『メルマガ旅日記クラブ』Vol.225
目次:《 Hello World! 世界旅行 》 執筆者:加倉大輔
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成都へ向う列車の中、車内販売で買った味の薄いオレンジジュースを飲みながら、狭い通路の小さな椅子に腰掛けて本を読んでいた。ふとベッドに置いてあるクッキーのことを思い出し、半分飲みかけのジュースと本を通路のテーブルに置き、目の前のベッドのハシゴを登った。
中国の寝台列車にはベッドが3段もあり、一番下の段はベッドに腰掛けることもできるが、2段目は頭がつかえて座ることさえできない。3段目にいたっては天井に張り付いているようなもので、ベッド上の移動は戦場の歩兵気分で匍匐前身が基本。水を飲む時は寝たきり患者気分で上半身だけ起こし、水を口に流し込む。
中国の列車の切符というのは、毎日がプレミアチケットで入手困難。今回は運悪く2日後の3段目しか残っていなかった。
最上段のベッドを匍匐前身してクッキーを手に入れた僕は、そのままの姿勢で匍匐後進してハシゴまで戻り、通路のテーブルに目をやった。ジュースが無い。僕が匍匐前身、もしくは後進している間、半分飲みかけの味の薄いオレンジジュースは盗まれていた。
中国の列車では盗難が多いが、まさか飲みかけのジュースまで盗むとは…。3,500円の分厚くて小難しい本は無事だった。車内販売価格で5元 (75円) で購入し、半分残っていたので被害総額は2.5元 (35.25円) ということになる。
ジュース無しでクッキーだけ食べなくてはならない窮地に陥り、途方に暮れていると、一人の母親が赤ちゃんを抱えて通路を通り、トイレへ向って行った。赤ちゃんの下半身はすでに丸出しで両の足は大きく広げられており、トイレ以外に疑いの余地は無い。
列車のトイレは駅で停車中、鍵が掛けられ利用できない。なぜならトイレはダイレクト垂れ流し拡散システムなので、停車中は拡散機能が働かず、システム運営上の重大な問題が発生してしまうからだ。
通常、列車には若い女の子の乗務員が一車両に一人ずついて、停車中のトイレの施錠は彼女達の重要な任務のひとつになっている。列車はまだ動いていたが、駅に到着間近ですでに鍵がかけられていた。
赤ちゃんを抱えた母親が乗務員に向って、もう鍵をかけたのかと質問すると、うら若き女性乗務員は通路まで響く大声でこう訊き返した。
「小便か大便か?」
あぁなるほど、小便ならばダイレクト垂れ流し拡散システムの拡散機能が停止中でも、何とか対応できるということだろう。システムもダイレクトなら、質問もダイレクトだ。
乗務員は小便であることを確認すると、傍にあったゴミ箱の蓋を鷲掴みにしてガバッっと外し、もう一方の手の人差し指で、母親に「ここへ」と指示した。母親は無言のまま、当然の如く、赤ちゃんをゴミ箱の上で細かく揺すり小便をさせ始めた。
やはり拡散機能停止中のトイレの使用は危険すぎるのであろう、うら若き女性乗務員の機転を利かせた、落ち着いた対応に目を見張るばかりである。
母親のすぐ後ろでは、別の男が手を油まみれにしながら手羽先に噛り付いていた。そこへ荷物を抱えた3人の親子連れが現れ、小便親子と手羽先男に進路を阻まれて立往生。暫くの沈黙の後、小便が終わり、手羽先が骨だけになると、ようやく全員がその場からいなくなり、クッキーを手にして途方にくれる僕だけが通路にひとり残された。
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