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【ロンボク狂掲示板】

ロンボク好きの皆様の掲示板(含・インドネシア各地)です。初めてロンボクへ渡る方の質問も大歓迎ですよ…(^O^)…(2001年5月21日開設)





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★★★kirakiraコテージ「さんご礁にかこまれた白いビーチと太陽の光とともに刻々とブルーを変えていく澄んだ海。色とりどりの魚とたわむれたり、ハンモックに揺られながらお昼寝したり、そして夜には波の音をききながらまんてんの星空をながめて。。。そんな休日はいかがですか?」

※INDONESIA LINKに掲載させていただきました…2001-5/29

hori1624@hotmail.com


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[457]★インドネシアで謎の病気、村民の7割が頭痛やしびれ-------- hori - 2004年11月05日 (金) 10時32分 -

 インドネシアのスラウェシ島北部に位置するブイヤット湾の漁村「ブイヤット・パンテ」で、住民らが腫瘤(しゅりゅう)や発疹(はっしん)、手足のしびれなどの「謎の疾病」に悩まされている。村の近くでは、米国系鉱山会社「ニューモント・ミナハサ・ラヤ」が1996年から金の採鉱・精錬を行っており、地元メディアや民間活動団体は、「湾内に投棄された鉱滓(こうさい)に含まれる有機水銀などを原因とする、インドネシア版『水俣病』だ」と主張。警察が環境保護法違反の容疑で米国人を含む同社幹部5人を逮捕する事態に発展した。

 長さ約5キロの海岸線が半円形に延びるブイヤット湾。小型の漁船が並ぶ砂浜には、漁村に特有の「魚のにおい」がない。目の前の湾が"死の海"と化しつつあるためだ。

 漁師の1人と小舟に乗り込み、湾の入り口近くで釣り糸をたらした。数分後、漁師が釣り上げた長さ約15センチの魚の両腹には、大きなこぶがあった。こぶを切開すると、中からヘドロのようなどす黒い液体が流れ出した。「食べられるのか」と聞くと、「とんでもない」と首を振った。

 ブイヤット湾はかつて、手づかみで魚が取れる豊かな漁場だった。しかし住民は、「ニューモント社が来てから魚の姿が消えた」と言う。同社は、金の採鉱・精錬で生じた土砂や鉱滓(1日あたり2000トン余)を、湾内の海岸から1キロ、深さ80メートルの海底までパイプで運び、捨てていた。

 「死の影」は、住民にも忍び寄った。村では約3年前から大人4人が一様に「胸が熱い」と訴え、相次ぎ死亡した。全村民約300人のうち7割が腫瘤や頭痛など何らかの身体の異常を訴えている。

 13歳から漁師をしているバスリー氏(32)も、妻とともに2年前から慢性頭痛に見舞われ続けている。2人の子供にもこぶと発疹が出た。漁に出ても、以前は1日に10万ルピア(1200円)は稼げたのが、今や湾外まで出て何とか魚を取っても、市場では「ブイヤット産だろ」と言われて買いたたかれ、1日2000ルピア(24円)にもならないという。

 問題は、病気の原因を特定するため、複数の専門家が湾内の汚染状況や住民の健康状態を調べても見解が全く一致せず、住民救済に向けた方策が打ち出せないでいることだ。

 警察が今年9月に入り、ニューモント社幹部の逮捕に踏み切ったのは、独自の環境検査の結果に基づいた措置だった。インドネシア大の環境安全・リスク分析センターが今年7月に発表した住民の血液検査でも、通常値を超える水銀が検出された。

 しかし、世界保健機関(WHO)の委託を受けた国立水俣病総合研究センターの坂本峰至室長は住民の毛髪を調べ、「同湾で水銀汚染はない。住民は水俣病ではない」と断定した。

 ニューモント社は「採鉱は2001年に終了済み。今月には精錬など全操業を停止した。環境対策にも配慮してきた。村民の病気は、栄養不良や不衛生が原因だろう」と主張。テレビで「ブイヤット湾は安全」とする意見広告を大量に流し始めている。

読売新聞ー10/31より


[458]★村から消える若者たち:過激思想で自己証明-------- hori - 2004年11月06日 (土) 13時03分 -

↓(じゃかるた新聞)2004年11月4日より

テロリストの系譜(上)

 爆弾テロが後を絶たない。インドネシアではスハルト政権崩壊後、各地で小規模の爆弾事件が頻発したが、二〇〇二年十月のバリ島爆弾テロ事件以降、大規模な殺傷を目的とする自爆テロに変質した。今年九月には豪州大使館爆弾テロが発生、警察は東南アジアの地下組織ジュマ・イスラミア(JI)の犯行と断定し捜査を進めているが、自爆テロ要員のリクルートはいまも続けているとみられる。JIとは何か。識者や関係者の話からテロリストの系譜を探る。

