[182] 子ども・生徒に対しての愛おしさ
投稿者:教員休職中
投稿日:2007年12月07日 (金) 12時44分
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最近、自分の辿ってきた足跡を振り返ってみる事が多々あります。「自分は何故教師を目指したのか」「何故教師になりたいと思ったのか」
前向きな発想で教員を志すタイプは二つに分けられるように思います。 1)「子ども・生徒を、ありのままの姿で純粋に愛おしく思っているタイプ」 2)「子ども・生徒を育てていくことに生き甲斐を感じ、その中から愛おしさを感じ ていくタイプ」 ここではあえて「でもしか○○」「とりあえず○○」等の考えから目指されたケースは割愛します。
私は(2)後者の割合が強いのでしょう。(1)のスタンスで気持ちがわき上がってくるような方には、温かさに感動したり、尊敬すら覚えます。ただ、子どもを受け入れるだけでなく「集団の中の一員としてのモラル等」をしっかりと伝えられていなければ、見方は変わってしまいます。「単に甘いだけのタイプ」だときっと思ってしまうのでしょう。
(2)の視点は誤解されると困りますので「当てはめ指導」「画一的指導」等の単純な理解はご遠慮下さい。 この方向性は「教師」と「子ども・生徒」が目指す方向性が一致している時には大変な力が出てくると思っています。きっと相乗効果で「生徒」も伸びるし「教師」も伸ばされる。私自身はこちらに近いタイプだと思っていますので、悩む事等も多々思いつく事にはなります。 目指すものは「教員側で提示するような時と」「教師・生徒共にで考えて出した方向性」等の種類はありますが、共通に納得できる理解の元に運営されれば素晴らしい「成長」が期待できると思っています。「教師を含めてチームとして育った」感じでしょうか。成長を教師と子ども・生徒が共有することによって互いに愛おしさが増大していく。
こう考えると(1)が「無条件の愛おしさ」に対して(2)は「じわじわ生まれる愛おしさ」のようにも分けられるかも知れません。
ここで、そんな自分は「何をできたら良いのであろうか」「自分は何を目指したらよいのだろう」等を自問自答します。色々と足跡を辿って大切なものを「ふるい」にかけるように一番最後まで残る「思い」を探していく感じです。
「愛される人になって欲しい」「信頼される人になって欲しい」「幸せになって欲しい」・・こんな感じかも知れません。
親ではないので、ずっと一人ひとりの「子ども・生徒」に関わっていく訳ではありませんが、こんな気持ちの元に「色々と手段・切り口」を考えているのでしょう。
「愛される人」・・人に対しての思いやりや、優しさ、相手を理解しようとする気持ち、互いに尊重し会える気持ち、・・ 「信頼される人」・・礼儀を大切にできる、平気で人をだましたりしない、人をバカにしたりしない、嘘をつかないようにしている、・・
「幸せになって欲しい」に最後は繋がっていくのでしょうか・・?
それぞれの子ども・生徒が少しでも「幸せになるために」自分なりの尺度で大切だと思う事を伝えていくこになっていくのでしょうか。・・大変に難しい・・あまり強く持ちすぎると「何様!」神様でもあるまいし、・・しかし「考えが硬くなって行く」少しでも+になるよう自分なりの方法を見つけて関わる。関わりが濃くなり「愛おしさを増していく」・・
しかし価値観の多様化する現代
「幸福感」も多様化しているとも言えるのでしょう。自分の「思い」はナンセンスなのかも知れない。ただ、そんな生き方をしていたら「幸せにはなれないであろう」等の状況が多々見られて、それらの内容にぶつかって行く ・・子ども、生徒は「自分の思いを通す事に幸福感を持っているかも知れない」「ほっといてくれ」「自由にさせてくれ」・・「今の気分の良さだけを考えたような言葉が返ってくるかも知れない。」 「親も高学歴にする事が子どもの幸せになる」「他の子どもさんよりも自分の子ども」「自分の子どもを勝たせたい」・・ 「先生方の中にもそこまでは求めすぎだよ」「ハードルが高いかな」「そこまでは理解できないであろう」・・
こう考えると自分の「幸せになって欲しい」と思う考え方自体が「エゴ」なのかとも思えてくる。
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