Aの上部や側面が、バラバラに砕けて落下し、Bの上にものしかかり、さらに、周りに散乱堆積していると読み取れます。
 その辺が面白いので、破断する前の各コアストーン単位で、どう破断しているのかを中心に見ていくことにしました。(続く)

No.299  投稿者:滝おやじ     投稿日:2015年10月24日 (土) 23時33分

<巨石群の位置図>
立石巨石群の概略位置図です。
 現地での簡略測量で作ったので厳密な位置図ではありませんが。(^_^;)
 図のように、西北西〜東南東方向の二つの稜線が平行した、二重山稜地形です。
 その稜線部分に、かってコアストーン起源のゆで卵の半分を立てたみたいな形の露岩が点在していて、それが破断して周辺に散乱している地形と解釈されます。
 図では、現地性岩塊と転落岩塊に色分けしてあります。なお、図では、当初の位置に近い場所にあるものを現地性岩塊としていますので、破断せず当初の位置に留まっている・・・全く動いていない・・・岩塊はごく少数です。
 破断・転落する前の、当初の岩塊位置を考え、その元々のコアストーンごとに仕分けて、岩塊群に分けました。
 位置図に示すように、A、B、C、D、,E、F(山上塔台石岩塊群)、G(立石岩塊群)、の7つの各岩塊群を識別しました。・・・C岩塊群は、単独の卵形コアでなく、それが連続した岩列だとおもいますので、1つにまとめました。(つづく)

No.300 <A〜Gの7つの巨石群> 投稿者:滝おやじ     投稿日:2015年10月24日 (土) 23時36分

<A〜Gの7つの巨石群>
・A〜E および F:立石岩塊群 G山の神塔岩塊群に区分。7つの各岩塊群を識別しました。
・A〜E群は、現地性岩塊が少し破断しているのみ。
・現地性コアストーンの内、特に大きくて立っている、G群(立石岩塊群)が、名の元になった「立石」でしょう。
・立石の周辺に、欠け落ちたと思われる破断岩片が多数散在していて、それらを含めてG群とします。
・D、E岩塊は、それら散在するF群岩片範囲中にありますが、円頭半埋もれ石で現地性の球面岩塊と判断して、F群とは分けました。
・F群:山の神塔台石巨石群。 山の神塔石は、加工して立てた石で明らかに人工。その台石も大きいが、全面破断し、球面を下にした浮き石。一見G群の破断片かとも思えるが、それにしては大きく、台石付近にあった独立のコアストーンの破断したものの可能性があり、また、人工移動・加工されているので別群とします。
・山神塔銘文:「山神塔」「文化三寅天十月十七日」・・・施主名なし。

画像:F群:山神塔台石巨石群の人工加工
台座になっている石と、台石の上に立つ山神塔石は、もと一体のコアストーンが真っ二つになった跡のようです。 ただ、人工加工が激しく、文化三の面は人工カットで、直立する姿は人工に据えられたものと見える。そうみると、塔の石の後ろの石も支えに置かれたもののようで、これは、G群の転落岩片を人工移動して乗せたようですし、台石も都合の良い平面になるように回転させてありそうです。位置そのものが車道工事の際に移動されている可能性もありますね。(続く)

No.301  投稿者:滝おやじ     投稿日:2015年10月24日 (土) 23時48分

<A群>
稜線上に露出している、鯨の背びれのような形の、尖り頭のコアストーンです。地表高さ1.3m 長径2mほど。
 図の桃色部は、コアストーンの風化球面で、緑色部分は破断面。桃色の部分をつなげると、破断前の形が一目で復元できます。
 図に示すように、A・B・Cの3つの岩塊からなり、破断前は3つが一体だったことが分かります。
 Aの形や、BCの離れ具合から、このコアストーンは地下に岩体がずっと続いている根石では無く、マサ中にある浮き石と考えられます。
 また、動けば倒れてしまう形ですので、Aは動いていないと思われ、異地性ではなく現地性の岩塊と判断します。
 つまり、花崗岩体が深層風化してマサになっており、未風化部分が、表面球面のコアストーンとなって、マサのなかに埋もれていた状態で、そのコアストーン単体が侵食により地表に半分露出した状態と思われます。
 立石巨石群の各岩塊は、G群(立石岩塊群)のA(宮の祀られた立石) を除いて、みな、このように、現地性の浮き石コアストーンを起源にしていると思われます。
 破断状態については、コアストーン主部Aの両裾が破断して、岩塊B、Cが分離しているのはよく分かりますが、地下の部分で割れ目がどう続いているのか、掘るわけにもいかず不明です。ちょっと残念。(続く)

