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「硝煙の海」談話室

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[1101] 日本商船 船名考 大同海運の部
From:菊池金雄 [/]

http://www.geocities.jp/ken_kikuchi3/kaneojp/03/0325.html

2018年05月19日 (土) 06時13分


[1100] 大同所属通信士動静メモ
From:菊池金雄 [/]

(菊池の古手帳から抽出:船名は昭和24年現在)

氏  名  船名 生年/卒年/再入学/乗船歴/転職・退職後の動静等
高梨正夫  広久  M32/T9  
竹中英夫  洋瑞  M37/T15  
久木原道信 高栄  M38/S2     定年退職後、鹿児島県指宿市で電器店経営
林銀次郎  高和  M38/S2     定年退職後、神戸市で大日海運蒲p船舶無線部品納入店経営。ジャパンライン時代、天日丸戦没手記寄稿。
西山勇夫  崋山  M43/S6  高和丸・・・
渡辺政治  高和  T2/S11 
相良信夫  雄山  T8/S16 高瑞〜陸軍応召〜復員〜ジャパンライン〜退職(軍隊時代のユニークなエッセイあり)
小沢國男  LST  T12/S16 恵昭S18 3 23下船(徴兵検査)S18 5 29〜19 2 29順豊丸 .陸軍応召(サイパン、ラバウル方面従軍)〜復職後、国警に転職
田中茂雄  予備員 /S16
田中秀夫  正和 /S19
徳永康雄  大宙 /S19  高和丸・・・・・
山口直俊  春日〜向日 他科から通信士に転科
長島保令  大宙・・  /S16〜白日〜高栄〜陸勤後、横浜で海事事務所経営
染谷美雄 ・在学  /S24 高和丸
西 春男 V208〜高和 /S19
川畑博重  高栄 /
船越 茂  向日 /S19
佐藤弥三郎 CMMC
川原 燦  高栄〜在学 
木谷茂雄  洋瑞 /S19
景浦正人  大天 /S19 在学/S26 別高三 S27海保に転職
新井和夫  崋山〜高東?
土田利八  辰桂 ・・・
松尾照弥  広道
小野 明  大天・・・太洋海運に移籍 乗船歴 春天 向日三席
谷津市之助 CMMC・・乗船歴S19/5 2ET昭豊(スルー海で爆沈)次席 S20大天局長 フリーで各船社船勤務後定年 目下福島県で健在
林 亦雄  光輝
田中友吉  高昌
馬渕郁次郎 高昌 ・・・S19/9 一高1
吉崎四郎  高明
久保禎三  高栄 ・・・S18/4 第二本科
和泉光雄  大天 ・・・S20/3 一高3・定年退職後「世界の地名・その由来 (アジア篇)」を講談社出版サービスセンターから刊行。
青木 孝  大天
石井一夫  大宙 ・・・
瀬川 毅・・・・・・・・S20 一普6
藤下俊夫
菊池金雄  大日  T9・S26海保に転職。S56退職 H14戦時体験記「硝煙の海」を武蔵野文学舎から自費出版(目下絶版。全文をホームページで公開、続報追加中)
 計37名
 
備考
太洋海運 無線監督 安部宗匡(戦後;国警通信部長)
大同海運 無線監督 柳瀬 務(戦後;神戸で甲南無線経営)
戦没者 景浦敏三(享年27)神戸市自宅待機中、S20年5月の空襲で防空壕に避難したが直撃弾のため新妻(享年23)ともども戦没された由。私は偶然空爆直前に彼宅を訪問後、向日丸に乗船した。
    小川肇 S17年選課卒 S20年5月向日丸次席 乗船中に発病。ソ連参戦下本船での空爆回避のため彼を羅津満鉄病院に緊急入院させた。
        駄目かと思った向日丸がソ連雷撃機の追撃を辛うじて逃れ、舞鶴に無事帰還。同年11月久木原局長と交代後、栃木県小山に疎開中の留守宅を訪ね妹さんに当時の状況を詳しくご報告するも慙愧に堪えないものがあった。事後、S20年8月10日同病院で病没と確認され、彼の処遇について自責の念大なるものがある。事後、毎年五月の戦没、殉職船員慰霊祭に参加してご冥福祈念につとめ、一方御遺族の消息を追跡したが会社が合併しため手懸かりが得られなかった。
    小川肇次席欠員時、向日丸に陸軍通信連絡将校として派遣されていた那和正夫陸軍少尉(S19年無線講一普卒)が自ら代理次席ワッチに従事した友情を深謝したい。

