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【ロンボク狂掲示板】

ロンボク好きの皆様の掲示板(含・インドネシア各地)です。初めてロンボクへ渡る方の質問も大歓迎ですよ…(^O^)…(2001年5月21日開設)





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★★★kirakiraコテージ「さんご礁にかこまれた白いビーチと太陽の光とともに刻々とブルーを変えていく澄んだ海。色とりどりの魚とたわむれたり、ハンモックに揺られながらお昼寝したり、そして夜には波の音をききながらまんてんの星空をながめて。。。そんな休日はいかがですか?」

※INDONESIA LINKに掲載させていただきました…2001-5/29

hori1624@hotmail.com


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[433]「ジルバブ」-------- hori - 2004年08月24日 (火) 07時51分 -

SENYUM222話より

 イスラム教徒の女性が頭を覆う「ジルバブ」。日本ではほとんど見られない代物だが、イスラム教徒が主流を占めるインドネシアではそこかしこにジルバブをつけた女性を見ることができる。むろん、ジルバブをしていないイスラム教徒の女性が割合的に多いのだけれど、最近、仕事で1年ぶりに待ち合わせをした女性がジルバブをつけて姿をあらわしたとき、僕はジルバブを被っていなかった1年前との印象がぜんぜん違うことに愕然とした。「ジルバブをつけるとつけないとではこうも違うのか」・・・1年前はいわゆる普通の服装をしていたキャリアウーマン風の彼女が今、ピンク色のジルバブに、ピンク色のイスラム服を着て「まじめなイスラム教徒」に変身して僕の前でにこにこしている。僕はどうしても、「なぜジルバブをつけたのか?」という質問をせずにはいられなかった。

 よくよく考えると、1日5回のお祈りのときは別として、子供のときから1日中ジルバブを被るインドネシア人女性を見るのは非常にまれだ(イスラム色が強いアチェ州を除く)。それが高校生辺りからジルバブをつける女性が目立ちはじめ、社会人になるころには(地域によってまちまちだけれど)かなりの数の女性がジルバブをつけるようになる。そんな話を彼女にぶつけると、「年が経つごとに、イスラムの教えに目覚めてきて、ある日、突然ジルバブをつけなくちゃって義務感に捕らわれたの」と話してくれた。つまり、中東のようにイスラムの戒律に厳しくないインドネシアでは、あらゆることに鷹揚なインドネシア的に「自ら
の意思」でジルバブを付けているのだろうか。言われてみれば、年に1回くらい、急にジルバブをつけた女性に出会い、びっくりしているような気がする。

 別の女性は、初めて彼氏ができたことを親に知られたとき、不順異性交遊を心配した親が強制的に純潔の証としてジルバブをつけるよう命じたのだという。「外ではいろいろ言われるから面倒なのだけれど、家の中では取っちゃうの」・・・そう言って僕の目の前でジルバブを取り始めた彼女の姿を見たとき、僕は見てはいけないものを見てしまったというか、妙な色っぽさを感じてどきどきしてしまったことを思い出す。「僕だけのためにジルバブを取ってくれる」・・・バカな男はそう考えてドキドキするのでした。

 そうかと思えば、大学留学時代の同級生は「ジルバブをつけたほうが、顔が小さく見えて、もてるから」と言っていた。本音かどうかは別として、確かに、ジルバブをつけるとつけないとでは、前述の通り、びっくりするほど印象が違う。ジルバブをつけても、てるてる坊主化して、まるっきり似合わない女性もいるけれど(その方が多いかも)、明らかにジルバブをつけたほうがかわいい「ジルバブ美人」も確かに存在する。こう言っては失礼なのだけれど、黒や茶、紺などの一般的で地味なジルバブをつけた女性がいる一方、花柄入りのピンクや水色のジルバブをつけた華やかな女性もいるわけで、ジルバブを付けたなりに男の視線を意識しているなと感じてしまう。現女性大統領のメガワティ(ちなみに似合いません)だって、ジルバブをつけたりつけなかったりしているわけですからね。だからジルバブを付けるのにこれといった特定の理由はなく、イスラム教へのまじめさを主体として、さまざまな理由でジルバブをつける、つけないのボーダーラインがあるような気がします。

 聞けば、スハルト政権時代、インドネシアのイスラム教徒の女性たちは、スハルト大統領(当時)からジルバブ着用を禁止するよう求められていたと言う。それでも一部の女性たちは着用をしつづけいたのだけれど、スハルト政権が崩壊して民主化を迎えた現在、イスラム女性たちは、大手を振ってジルバブを着用することができるようになった。やれ「イスラム着用率上昇=イスラム化=テロ」とか「ジルバブは女性差別の象徴」とかいう声が聞こえてくるけれど、僕は、ジルバブ着用率上昇が、あらゆることが少しずつ自由になってきたインドネシアの象徴として見えているような気がする。


