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No.202 房総 梨沢七つ釜が復活! 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年06月24日 (火) 13時31分 [返信]

10年以上も、巨大倒木による天然ダム湖の底に沈んでいた「七つ釜」が姿を現しました。大雨で巨木が動き、それを地元の方がカットしてくれたので、ダムが決壊したのです。まだお釜の中には砂礫が堆積してますが、いずれ昔の美しい姿に戻るでしょう。
行くなら「今でしょ!」

No.203 そうだったんですか! 投稿者:滝おやじ    投稿日:2014年06月26日 (木) 14時15分

天然ダムで浸水してたんですか。そもそもそれを知りませんでした。(-_-;)
そういえば、10年近く行ってないかも。
とにかく、めでたいですね。

No.199 巨石観察ノート2014年版17 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 その13 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年06月06日 (金) 22時48分 [返信]

 原甲石を復元してみました。
 画像は、甲石を北東側から見た画像。後ほど、神社正面側から見た測量図を出します。
画像の手前建物は神社拝殿、その奥の別棟が本殿です。
 甲石は本殿に被さるように接しています。本殿右の巨石は、原甲石北東側上部が剥離して落下した分離岩片の産屋石。画像中の標尺は5m。
 原甲石は、大石山山頂にあった巨大なコアストーンで、現在、破断して数個の岩塊に分かれ、原位置に残っている岩塊が甲石、分離した岩塊は、影向石、産屋石、浮舟石などです。分離した岩塊群を復元すると高さ7m×直径14mほどと復元されます。
 余談ですが、説明看板には甲石の高さが12mとなっています。この数字は、「山梨市史」採録の(大石神社)「神社御由緒調査書」(市史の解題によれば、大正4年頃作成と推定されている)に、高さ四丈二尺とあり、その辺の数字を換算したものと思います。
 現地で見ると、明らかに過大です。画像には甲石の頂上付近(頂上は、ほぼ平らなので、正確には頂上の肩)が写っていますので、5mの標尺との比較からも12mはないことがわかります。
 後で測量図を出しますが、神社境内地からの比高が7.5mといった所でした。後述するように、甲石は、根石ではなさそうで、底部も丸い形をしているとすると、厚さ(=高さ)7m+だと思われます。・・・・もっとも、12mでなくても、巨大なことに変わりはありませんが。(^o^)

No.200 甲石を南側から見る 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年06月07日 (土) 11時11分

南側の屏風石側から見た画像です。
 手前の剥離して転倒している岩片が浮舟石。
 後ろの、縦に割れ目が入って破断開口・分離している岩片が、影向石。
 下図で模様をつけた面が、原甲石コアストーンの表面。
 神社本殿側の側面は、上部が、本殿の屋根に接する所で、垂直に人工カットされています。側面下部は、浮舟石側の破断面のようにオーバーハングしていて、こちら側もおそらく剥離分離したと思われるが、神社建造の際(中世以前)に除去されたものと思われます。
 浮舟石や影向石を元の位置に戻すのは頭の中では容易ですので、原甲石の形を想像でき、鏡餅形というよりタマネギ形の丈の高い球形をしているのが分かります。
 なお、こちらの画像でも、標尺(5m)を立てて撮影しました。

No.201 甲石東面の計測図 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年06月08日 (日) 19時29分

 原甲石の復元をするため作図。東側の大石神社正面側から、甲石東面と産屋石を見た図です。
 甲石の前面は、前に書き込んだ様に、側面が1m近くオーバーハングしていて、その先が垂直にカットされていて人工と思われます。またハングの下の凹所は、剥離趾と思われますが、剥離した岩片は神社建物下には見えず、撤去されているようです。
 図として描くと、甲石の後半分が割れて、石のある緩斜面の傾斜方向に辷って移動し、移動してない前半分から、1.5mぐらいズレているのが見えます。
 これは、原甲石が緩傾斜尾根の稜線上にあり、その後ろ半分が、石のある緩斜面に沿って稜線両側に割れて開口し、原甲石の左側が左手に動いて前述の影向石などになり、右側も図に示すように動いているためです。
 また、甲石の底が見えるのは、本殿周辺の部分ですが、神域なので立ち入れません。見たところ、甲石は根石でなく、石の底は基盤の花崗岩が風化したマサのようです。
 大石山の山頂にある巨岩は、皆、根石でなく、マサ中の巨大なコアストーンであると観察しています。
 このような、根石でないコアストーンの場合、根石と違って動き易いであろうと予想されます。
 これの引き起こした現象として、(1)隣の、原屏風石コアストーンの破断移動 (2)大石山に隣接した「花後薬師の丘」の山腹にあった4重の巨岩石塔が、最下層の岩塊の回転・辷り落ちにより倒壊したこと、などがあげられます。

No.205 甲石岩塊群平面図 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年07月10日 (木) 15時03分

諸事繁忙と体調不良で間が空いてしまいました。気を取り直して、甲石の続き。
 原甲石が破断散乱した岩塊群を甲石岩塊群として、図化しました。
 屏風石岩塊群のように広く散乱していないで、元の位置近くに残っているので、この現況図で原甲石のイメージとそれがどのように破断して移動しているのかがわかります。
 直径15mぐらい、高さは7.5mぐらいの、鏡餅形というよりタマネギ形のコアストーンで
した。
 コアストーンが尾根上に露出後、前半分は側面がはげ落ちて、浮舟石と産屋石が分離し、後ろ半分は、縦の割れ目が入って3つに割れ、1/3は影向石となり、1/3は数片に分かれて離れています。 

No.197 巨石観察ノート2014年版16 石がよく見えるようになりました。その12。 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年05月26日 (月) 22時35分 [返信]

 画像は、甲石岩塊群を西側から見た画像。以前は草に覆われて、全貌がよくつかめませんでした。
影向石と同時に割れた、原甲石の1/6にあたる岩塊群の移動を示した画像です。
 画面左に影向石、その奥に甲石が見えます。
 影向石の右側にかってあった原甲石部分(赤い点線部)が赤線のように移動しています。
 赤点線部分の分離した岩塊は、道の右側に4つ、足下に3つの計7つ見つかります。
 産屋石・浮舟石・影向石などは、原岩からの移動距離が短く、自重でコアストーンの一部が割れて転落あるいは開口したと考えて、いかにもな移動位置にあります。
 しかし、影向石と同時に割れたと思われる7つのうち、4つの岩塊は、大きく離れており、単に割れて転落したとは考えにくい移動状態を呈しています。飛び散ったという言葉がぴったりです。
 各地の巨石の破断を復元しますと、破断岩片が破断の際に大きく移動している事例がしばしば見られ、自重による破断だけでなく、他の外力が加わっていると考えられます。
 明瞭な例としては、岩手県一関市大東町大東の続石の破断例が挙げられます。
 外力として一番あり得る形は、地震振動による爆砕という現象で、直下型の地震動による、岩塊の飛び上がりと落下の際に割れて、破片が飛び散る現象があげられます。
 阪神・淡路大震災の時に、六甲山の花崗岩岩塊の破断・転落事例で見られています。

No.198 4つの内最大の岩塊 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年05月26日 (月) 22時41分

道の右側まで移動した4つの内、最大の岩塊。
幅4.6m×奥行4,5m×厚2.0mの大きな板状の岩塊で、元の場所から最短で約5m移動し、緩斜面の表面に乗っている。
側面が、原甲石のコアストーン表面の球状面。上面は破断面。下面は?。

No.196 巨石観察ノート2014年版15 石がよく見えるようになりました。その11  投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年05月26日 (月) 22時22分 [返信]

 画像は、甲石岩塊群を南西側から見た画像。以前は草に覆われて、岩の上部しか見えず、全貌がよくつかめませんでした。
 甲石岩塊群は大石山山頂にあった巨大なコアストーン(「原甲石」と呼ぶことにします)が破断して数個の岩塊に分かれたものです。原位置に残っている岩塊が甲石、分離した岩塊は、影向石、産屋石、浮舟石などです。
 原甲石は、分離した岩塊群を復元すると高さ7m×直径14mほどの巨大なものと復元されます。
 画像中央の割れ目の左側が影向石(こうごいし)、右側が甲石。右端に浮舟石。
 影向石や浮舟石のほか、甲石の末端も割れ目が完全に入って分かれています。
 影向石は、頭が富士山風に尖った鏡餅形をした原甲石の南西側3分の1が垂直の割れ目で原甲石から分離し、更に割れて、分離片のほぼ2分の1が元位置近くに残った岩塊です。原石の1/6といっても、高さ5.5m×幅6m×奥行き8mの巨岩です。
 画像では甲石の方が低く見えますが、画像のアングルで甲石の頂上が見えないためです。
・・・・5月26日:画像を差し替えたので、文章も直しました。

