↓「*YOGYA滞在記-SENYUM-*vol.214」より
僕は仕事柄、タクシーに1日最低2回は乗る。単純に計算すると、週当たり最低15台、月で60台、年720台のタクシーに乗り、720人のインドネシア人タクシードライバーと、ひと時の時間を共有する。というわけで、最近、どうしてもタクシー運転手関連の話題をメールマガジンに採用することが多い傾向にあるのだけれど、720人の運転手には、720通りのストーリーが存在するわけで、今こうして文章を書いていても次から次へとあらゆるタクシー運転手の顔が浮かんでくる。まじめに黙って目的地まで運転する親父、行き先が分からない振りして遠回りしようとする親父、仕事に疲れて寝ぼけ眼で運転する親父、わきがをぷんぷんさせて客を窒息させる親父に、客のプライベートについての質問を飛ばしまくる親父・・・その中でも今日は、今月一番印象に残ったエクスプレスタクシー運転手の話について紹介していこうと思う。
白くて黄色いランプが目印のエクスプレスタクシーは、僕のお気に入り。接客態度はブルーバードより1ランク劣るし、わきが臭い運転手が多いのが難点だけれど、適度な車体のぼろさがインドネシアらしいし、きさくに客に話し掛けてくる典型的なジャワ人親父が多いのがお気に入りの理由だ。
この日、タムリン通りで拾ったエクスプレスタクシー親父もそんな典型的ジャワ人親父。ちょっぴり頼りなさげなくたびれ具合がいかにもジャワ人らしい親父は、案の定、僕が行き先を告げるなり、「あんた、何人かね」と話を振ってきた。「日本人」と答えると、やっぱり運転手は、日本製品の素晴らしさを韓国、中国製品と比較して褒め称える。僕が日本人であるからかもしれないけれど、タクシー運転手や庶民にとって、品質抜群の日本製品を通して、日本はいまだに夢の国に映り、日本と言う国に対する好感を示してくれる。この親父もそんな1人かと思ったら、「俺は10年前に日本人の個人運転手をしていた」と明かす。つまり、僕と言う日本人客を通して当時を思い出し、つい懐かしくなってしまうそんなタクシー運転手は意外に多いのだ。
だから、僕は数分間にわたって、前雇用主との思い出話を聞かされた。退職金代わりにベットと冷蔵庫を買ってもらい、今でも使っていることを話してくれた。ここまではいつもと同じ。けれど、この運転手は「10年経った今でも、日本に帰った●●さんは月に1回、電話して俺たち家族のことを気に掛けてくれているんだよ」「いつも元気でやっているか、仕事はうまくいっているか尋ねてくれるんだ」「●●さんが今度、インドネシアに来たら絶対、俺の家に泊まらせて、出来る限りの歓待をするんだ」「だから俺は日本人が好きなんだ」・・・そう笑顔で話す親父の話を聞いていて、元個人ドライバーで現タクシー運転手と日本に帰国した元駐在員が10年経っている今でも日イ交流を続けていることに、僕は日本人としてとてもうれしくなった。
その後も親父は、聞きもしないのに自らの家族構成を語り始めた・・・国軍兵士となって2年間、アチェで独立武装組織と戦っていた3人息子の自慢の長男が6月1日で帰ってくるのを楽しみにしていること、17で結婚してスラバヤ近くの田舎町から夫婦そろって上京し、運転手稼業をずっと続けていること、長男の結婚を楽しみにしていること・・・僕は、団塊の世代の今の日本の親父たちを想像してつい熱いものがこみ上げてきた。1日に帰る息子のお祝い金として、タクシーのお釣りの3000ルピア(約35円)を渡すと、運転手は感激して、「ありがとう」何度も僕の手を握り返した。
ジャカルタで駐在員として暮らした邦人の皆様は、日本に戻ってからもぜひ、●●さんのようにたまには元運転手の家に電話して、近況を尋ねてやって欲しい。運転手に限らず、メードさんやジャガさん(警備員)にとっては、それだけで良い思い出として長くその人の心に残るものだし、その話を聞いた現ジャカルタ在住邦人にとっても必ず良い印象として残るはずだ。金を貸すよう催促したり、なまけものだったり、いろんな運転手がいて信頼関係を築くのも難しい場合もあるけれど、僕の経験上、良い運転手だってごまんといるし、2,3日見ればその人の特性だって見抜けるはず。僕が今、雇っているメードさん(まじめで律儀)も、仮に日本に帰っってからでも連絡を取り続けて日イ交流を深めていきたいと思っているし、それが日イ交流の根本をなしていると信じている。