[436]「飛んで火にいる夏の虫」-------- hori - 2004年08月31日 (火) 11時07分 -

「YOGYA滞在記 -SENYUM- vol.223」より

 海外に住んでいると、日本で当たり前であったことが全く通用しない場面に遭遇することがある。インドネシアに限って言えば、時間を守らないゴム時間、人前でゲップはOK、割り込み容認など、あらゆる文化の違いをSENYUMで紹介してきたけれど、今回はもう少しミクロな視点で日本で当たり前と思っていたこととインドネシアで初めて知ったことを紹介しよう。

 まず、インドネシア人は「ごきぶりホイホイ」を知らなかった。最近、我が家にゴキブリ(インドネシアのそれは日本のそれに比べてずいぶんと小さい)が大量発生したため、日本食スーパーでフマキラーの「ごきぶりホイホイ」を買ってきて、台所のあちこちに置いた。数年ぶりに鼻歌を歌いながらゴキブリホイホイを組み立てていることに気付いて、「そういえばインドネシアで見ないな」と、ゴキブリ退治は「ごきぶりホイホイ」で、という認識がいつも間にか身に付いている日本人感覚を改めて知ったのだけれど、そのときは大して気にも留めていなかった。

 3日後、帰宅すると、台所に設置したはずの5つのゴキブリホイホイがきれいさっぱりなくなっていた。不思議に思って翌日、メードさんに尋ねてみると「ゴミだと思って捨てた」と笑顔で答えた。僕は「アンチ・ゴキブリ・マシーンなんだよ。ゴ・キ・ブ・リ・ホ・イ・ホ・イ」と説明したのだけれど、「何それ?」と悪びれる様子もなく答えるメードさんを見て、これ以上説明することをやめた。インドネシアは蚊であれ、ゴキブリであれ、いかにも体に悪そうな強力殺虫剤を噴射して殺すのが一般的で、だれもゴキブリホイホイなんて知らないからだ。でもなぜ僕は、「ゴキブリホイホイを知らない人はない」という日本人的観念に捕らわれていたのだろう。きっと、日本でもおなじみの渦巻き型の蚊取り線香やハエ取り棒は広く普及しているから、無意識のうちにゴキブリホイホイも普及しているはずだと認識していたに違いない。殺虫剤といえば、机の上に砂糖菓子を置いておくといつのまにかできているアリの行列防止用に、床や机の脚に塗りたくる「殺虫チョーク」が普及しているし。ともかく、フマキラーさん、インドネシアにも小型のゴキブリはたくさんいるので、ゴキブリホイホイは売れると思いますよ。

 ゴキブリとともにうっとうしさでは蚊の次に位置するハエ。日本では、子供のころ、オレンジ色の粘着テープを天井から吊ったハエ取り紙が印象に残っているが、インドネシアでも前述の鳥もちを塗ったストローのような細い棒を何本も並べるハエ取り棒が普及している。棒に付いたハエが鳥もちから逃れようと必死にもがく姿は一緒なのだけれど、インドネシアではもう1つ、ハエ防止法があった。

 その方法は、ハエがわんさか集うワルンや屋台にいけば一目瞭然だ。特に、何種類もの大きな皿に盛られた料理を客が適当に選ぶパダン料理店がわかりやすい。お皿の周りに、所狭しと並ぶろうそく。テーブルに座っていざ食べようとすると、ハエがわんさかやってくる。と、そこにろうそくを持った店員が登場し、テーブルに置いていく。最初のころは、インドネシア式デコレーションかと思って「粋なことをするものだ」と感心していたのだけれど、どうやら違うらしい。その証拠にろうそくを立てて以降、ハエの来襲がめっきり少なくなった。多分、ろうそくの熱でハエを追いやるというインドネシア人が学んだ知恵なのだろう。「ろうそくにハエよけ効果」というインドネシア人の知恵を初めて知った僕は、ずいぶんと感心した・・・のだけれど、後日、そのことを同居人に話したら「日本人だって昔からろうそくでハエよけできることを知っていますよ。飛んで火にいる夏の虫ということわざがあるじゃないですか」と一笑に付された。皆様はろうそくにハエよけ効果があることを知っていましたか?それとも単なる僕の知識不足なのでしょうか?