No.194 巨石観察ノート2014年版14 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 その10 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年05月17日 (土) 20時56分 [返信]

 石がよく見えるようになりました。その10。
 画像は、大石山山頂中央にある甲石巨石群の甲石と産屋石。北側斜面下から見た画像です。社殿は、大石神社の本殿と拝殿。 以前は草に覆われて、産屋石の全貌がよく見えませんでした。
 甲石岩塊群は大石山山頂にあった巨大なコアストーンが破断して数個の岩塊に分かれたものです。
 原位置に残っている岩塊が甲石、分離した岩塊は、影向石、産屋石、浮舟石ほか3〜4片あります。
 産屋石は、草が刈られて全景が見えるようになり、分かり易くなりました。画像に示すように、甲石の上部に、斜面方向に向いた袈裟懸けの破断面ができて割れ、破断面より上の、平面楕円形の部分が滑り落ちたのが産屋石です。
 滑り落ちた岩塊は、長径約8m×短径4m×厚さ2mぐらいで、甲石との間は三角形の隙間になっていて、胎内くぐりの空間を作っています。
 同じような胎内くぐりは、花巻市丹内山神社胎内石にもありました。当掲示板 No.142〜参照。

No.193 巨石観察ノート2014年版13 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 その9 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年05月15日 (木) 12時34分 [返信]

 石がよく見えるようになりました。その9・・・・ここは、草刈り関係なく、大体見えてました。(^_^;)
 画像は、大石山山頂中央にある甲石巨石群の甲石と浮舟石。社殿は、大石神社の本殿と拝殿。
 甲石岩塊群は大石山山頂にあった巨大なコアストーンが破断して数個の岩塊に分かれたものです。
 原位置に残っている岩塊が、甲石、分離した岩塊は、影向石、産屋石、浮舟石ほか3〜4片あります。
 浮舟石は、一見して分かる破断例で、甲石の側面の、幅7m×高さ3m×厚さ1mほどが割れて分離し、倒れています。
 甲石も、甲石の「石」の字の右上へんから斜めに割れ目が入って完全に割れ、画像の手前側が落ちています。
 コアストーンの側面が破断して分離しますと、球状面が下になって、上が破断した平面になる形の岩塊ができ、舟石とか浮舟石と名付けられる例が多いようです。
 茨城県の竪破山や、福島県の岩角山にもありましたし、そう言えば、逆さまになったのでは、栃木県の名草の奥宮巨石群(転倒したのでなく、10m近く転落したものですが)にもありますね。

No.192 巨石観察ノート2014年版12 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 その8 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年05月13日 (火) 10時01分 [返信]

石がよく見えるようになりました。その8。
 画像は、大石山山頂緩斜面中央にある巨石群。以前は草に覆われて、下部がよく見えませんでした。北西側から見た画像です。
 画像右側の、大きな割れた凸面が見えるのが屏風石(手前に標柱がある)で、画像左側の三角形の岩塊が立烏帽子石です。この石は、かっての屏風石北側部分が割れて傾き落ちたものです。
 立烏帽子石は、屏風石との間の開口部が崩れ土で埋まっていますので、全貌が見えませんが、高さ5m×幅7m×奥行き2.5mほど、画像ではその上部高さ3.5mほどの部分が見えています。
 石の内側(画像では右側)は、屏風石の破断面に対応する凹面の破断面で、石の外側(画像の左側)は、以前屏風石と一体であった時の巨大なコアストーンの球状表面です。
 2つの石は、復元すればぴったり合います。
 大石山山頂にある巨石群は、かってあった巨大なコアストーン群が破断・散乱したものですが、、かってのコアストーンの球状表面形を手がかりに以前の姿を復元することができます。

No.191 巨石観察ノート2014年版11 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 その7 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年05月11日 (日) 15時36分 [返信]

石がよく見えるようになりました。その7

 画像は、大石山山頂の北東にある、あんまり巨大でない石・・・名称板がなく、無名かも。斜面下から見上げると烏帽子石によく似ているので「小烏帽子石」と私称しています。
 南側から、東面と南面。 以前は草に覆われて、よく見えませんでした。画像左端にあるのが烏帽子石。
 斜面方向から見ますと、幅4.5m×高さ3.0mと大きいのですが、画像のように横から見ますと、厚みが1.2mしかない、薄い板状の立石です。
 石の地下に未風化の岩盤が続いている根石とは思われず、地下は真砂土の小規模なコアストーン塊と思われます。
 ただし、斜面途中にあるコアストーンは大部分が動いてきている異地性岩塊なのですが、この岩塊は、板状のコアストーンが動いたなら、傾くなり、倒れるなりするはずですのに、現状垂直に立っていますので、動いていない現地性の岩塊と判断しました。
 この岩塊の立地は、山頂緩斜面の末端にあたります。 石を境に上は緩斜面、下はやや急斜面になっていますので、こんな頼りなさそうな、根石でもないコアストーンですが、斜面侵食により急斜面が山頂に向かって伸びてくるのを止めている侵食に対する抵抗点になっていると思われます。

No.190 巨石観察ノート2014年版10 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 その6 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年05月03日 (土) 10時46分 [返信]

 石がよく見えるようになりました。その6。
 画像は、大石山山頂の北東端にある巨石・・・烏帽子石。 東側側面、スケールは4m。大きい上に、以前は草に埋もれて周りに立ち入り難く、全体像がつかめない巨岩でした。
 今回、草が刈られ、周りの様子や落下した岩片群を見られるようになったので、周りからスケッチをとり、転落岩塊と開口部の認定と、開口・転落前のコアストーンの形状復元をしました。
 時系列順に述べると、
(1) 本来、山頂緩斜面の北東端に、北向き斜面に面して露出した現地性の、幅7m×奥行6m×高4mの大きな岩塊であった。
(2) 露出峙は、平面形は、垂直の節理面起源のほぼ四角形で、南東端を頂点とする2段の岩塊であった。岩塊の上面・側面は鏡餅状に傾き下がる風化球状面が露出していて、いかにもコアストーンという形状であった。
(3) 露出後、斜面侵食の結果、岩塊の下方斜面に尾根ができ、岩塊の西側に谷の谷頭が掘られた。その結果、岩塊の東側が尾根上に残り、岩塊の西側が谷側に落ちて、岩塊は真っ二つに割れて、南北方向の開口ができ、開口部の破断岩片が北側の岩塊直下に転落した。
(4) 落下した岩片群は、ほとんどが元の岩塊直下に留まっている。
 ということになります。

 画像は、尾根上に残った東側部分の側面で、当初露出していた2段の鏡餅形のコアストーンの姿がよくわかります。石宮のある所が岩塊の南東端の頂点。
画面右下にある岩塊群は、画面裏側にある南北方向の破断開口部から落下してきた破断岩塊。
 破断のイメージとしては、山梨県甲州市塩山、上小田原所在の裂石に見られる破断形とよく似ています。
 拙HPの巨石奇石→山梨県の巨石→甲州市 裂石

No.189 巨石観察ノート2014年版09 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 その5 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年04月29日 (火) 21時26分 [返信]

 石がよく見えるようになりました。その5。
 画像は、大石山山頂の参道階段脇にある巨石・・・指門石。
 以前は斜面に出ている部分が草に覆われて、よく見えませんでした。草が刈られて、岩塊の周囲がよく言えるようになりました。
 大石山山頂部の岩塊群の東端にある現地性と思われる巨石です。
元はもっと大きく、原位置に残っている残片て、地表に露出している形は、長径7m×短径4m×高さ4mほど。
 元々は頂部が平らな鏡餅型をした大きなコアストーン岩塊だったようで、大きく3つに割れています。
 後ろ2/3が左右に割れ、前1/3が割れて斜面を転げ落ちています。後ろの右半分が原位置に残って指門石、後ろの左半分はすぐ脇に落ちています。前の部分は指門石の上端から、10mぐらい下の斜面に転落しています。
 3つ合わせて復元すると、大石山では、原甲石、原屏風石に次ぐ大きなコアストーンだったと言えます。
 画像は指門石の側面で、元々のコアストーン表面に当たり、丸みを帯びた滑らかなコアストーンの球状表面と平らな節理面起源の頂上部が見えます。