 西ジャワ州スカブミ県クボンペデス郡クボンペデス村。首都ジャカルタから約八十キロ南東にある村は、田んぼのすき間で民家が肩を寄せ合うように密集した、ジャワの典型的な農村だった。
 今年九月九日午前十時半、爆弾を積んだ軽トラックに乗り、南ジャカルタ・クニンガンの豪州大使館前で自爆したヘリ・ゴルン(三〇)はこの村で生まれ育った。
 事件後、クボンペデス村に住むゴルンの父ディディン・ライディンさん(四九)と母アナ・ハサナさん(四二)を訪ねた。古びた家屋の居間には、何度も新聞に掲載されたゴルンの顔写真が掛けられていた。

■「息子の遺体を返して」

 ゴルンは地元のイスラム系中学卒業後、ボゴールのガラス工場に一時就職した。結婚したがすぐに離婚。バタム島の建設労働に半年間従事するなど、転職を繰り返した。
 一九九五年、村に戻り再婚したが、ゴルンは一年ほど前から過激な思想を口にし始めた。ディディンさんは回想する。
 「ある日、『イスラム教徒の国であれば、イスラム法(シャリア)を施行すれば良い。パンチャシラ(国家五原則)は、何のためにあるのか』と息子に聞かれた。ただ驚くばかりで答えを返せなかった」
 そして今年五月、「何か過ちがあれば、心からお詫びしたい」という手紙を残し、ゴルンは姿を消した。その直前に所有する木を売却し、借金をすべて返済している。ディディンさんは「息子が当時、村に戻る遺志がなかったことに父として気付くべきだった」と唇をかむ。
 事件後の連日の取り調べ、遺体のDNA鑑定のための血液採取、マスコミの対応に追われ、憔悴したアナさんは「警察が保管している息子の遺体の一部でも返してほしい」と涙をにじませる。

■元活動家の説教に影響

 クボンペデス村の一つの変化は、一九九八年、アミン(四九)という説教師が移り住んできたことにある。
 アミン師は語る。
 「ゴルンは私の説教を熱心に聴講する住民の一人だった。私は過去十年ほど、ダルル・イスラム(DI)運動に参加したことがあるが、ゴルンは当時の話を熱心に聞きたがった」
 DIは、五〇年代に国内で隆盛したイスラム国家建設運動。西ジャワはカルトスウィルヨという指導者の下、激しい蜂起があった。運動は六〇年代前半に鎮圧されたが、アミン師のような思想的継承者はジャワ各地に散在する。
 アミン師はまた、JIの精神的指導者とされるアブ・バカル・バアシル師と二〇〇〇年にジョクジャカルタで会ったこと、JI軍事指導者のハンバリ(米当局が拘束中)はチアンジュールの同胞で、古くから面識があることを認めた。
 自爆テロ犯ゴルン、イスラム国家建設運動、JIを結ぶ点と線が、一人の説教師を通じて浮かび上がる。

■6人が今も行方不明

 アミン師は警察の調べに対して、JIとの関係は一貫して否定している。
 しかし、転職を繰り返し、恐らく社会に対して大きな失意を感じたゴルンが、アミン師の説教を通じ、過激思想に自己の存在価値を見出したことは間違いない。
 警察の捜査によると、ゴルンと同時期、他に六人がクボンペデス村から姿を消し、ロイスというJI幹部(いずれも指名手配中)に率いられジャワに潜伏している。ゴルンは六人と親しく、グループの一員だった可能性が高い。
 この六人の中から、いつ第二のゴルンが生まれるのか。さらに言えば、イスラム国家建設運動という歴史的背景がある西ジャワで、失業にあえぐ無数の若者がいる限り、「ゴルン」は永遠に存在し続けるのではないか。


[459]TKI(インドネシア人労働者)* 外国で働くインドネシア人の実態-------- ホリ - 2004年11月11日 (木) 11時03分 -

「バリ島で想う Ryoさん一家の日常の話」チャンプル便り66

「バリブックツリー」より

ここ数日、テレビや新聞でTKIが騒がしい。TKI とは、TENAGA KERJA   INDONESIA という3つの単語から成るそれぞれの頭文字を使った省略形 だ。TENAGA は力、 KERJA は労働、という意味で、右から左へ意訳すると、表題の通り『インドネシア人労働者』となる。じゃぁ、その何が一体騒がしいのか?