2018年05月18日 (金) 16時43分


[1099] 回想;非常勤国家公務員体験記
From:菊池金雄 [/]

                     仙台市     菊池金雄

 定年退職後、地元町内会の雑役を一期終えた途端、懇意になったK氏から、私の仕事を手伝ってほしいと言われたので、多分町内会の雑事だろうと応じところ、二か月後にある書類に記名捺印方を求められた。
 その書類は「保護司内申書」なので敬遠したら この書類は当局と折衝して二ケ月かかって、やっと入手したものなので、是非応じてほしいと懇望され、致し方なく受諾せざるを得なかった。因みに保護司は法務大臣委嘱の非常勤国家公務員である。
 そこで当局主催の「保護司研修会」に真面目に参加して実務習得に努め「道交法違反」「殺人犯」「窃盗犯」等の面々と対峙〜処遇に献身することになった。
 他方、各市町村には地区ごとに保護司会があり、地元の宮城野地区保護司会に加入して、ほぼ同年代の知友を得たのは幸いで、公私にわたり親交が深まった。
 保護司活動の外郭団体として、県、市区町村に「社会を明るくする運動」という組織があり、新米にもかかわらず、地区の実施委員長に推され辟易の態だったが、民生委員会等のご支援も得て盛り上がり、さらに宮城野区の実施委員長にも推され、区役所の応分のバックアップを求め、この運動の効果的浸透の展開を特記したいと思う。

2018年05月17日 (木) 15時48分


[1098] 能における「発声」の効用とは
From:菊池金雄 [/]

能や狂言の演者や謡、鼓の掛け声などは、非常に大きな声が特徴です。大きな声を出すには「腹から声をだせ」とよく言われます。この「腹」とは、気功や東洋医学などで臍下三寸にあるとされる「丹田」を指します(この場合の1寸は身長や指の大きさから割り出す相対的なサイズです)。
では、なぜ丹田から声を出すと、大きな声になるのでしょうか。
丹田からの発声では、筋肉が瞬時に非常に大きな力を発揮することが分かっています。これは、肋骨の内側の「横隔膜」とともに、骨盤底にある「骨盤隔膜」もが振動し、さらにこのふたつをつなぐ大腰筋をはじめとする深層筋が活性化される、いうメカニズムが働くからです。これが健康によい効果をもたらします。
また医療・治療の分野では、謡の発声の仕方が、リハビリテーションにも有用ではないかと着目する研究者もいます。
一方、大きな声は、私たちが無意識に「心」に掛けているブレーキをはずす、ともいわれます。運動選手がプレー中に大きな掛け声を出すのは、普段以上の力を出せると無意識に感じているのでしょうか。丹田からの発声は、自己を解放してストレスを発散し、心の健康を保つのにも効果がありそうです。
参考文献:
『能に学ぶ「和」の呼吸法』 安田 登 著 祥伝社刊

2018年05月16日 (水) 19時45分


[1097] 回想;小型タンカー昭豊丸爆沈記
From:菊池金雄 [/]