No.188 巨石観察ノート2014年版08 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 その4 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年04月26日 (土) 22時25分 [返信]

 石がよく見えるようになりました。その4。
 画像は、大石山山頂の遊歩道沿いにある巨石・・・百足石。以前は草に覆われて、よく見えませんでした。
 大石山山頂部の岩塊群の東端にある巨石です。平らな細長い鏡餅型。 地表に露出している形は、長径7m×短径4m 高さ1.6mぐらい。
 画像は山頂の大石神社境内から南西方向に百足石を見下ろしたもの。
 山頂の緩傾斜面と東側のより急斜面との傾斜変換線上に露出していて、下部が急斜面に露出しているため、斜面に平行に3つに割れて傾いていて、その様子が画像に見えています。
 画像の側の裏側で、割れた所で、石の下が見えますが、石の下がなく基盤の真砂土の上に、厚さ2mほどの平らな板状に乗っていて、現地性の石でなく動いてきたものです。
 移動元は、すぐ脇の石刺の後ろの巨岩(私は、「第2屏風石」と仮名つけてます)の、傾いた平らな頂部の上に乗っていた部分が分離して落ちてきたものと思われます。
 また、画像で、岩塊前面(北側)は、節理面がみえますが、そこにかってあった岩塊は、分離して転落したらしく、それらしき分離岩塊が下の遊歩道沿いに落ちています。
 大石山山頂部の巨石群は、以前は丸みを持った球面のお餅型の露岩が散在する形だったのが、その後の地震や風化破断により砕けて散乱・転落し、現状の形になったと解釈できます。
 破断散乱する以前は、山頂部中央に大きな背の高い鏡餅状の岩塊が甲石の位置にあり、甲石の周囲から割れて分離したのが、影向石・産屋石・浮舟石です。また、屏風石・立烏帽子石など屏風石周辺の岩塊群は元は一つで、これも背の高いタマネギ状の大きな球形岩塊(原屏風石と呼ぶことにします)でした。
 原屏風石の近くには、第2屏風石+百足石・指門石・尾笠石の前身の石など、甲石の近くには烏帽子石などのやや小さな現地性の岩塊がありました。

No.187 巨石観察ノート2014年版07 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 その3 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年04月26日 (土) 00時40分 [返信]

石がよく見えるようになりました。その3。
 画像は、大石山山頂の遊歩道沿いにある巨石・・・尾笠石。以前は草に覆われて、よく見えませんでした。
 スケールは4m。
 大石山山頂部の岩塊群の南端にある巨石です。平らな鏡餅を4つに切り分けた1片のような形をしていて、長辺6m×短辺5m 高さ約4mです。
 画像は長辺(東側)。根元まで見えるようになり、根石でないのがわかります。角度20度ぐらいのマサの傾斜面に乗っていて、右方(北側)から左方へ滑り落ちてきた岩塊です。
 移動元は、すぐ右の巨石が地上部分がない状態なので、その上部と思われる。
 移動元の岩は、移動してない現地性の岩塊の可能性が高そうです。
 さらに面白いことに、屏風石の岩塊が爆砕して現在位置に動いた時に、屏風石の東半分の岩塊が、尾笠石の移動元の石に当たり、上半分が跳ね飛ばされて落ちたのが、尾笠石ではないかと思っています。
 なお、移動してきた後、岩塊下の地形の凹凸に対応して、自重で節理面とは無関係な割れ目が入り、4つの部分に割れています。
 画像の側面では2つに割れているのが見えます・・・画像左側にも割れ目が見えるが、これは岩塊の全周を廻ってなく、割れかけの割れ目です。

No.186 富津市 鹿原地区の北下の大滝 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年04月25日 (金) 20時04分 [返信]

不入斗から鹿原へ登る道路沿いに沢あり。
その沢の支流が総丘CCゴルフ場裏道沿いに東へ分かれます。
200m先で更に南下する枝沢が鹿原地区へ突き上げてます。
この沢を遡行し、東俣へ入ったら、予期せぬ大滝に突き当たりました。深い滝壺あり、目測で7m、数段の滝です。
その上の落口は、なんと護岸のある水路でした、ガッカリ。
すぐ上は鹿原の人家。だから昔からの名前があるはずですが、不在で聞けませんでした。
また写真が横倒しになるかも?

No.184 巨石観察ノート2014年版06 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 その2 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年04月23日 (水) 23時28分 [返信]

 石がよく見えるようになりました。その2。
 画像は、外遊歩道沿いにある巨石。以前は草ボウボウで、よく見えなかった雷石。
 この石は、画像中央のとがった破片型の岩塊をいうらしい。
 実は、画像右手側に、大きな花崗岩のコアストーンがあり、急斜面の最上部に露出し、破断・傾動しています。さらに、ほぼ同じ大きさのコアストーンが6個ほど連続して露出し、幅20mほどの岩塊群になっています。
 雷石は、そのコアストーン群の末端コアの頂部が、殻状に破断して、下の急斜面に転落し、偶然直立しているもののようです。図の矢印参照。
 一見、右手の岩塊の端が開口した割れ目のように見えますが、そうだとすると、画像中央の割れて分離した岩片の方が高くなるのがおかしいと思います。
 画像右の岩塊頂部の丸みと、雷岩左側の凹面との対応に注目。
  雷石の下の岩塊も同じ成因の岩片のようです。

No.183 鹿野山 本村川下流  投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年04月23日 (水) 20時35分 [返信]

昔、遡行した本村川下流を再訪してきました。倒木、崩壊が多く、荒れてます。
写真はドンドン滝の上半分です。「滝一覧」の記述は、極めて正確で、たしかに川回しで作った人工水路のようです。この上にもミニサイズの川回しトンネルあり。周囲は廃田で、岸の土留めも崩壊が進んでます。ドンドン滝は、遡行せずとも上の地蔵橋から廃田の縁を100m下ると滝壺が下に見え、簡単に降りれます。なお、この間にあるはずの国見滝らしきものは発見できません。崩れた砂防堰堤の残骸があり、埋まったらしい。なお最下流の国道砂採掘場わきには、白粘土岩盤の滝が辛うじて残っています。

No.185 情報ありがとうございます。 投稿者:滝おやじ    投稿日:2014年04月23日 (水) 23時32分

国見滝、埋まってしまったんですか。

No.182 巨石観察ノート2014年版05 山梨県山梨市牧丘町西 大石神社の巨石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年04月22日 (火) 22時05分 [返信]

石がよく見えるようになりました。

巨石では超有名な場所だそうです。公園化されているのですが、以前、訪れた時は、全山草茫々で、遊歩道も草に埋もれ、神社参道廻りの石しか、観察できませんでした。
今回訪れたところ、木の伐採と草刈りによる整備で、見通しも良くなり、各巨石の根元までじっくり見ることができるようになっていました。
 神社付近の巨石だけでなく、山頂周辺の遊歩道廻りの巨石も御覧になると面白いと思います。
 私も、3日ほど通って、大石山脇の花子薬師の丘も含めて、巨石群を見て廻り、測定してきました。非常に大きなコアストーン岩塊の山稜頂部型露出と破断・移動の好例ですね。

 画像は、以前は、どこにあるか分からなかった富石岩塊群の頂部。
 地表からの高3mぐらいのさほど大きくない花崗岩岩塊ですが、谷底から見上げると大きな地中の塔が侵食谷の急斜面に露出している頂部であると分かります。 
 露出部分は、重力破断して、岩塊の重なりになっています。セミクジラの口のような形の破断形が印象的です。

No.181 千葉 房総 鹿野山 本村川 中流 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年04月21日 (月) 20時43分 [返信]

林道崩壊箇所は歩行通過は可能です。

No.179 房総 鹿野山 本村川中流案内図 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年04月20日 (日) 08時03分 [返信]

既に掲示した源頭域と源流域の案内図に続いて、中流域の案内図も作りました。ここは大雨、大雪などで崩壊しやすく、天然ダムが出来て突破出来なかったりします。また、中間点にも深い淵があります。上には林道からの不法投棄タイアなどが大量にあり悲しい。中間点のV字谷の沢床は、ようやく歩けるような狭い溝です。いくつもの小滝の写真などは、地元探険家の方がレポートされてますので、そちらを参照してください。更なる下流域は平凡です。
林道、砂防堰堤、山砂採掘場も無かった時代には、この本村川は全長にわたり立派な渓谷だったのでしょう。