11月3日付けのバリポスト10ページに、『バリ人は外国でお手伝いさんになることが禁止に!』という見出しが躍っていた。一体なんのこっちゃ!?  と思われる方も多いだろうが、ここインドネシアでは、隣国のシンガポールやマレーシア、さらにはサウジアラビアなど中東アジアの富豪国へ出稼ぎに行く人たちが非常に 多い。その理由のいくつかは、"自国では仕事が見付からない"、"かの地では学歴が必要とされない"といったものだ。

さらに突っ込むと、このTKIには2つのカテゴリーが存在する。正式に外国の企業に勤める場合と、外国のお金持ちの家で『お手伝いさん』や『ベビーシッター』 になる場合だ。現在騒がれているのは、後者の非フォーマルTKIの問題だ。

騒がれているその理由は、1.働き先で殴られたり、蹴られたりと、人間として 扱われない。2.働き先の主人にレイプされる。3.働き先で殺されて消息不明となる。などがその筆頭にあがる。他にも、非フォーマル職種の場合は斡旋業者が応募者から経費及び手続き費などをもらうとトンズラするとか、同じく非フォーマルの場合は不法入国者が大勢いるとかいったものだ。

ただこういった問題は今に始まったわけではなく、昔から毎年のようにビッグニュースになっていたが、その対策が練られたことはなかったようだ。そして満を持したかのように、バリ州労働局の偉い人が、上述の『バリ人は外国でお手伝いさんになることが禁止に!』といった御触れを出したのだ。

でもここでさびしく思う点がいくつかある。それは、『求職者』と『斡旋業者』 と『政府』の三角関係だ。『政府』は以前から、非フォーマルTKIが外国で肉体的にも精神的にも虐待されてきた歴史をしっかりと認識しており、非合法な斡旋業者がいることも知っていた。それなのに、これまでまったくと言っていいほどアクションを起こすことはなかった。一方、『斡旋業者』はもうやり放題だ。合法なものはもちろんのこと、非合法なものなどは、これまでとんでもない利益をあげてきていて、さらにはまったく責任を負うことはなかった。簡単に言えば、非合法な斡旋業者があってこその政府でもあったのだ。

さらに、私を一番さびしくさせるのが『求職者』だ。酷い目に逢う可能性が高いと知っていながら、知り合いのまったくいない外国でお手伝いやベビーシッターになるなんて……。
しかも、それが独身女性とくればなおさらだ。

でもこれがこの国の、この島の現実である。世界的な観光地として賑わうバリ島だが、"明暗の分かれ方"は強烈だ。見た目派手なバリ人が多い中、命の危険を冒しながら海外へ職探しに行く人たちもまだまだいるのである。個人的には、香港の"混沌"に似た何かを感じてしまうのだが、バリ島には、"平均"や"平等"なんて言葉はなく、すべてにおいてとてつもない差を広げた右と左があり、上と下があり、陽と陰がある。

ちなみに、危険のそれほどない、『長期航海をする外国籍クルーズ船』や『ジパング日本』へ夢をかける若者(合法、非合法)は、多額の前金を払ってでもその夢に到達しようと必死になっているのである。
これがバリ島経済の本当の姿だと思う。


[460]★「虐殺の地」?-------- hori - 2004年11月12日 (金) 08時43分 -

太平洋戦争中にインドネシア・スマトラ島のブキティンギに旧日本陸軍第二十五軍が築造した防空壕で日本側が現地人の労務者三千人を虐殺したとする誤った歴史を観光ガイドが説明していることが分かった。
戦友会などは「虐殺は史実に反する」と当時の事情を各国語で記した小冊子を編集、現地で無料配布する。

 防空壕は、プキティンギ市内の断層を利用して築造され、塹壕内から断崖に向けて複数の穴がある。これが「インドネシア人労務者を殺害、放棄に使った穴」とされ、一九八七年にインドネシア政府などが防空壕跡を整備して国立公園に指定した際、「統剣を手にした日本兵に殴打されながらかりだされた労務者」を描いた巨大なレリーフを壕入り口に設置。日本国内でも観光案内や論文で取り上げられた。

 これに疑問を抱いたジャーナリスト、・加藤裕氏らが旧日本軍関係者などから「史実と異なる」との証言を得て、インドネシア政府に報告。インドネシア側も間違いを認め、レリーフは九七年に撤去されたが、その後も現地ではガイドが「虐殺の地」と説明しているとの指摘があった。

 このため、加藤氏や第二十五軍司令部戦友会有志が中心になって小冊子「スマトラ・プキティンギ第二十五軍防空壕築造由来概略」を作製。防空壕の設計築造、監督に当たった元陸軍主計大尉、本庄弘直氏の「現地労働者には日当も支払い、虐殺はおろか負傷者も出ていない」との証言をインドネシア語、英語、日本語で紹介している。

 加藤氏らは「正しい歴史を伝え、両国の友好促進に役立てたい」として現地配布への協力を求めている。

産経新聞朝刊より



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