 インドネシアに住んで5年。日本に住んでいるだけでは自覚できない日本人的感覚、インドネシア人をはじめとする東南アジアの生活の知恵をこのほかにもたくさん学んだように思う。結論はどこの国をとっても「生活の知恵はどこでも優劣つけがたし」。皆それぞれに良いところを持っているということ。むろん自国の文化をより深く学ぶ必要もありますが、海外に住めば住むほど、住んだ国が多くなればなるほど、自国だけの認識に捕らわれず、より広い視野で物事を見つめられるような気がする。


[463]「インドネシア人の記憶力」-------- hori - 2004年11月22日 (月) 10時01分 -

「*YOGYA滞在記 -SENYUM- *vol.232」より

 「インドネシア人男性とはすぐにTeman(友達)になれる」・・
・これは僕がインドネシアで学んだ経験則の1つ。人懐こそうな柔和な笑みを浮かべ、興味深げに近づいてくると、当たり前のように次から次へと質問を飛ばす。初めて会って会話を数分交わしただけにも関わらず、次回には「よく来たTeman」、インドネシア人の仲間には「俺のTemanだ」と紹介する・・・南カリマンタン州バンジャルマシンでの旅を終え、バンジャルマシン空港でチェックインをする僕に声を掛けてきた空港職員も、最初はこうしたインドネシア人男性特有の性質によるものだと思っていた。

 その空港職員は、チェックインを済ました僕に人懐こそうな柔和な笑みを向けて「マサト」と呼びかけてきた。「アパ・カバール(元気かい?)」・・・まるで僕を知っているかのような振る舞いに僕は少しだけたじろいだのだけれど、インドネシア特有のいつもの出来事だと認識して、「バイク(元気ですよ)」と笑顔で答えて、チェックインカウンターを後にした。「きっと見慣れない日本人と話したかったのだろう」・・・そう自分を納得させることにした。

 しかし、搭乗案内のアナウンスが流れ、飛行機へ向かうバスに乗り込もうとした僕にその空港職員は僕に近づいてきて再び話し掛けてきた。「僕は数年前、グンマでケンシュウセーとして働いていたことがあります。トチギにも行ったことがあります」・・・僕の出身地は栃木だから、当然僕が「僕は栃木の出身なんですよ」と答えたら、彼は「トチギであなたに会ったことがあります」と言った。その言葉を聞いたとたん、僕は忘れかけていた4年前の出来事が一挙に頭の中から噴き出してきた。

 僕は4年前、栃木インドネシア友好友の会という会の存在を知り、入会を希望するため、事務局長さんに連絡を取ったことがある。事務局長さんは快く私を自宅に招いてくれたうえ、栃木近郊に住むインドネシア人を招いた総会で留学体験記を発表してくれないかと提案してくれた。

 数日後、宇都宮市内の公民館で行われた総会には栃木、群馬、埼玉で働くインドネシア人研修生約20人と日本人会員が出席した。そこで僕は日本人の若者が見たジョグジャについて率直に意見を述べ、インドネシア人からもたくさんの質問を浴びた。総会終了後も事務局長さんの計らいで夕食会を開いて大いに盛り上がり、後日、そこで知り合ったジョグジャ出身の若者に会いに群馬県太田市にある彼の寮に遊びに行って、たくさんのインドネシア人男性たちと交流を持った。

 その栃木インドネシア友好友の会の総会に参加し、群馬の狭い寮の中で語り合ったインドネシア人の1人が、帰国後、バンジャルマシンの空港職員になったスベンドラさんだったのである。飛行機へ向かうバスにまで乗ってくれて、時間を惜しむかのようにたくさんの日本の思い出話をうれしそうに語るスベンドラさんを見ていて、僕は4年前に会った僕を覚えていてくれたことをうれしく思うと共に、インドネシア人の記憶力の良さ、ひいては自分自身の記憶力のなさを痛感することになった。

 スベンドラさんによると、日本で同じ職場で働いていたインドネシア人の仲間たちは年に1回ぐらいの割合で同窓会を開いて、日本での思い出や各自の近況などを語り合っているという。思えば、「大家族主義」(226号参照)のインドネシアは家族や友人とのつながりが深いからこそ、インドネシア人は日本人からしてみれば、オープンで人懐こい印象を受ける。だからなのかもしれないけれど、インドネシア人は、1度会った人間に対する記憶も薄れず、数年後に会っても覚えている場合が多い。こうした理由から、インドネシアで「偶然の出会い」に出くわすことがなんとなく多い気がするし、僕がレバラン休みでたまたま出かけたバンジャルマシンでのスベントラさんとの再会劇もその最も端的な例のような気がする。仕事に忙殺され、次から次へと情報が入っては消えていく日本で同様の事例があったとしても、再会する側もされる側も相手のことを覚えておらず、ただ通り過ぎてしまうのに違いないのだから。