No.180 みんな助かります。 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年04月20日 (日) 22時38分

 詳しい情報ありがとうございます。
 林道崩落で、天神堀滝には反対側からでないと行けないのですね。知りませんでした。

No.178 房総鹿野山本村川源流帯 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年04月14日 (月) 20時39分 [返信]

削除、および写真の転回、有難うございました。
この絶壁に挟まれた部分が、本村川の最狭部です。
屈曲していて底が見えません。

No.174 房総 鹿野山 本村川源流ゴルジュその3 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年04月09日 (水) 19時40分 [返信]

申し訳ありませんが、更新した図を添付しますので、返信No.173で送りました図とコメントを全て削除してください。
理由
1.最下流の涸滝と、下部井戸涸滝との間は到達で  きていないので未確認。
2.深さ30m、幅3mの白くて狭い、屈曲した垂  直岩壁なので底がよく見えない。
3.落差が相当あるので、この間にも別な涸滝があ  るかも知れない。

懸垂下降のプロに踏破してもらいたいものです。

なおゴルジュ内の写真は縦長でないと入らず、投稿すると横倒しになってしまいます。申し訳ありません。

No.175 173の書込 投稿者:滝おやじ    投稿日:2014年04月13日 (日) 17時51分

ご依頼のように削除しました。管理人

No.177 縦長の画像が・・・ 投稿者:滝おやじ   投稿日:2014年04月13日 (日) 18時05分

やってみたら入りました。
どうしてでしょうね?

それとは別に、特異な景観ですね。

No.170 鹿野山 間滝ルート(再) 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年03月30日 (日) 10時47分 [返信]

間滝尾根を降りて出合いまで20分間、72歳!のゴンベでもスイスイ行けます。問題は、たった2mの小滝のシャワークライム突破が困るのと、落石、落木がコワイことです。恩田川下流からの溯上も1時間くらいで簡単です。ただしゴルフ場の処理汚水、ゴルフボール、堰堤、工事瓦礫、古タイアなどで人間が荒らしてますから、はっきりいってキタナイ。それでも猪、鹿、猿、蛇、アナグマ、イタチ、ハクビシン、いろいろ出会います。

No.171 反響 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年04月05日 (土) 00時23分

間滝の情報、利用して行った人がいるようです

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/out/1284356679/
の657以下。

No.168 房総 鹿野山 間滝へのルート 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年03月28日 (金) 19時33分 [返信]

民有地を通るな!とかモメてるようですので、昔から通られている最短ルートを案内図にしました。紙面の上が北です。ただし通称「間滝尾根」は行政の管理地。将来、万一閉め出されたら、更に南に古道を降りて最初の廃屋裏から、恩田川支流の源頭を急降下出来ます。ゴチャゴチャ書き込んだので見にくくなってしまいました。間滝を巻いて突破した猛者もいますが、源頭直進および左側(右岸)は民有地に向かってしまいます。牧場があるので夏はアブが多く、冬がベストです。どうしてこういう地形が出来たのか?不思議です。秘境のままにしておきたい。観光吊橋などが出来ないことを祈ります。

No.169 おお、これは良いですね。 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年03月28日 (金) 21時56分

わかりやすい図ですね。
土地所有者との間でトラブルになっているのなら、その回避に役立つといいのですね。
 45年前に、案内してくれた方に付いて行っただけですが、結構スイスイ行けた気がします。 今は荒れてしまって下流側から行くのはしんどいと聞きますが・・・。
 今となっては、行けそうもないなあ。(^_^;)

No.164 房総 上総湊から鹿原への廃山道の怪 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年03月24日 (月) 15時41分 [返信]

房総沢登りで有名な「梨沢七ツ釜」から、売出し中の「房総アルプス」へ至る寸前に「天空の村、鹿原」があります。この鹿原を頂上とする北西の山域は膨大なヤブ山です。北方の上総湊の田園地帯からこの山域に入り込む複数の尾根道、沢道は、猟友会しか通らぬ廃道、ヤブ道と化しています。これらを突破すると予期せぬ不思議な地形に出会います。
ナゾの窪地、ナゾの台地、ナゾの巨岩群、そしてナイフリッジ、キレット、七つ峰が行く手を阻みます。この窪地には伝説あり、落ちた犬が遠く鋸山の明鐘崎の海へ出てきた!というのです。なにしろ里美八犬伝の地ですからね。この山上の窪地、台地地形は、1km西にある、知る人ぞ知る「トビ岩山の牧舎」跡地にもソックリさんが存在します。これらの成因は何か?そして何でこんなところに家くらいの巨岩がゴロゴロしてるのか?不思議です。ただし現地は巨木の森と化しており、写真では説明困難です。稚拙な図を見てください。なおヤマヒルはいません。地形図便りに自己責任で入ってください。イノシシと間違われて鉄砲で撃たれぬようにご注意。

No.167 古屋敷集落の東西にある変な凹地地形 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年03月25日 (火) 23時52分

ゴンベ様 滝おやじ
 情報ありがとうございました。巨岩群があるとは知りませんでした。
 お話の場所は、2.5万地形図の古屋敷集落の東、標高162mの峰の北東の稜線に囲まれた凹地地形ですね。
 また、「トビ石山の牧舎」跡地というのは、古屋敷の西の、192.8mの三角点の峰の東方の、これも稜線に囲まれた凹地地形のことですよね。
 古屋敷の東の、ご指摘の場所は行ったことがありませんが、古屋敷の西の、牧場趾の凹地地形は見に行ったことがあり、地図の道を一周しました。
 地質露頭がないのが残念ですが、地形図の読図と凹地地形内の微地形の観察から、模式的な形をした大規模な基盤すべりの地すべり地形であると判断しています。
 牧場の方の凹地形は、北側の稜線部分のブロックが北方向に、向野集落側に動いた趾の開口部分、ご指摘の古屋敷の東の凹地形は、北東側の稜線のブロックが北東方向に動いた趾の開口部分だと思います。
 地質構造が北の方に落ちているのに対応して層理面に沿って辷っているのでしょう。
 ご紹介文を読むと、微地形を見ることによって、この地形が普通でないと判断されたのには敬服いたします。地形図を読み込んではじめて変な地形だと考えますが、地図上では、一見、粗砂層の山と速断しそうですし、現地を歩いても、注意深くないと、見通しも悪くて気づきにくいと思います。
 地図は、国土地理院2.5万地形図「鹿野山」 

No.162 巨石観察ノート 2014年版04 福島市小倉寺五輪石稲荷神社 五輪石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年03月23日 (日) 10時29分 [返信]

 花崗岩の巨石地形事例を集めるため、福島県の阿武隈花崗岩露出地を廻っています。
2013年8月に、INの巨石情報をもとに、福島県福島市にある巨石を見に行きました。
 東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」 (http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在)から、かねがね所在情報を得ています。
 そこから情報を得て、福島市渡利の的場石と共に、福島市小倉寺所在五輪石稲荷神社境内の五輪石を見てきました。
 五輪石は、阿武隈花崗岩の未風化基盤岩塊の頂部が山地斜面に露出しているもののようで、どんな侵食作用で露出したのか、露出後破断はどの程度受けているのか・・・という興味で訪問しました。
 五輪石の位置は、前出の的場石の位置図を参照。
 画像は、五輪石を石の下方から見上げた画像。手前は境内の祠、石の下の社殿が本殿です。
 大きな石で、急斜面から半ばせり出し、サイコロを真上に4段積み重ねたような塔形で、頂上は斜面の頂上より高くなっているようです。
 露出部分の高さは約11m、サイコロの幅は4.2mと測定しました。
 塔の廻りの急斜面は所々転落した岩塊が見えますが、花崗岩が砂粒まで分解した「マサ」のようです。塔の右下の祠の方にも岩体があるようで(画像参照)、この岩塔は、下に未風化の岩が続いている根石と思われます。
 <立地類型>
 神社境内(塔の前面)は、新しい侵食された谷ですので、谷が刻まれる以前は、マサの中に未風化の岩塔が立っていて、地表にもその頂上が露出していたのでしょう。
 花崗岩巨石を廻っていて見えてきたことですが、花崗岩巨石の経てきた歴史を復元する鉄則があります。すなわち、現状の巨石を見て、まず、露出する以前、マサ化した地中に風化せずに残っていた未風化岩体の形と、露出後のあるいは移動後の雨風寒熱を受けた風化重力破断形を区別し、地中にあった時の形を復元して、それが壊れていく様子を再現するということです。、
 この岩のように、まだ、岩塔が大部分マサの中にあり、塔の側面が露出しているだけの場合を「地中塔タイプ」と私は呼んでいます。
 露出がさらに進めば、塔全体が露出して周囲から破断し破壊が進み、当初形の復元が困難になっていきますが、地中塔タイプでは一方の側面だけが露出しているので破断が少なく、地中での形を見るのに適しています。
(つづく)

