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[183] 法教育の記事より 投稿者:教員休職中 投稿日:2007年12月12日 (水) 11時08分
今日の朝刊で「法を生活道具に」という大見出しでパネルディスカッションの様子など合わせて掲載されていました。大変共感できる部分があり、思う事を書き込みしたいと思います。

価値観が多様化する現代だからこそ、何かに拠り所を求めたい気持ちがあるのが事実です。学校現場では、些細な点でも受取り方や行動面で子ども・生徒の対応は当然変わります。人には個性がありますから当然同じように受け取ってもらえるケースの方が希かとは思いますが。また、当然保護者の対応も、理解して頂ける方と理解して頂けない方のように両極になって現れてくる事は良くある事でしょう。

朝刊のコメントでこんな事が書き込まれていました。「私たちは法の上で安心して暮らしていけるのです。〜感謝の気持ちを覚えさせるのが必要だと思う。」
学校現場を小社会ともとらえた視点で多々表現もされていました。当たり前の事ですが、「学校」は子ども・生徒が社会に出て行く時に「健やかな生活」を送れるように練習する(鍛える)場所だと思うのです。一人ひとりの子ども・生徒がやがて社会の一員として、ルールの中で生活していきやすい状況の道標になる必要があると思います。

現実はどうなのでしょう。

もしかすると保護者は、子ども・生徒の行く末を「学業的・進学先」のような点で心配することは多々あると思うのですが、「社会ルール的」な視点では疎かになっている事はないでしょうか。子どもの躾の第一責任者は親になるわけです。ですが、「ここまで躾なければいけない」「これは躾る必要性があるのか?」「この年代で何を躾たらよいか分からない」・・

親は子どもの躾に対して「できています・できていません」と評価される機会は大変少ないのでしょう。昔は三者面談で教員が親に対して随分と言えたように思えます。少なからずそれを受け入れて頂ける器が親にもあったように思います。時代にともなって変化してしまった残念な一面だと思います。
おそらくその時点での教員側のスタンスで、親を正す言葉が「子ども・生徒」に巡り巡る事を理解して頂けたからだと思います。

でも現在は「ものの言い方が気に入らない」「言われる筋は無い」「ちゃんと躾ています」「他の子どもさんもそうでしょう」「そのくらい大したことではない」・・
ニュースなどで教員の言葉が紹介される時に「若い先生が・・保護者をモンスターにしない言葉を選択する努力をしています」と語っていた場面がとても象徴していたも感じました。

受容の大切さと、「時間」との関わりで心配を抱いています。

昨今、教員は「受容的なスタンス」に大きく流れは傾いていっていると思います。大切な事ですから不必要とは私も思っていません。特に大きく周囲に影響を与えるような状況下では、該当する子ども・生徒の変化と「時間」との関わりも大きいかと思っています。
該当する子どもが変化していく「時間」が長引けば長引く事で、「周囲の子ども・生徒からも理解を得にくくなっていく」「こども・生徒から認められなくなっていく」「子ども・生徒から見放されていく事もある」・・その子どもに対しての内情をよく理解してあげた上でも、「周囲の子どもの理解が得にくい」「同年代の子どもでは理解できない」なんて事は結構ある事でしょう。
最悪の自体は、「該当生徒が周囲に対して悪影響を及ぼしてしまった瞬間かも知れません。」その子自体を受容し、教師と子ども・生徒の人間関係が構築されていたとしても、周囲の子ども・生徒がその生徒の状況に納得できていなければ、問題は波及していく。なびいてしまった周囲の子ども・生徒を含めて。

少年法

第1章 総 則
(この法律の目的)第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。

第1節 通 則
第3条 次に掲げる少年は、これを家庭裁判所の審判に付する。
ニ 自己又は他人の徳性を害する行為をする性癖のあること。

                                   一部抜粋

これは少年法の内容を一部抜粋したものです。学校が小社会として例えた場合には、学校内では明らかにこれに該当してくる事になります。加えてこの時点で「保護者の躾義務が怠っていた現実が表面化」するのかも知れません。しかしそれで解決することもなく、該当する保護者は自分の言い分を語って平行線を辿っていくなんて事になるのでしょう。
もし一方的に巻き込まれてしまった、周囲の子どもの親であったらどんな気持ちになるのであろう。・・「自分の子どもにも責任がある」「何故あの子どもさんと関係を・・」「該当する親に一言、言わないと気が済まない」・・心中複雑かと思います。

この一例であれば「なんとか早期に止める事ができれば二次的な問題は出なかった事になる訳です」・・「結果そのこの子どもさんのためにもなる」「他者に対して迷惑をかける事がなかったと」・・

その子自身・周囲の子ども共に「守った」事になると思うのですが、これは受容的スタンスが強すぎると間に合わない事かと感じています。おそらく教師と子ども・生徒の人間関係が構築されていたとしても、たとえ信じあえていたとしても「とらえきれないその子の内情が余波を生む」・・「事が大きくなっている」

なるべく学校で失敗するのであれば、小さい内に止めてあげたいと思うのが親心でしょう。タイミングを逸してしまうかも知れません。
事が大きくなれば「親もそれだけダメージは大きいかも知れませんし、反発も大きくなるかも知れない」

朝刊の最後に中学生のコメントが一行掲載されていましたので、まとめとして載せます。

「ルールがマナーに変わっていてほしいです」




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