ゴッホの作品が好きだという日本人は多いけれど、あれほど力のある作品を作成できた彼が一生涯不遇であった事実について思いを馳せる人は一体どれ程いるのだろうか。
ある種のパワーを持つ絵画や音楽などの表現、パフォーマンスを芸術と呼ぶのだと思う。作成する側は、制作物に対して個人的評価能力も大概あるから、ある一定レベルに達したと判断した段階で考察および作成を打切り、キリをつけた作品を発表をするんだが、発表する時点で制作者は、あくまでもパフォーマンスするだけであって、それを芸術か否か判断するのは他者だ。
それらは、例えばご飯だとか衣類だとか雨風をしのぐ建物だとかみたく、生きる上で即物的に必要でないようではあるが、時に即物的なものよりも生きるエネルギーを与えてくれる。
作られた評価や、操作された評価や結果、そして情などに惑わされず、本当のエネルギーを自分で感じて、自分で判断して、自分の表現へと繋げていきたい。