No.161 房総鹿野山本村川源頭ゴルジュ帯 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年03月23日 (日) 10時24分 [返信]

神野寺上駐車場裏から、鹿の踏跡伝いに数十m急降下できる唯一のルートを発見しました。沢床は砂岩の10m弱の涸滝で行止まり。周囲は絶壁。そこからわずか数十mの下流には、10m強の「井戸滝」があり、もう降下不可能でした。その下流には更なるゴルジュ帯の模様。この滝の形も「間滝」のそっくりミニチュア版です。狭いゴルジュなので写真では説明困難。稚拙な図を見てください。

No.163 うわ!  これは凄い 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年03月23日 (日) 11時02分

ゴンベ様 とても貴重な情報ありがとうございます。
図で、何度も撃退されているご様子を見るだけで、ご苦労のほどしのばれます。
さらに、現地の労苦・危険だけでなく、この達意の図を描いてくださって、後に続く方々がどんなに感謝するか計り知れません。

10m強の「井戸滝」は、いわゆる「天神堀滝」ですかね、あるいはその上?。興味つきませんですね。



No.172 房総 鹿野山 本村川 源流ゴルジュ帯 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年04月07日 (月) 20時10分

源頭ゴルジュ帯への降下に続いて、その下流の源流ゴルジュ帯の降下に成功しました。
沢床は砂が堆積して水平。両岸は数mの絶壁。中間には2mの涸滝が3ケ、下流には10mの別な井戸涸滝あり。
その下に初報の写真で示した涸滝の落口が望見できたが、井戸涸滝に妨げられて降下不能。
中間部は崖の崩壊が3ケ所あり倒木、倒れ笹がひどく、絶壁も埋まっている。
涸滝は全てステップが崩れるほど軟らかい砂岩。
大雨降ればどんどん形が変わるはず。
だから井戸滝になるらしい。
これを滝と呼んでいいのかのかどうか?
推測すると、、、、
1.最初はコの字、Vの字の岩のゴルジュだった。
2.両岸の崩壊が続いて沢床が埋まった。
3.堆積物が軟らかい砂岩、泥岩状に変成した。
4.それが大雨で掘られて軟らかい涸滝になった。


No.160 福島市の的場石 巨石見物記にアップ 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年03月10日 (月) 00時02分 [返信]

速報した丸森町の経石の現地記録を拙HPにアップしました。
速報に、考察等を追加してアップ。データは増えてますが、本質的には変わらないか。(^o^)

No.159 丸森町の経石 巨石見物記にアップ 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月26日 (水) 23時12分 [返信]

速報した丸森町の経石の現地記録を拙HPにアップしました。
速報よりデータが少し増えてるかな。

No.151 巨石観察ノート 2014年版03 丸森町筆甫 経石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月16日 (日) 00時30分 [返信]

 花崗岩の巨石地形事例を集めるため、阿武隈・北上山地の花崗岩露出地を廻っています。
2013年中いろいろ廻りましたので、冬ごもりで、備忘録代わりに簡略まとめ。
 第3回は、丸森町の経石です。
 宮城県丸森町筆甫(ひっぽ)の道路脇、経石公園に所在。
 東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」 (http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在) から所在情報をもらっています。この経石もその一つです。そこから、丸森町とその周辺の巨石について、詳しい情報のある「丸森の巨石伝説」HP
http://zuiunzi.net/igu/ 村上明秀氏作成へ辿り着いて情報を得ました。
 阿武隈山地北部にあたり、低い花崗岩山地の侵食谷の谷底にあります。
 長径7m短径5mほどの略五角柱形で、高さ3.5mほどの花崗岩のコアストーン巨岩です。
 画像は谷の下流側から、経石の南面と南西面をみた画像。画像の人型は、驚子さん。身長165cmのつもり。
 経石の立地と成因の観察結果を言うと、
(1) 経石の立地地形は、画面左奥にある、枝尾根の先端が地すべりを起こし、侵食谷の谷底を埋めた地形です。
(2) 経石の成因は、枝尾根の先端部に埋没していた花崗岩の巨大コアストーンが、すべり落ちてきて緩傾斜な地すべり堆積面上で止まったものです。
(3) 形態については、露出後の風化破断がほとんど無く、地中にあったコアストーンのままの形をしていると思われます。

No.152 経石 位置図 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月16日 (日) 00時33分

 国土地理院2.5万地形図「霊山」より作図。
 地質は桃色が白亜紀の阿武隈花崗岩・・・・地形は、大部分マサ化した低い山地と山麓緩斜面 。
 茶色が、玄武岩等の火砕岩と熔岩の霊山層。花崗岩より一段高い山地になっています。
 黄色が沖積層。侵食谷の谷底で、水田化されています。
 20万地質図と、道路沿いからの見た目で作りましたので、地質境界位置は大体こんな所かなという適当な引きです。(^o^)
地図の西から伸びている枝尾根の先端が地すべりを起こして、谷底を埋めていますので、地質図で沖積地が途切れています。
 後述、説明看板に出てくる「鎧石」「赤坂」は、図の北西隅の集落と峠のようです。
経石は、平松集落の「ノラ」と「ヤマ」の境にあるとも言えますね。

No.153 北側から見た経石と地すべり地形 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月16日 (日) 00時36分

 看板の右手がスプーンでえぐったように掘れている地すべりの崩落崖。
看板から左手の緩斜面地形が地すべりですべってきて溜まった物質でできた堆積地形(地すべり堆)。 経石は上部にあったものが、右から辷り落ちてきて、緩傾斜になった所で止まったと思われます。

 経石周辺は、地元の方々の手になる手作りの公園「経石公園」となっています。
 画像の看板には、経石の伝説が書かれていました。
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経石 (きょういし)
 むかしむかし、ある日の夕暮れどきのこと、鎧石から赤坂を越えて一人の行脚僧が平松に入りました。お坊さんは、村人達が集まり念仏講が行われている家に招かれ、一緒になって幾日も念仏を唱えていました。
 しかし、お坊さんは、また旅に出なければならなくなり、村人たちが必死に引き止めたところ、「私のお経は赤坂の大石に伝えておきます。私のお経が聞きたくなったら、あの大石に耳を当てると良い」と言い残し南の方に旅立っていきました。その後、言われたままに大石に耳を当ててびっくり、行脚僧の言ったとおり、お経が聞こえてくるではありませんか。
 今も、この大石に耳を当てると念仏のような音が聞こえてきます。
 平成十九年十一月  平松経石保存会
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No.154 経石の立地概念図 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月16日 (日) 00時39分

図の上は、尾根先端地点Xと川Y付近地点の断面。下は平面図。図の上方が北。
 経石の西に、地すべり跡地(横線模様)があります
 西から延びてきた枝尾根の先端が地すべりを起こし、侵食谷の谷底を埋めている地形です。
 その尾根の先端部に埋没していた花崗岩の巨大コアストーンが、すべり落ちてきて緩傾斜な地すべりの堆積面上で止まったのが経石。
 断面図で、地下の辷り面の位置は想像ですが、谷底を基準にしてすべったとしてよさそうです。
 なお、尾根の先端部の崩れなかった斜面には、コアストーン立石が立っています。こちらは、半分に割れていて、転落岩塊らしき平石が山裾にあります。(つづく) 

No.155 経石の展開図 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月18日 (火) 01時15分

 経石の形は、コアストーンと言っても、地中で風化した丸みを帯びたコアストーン球面の部分は西面のみで、他の4側面と上面は、節理面に沿って割れた平滑面(節理破断平滑面ということにします)でできていて、その結果五角柱形になっています。
 この破断面は、稜が丸くなっていて、地中にある段階で節理面に沿って開口分離した面です。
 割れ目の形や形が異なりますので、地表に露出した後に、重力と温度変化により新しく割れた面ではありません。

