↓じゃかるた新聞8/24より
サバンからメラウケまで東西五千キロ。この壮大な領土をスクーターで横断する計画を、二人の孫を持つ主婦、ミミン・ウィリヤナさん(五〇)がこのほど、達成した。「旅を通じて祖国インドネシアへの理解が深まった」というミミンさん。その活躍はマスコミを通じて多くの人の知るところになった。大統領宮殿で行われた独立記念日の記念式典に出席するため、ジャカルタを訪れていたミミンさんに冒険の感想を聞いた。
「大好きなバイクで何かしてみたかったし、女には男のするような冒険は無理という考えをくつがえしたかった」と故郷の西ジャワ州タシクマラヤを出発したのは今年一月二十六日。
昨年、日本製バイクでジャワ島を一周したミミンさんは、タシクマラヤではちょっとした有名人。出発日には市長や地元のバイク仲間、地域住民など百人以上がミミンさんを送り出した。
まず向かったのは、インドネシアの西端アチェ特別州サバン。「紛争地帯ということはもちろん知っていました。だからこそ行って、自分の目で何が起きているのか見てみたかったのです」。ミミンさんが一九八三年に買った中古のベスパには「Road To Peace」と書かれている。
■アチェを前に立ち往生
タシクマラヤからジャワ島を西進、スマトラ島へ渡った。以前、ミミンさんも加わっていたベスパ愛好会のメンバーなどバイク仲間が各地で歓迎してくれ、ミミンさんは「食べるものも寝る場所も心配ありませんでした」と絆(きずな)の強さを誇らしげに話した。
こうして、アチェ特別州の州境付近に到達したのが三月中旬。しかし、これまで順調だった旅は一転、国軍の入境拒否により、立ち往生を余儀なくされた。
当時、アチェ特別州は非常事態宣言下とはいえ、インドネシア人なら入境は法律上何の問題もないはず。だが、「メディアなどにも注目され始めていたので国軍が警戒したのでしょう」とミミンさん。
ミミンさんは現地の仲間と何度も国軍に掛け合い、政治的目的が無いことを繰り返し説明、二週間かかって入境を認めさせた。そして、国軍が監視する中、四月四日、ようやくサバンに到達した。
■メラウケを目指す
国軍の目を気にしつつも、なるべく住民と会話をするよう努めたというミミンさん。「何気ない会話の端々に、アチェの人たちが平和を望んでいることを感じました」。アチェはこの旅で最も印象深い地だったという。
続いてサバンを出発、インドネシアのはるか東端のパプア州メラウケを目指した。スマトラ島を南下、ジャワ島へ戻り、東ジャワ州スラバヤへ。国内一周の意味を込め、いったんフェリーでカリマンタン島のバリックパパンへ渡った。
■旅のペースが低下
「バリックパパンからバンジャルマシンに向かう道が七キロに渡って水没していて、ほとんどバイクを押して歩きました。水の深い場所では仲間の力を借り、バイクを担いだ所さえあります」
次は東隣のスラウェシ島マカッサル。マカッサル港から再び、フェリーでパプア州州都ジャヤプラへ渡った。
メラウケまでは、山岳地帯を避けてパプアの大地を東へ進んだ。路面は悪く、ミミンさんも疲労のピークに達しており、旅のペースは極度に低下した。
■その夜、泣いた
それでも、六月二十日、ついにインドネシアの東端メラウケに到達した。先回りしていた親戚やバイク仲間が出迎えてくれた。
「ゴールした瞬間は『やっと終わった』というだけで、特に何の感慨も無かったのですが、その夜、ベッドに入ったあたりで、急に旅の間の思い出や世話になった仲間の顔が浮かび、涙が出てきました」
■だれもが平和を願う
夫と十五歳の末娘が待つタシクマラヤに戻ったミミンさんは、家事をこなしながらツーリングを楽しむという生活に戻った。
「今回の旅で自分の祖国に対する認識が深まったような気がします。地域によって風景や人々の顔立ちも大きく違うけれど、みな平和に暮らしていきたいと願っていることがよく分かりました」
「次は世界一周ですか」と水を向けると、笑って首を振った。
「もういいです、当分の間は」

旅の相棒、ベスパとミミンさん