↓「週刊智慧コラム」5月24日Vol.89より
■イスラム以前のアラビア半島
マホメット以前にもアラビア半島には人々が住み、放牧と交易を生業に、東の文明圏(インド、中国)と西の文明圏(ギリシャ、ヨーロッパ)を結ぶ交易ルートとして連綿と賑わっていたはずです。ここで、ちょっと、マホメット以前のアラビア半島を見てみたいと思います。
マホメットが生まれた7世紀頃、かの地は、何と、メッカを中心とした伝統的な「多神教崇拝」世界でした。
そうなんです! 7世紀までは、多神教世界でした。
つまり、元々交易で生計を立てる砂漠の人々ですから、市の立つオアシスを転々と巡回しながら商売をして、その地に祭ってあるさまざまな神様に祈っていたようです。
部族ごとに祭る偶像があり、商人ですから、「金は力だ」といった拝金主義も蔓延していたようです。
中でもメッカは、このアラビア半島全域の多神教崇拝の中でも、最高の聖地でした。
このメッカにカアバ神殿を建てた人物は「イーブラヒーム(=アブラハム)」だとされます。この「イーブラヒーム」は、アラブ民族とユダヤ民族の祖先にあたるとされる人物ですね。(この2民族は、2号前にも書きましたが、異母兄弟民族だとされています)
で、「多神教崇拝」ですから、メッカのカアバ神殿の中には、当時の人々が先祖伝来崇拝していた約800体ともいわれる神様が偶像として祭られていたといいます。
どんなものを祭っていたかというと、
・ラート神 = 岩 (女神)
・ウッザー神 = 3本のアカシア樹 (女神)
・マナーフ神 = 女神
・フバル神 = 占い用。右手の欠けた人物像、7本の矢
などなど。
つまり、自然物や、自然現象、超自然的な力が宿るというアニミズム的な信仰と畏怖の念をいだいていたわけです。石、木、泉、呪術師、占い師、詩人なども崇拝対象となり、
対象を偶像にして祭り、聖域を定めて神殿をつくり、周りをめぐり歩く巡回儀礼をして、生け贄の動物を捧げる祭礼儀礼を行っていたのだそうです。
商売の神様も当然いたでしょうし、アラビア半島の商人たちは交易の成否をフバル神という右手の欠けた人物像の神様に占ってもらったりしていたようです。
・聖地を巡礼する
・カアバ神殿の回りを巡回儀礼する
・生け贄を祭る
これは、モハメット以前から、このアラビア半島で伝統的に行われてきたものなんです。別に、マホメットが提唱して7世紀にいきなり始まったものではありません。
当時、アラビア半島では、人々はどのような宇宙観をもっていたかといえば、
・偶像神の中でも最高の神、人間を超えた存在があり、その名を「アッラー」という
こう考えていました。アッラーは、特定の個人名を指すものではなく、偶像神の中でも最高の神=人間を超えた存在を指すもので、ここが、多神教世界の私たちには、よくわかりにくくて混同しやすい点ですね。
「アッラー佐藤!?(佐藤さんゴメン!)」という人物がいて、その人物が最高だ、と考えていたのではありませんね。
最高の神アッラーの作ったこの宇宙の中で、人類の祖はアダムとイヴであり、エルサレムは聖地で、多くの預言者がアッラーの言葉を人間に伝えてきたと考えていました。この部分は、ユダヤ教、キリスト教と同じです。
つまり、この宇宙全体は、人間が作ったものではなく、明らかに人間以上の存在がいて創造されたものである。人間もその創造物のひとつだ、という考え方が社会全体に根付いていたといいます。
・多神を祭っていた
この多神は、徳高い先祖から、石、木、泉まであり、種々の力を崇め、畏れられてきた神々のことで、もう目につくものは何でも偶像にして祭っていたのでしょう。
病気治し、願掛け、厄払いなどなど、それはもう、多神教世界の日本と同じですね。これが、マホメット以前のアラビア半島です。
じゃあ、マホメットがやったことは何かですが、下の項目でまとめます。
■啓典の民コンプレックス
こうして、7世紀アラビア半島のアラブの人々は日々の生活に密着した様々な神様を祭っては、巡回・巡礼していたわけです。