No.156 経石の西面。他の巨石との比較 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月18日 (火) 01時24分

画像は、西面。西面は不規則な曲面で、コアストーン球面。露出後の重力破断割れ目も見られる。上面(節理破断平滑面)の平坦さがよく分かります。
 各面には、岩塊として露出した後にできた新鮮な割れ目が見られますが、割れ目が入っただけで、まだ、破断していません。これらの新鮮な割れ目は、細かい凹凸があったり、割れ目の表面形が曲面になるなど、節理面に沿った割れ目とは違った形になります。
 以上、花崗岩巨石の類型の中で位置づけますと、立地・成因の面では、以前紹介した、滝川村破石の破石や花巻市谷内の胎内石、遠野市綾織の続石)などと同じく、地すべりによる小移動により、花崗岩コアストーンが露出したものとまとめられます。
 ただし、露出後の風化重力破断により、破壊されている程度でいいますと、経石は全く壊れていない例で、破石は2つに破断している例、胎内石や続石は破壊が進んでいるがまだ原形をとどめている例といえます。(以上)

No.146 巨石観察ノート2014年版02 福島市渡利 的場石(まといし) 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月06日 (木) 23時10分 [返信]

 画像は、的場石の正面・側面。 高さ5m。 人型に名前をつけました・・・驚子さん。身長165cmぐらいのつもりです。(^^;)

 花崗岩の巨石地形事例を集めるため、福島県の阿武隈花崗岩露出地を廻っています。
2013年8月に、INの巨石情報をもとに、福島県福島市にある巨石を見に行きました。
 東北地方の巨石の事例は、インターネット上のyo-hamada氏のブログ「巨石!私の東北巨石番付」(http://hamadas.exblog.jp/ 20130522現在)から、かねがね所在情報を得ています。
 そこから情報を得て、福島市渡利の的場石と五輪石を見てきました。的場石は、HP画像と案内看板の写真で見ますと、火山噴出物が固まってできた火山砕屑岩(略して火砕岩)の巨石で、それが割れて大きな破断面がある立石のようでした。 地層は、阿武隈花崗岩を覆っている霊山層という安山岩質火砕岩層と思われます。
 花崗岩の巨石でありませんので、当初の調査対象から外していましたが、霊山層は北部阿武隈山地で、花崗岩の山地より一段高い岩岳や霊山などの山を作っている重要な地層ですので、どんな岩相の岩かなという興味もありました。
 現地で見ると、小さな岩峰で、画像のように周りに火山灰で覆われた緩傾斜面ができていました。一見訳のわからない地形で、ううむと唸ってしまいました。いろいろ考え合わせてみて、周氷河作用による岩峰地形(トア)と解釈します。
 かって、岩峰より高い位置に火山角礫岩の尾根があった⇒(おそらく氷期に)この地点が尾根先端に当たるために稜線効果で裸地となり、周氷河作用が局地的に働いて、尾根が低下し、岩峰(トア)とそのまわりの緩傾斜面を形成 ⇒ 火山灰層の堆積 ⇒ その後の岩峰の重力破断と滑り⇒現在 という地形変化を考えました。

 五輪石は山梨県山中湖町の石割山の石割石に似た、花崗岩の基盤巨岩。後日紹介します。

No.147 信夫の細道と的場石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月07日 (金) 00時06分

 画像は、的場石位置図。
 福島市街東縁の弁天山から、南東方向へ経城山へと稜線が続いています。
 弁天山には、椿館という山城の跡があり、かの「安寿と厨子王」伝説で有名とのことで、弁天山から経城山の稜線伝いの道が、安寿と厨子王が城から逃れていった「信夫の細道」と呼ばれる古道とのこと。
 この道沿いの、弁天山と向かい合う峰に大きな立石が、的場石(まといし)です。

石脇の説明看板銘文
 的場石(まといし)
大平山配水池(注:池と行っても山の稜線の上にある暗渠水槽らしく、平らな広場です。)を見下ろす山頂に立つこの奇岩が「的場石」です。その昔、弓の名人那須与一宗高が信夫山(注:阿武隈川対岸の山)からこれを的に射たと伝えられており、また、椿館の諸士もこの石を標的に射術を練ったと言われています。
 ここを管理する近くの八幡院は霊験あらたかな聖地として知られており、この石の上に御幣束を立て、ご来光を仰ぎ諸々の祈願をしたと言います。また、日照りの年には近郷の人がここに集まり、雨乞いの儀式を行っていました。 注)八幡院は、福島市渡利所在。この山の東斜面にある。
 的場石の形成と、最近の自壊については後述(つづく)

No.148 的場石の形成 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月11日 (火) 22時24分

画像左:的場石の正面・・・・弓の的になった面。立てかけてある杖の長さ約80cm。手前の緩斜面は火山灰で覆われていて、この岩塊はその上に辷っている。。
画像右:地形地質図と的場石の表面岩相。 地質図の茶色:霊山層(火砕岩) 桃色;阿武隈花崗岩類(花崗閃緑岩) ・・・阿武隈花崗岩の上位に霊山層が堆積した後、侵食により両層とも削られて低い山地になった地形。 赤丸:五輪石と的場石の位置。
岩相:安山岩質の火山礫と、赤褐色に発色した粗粒の火山砂が混じり合った火山噴出物が固結しています。岩種名は火山角礫岩。
 
 この岩の特色は、実はその立地にあります。すなわち、火山灰層に覆われたなだらかな尾根の中央に根石の岩峰が突き出しているという地形です。・・・・画像で示せなくて残念。
 このことから、岩峰の起源は火山灰より古いということになります。
 火山灰層を掘って、下を見ないと確実とは言えないのですが、火山灰層の下に根石の続きの霊山層があると思われます。つまり、緩傾斜地と岩峰が過去に同時にできていて、火山灰に覆われている(岩峰の所は流れてしまうから堆積せず)という地形です。
 類似の地形を尋ねると、緩傾斜地と岩峰が同時にできる侵食地形は、周氷河環境での差別侵食による、岩峰(トア)地形が該当します。 それを踏まえると、以下の地史になりそうです。
 氷期に火山角礫岩からなる尾根が裸地(風衝草原)になる。 →周氷河環境下で凍結融解により稜線の地表が侵食されて低下し、削られ残った岩峰(トア)形成と削られて緩傾斜の稜線が形成された。 →氷期が終わり、植生に覆われ、地形は化石化し、緩傾斜地に火山灰層が堆積。・・・と考えるのが良さそうです。
 実は、この地点は、標高が150mしかなく、周氷河環境になる森林限界以上になる高さよりだいぶ低いのですが、この地点が、尾根先端の稜線部分にあり、風の吹きさらしの場所で樹木が生えない風衝草原が局地的にできる場所になっていたはず(稜線効果と行っています)と考えれば、あり得ないことではなさそうです。
 花崗岩巨石の場合でも、稜線に露出した立地の場合、この稜線効果による局地的な稜線の侵食低下作用・コアストーンの掘り出しの結果と考えるべきだと思われる事例がよくあります・・・・阿武隈山地では、竪破山の太刀割石、丸森町泉の立石など。

No.149 的場石の破断と辷り 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月11日 (火) 22時26分

画像は的場石の展開図。

 前述のように、岩峰ができたのは火山灰堆積以前と思われますが、現在見ると岩峰の一部が動いて火山灰の上に乗り上げていますので、割れて動いた・時期は、火山灰堆積以後になります。 つまり、岩峰の破断とすべりは、新しい動きです。
 そこで、的場石の展開図上に、岩塊の最近の動きを記入しました。
 この図から、4つの岩塊A〜Dは元々は1つで、Aの上に他の岩塊B〜Dが載っていたと考えられる。
 当初はAの位置に岩峰(トア)があり、それが自分の重みでAから分離後、傾斜方向に滑り落ちながらさらに3つに破断していると考えられる。BCDの破断は、岩塊の下の地面が凸で、開口破断したと思われます。

No.150 毒キノコ? 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月11日 (火) 22時28分

 的場石への遊歩道沿いには、大きなキノコがたくさん観られました。
 大きくて・美味しそうな・薄紫っぽい地味なキノコ・・・猛毒の「コテングタケモドキ」じゃないのかなあと思う・・・・がたくさんありましたが、撮影せず。
 もう一種類見かけた、とても美しいキノコ。これもたくさん見ました。いかにも毒キノコ風ですが、何というキノコでしょうか。
 時期は、8月初旬。

No.157 タマゴタケ 投稿者:目玉おやじ   投稿日:2014年02月19日 (水) 14時04分

最後の写真のキノコはタマゴタケです.食用です.

