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[75] 私達より10歳近く、先輩の方も 投稿者:まっちゃん 投稿日:2003年02月14日 (金) 07時24分
私達より10歳近く先輩の方です。

私が垣間見た 2003/1/7  アフガン・カーブルの今   
昨年12月23日から新年1月3日までパキスタンのイスラマバード経由でアフガニスタンへ行ってきました。地雷や空爆などで手足を失った人達に義足を届けるヴォランティアを買って出ての事です。 
義肢装具士滝谷氏の支援プロジェクトが朝日新聞に掲載されたのは10月中頃? 記事を切り抜き、冷蔵庫に貼り付けて、その後1ヶ月以上も思案していました。自分に何が出来るのか、役に立つのだろうか、本当に自分がしたい仕事なのか・・・etc.  思い切って滝谷氏に電話したところ、事も無げに一度来て見て下さいと言われ、出かけました。初回のその日にアフガン行きを誘われ、その3日後にはもう航空券の手配の必要上「今日中に返事して下さい」との連絡が入り、家人の反対をおして「連れて行って下さい」と返事していました。   自分でも不思議なくらい、事がどんどん勝手に進んで行ってしまったのです。運命的なものを感じました。                                 首都カーブル        
不安と好奇心とで訪ねたカーブルは復興の活気に満ちていました。街は人と車と物に溢れ、バザール(市場)など押し合い圧し合いで、前の人とはぐれないようにするのが精一杯でした。バザールには食料をはじめありとあらゆる生活雑貨が山積みにされていて、お金さえあれば物資は豊かにあると分かりました。 水の問題が一番の課題かもしれません。雨が降らず長い干ばつが首都を砂塵と土埃の街にしてしまっています。街は土まみれという表現はさして大袈裟でもないでしょう。手指は洗っても洗っても直ぐに黒ずんでしまいます。水道が設置されているのは市中の一部だけで、一寸外れるとユニセフや各国が支援した井戸に水汲みに集まります。井戸の無い所には給水車が入っているのを見かけました。 残念ながら、道路の不備や治安の問題上、国連はじめ各国の支援はカーブルに集中し、他所には行き渡らず、支援を求める人々がカーブルに押し寄せ、かつては30万だった人口は現在200万にも膨れ上がっているとの事で、街は拡大する一方、地方の人々は捨て置かれているのが現状です。その辺りが今後の支援の一番の課題でしょう。                      義肢の取り付け       
至る所で足の無い人達を見かけました。地雷・ロケット砲・強盗など原因は様々。今回私達は総勢13人のヴォランティアが約15人分の義足と20人分くらいの子供用装具を運びました。滞在先のインターコンチネンタルホテルからさほど遠くない所にある一軒の家を借りて、そこで滝谷さん達技師が微調整しながら患者さん達に義手や義足を装着しました。
 私達ボランティアはまず患者さんの送り迎えの仕事をおおせつかりましたが、これがなかなか大変でした。カルテに書いてある住所を頼りに尋ねて行くのですが、住所などあって無きが如しで、何処そこの村の何々の裏といった具合で、3〜4時間もかけ訊ね訊ねてやっとの事で捜し当てたら本人は町に出て不在だったり、電話など連絡の手段が無いのだから仕方がありませんが、ほとほと疲れました。翌日また出直しです。 それでも新しい義足が上手くいって、以前より楽に歩く姿を見ると、心から嬉しくなりました。彼らの笑顔がとってもいいのです。昔日本の子供達に宿ったのと同じあの恥じらいを含んだ人懐っこい微笑み!         
 赤月社        
イスラムは十字を嫌います。ですから赤十字(Red Cross)ではなく赤三日月(Red Crescent)です。その赤月社が設営管理する「マラストウーン Malastoon」という貧民収容施設を見学に行く機会を得ました。案内して下さった人(前所長)によると、約400人が収容されており、うち100名ほどが子供達だそうです。寡婦とその子供達の収容が主だったようです。      
広い敷地内には離れた所に精神病患者の棟もあり、鉄製の二段ベッドがあるだけで他の何物もなく、患者達は日向ぼっこをしているのか、空ろな目をして表の地面に座ったり転がったりしていました。聞けば英語を知っている嘗ては知識人だったろうと思われる人も居るとのこと。何もかも失って気がふれてしまったのだろうとのことでした。離れた所には女性の精神病棟もありましたが、施錠されていました。                              
孤児院
宝塚在住で空爆以前からアフガンを支援し続けてこられた西垣敬子さんと往きの飛行機からご一緒で、彼女が支援しているフローザンちゃんという孤児の義足も今回持ち込んだ義足の一つだった関係から、西垣さんと親しくなる機会を得て、丸1日を彼女と行動を共にさせて頂きました。   
 フローザンちゃんは以前は前述のマラストウーンに収容されていてそこから遠くの学校へ通っていたのですが、今回冬休みを機にさる篤志家が経営する民間の孤児院に救い上げられていました。        
尋ねていった孤児院には男の子10人、女の子はフローザンちゃんを入れて6人、合計16人の子供達が収容されていました。実に家庭的で暖かな雰囲気に満ちた家で、子供達はミス・シーマをママと呼んで慕っていました。子供たちの表情から彼らがここで幸せに過ごしている事は明白でした。その夜は西垣さんとご一緒にミス・シーマとゆっくり話す機会に恵まれました。            Miss Seema Ghan     
彼女は、確か4歳のときに家族と一緒にイギリスに移り、教育を受けたとのことでした。タリバンが去った1年余前に今こそアフガンが自分を必要としていると思ってカーブルに戻ったのだそうです。年齢は尋ねませんでしたが、30代に見えました。まず家探しを始めた所、孤児を住まわせるならいい家を知っているよと連れられた家はガラスもないとんでもない家だったそうで、孤児なら最低のものでいいと思っているのが許せなかった。自分は彼らにこそ暖かな普通の家庭と同じような環境を与えたいと思っている、又、良くある話だが、折角育て上げても役立つ年齢になると親族だと名乗る人間が現われて連れ帰ってしまうケースもままあるので、そういうことにならないようにも警戒したい、この子達には職業教育よりも純粋な教育をこそ与えたいと思っている等、熱心に彼女の理念を話してくれました。            
彼女の言葉に耳を傾け、表情を読み、私は彼女が信頼に値する立派な人だとわかりました。実に勇敢で、この国が今求めている理想的な女性像であると思いました。                           
私の第一歩        
言葉(ダリ語)もできず、アフガニスタンの何もまだ分からず、困難な状況に置かれている子供達をただ支援したいという望みを抱いているだけの今の私にはまだ独自に活動する事は無理です。当面はミス・シーマの活動を支援する事から始めようと考えています。簡略ですが以上ご報告します。




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