キリスト教徒にはイエス、ユダヤ教徒にはモーゼなど、「アッラー=ヤーヴェ・エホバ」(つまり人間を超えた存在)の言葉を人間に伝えてきた歴代の預言者がいます。キリスト教徒&ユダヤ教徒は「啓典の民=つまり、神から啓示を受けられる民族」と呼ばれて、宗教的にすぐれた民族と考えられていました。
ところが、
同じ兄弟民族でアラビア半島に住むアラブの人々には、まだ預言者が出ていません。
預言者は、アッラーの言葉を人間にわかる「言葉=教え=啓典」として伝えますから、この、神の言葉を記した「啓典」を持てないことは、アラブの人々にはコンプレックスになっていたようです。
交易する相手には、キリスト教徒もいれば、ユダヤ教徒も、拝火教徒も、エジプト人、ギリシャ人、シリア人、ペルシャ人、インド人、中国人などなど多種多様です。
ですから、アラブの同族の人間(=つまり、マホメット)が、「アッラー」からの啓示を受けたことは、アラブの人々を「啓典の民」の位置に引き揚げることになり、大いに盛り上がることになりました。
以後、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒は、「啓典の民」として、他の民族とは違うという決定的なプライドをもって生きることになり、功罪合い半ばする自己主張と不寛容さを見せる原因ともなっています。
さらに、イスラム教では、コーランの中に
アーダム(=アダム)以来輩出してきた預言者は、このマホメットが最後で、以後、預言者は出ない、イスラムはマホメットが完成した、という打ち止め宣言記述があります。これが、イスラム教徒に「宗教の完成した姿がイスラム教」だと確信させる根拠になっています。
これは、そのとき通信してきた「アッラー側」と「人間側」の都合というものでしょうから、そのまま鵜呑みにするのではなく、割り引いて聞いておきたいところですね。
この、兄弟民族のユダヤ教、キリスト教、イスラム教については別稿で取り上げます。
■マホメットの仕事
「アッラー」の名は、アラビア半島の聖地、メッカにあるカーバ神殿の中に多数祭られていた偶像神の中の最高神として、マホメット以前から伝統的に信仰されていました。
聖地巡礼も、カーバ神殿の周りを巡る巡回儀礼も、生け贄儀礼も、アラビア半島で行われていたものです。
とすると、マホメットが行ったことは何でしょうか? マホメットがいきなりゼロからイスラム教を作ったのではありません。
マホメットの業績は、
アラビア半島で行われてきた従来のアニミズム信仰、石とか、木とか、泉だとか、こういった超自然的な力を崇めるような、信仰としては初期段階に当るものや、辻占のようなもの、拝金主義などを否定したことだと言われます。
つまり、イスラムの人々の初期段階のアニミズム信仰の段階を一歩進化させたということです。一種の宗教改革のようなものに当ると思われます。
マホメットは、約800あったとされる偶像を拝む行為を、カーバ神殿から追放して、アッラーへの純粋な帰依を求めます。彼は、人々がさまざまな偶像に強欲な願掛けをするのを、本当の信仰ではないとして止めさせていきます。
滝、川、泉、木、石、動物などなどの自然物をみるとありがたくて、思わず手を合わせたくなるとか、この石には魔力が宿るというような、信仰の姿は、「信仰」の初期段階のもので、信仰形態としてはそんなに高度なものではないということですね。
こういったアニミズムは、ジャングルの部族社会などでは今でも一般に見られるものですが、その文明が高度化するに従い、変化していきます。
人々の成熟度、文明の成熟度に従って信仰形態も進化していき、人間の生きる規範=教えとして、「言葉=つまり、知性的に理解可能なもの」として「読める」ものになっていく流れがあります。
こうして、モハメット以後のイスラム教は、「アッラー」が肉体に宿ることのない存在なのだから、人間に似せた偶像に作ってはならないという、きわめてとんがった宗教として、拡がっていくことになったわけです。
ここから出てくる問題点は、第3部以降で取り上げます。