No.158  投稿者:滝おやじ    投稿日:2014年02月19日 (水) 23時34分

ありがとうございます。
へー、食用になるキノコですか。
的場石までの一往復で、10個〜20個ぐらいは軽くあったような気がします。残念。

No.142 巨石観察ノート2014年版01 花巻市丹内山神社胎内石 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月04日 (火) 00時31分 [返信]

花崗岩の巨石地形事例を集めるため、阿武隈・北上山地の花崗岩露出地を廻っています。
2013年中いろいろ廻りましたが、冬ごもりで、備忘録代わりに簡略まとめ。
 第1回は、胎内石(アラハバキ大神の巨石)です。
 岩手県花巻市東和町谷内、丹内山神社境内に所在。
古代からの創立伝承のある神社の神体石ですので、1000年間以上動いていない石ということになります。
 いろいろの巨石HPや、巨石本に紹介されている有名な巨石です。
 それらのHPや本の画像で見ますと、移動されてきた巨大な岩塊のようであり、胎内くぐりは、移動岩塊が再破断してできたのでは・・・という興味で訪問しました。
 所在地の地質は、北上山地西部の白亜紀に貫入りした人首(ひとくび)花崗岩体。地形は、低い花崗岩山地と、その山麓の山麓緩斜面との境界部にあたります。
 「山麓緩斜面」とは、ただ緩い斜面ということでなく、たとえば「扇状地」と対応するスケールの地形の形態用語で、氷期の周氷河作用で作られた地すべりや泥流・土石流などによる礫層の堆積地形面をいいます。まあ、東北地方の山地なら、至る所にみられる地形ではあります。
 神社境内は、やや古い山麓緩斜面地形の上にあります。胎内石は境内最奥の本殿裏にあり、山麓緩斜面の最上部にある大きな露岩の岩塊です。・・・図参照。 

No.143 胎内石、石の下方から見上げた画像 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月04日 (火) 00時34分

 現地で新しい破断を復元して以前の形を想定復元して見ますと、胎内石は一部を除いて表面が花崗岩の岩体が地表近くで風化して作られる、未風化花崗岩の大きな塊・・・コアストーン・・・・の風化球面がよく残っています。
 本来、すぐそばの花崗岩山地基盤中にあったものですが、現在は、山麓緩斜面の堆積面上にあり、明らかに根石ではありません。つまり元の場所から動かされてきたもので、花崗岩山地の地表下に埋没していたのが侵食により掘り出されたものではなく、移動してきたものです。
 さらに、岩塊下部が埋没していず、全体が露出している状態で、完全な浮き石です。これは移動が地史的にはごく新しいことを示します。
 また、胎内石は、岩塊の大きさでみますと、周辺の山麓緩斜面上や、神社境内地に人工露出している、以前埋没していた岩塊に較べて、際だって巨大です。つまり、山麓緩斜面を形成した周氷河環境下での営力では運べないような巨大岩塊と思われます。
 また、岩塊の上流側がほとんど埋没していず、土石流的な水流の多い移動形式で無く、滑落・地すべりのような水流の無い移動形式による移動です。
 以上から、氷期の山麓緩斜面の形成後に、それまで花崗岩山地の斜面地表下に埋もれていた大きなコアストーンが、斜面の崩壊。地すべりで滑り落ちてきて、平坦な山麓緩斜面上に乗っかったものと解釈できます。
 落ちてきた方向は、地形図からですと、胎内石のNE方、N40°E方向の斜面からということになります。長さ50m弱、比高25mぐらいの斜面です。落ちてきた時代はもちろん古代以前、岩石の露出年代が測定できればわかるわけですが、金がないので・・・。
 さて、滑り落ちてきた岩塊を見ますと、概形は菱餅のような形で、平面が約10×8mの菱形、高さ4mぐらいで、上面が山側に傾いています。
 上流側2面・下流側右面の3側面と上面には、コアストーンの風化球面が残っていて、下流左面だけは、平坦な節理面に沿って割れた破断面となっています。そのことから、現在の形は、コアストーンが、縦方向の節理面で2つに割れた残りであることがわかります。
 画像は、下流側からとったもの。右側が節理に沿って割れた破断割れ目です。
 割れ目の右側にあった岩塊は周囲には見当たりません。より下方に移動し、バラバラになったか埋没したものと思われます。
 すべり落ちてきた後の、木の根開口や胎内くぐりの形成等の件は後述 (つづく)

No.144 胎内石を後側から見た画像。 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月05日 (水) 12時02分

 山側・滑り落ちてきた側からみた胎内石。
 下の図の右から左に辷ってきた。左側の割れ目が
割れた破断面です。
 辷ってきて、割れ残った残存岩塊は、地すべりで落ちてきたブロックでよくあるように、移動方向に逆傾斜した形(画面の左から右に下がる)で止まって安定しています。
 その後、岩塊の上部で、旧コアストーンの上面に表面に平行した風化破断面が生じ、表に平行して剥離するような割れ目ができていき、その割れ目に沿って、木の根が入りこんで、層状に開口し破断しました。
 破断した頂上部は平面的には2つに割れて、底面の割れ目の方向に沿って、北東側と北西側2方向に滑動し、北西側岩塊が下の動かないでいる岩塊との間で隙間を作り、胎内くぐり形となっています。
 図では、北東側岩塊が右から左に辷って動いたのが見てとれます。

No.145 胎内石の胎内くぐり部分 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年02月05日 (水) 12時05分

 上画像:岩塊全体の移動方向上流側からみた画像です。丸みのあるコアストーン上面が、層状に剥離破断して落下している状況が見て取れます。
 右側部分で、岩塊間に隙間ができて胎内くぐり形が作られています。
 下画像:胎内くぐりの隙間を反対側の下流側から見た画像です。
 なお、この層状の剥離は、岩の上に生えている大木による木の根開口によるものと解釈しました。
 ・・・・木の位置と剥離した岩塊の想定復元位置との関係によります。
 そうすると、層状岩塊の剥離と移動=胎内くぐり隙間の形成時期は、岩の上の大木の年齢と同じということになります。ということは、そんなに古いことではなさそうですね。(以上)

No.141 2014年賀状の滝追加 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年01月30日 (木) 23時04分 [返信]

 拙HPに、「年賀状の滝」2014年分を追加掲載しました。
 掲示板に既出の「屏風ヶ浦に懸かる名称不明の海食崖滝 銚子市小浜町」を載せただけですので、新事実はありません。
 崖上からの画像は新しくしたぐらいかな。
興味ある方はどうぞ、御笑覧いただければ幸いです。

No.139 岩手県花巻市、丹内山神社一の鳥居の地震変形 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年01月29日 (水) 20時38分 [返信]

 地形観察ノート 2014-No.01
 花崗岩の巨石地形事例を集めるため、先年、北上山地南部の花崗岩分布地を廻りました。
 花巻市東和町谷内にある、丹内山神社の胎内石(アラハバキ大神の大石)を訪ねたときの一コマ。
 丹内山神社から1.3kmも離れた水田・・・・基盤は白亜紀に貫入した人首(ひとくび)花崗岩。その凹所を埋めた更新世の砂岩・シルト岩からなる緩やかな丘陵地の峠部分まで開田・人工平坦地化されている地形・・・・・・に立っている大きな木製の鳥居がありました。
 標柱によると、花巻市指定文化財。6本柱の立派な鳥居です。これから訪ねる丹内山神社の一の鳥居で、神社本殿は画像左の山にありますから、こんな離れた所に鳥居が立つ神社とは豪勢なものだなと感心したのですが・・・・・そのうち気になったのは、主柱2本に補強のつっかえ棒をしていて、構造的にかなり痛んでいそうなのに色がえらく奇麗なこと。解体修理していて組み立て途中なのでしょうか。しかし、作業中の様子がありません。
 看板によると、嘉永元年(1849年)造立、当時は南部藩領一の大鳥居といわれたものとのこと。 当初は現在地より少し東方に建立されていたが、昭和50年に道路整備のため現在地に移設されたもので、その後鳥居の痛みが著しくなったため、平成7年度(1995)に鳥居の全面解体修理を実施し現在に至っている。・・・・・とのこと。 塗装は、平成7年のようです。

