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大同所属通信士動静メモ |
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From:菊池金雄 [/]
(菊池の古手帳から抽出:船名は昭和24年現在)
氏 名 船名 生年/卒年/再入学/乗船歴/転職・退職後の動静等 高梨正夫 広久 M32/T9 竹中英夫 洋瑞 M37/T15 久木原道信 高栄 M38/S2 定年退職後、鹿児島県指宿市で電器店経営 林銀次郎 高和 M38/S2 定年退職後、神戸市で大日海運蒲p船舶無線部品納入店経営。ジャパンライン時代、天日丸戦没手記寄稿。 西山勇夫 崋山 M43/S6 高和丸・・・ 渡辺政治 高和 T2/S11 相良信夫 雄山 T8/S16 高瑞〜陸軍応召〜復員〜ジャパンライン〜退職(軍隊時代のユニークなエッセイあり) 小沢國男 LST T12/S16 恵昭S18 3 23下船(徴兵検査)S18 5 29〜19 2 29順豊丸 .陸軍応召(サイパン、ラバウル方面従軍)〜復職後、国警に転職 田中茂雄 予備員 /S16 田中秀夫 正和 /S19 徳永康雄 大宙 /S19 高和丸・・・・・ 山口直俊 春日〜向日 他科から通信士に転科 長島保令 大宙・・ /S16〜白日〜高栄〜陸勤後、横浜で海事事務所経営 染谷美雄 ・在学 /S24 高和丸 西 春男 V208〜高和 /S19 川畑博重 高栄 / 船越 茂 向日 /S19 佐藤弥三郎 CMMC 川原 燦 高栄〜在学 木谷茂雄 洋瑞 /S19 景浦正人 大天 /S19 在学/S26 別高三 S27海保に転職 新井和夫 崋山〜高東? 土田利八 辰桂 ・・・ 松尾照弥 広道 小野 明 大天・・・太洋海運に移籍 乗船歴 春天 向日三席 谷津市之助 CMMC・・乗船歴S19/5 2ET昭豊(スルー海で爆沈)次席 S20大天局長 フリーで各船社船勤務後定年 目下福島県で健在 林 亦雄 光輝 田中友吉 高昌 馬渕郁次郎 高昌 ・・・S19/9 一高1 吉崎四郎 高明 久保禎三 高栄 ・・・S18/4 第二本科 和泉光雄 大天 ・・・S20/3 一高3・定年退職後「世界の地名・その由来 (アジア篇)」を講談社出版サービスセンターから刊行。 青木 孝 大天 石井一夫 大宙 ・・・ 瀬川 毅・・・・・・・・S20 一普6 藤下俊夫 菊池金雄 大日 T9・S26海保に転職。S56退職 H14戦時体験記「硝煙の海」を武蔵野文学舎から自費出版(目下絶版。全文をホームページで公開、続報追加中) 計37名 備考 太洋海運 無線監督 安部宗匡(戦後;国警通信部長) 大同海運 無線監督 柳瀬 務(戦後;神戸で甲南無線経営) 戦没者 景浦敏三(享年27)神戸市自宅待機中、S20年5月の空襲で防空壕に避難したが直撃弾のため新妻(享年23)ともども戦没された由。私は偶然空爆直前に彼宅を訪問後、向日丸に乗船した。 小川肇 S17年選課卒 S20年5月向日丸次席 乗船中に発病。ソ連参戦下本船での空爆回避のため彼を羅津満鉄病院に緊急入院させた。 駄目かと思った向日丸がソ連雷撃機の追撃を辛うじて逃れ、舞鶴に無事帰還。同年11月久木原局長と交代後、栃木県小山に疎開中の留守宅を訪ね妹さんに当時の状況を詳しくご報告するも慙愧に堪えないものがあった。事後、S20年8月10日同病院で病没と確認され、彼の処遇について自責の念大なるものがある。事後、毎年五月の戦没、殉職船員慰霊祭に参加してご冥福祈念につとめ、一方御遺族の消息を追跡したが会社が合併しため手懸かりが得られなかった。 小川肇次席欠員時、向日丸に陸軍通信連絡将校として派遣されていた那和正夫陸軍少尉(S19年無線講一普卒)が自ら代理次席ワッチに従事した友情を深謝したい。
2018年05月18日 (金) 16時43分
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