[322] デイジーネタバレトーク |
- ユニ - 2006年06月02日 (金) 10時00分
「デイジー」をご覧になった方はたくさんおられると思いますが、なかなか別館に新しい記事がアップされないのは、みなさん、余韻にひたっていて、感情を言葉にできないといったところでしょうか?わかります、わかります。とりあえず、私、心もとない文章ですが、公開後の最初のネタバレトークをしたいと思います。
実は、みなさんにお叱りを受けるかもしれないのですが、ウソンさんの待ちに待った新作とあって、期待も大きい反面、映画の公開前から、ずいぶんといろいろなところからだいたいのストーリーをつかんでしまっていたような気がしたので、刑事とキラーと純真な女性の三角関係という古典的とも言えるお話を映像で見て、がっかりすることはないかしら、と少々心配もしていたのです。ところが・・・・しょっぱなからやられてしまいました。まずはヘヨンのモノローグから始まり、三人の主人公が次々とバトンタッチするように、その思いと記憶を観客に語りかける手法で、私たちは彼らの経験した過去と現在の時間軸を行きつ戻りつさせられますね。パクウィのモノローグが終わるまで、私は自分が息をしているのも忘れるほど、この三人の出会いを追体験してしまった気分でした。しかも、ウソンさんはなかなか出てこないでしょ。いつ出てくるのって、期待は高まるばかりだし。アンディ・ラウ監督恐るべし。こんな見せ方があるんだーと恐れ入ってしまいました。このあたりが、おすぎさんが「羅生門」のようだとおっしゃっていた所以なのだと納得しました。 そして、この三人の時間が一瞬にして一つになるシーンがありましたね。パクウィとヘヨンが一緒にいるところに、ジョンウがやってくるシーンです。画面の3つ切りって始めて見ましたよ私。この三人三様の緊張感。ウソンファンにとっては最も切ないシーンの一つでもありましたよね。
私は、この一週間で、もう3回この映画をみてしまったのですが、一回目見ていた最中は、パクウィがヘヨンを見守るためにアパートを借りて、少々ストーカーまがいの行動をしたり、その後、ヘヨンの前に姿を現してからは、そのあまりの献身ぶり、特に彼のボートハウスに彼女を招待した時のドギマギぶりには、少々違和感を持って見ていたのですよね。そういう方はいなかったでしょうか。私はウソンファンになったきっかけが、「MUSA」だったので、どこかでヨソルっぽさをウソンさんに求めていたのだと思います。ヨソルがそんなことしないでーとかって(どうぞ、笑わないでください)。でも、これに関しては、見終わったときに、これがパクウィという人物なのだと納得できました。愛する人の前では、初めて恋をする15歳の少年のような人なのだと。2回目からは、パクウィが遠くに居るヘヨンを見ながら、一緒にお茶を飲むシーンもほほえましく思えました。よかったね、パクウィって。 でも、見ている最中は、だいだいなんで、純愛ものの映画なんか100回も見てるんだいって感じで思ってたわけです。それが終盤になって充分すぎるほど意味のあるものであるとわかった時、広場に駆けつけたヘヨンの必死の叫びを読み取るパクウィの表情を見たとき、監督さんはこのシーンを撮りたいために、パクウィに映画を見させていたのねーと、またまたやられてしまいました。 そして最後雨宿りのシーンで、こういう終わり方をするのかーって、監督はまたまた私たちを過去に連れ戻して、こんな悲しいお話の後で、幸せな3人の顔を最後に見せしまうのねーって。これが一番やられちゃったところでしょうね。「イルマーレ」なら、やり直しができたのにね。 ほんとうは、もっともっと書きたいことあるんですが、どのウソンさんがかっこよかったとか、やきもちを焼くパクウィのことも、ジョンウのことも、パクウィとボスの対決はどうなったのかとか、音楽最高とか、でもなにしろ長くなったので、これでとりあえず、やめておきます。みなさんの感想も教えてくださいね。
私は、気になるシーンがまだまだあって、いろいろ確認するために、まだまだこの映画を見に行くことになるようです。
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