↓SENYUM222話より
イスラム教徒の女性が頭を覆う「ジルバブ」。日本ではほとんど見られない代物だが、イスラム教徒が主流を占めるインドネシアではそこかしこにジルバブをつけた女性を見ることができる。むろん、ジルバブをしていないイスラム教徒の女性が割合的に多いのだけれど、最近、仕事で1年ぶりに待ち合わせをした女性がジルバブをつけて姿をあらわしたとき、僕はジルバブを被っていなかった1年前との印象がぜんぜん違うことに愕然とした。「ジルバブをつけるとつけないとではこうも違うのか」・・・1年前はいわゆる普通の服装をしていたキャリアウーマン風の彼女が今、ピンク色のジルバブに、ピンク色のイスラム服を着て「まじめなイスラム教徒」に変身して僕の前でにこにこしている。僕はどうしても、「なぜジルバブをつけたのか?」という質問をせずにはいられなかった。
よくよく考えると、1日5回のお祈りのときは別として、子供のときから1日中ジルバブを被るインドネシア人女性を見るのは非常にまれだ(イスラム色が強いアチェ州を除く)。それが高校生辺りからジルバブをつける女性が目立ちはじめ、社会人になるころには(地域によってまちまちだけれど)かなりの数の女性がジルバブをつけるようになる。そんな話を彼女にぶつけると、「年が経つごとに、イスラムの教えに目覚めてきて、ある日、突然ジルバブをつけなくちゃって義務感に捕らわれたの」と話してくれた。つまり、中東のようにイスラムの戒律に厳しくないインドネシアでは、あらゆることに鷹揚なインドネシア的に「自ら
の意思」でジルバブを付けているのだろうか。言われてみれば、年に1回くらい、急にジルバブをつけた女性に出会い、びっくりしているような気がする。
別の女性は、初めて彼氏ができたことを親に知られたとき、不順異性交遊を心配した親が強制的に純潔の証としてジルバブをつけるよう命じたのだという。「外ではいろいろ言われるから面倒なのだけれど、家の中では取っちゃうの」・・・そう言って僕の目の前でジルバブを取り始めた彼女の姿を見たとき、僕は見てはいけないものを見てしまったというか、妙な色っぽさを感じてどきどきしてしまったことを思い出す。「僕だけのためにジルバブを取ってくれる」・・・バカな男はそう考えてドキドキするのでした。
そうかと思えば、大学留学時代の同級生は「ジルバブをつけたほうが、顔が小さく見えて、もてるから」と言っていた。本音かどうかは別として、確かに、ジルバブをつけるとつけないとでは、前述の通り、びっくりするほど印象が違う。ジルバブをつけても、てるてる坊主化して、まるっきり似合わない女性もいるけれど(その方が多いかも)、明らかにジルバブをつけたほうがかわいい「ジルバブ美人」も確かに存在する。こう言っては失礼なのだけれど、黒や茶、紺などの一般的で地味なジルバブをつけた女性がいる一方、花柄入りのピンクや水色のジルバブをつけた華やかな女性もいるわけで、ジルバブを付けたなりに男の視線を意識しているなと感じてしまう。現女性大統領のメガワティ(ちなみに似合いません)だって、ジルバブをつけたりつけなかったりしているわけですからね。だからジルバブを付けるのにこれといった特定の理由はなく、イスラム教へのまじめさを主体として、さまざまな理由でジルバブをつける、つけないのボーダーラインがあるような気がします。
聞けば、スハルト政権時代、インドネシアのイスラム教徒の女性たちは、スハルト大統領(当時)からジルバブ着用を禁止するよう求められていたと言う。それでも一部の女性たちは着用をしつづけいたのだけれど、スハルト政権が崩壊して民主化を迎えた現在、イスラム女性たちは、大手を振ってジルバブを着用することができるようになった。やれ「イスラム着用率上昇=イスラム化=テロ」とか「ジルバブは女性差別の象徴」とかいう声が聞こえてくるけれど、僕は、ジルバブ着用率上昇が、あらゆることが少しずつ自由になってきたインドネシアの象徴として見えているような気がする。