11/13(土)TBS系「告白 窪塚洋介~そして旅は続く~」番組レポです!
今年5月。窪塚洋介はアメリカサウスダコタにいた。ネイティブアメリカンのスピリットに触れるドキュメンタリー。だが後半のロケは急遽中止。それから2ヶ月の間、ただ沈黙の時が流れた。
窪塚洋介はすべてを語った。
8月1日
事故後初めてカメラの前に姿を現した。
車椅子での窪塚洋介が登場。
「靴はいたらあるけそうなんだよね。2ヶ月ぶりに靴はいたらさぁ、2ヶ月前と何が違げぇんだろと思うんだけどさ、パッと見はね。
さんざん落っこちる前はさ、命は大切だとかさ、いっぱいいろんなこと言ってたんだけど・・本気で言ってたんだけど、あぁ言ってるだけだったなぁ。って今思うんですよ。『こうなんなかったらわかんなかったんかい』って言うのもあんだけど、全然違って、・・・怖いと思った。生きてんのが。変な意味じゃなくて、なんていうか、心臓がこうやって動いてさ、寝てる間も動いてンからさぁ、朝起きるわけじゃん。そりゃすごいことでさ、ただ単にそうやって動いてんだけど俺は別に動かしてないからね。なんか命が動いてんから、こうやってここでもまたみんなに会えて、しゃべれるし。生きてるだけでボロ儲けじゃないけど、生きてんのすごいことで、でも、ずっと言ってきたけど、『生かされてる』っていうのはこんな風に思わされると思わなかったっていうか。
いや、ほーんと生きてて良かったよ。ほんっとに。ほんと生きててよかった」
-----容態について(途中で生々しい病室での写真のカットを挟みながら)
「内臓とかも脾臓がちょっとやられてたり、目見えなくなるとか色々言われてたんですけど、まぁ、無事・・・無事じゃないけど。病院では驚異の回復力とか言われてるんですけど。まぁ、そんなん言われても普通に歩けないからね、今。
でもなんか脊髄とかさ、脳みそとか、背骨とか尾てい骨とか、イったらヤバいところが全部大丈夫だったから、よかった。
ま、右の鼻の臭いは無くなったんですけどね。(それはゼロなの?)らしい。でも、ま、左があるから(笑)戻ってくるかもしれないし」
ピンポン、ランドリー、GOの映像が流れ、
5月17日アメリカロケの映像。~サウスダコタ州ラコタ族居留区~
馬に乗ったり大地にたたずむ窪塚。
そしてインタビューに戻る。
-----あの日のことについて。
「自分に何が起こったかみたいなのを考えた晩があって、したら、すげー怖くなって、こう、思い出せないんだ。その落っこた時もないし、その前後の・・特にそっから何日かたった、3日とか4日かわかんないんだけど、記憶がないのね。
すっぽり抜けてて。全然なくて、話聞いても全然思い出せないし。なんだけど、『それじゃいかん』っていうか、何があったのか、(足を見て)こんなんなってんからさ。
一見無事そうだけど、まだ歩けねぇから、何があったんだろうなぁと思って、思い出そうとしたら・・全然思い出せないの頭は。だけど体が覚えてるっていうか・・なんか傷が痛くなったり、腰から下がなんか無くなったような感じがしたり、すごい怖くなって・・・真っ暗にしてたんだけど部屋を。電気とかつけちゃったりしたりして。なんか、なんだろうなぁ。。先生に聞いたら、やっぱ脳みそがそういうの忘れさせるんだって。あんまり強い衝撃があると、こっから先の人生のために、傷を・・記憶を消すみたいなとこがあるらしくて。(頭を打ったからとかではなくて?)そういうのもあるのかな?詳しくわかんないけど。
それですごい思い出そうとしてる時にさ、なんかうまく思い出せちゃったら、その思い出した衝撃で死ぬんじゃないかなとか思って。それが1ヶ月位たった晩なんだけど。そっからなんか意志が変わってきて、なんつーか、次の日の朝とかも、朝が迎えられたってすごい思ってさ。
でも、ずっと何だろう『そういうのは別に思い出さなくていいよ、早く元気になんな』ってみんな言ってくれるじゃん、先生も、家族も、友達も。それはすごいありがたかったんだけど、何か自分の身に何が起こったのかっていうの思い出すっていうことをしたら・・結局思い出せなかったんだけど、すごいオオモトのとこが変わってきたっていうか。
なんせ今日2ヶ月ぶりに外出た、それだけでもさ、すごいフレッシュできた。こんな芝ん中にさ、いられることもすごい、ありがたくてさ。自分の子供と一緒ですよ(笑)離乳食食べてて、今度は歩く練習するじゃん」
-----リハビリについて。
「リハビリやってます。毎日7時間位。先生ついてやってくれるのは1,2時間で、あと自分でやって。でも、ほんとなんかねぇ、すごい痛いのねリハビリって。で、俺、落っこた時のさ、痛みがなくて、覚えてないから、どん位痛かったかとかも。なんか痛てぇ痛てぇとかも言ってたらしいんだけど、全然記憶ないから。痛みとしてあんのは、リハビリの痛みだけで、すごいなんか痛いんだけど・・体とさ話せるっていうか。体としゃべって、体にゴメンつって」