[467]SENYUM235話「携帯電話紛失」-------- hori - 2004年12月15日 (水) 12時46分 -

「*YOGYA滞在記-SENYUM-vol.235」より

「水嶋さん、携帯電話をなくしていませんか?」・・・外での仕事を終えて事務所に戻った僕に後輩が声を掛けてきた。聞けば僕の携帯に何度電話を掛けても通じないらしい。そんなはずはないと思ってかばんを開けようとすると、チャックが見事に開いており、中にあった携帯電話が跡形もなくなっていた。雨期になったジャカルタの上空を覆う真っ黒な雨雲や雷鳴が、傘を持たない僕に事務所へ戻ることを急がせた。地面を激しく打ち付ける雨音が僕を走らせた。そして注意力散漫になった僕は携帯電話をなくし、言いようもない徒労感だけが僕の心に残った。

 ジャカルタやバリ島などに住んだことのあれば、携帯電話を紛失したことがある方もいると思う。インドネシアは、携帯電話を盗んでも足が付きにくく、中古携帯市場が大繁盛しているのが紛失の大きな要因だ。インドネシアの携帯電話の利用法は、テレコムセルなど携帯電話会社の電話番号のチップと、1枚10万、15万ルピアの通話料を示す13桁の番号が入ったプリペイドカードを購入するだけのプリペイド式。日本のように住所や名前を書いて登録する必要がないので、盗んだ携帯電話を売ってもまず足がつかない。それに、携帯電話が値崩れしにくく、新しい型であれば、新品価格の50−70%で引き取ってくれるから、携帯電話屋の軒先には、新品と同じくらいのスペースで購入先不明の中古携帯が並んでいるし、中古携帯に対する市民の抵抗も少ない。西ジャカルタ・ロキシマスの携帯専門デパートをうろつけば、容貌に似合わない高価な携帯電話を売りに来るチンピラ風の男たちの姿が見えるし、夜になれば、赤斧を持ち、人通りの乏しい大通りで信号待ちする運転手から携帯電話を強奪する赤斧強盗が出没する。こうしたチンピラ風の男たちに奪われた僕の携帯は、今ごろ何も知らないジャカルタ市民の手に収まっているのかと思うと、ますます自分のふがいなさに腹が立ってきた。
 どうせ戻ってくるはずはないので、最新携帯カタログを入手して帰宅すると、メードさんが1通の書置きを残していた。「マサトの携帯に電話したらバスキさん(仮名)という人が出て●●ビルの13階に働いているって言ってたわよ」・・・翌日、僕は半信半疑で●●ビルの13階に出向き、電話でアポイントメントを取った上で、バスキさんに会うことにした。

 ●●ビルの13階は、インドネシアの某大手企業のオフィスで、いわゆる富裕層に属するインドネシア人たちがネクタイを締めて忙しそうに働いていた。出てきたバスキさんは、今年の総選挙で汚職撲滅を訴えて第6党に躍進した急進派イスラム党「福祉正義党」前党首ヒダヤット・ヌルワヒッド氏そっくりの、あごにちょびひげをたくわえたいかにもまじめなイスラム教徒然としていて、見覚えのある青色のノキアの携帯を片手に持っていた。

 聞けば、僕の携帯は、●●ビルの玄関に落ちていて雨に打たれていたところをバスキさんが拾ってくれたらしい(つまり先を急いでいた僕がかばんから社員証をしまいこんでタクシーに乗る際にはずみで携帯を落としたのでした)。しかも、バスキさんは、信用ならない●●ビルの警備員や事務局に預けるのを避け、電話を掛けてくるであろう所有者からの連絡を待つことにし、一番最初に電話を掛けてきた僕のメードさんに連絡先を教えて、携帯の電源を切っていたという。さらに、僕が所有者であることを確認するため、バスキさんの携帯電話にかけた時に使った電話番号と、僕が伝えた僕の会社の電話番号が一致していることを確認していた念の入れようで、「君が携帯電話の所有者であることが判明したから返します」といって、笑顔で僕に携帯を渡してくれた。僕は、インドネシアではモノを盗まれたり落としたりしたら返ってこないという概念に凝り固まっていたことを恥じた。日本でも落ちていた財布を警察に届ける市民がいるように、インドネシアでも売却しても足がつきにくい落ちていた携帯を拾って返す市民がいたのだった。

 翌日、僕は改めてシュークリーム10個を抱えてバスキさんにお礼をしに行った。数時間後、「とてもおいしい日本のお菓子を同僚と楽しんで食べました。アラー(神)はすべてを知っているのです」と書かれたSMS(ショートメールサービス)が送られてきた。交通違反を見逃す代わりに10万ルピアを要求する警官、外国人と見ると執拗に賄賂をねだる出入国管理局職員、電車やバスに跋扈するスリ、借金をしても絶対に返さないインドネシア人がいる。けれど、アラーを信じ、誘惑に打ち勝つインドネシア人もいる。「アラーは何でも知っている」・・・戻ってきた携帯電話の液晶画面に映し出されたバスキさんの言葉が強く印象に残った1日だった。



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