No.140  投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年01月29日 (水) 20時40分

 よくよく見ると、画像のように、6本の柱が、皆、根元のところで土台から10cmぐらいずれています。
 6本の柱が全部ズレて、鳥居が歪んでいるので、倒れないように応急補強していたのですね。
 どうやら、2011年の東北大震災の時に、6脚の鳥居全体が移動してしまったものらしい。そのための補強のようです。2013年9月24日撮影。
現在はどうなっているのでしょうか。

No.137 房総鹿野山 本村川 源流滝(その2) 投稿者:ゴンタ    投稿日:2014年01月21日 (火) 19時38分 [返信]

写真撮ってきました。両岸の絶壁の間を、まるで人工的に埋めた壁のような涸れ滝。沢床の砂礫は、下流にある砂防堰堤群から推定すると数mの深さあり。堰堤が建設された昭和53年以前の姿は、本村川の隣の恩田川、間滝ソックリの巨大な「井戸底滝」だった可能性あり。そうだとすれば双子滝、双子沢ですね。滝の巻き道なし。この上の源頭帯も絶壁続きで、クライマーしか下降できそうにありません。

No.138  投稿者:滝おやじ   投稿日:2014年01月23日 (木) 13時36分

おお、すごい画像ですね。
河床の埋積礫もすごい。

No.136 房総鹿野山 本村川 源流滝 投稿者:ゴンベ    投稿日:2014年01月08日 (水) 11時34分 [返信]

神野寺の門前商店街の裏はすぐ崖、ここが本村川本流の源頭。ここの植林帯の下部に、高さ7m、幅3mくらいの立派な垂直滝あり。普段は落水なし。壁面は柔らかそうな砂岩。なのにどうして溝滝にならなかったのか?滝の名前も分かりません。両岸はずっと20mくらいの断崖。下の田倉林道から遡上すると、沢床は砂で埋め尽くされ、平らな伏流。砂防堰堤が数箇所あり。ひどい竹藪で大変。カメラ忘れたので再度、行きます。

No.135 謹賀新年 投稿者:滝おやじ     投稿日:2014年01月03日 (金) 01時08分 [返信]

2014年正月 
本年もよろしくお願いいたします。
今年も、滝・巨石・川廻しと、屏風ヶ浦の地形調査で忙しくなりそうです。

 画像は、山梨県山中湖町、石割山の石割石。
 花崗岩のマサ化した山に未風化の大岩塊が残っていて、それが谷斜面下部に露出した場合の例と位置づけられます。
 中新世に貫入した甲府花崗岩体の未風化岩塊が侵食谷渓流斜面下部側壁に露出。
 縦方向の節理面に沿って岩塊が大きく割れ、斜面から露出した岩塊前面は節理面に沿って割れ、割れた岩塊は渓流を流下する土石流により運ばれて取り去られてしまい、平滑な節理面が残って露出している。
 さらに、平滑な節理面に重力による斜めの割れ目が入って、曲線の割れ目がすぱっと入っている。
 岸壁下の神社敷地は侵食谷底の土石流堆積面。

No.133 2012年の年賀状の滝を掲載 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年12月29日 (日) 22時49分 [返信]

2013年分を掲載したら、2012年分も掲載し忘れていたことを発見。
 「粟又の滝の滝壺」というマニアックな画像ですが、拙HPの「年賀状の滝」2012年分としてアップしました。
御笑覧いただければ幸いです。

No.132 2013年の年賀状の滝を掲載 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年12月28日 (土) 00時05分 [返信]

2013年も押し詰まり、年賀状の季節になりました。
 というわけで、2014年の年賀状を作っていたら、2013年の年賀状にした「荒川の滝」を、「年賀状の滝」にアップしていなかったことに気づく。
 拙HPの「年賀状の滝」2013年分としてアップしました。
 すでに、「滝の新情報」の方に、2012年に記録を出してありますので二重になるが、まあ形ですのでアップします。御笑覧いただければ幸いです。

No.125 屏風ヶ浦に、現役の海食崖滝がありました 投稿者:滝おやじ     投稿日:2013年11月19日 (火) 20時46分 [返信]

珍しい滝を見つけたので報告します。
活動的な海食崖に懸かる自然の滝です。
先日、別の調査で歩いていて、滝から落ちて岩盤を流れている水流を見つけました。
場所は、銚子市小浜 屏風ヶ浦に面する海食崖型懸谷の河口が滝になっていました。
位置は、ここ。
高さは、銚子市の2500地形図から、約12mと予想されます。下総台地を侵食する谷ですので、台地上の分水界が不明瞭で、流域面積は0.6平方キロメートルぐらいですが、地下水の流れ方は分かりませんので、実質の流域はもっとあるかも。ということで、先日見たときは結構水量があって、普段も割と水量がありそうです。
 しかし、どうして知られていないかといいますと、陸側からは、滝面は全く見えません。基本的に陸からは見えるところがなく、滝の姿は、海側からしか見えません。

No.128  投稿者:滝おやじ    投稿日:2013年11月19日 (火) 22時09分

さがしたら、空中斜め写真がありました。
画像は、海食崖型懸谷の典型的な形です。上から見下ろしていますので、高度感が無いですが、海食崖の高さ(台地面の高さ)は約60mあります。
 崖の地層は上の赤いのが、関東ローム層といわゆる香取層、下の白いのが犬吠層群の小浜層のシルト層。崖は垂直で近くに上から下の海岸に降りるルートはありません。

No.129  投稿者:滝おやじ    投稿日:2013年11月19日 (火) 22時10分

画像は、上の画像の河口部分の拡大。海食崖を滝になって落ちています。滝の高さが地図から推定12m。
 手前の堤防はだいぶ破損して、海藻が生えている消波堤です。
 写真は、もの凄く波が静かな時の写真です。普通はこんなじゃないですね。
 というわけで、私は、下から見上げる勇気はありません。

滝の名前は不明。名前あるのかも不明です(^_^;) 
滝の珍しさとしては、関東地方の海食崖滝で、(1)自然のままで、(2)ある程度水量があり、(3)直接海に落ちている、というのは、超珍しいのでは無いでしょうか。
 千葉県で海食崖を落ちて、水量まあまあ、海に入る滝はありますけど、この滝以外は自然のものは壊されてしまっていますし、水量多いのは人工の余水吐です。
 もっとも、この滝も、本来のより水量が増えてる可能性はあるかもしれません。

No.131 崖上から滝の画像 投稿者:滝おやじ    投稿日:2013年12月11日 (水) 22時45分

先日、滝東方の崖上台地から画像を撮りました。
横からなので落ち口は見えないが、拡大すると滝の姿は大体見えます。
超逆光ですが、たまたま影になっていたので写っていました。
朝に行って撮ればもっと良く撮れるかも。

No.123 鹿野山、高宕山、鋸山、七つ釜にはヤマヒルはいません! 投稿者:ゴンベ   投稿日:2013年11月17日 (日) 11時12分 [返信]

房総半島の三島湖、豊栄湖脇を南北に走る国道410号線を境界として東側は壮絶なヤマヒル王国です。でもこの西側ではまだ安全。ヒルが寄生する日本鹿が、この国道を境に交流できないから?でもいつかはやってくるはず。
なお間滝はマザー牧場の下、西にも牧場あり、夏後半には金色アブが大量発生します。ツツガムシもヤバイ。だから12月から3月までが快適期ですね。

No.124 広がってますね 投稿者:滝おやじ    投稿日:2013年11月18日 (月) 22時41分

>房総半島の三島湖、豊栄湖脇を南北に走る国道410号線を境界として東側は壮絶なヤマヒル王国です。
⇒小糸川流域の東半分ですね。10年前は、小櫃川流域の東半分だったように思います。着実に広がってますね。

No.122 鹿野山 間滝へはクライミングギア不要 投稿者:ゴンベ   投稿日:2013年11月17日 (日) 08時30分 [返信]

市の管理地?の尾根から降りれば、下の滝壷まで懸垂下降などしないで「後期高齢者のキコリのジイサン」でも登れます。ただし途中の、たった2mの小滝は、身長がないと手こずります。シャワークライムするのはツライ。私は竹の束に縄ハシゴを縛って突破しました。



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