「体は覚えてるからさ、脳みそは都合よく記憶がなくなってるけどさ。これがもう証拠じゃん。歩けなくなった、チョンっとやってちょっと痛いみたいな。
感覚はある。でも、そうやって感覚とか残っててさ、俺があとがんばればまた元のように歩けるようになるっていうのは、ほんとなんか、ありがとう!とかもぅ追いつかないけどさ、ほんとありがたいことだし。そうやってなんか守ってくれた・・体と・・2人3脚どころじゃないけど。まず自分の体と向かい合って、歩けるようになったら迷惑かけた家族とさ・・・っていうか何より家族と普通の生活がまずしたくて、普通なことはどんだけすげーかっていうのがすごいわかるから。そうやって普通の生活の中でさ、普通に仕事行ってさ、普通にみんなと会ってさ、飲みに行ったり、遊んだり働いたり。のんびりいきますわ」
-----自殺説について。
「そうじゃねぇけど。記憶もねぇし。そうやって周りから話し聞いてて、俺が思うのは・・前からそうだったけど、どういう風に思われてても、今いるのはさ、ここにいるしかなくてさ・・今ほんと生きててよかったって思ってる自分がいて。で、ここからどういう風になるかわかんねぇけど、なんか、わけのわかんない世の中の中で、色んな人がいてさ、色んなことを言ってさ・・それはでもほんと自由だと思うのね。それを俺はなんか『じゃ、思わねぇでくれ』って言ってする気もないし、俺ができるのはこっから。俺が身に起きたことを俺が受け止めて、どんだけ・・楽しんでいけるか?ってかさぁ・・しんどいこともあるしさ、俺ですら自分で何が起きたかわかんないんだから、みんなにこうやって何が起きたのかって説明もできねぇしさ。2ヶ月前のことだけど、これを俺はどういう風に話したらいいのかわからないし、話せる言葉も見つかんないし。なんでこうなったのかが、わかんねぇところもすごいあるし。でも、そういう中で生きていくわけだから、そういうのひっくるめて今俺がどう思ってるかっていうのが一番大事だと思うから、さっきみたいに話ししてるんだけど。。。
家族もいるしさ、子供もおっきくなってさ・・今もうすげー元気で歩き出しそうなんだけどさ、歩き競争すんだけど、そんなんもあるから、そんなわけないけど。じゃぁ何でこうなってるのか俺説明できねえからさ。思い出したら、説明できるかもしれないけど。でも今ここに命があるから、それを繋いでやってくしかないから。もっとうまく説明できたらいいのかもしんねぇけど、自分自身に説明できないから、それはみんなにも説明できないし。でも、そうやってそういう世の中だからさ、わかんないことがあって・・でかいことだけど俺にとっては。でも、みんながいてくれるから。そうやって思い出させようとしてくれる人もいるし、なんか黙って近くにいてくれる人もいるし、わけもわからず責めてくる人もいるし、色んなこと言う人もいるし、でもそれがもう全部ありがたいんだよね。生きてなかったらさ、そんなこと思ったりもできないじゃん。『あぁ、この人はありがてぇ』とかさ『なんでそんなこと言うんだよ』とかさ、そういうのも生きてなかったらないから。でも、自分の力で生きてんじゃなくて、自分の力でも生きてるけど、なんかに生かされてて、それはもうわかんないけど、ほんとありがたいから。ほんと感謝して。やることもあるし、やりたいこともあるし(笑)だからもう、とりあえず、歩きたいんだけども」
-----ドキュメンタリー番組について。
「アリゾナ行きたいね。(そうだ、行けなかったモンね、WPPDの富士山)その日に俺、手術してたんだよ。それもなんか奇遇だなぁと思ってさ。手術もさ無事うまくいってさ、きちんと手術してもらって、だから今こうやってリハビリできるって言われたんだけど。でもなんか、すごいね、世界のこととかね思い出した。ありがたい」
アメリカロケの映像。(後ほど放送されると思うので省略します)
-----ラコタ族のチーフ・アーボルルッキングホースからのメッセージ
「洋介・・・私達はあなたのことを聞いて悲しみ、そして心を痛めています。私はあなたのためにたくさんの『祈り』を送りました。私達は『祈り』『スピリット』で強くつながりお互い支え合いながら、生きていることを分かっています。あなたは支えられています。そしてまた美しい日が訪れ再び明るく、にこやかになる日が来るでしょう。あなたが自分のスピリットとつながりそのアイデンティティを本当の意味で知ったとき、周りにあるすべてのものに『スピリット』が宿っていることに気づき、それらのために何かをしたくなることでしょう」