No.302  投稿者:滝おやじ     投稿日:2015年10月24日 (土) 23時51分

<C群>
C巨石群の景観です。
破断した岩塊の多くは、南側の谷に転落してしまったようで、付近には見当たりません。
稜線部に残っている岩塊の様子から、以前は、マッシュルームのような球形のコアストーンが並んでいたらしく思われます。
 その割れ方ですが、D1,D2、A1,A2のように、単純にパリンと割れて、お互いの破片が近くにあるというのは少なく、大部分は、割れた破片の片割れが近くに見えないような、もっと激しい爆発的な割れをしたように思われます。(続く)

No.303  投稿者:滝おやじ     投稿日:2015年10月27日 (火) 11時42分

<F群・山神塔台石岩塊群>
F群の景観です。
画像の手前が林道で、林道脇の岩塊は一直線に並び、林道工事で動かされているのは明白。
 山神塔本体は、江戸時代文化年間に加工して立てられたもの。
 山神塔の台石も,石の下に平らな岩片を重ねて敷いた上に乗せて台石にした感じで、、前の書き込みで画像を示した側面観からも、山神塔と台石ごと林道工事で、脇に移動されているようです。
 山神塔とその台石の元は、G群の破断岩片かもと思いましたが、後述するG群の破断復元結果から見て、G群とは別の単独のコアストーンであったもののようです。
 B群が残片のみの岩塊群なので、単なる可能性ですが、B群のあたりにあったものを移動したのかもと想像しています。(続く)

No.304  投稿者:滝おやじ     投稿日:2015年11月20日 (金) 13時17分

<G群・立石神体石岩塊群 東面>
G群の東側から見た景観です。画像とスケッチ図で示し、各岩塊に名称をつけました。
 スケッチ凡例
桃色着彩面:地下でのコアストーンの風化球面。
緑色面:露出後の破断面。
橙色面:、桃色面と同じ風化球面か、あるいは、コアストーン球面に平行に殻状に破断した破断面かが未定のもの・・・前者の可能性の方が高そうです。
赤線:元の位置からの転落移動方向です。

・G群岩塊群の概要
 立石神体石(G群)岩塊群は、岩塊A〜Kに分離しています。
 前述したように、これらは元は2つの露出コアストーン(名前をGA、GBとします)があり、それが破断して、A〜Kの乱雑積み重なり・散在した岩塊群になったものです。
 GAは、H以外の岩塊の元で、動いていない岩塊B・Cと、その上に乗っていたAを中心とする位置にあった大きな立石の露出コアストーンです。GBは、その西に近接して立っていた球状の小型の露出コアストーンで、現在はGAから転落してきた岩塊の下敷きになり、岩塊H1〜3に割れています。
 GA、GBとも、勿論現地性で動いていませんが、底に岩が続いている、根石のようには見えません。ただし、そうであっても、岩の規模から見て地下すぐに地中塔の頭がある思われます。
 この向きからの眺めでは、GBは見えず、尾根二重山稜稜線の肩上にある旧GAを、尾根の下から見上げるアングルになります。

・東面で見られる破断の様子
 図に示したように、岩塊B1、B2・・・割れ目が入って2つに分離している岩塊、岩塊C・・・表面に神像が浅い線刻で刻まれている、が、動いていない状態で立石を構成しています。その上に乗っていた岩塊AはBCの後ろに落ちているので見えません。
 手前右の落下岩塊Kは、岩塊Aの上か脇に付いていたものが落下したと思われます。
 手前左の落下岩塊Iの形と、立石Cの断面形が一致する・・・・Cの点P・Qと、岩塊IのP1・Q1とが対応する・・・・ので、岩塊Iは、岩塊GA南東側の三角形の破断凹みからの岩片です。
岩塊Iの近くの、岩塊J、岩塊Gもその凹みからの破片と云うことになります。
 落下岩塊E・Fについては、岩塊Bあるいは岩塊A唐の破断ですが、南面の景観解説の際に述べます。 
 各岩塊の破断状況を見ると、各岩塊の破断面は、節理面の開口による面ではなく、微妙に凹凸のある曲面で、節理と関係なく大きく破断した面です。
 また、岩塊I・J・Gは同時に破断転落したと思われ、移動距離や破断の様子から、単純に剥がれ落ちて落下衝撃で割れたにしては移動量が大きいと思われます。
 さらに、岩塊I・J。Gの抜けた跡である、岩塊B・Cの破断面も、一見垂直の節理面のようですが、垂直の開口破断割れ目と思われます。
 これらのことから、GAからの各岩塊の破断は、地震動による炸裂破壊の可能性が高いと思われます。



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