「気」っていうのは生き続けるんだと思う。
例えば私は歌詞に繋がりそうな言葉が浮かぶと携帯にサッサか書き留める。2・3日前にすんごく疲れてて、晩ご飯は帰宅途中のファミレスで食べた後。なんだか疲れてんのにスラスラ言葉だけじゃなくて歌詞に繋がっていく。妙に思いつつも携帯に言葉を書とめ、ふと気が付くとBGMが耳に入ってきた。「それでかぁ。この音・・・」って事で、多分スーパーで流れるような感じのそのインスト曲のギターには確かに聴き覚えのある聴感がしたのだった。スーパーで聴いた事があるからでなく、その聴感のギターがあったから歌詞がサクサク生まれたんだと思う。
関連して思い出したのはいつかの夏の日。どんとさんのお手製漫画を買おうかと手にする直前「この人どんとと同じ」という言葉が頭に響いた。この言葉の「この人」ってのは誰の事だかわかんないんだけれど、私が感じた事実としてその言葉は確かに頭に響いた。私はそういう事は頻繁にあるので(某百貨店で「この人シャネル」という言葉が響いたりね、笑)ただの出来事として意味も求めず、販売員さんに声をかけ、漫画を手に取り中身をハラハラとめくろうとした瞬間。漫画から私の手をビリビリと電気が走ったかと思うような感触があり、目から涙がボロボロと零れ落ちてくる。そのまま漫画に触れていると号泣しそうな気配がしたので、中身もろくすっぽ確認せず、慌てて漫画は戻した。溢れていた涙はしばらくして止まったけれど、当然漫画は買えなかった。どんとさんの気は今もそこにしっかりと宿ってるんじゃなかろうか。