   H26年 菊池金雄
この船は戦時急造の三十五日間で進水した戦時標準船(2ET型タンカー 八三五総トン)で、当初パレンバン〜シンガポール間の局地原油輸送に、二ヵ年間派遣の指令を受け、昭和十九年四月十日門司〜鹿児島〜基隆〜マニラ経由シンガポール向け護衛なしの単船で**航海に挑戦し 何とかマニラに無事到着。ところがマニラの暁部隊命で、マニラ〜ミリ間に変更。またまた単船で同年十月二十日頃ミリに到着。近海油槽船所属共同丸(1090総トン)と重油搭載し、二隻船団に陸軍護衛船がパラワン島まで護衛したが、なぜか護衛を打ち切りUターンした直後、昭豊丸は同月二十五日パラワン島北辺のスルー海で米哨戒機に襲われ至近弾だけで沈没。船員一 海兵一 計二名戦死。幸い同行の共同丸に救出され、近くのコロン陸軍基地に揚陸後〜マニラ〜高雄経由〜翌年一月八日門司に無事帰還することができた。
 共同丸はその後マニラ経由で帰国途次の翌年一月六日一三三〇リンガエン湾で、アメリカ第三八任務部隊搭載機の爆撃を受けて沈没し、船員10名が戦死との記録を入手。切に、昭豊丸乗員を救出した恩人各位のご冥福を念ずる。

回想
 齢90途の今日、往時を回顧すると、**航海の途次の戦没は遺憾ではあるが、若し、共同丸と同様マニラ方面に回航したなら何れ米機に襲撃されたかも知れず、むしろ波穏やかなスルー海での戦没は幸いのようにも思われる。
 反面、米潜水艦の跳梁する海域単独航海の陸軍指令は、万一戦没した場合には救出不可のため、まさに特攻的無謀な軍命だったと断じたい。

沈没寸前の昭豊丸と同型船

2018年05月16日 (水) 14時57分


[1096] 謡曲との出合い
From:菊池金雄 [/]

                 H24年1月  菊池 金雄
 私が37歳のとき、職場(海保二管区本部)の上司より何か趣味を持つべしとのヒントから、書道・茶道・俳句・謡曲のサークルに入門してみたが、継続できたのは謡曲だけだった。
 当初、謡曲の講師を部外から招き、初心者に対し謡曲のイロハを黒板に書いて解説し、各自に基本的な発声を指導。一方、昼休みタイム時には同僚の千葉三次氏から手厳しく補講を受けた。途中で部外講師が辞任し、千葉氏も転職したため、部内の課長級が適宜指導に当っていたが、やがて転勤のため指導者が不在となったので、千葉三次氏の紹介で仲間6人が仙台の河合宇三郎師範に入門。内、私たち初心者三人は、師範代の女性師から習うことになったのは不本意ながら致し方がなかった。定年退職後も20余年受講したことになるが、一番困ることは、四季のお習会の際の地頭が女性師のため音階が合わず、小声で謡うと声を出すなとお叱りをうけるのだった。
 あるときの初謡会で件の女性師から神歌のシテを指名されたので暗記に勤めるも、本番で絶句・・・師は小声でバックアップしたが難聴のため届かず、仲間が中継してやっとつなげた失態があったので、事後、入浴時、約一年間神歌の暗記に精進・・・このため自身の発声力も高まったように思う。
 その後、旧職場OBの謡曲会が春秋に塩竃市で開催されるようになり、京浜地区のOBも参入して、素晴らしい地謡に感動させられたので、あるOBに君達は地謡の練習をしてくるの? と、質問したら NO.・・・地謡は地頭について謡えば良い・・・とのことで納得。
 しかしプロの朗々たる発声には何かテクニックがあるのではないかと様々文献を調べたところ、やっと適切な解説を見つけたので、目下これが習熟に励み、手ごたえを実感中である。
 私の独習法は、小謡を数曲暗記して、入浴時に修練している・・・と言う事は、難聴で自分の音量がつかめないきらいがあるので、浴室の反響効果を活用しているわけである。
 その後、女性師は高齢のため会は解散したので、最近は同門グループと交流、毎月一回三番ほど、リーダーが配役して発声を楽しんでいる。
 先般、地元町内会機関誌への投稿を求められたので「音痴が見つけて生涯の趣味」のタイトルで、趣味を模索の向きは「謡曲」をと! 呼びかけたところでもある。

2018年05月15日 (火) 19時26分


[1095] 葉隠れに生きる 森武
From:菊池金雄 [/]

http://nabeshimaishii.sagafan.jp/e61966.html#comments

2018年05月15日 (火) 15時26分


[1094] 高瑞丸の最後
From:菊池金雄 [/]

http://www.geocities.jp/ken_kikuchi3/kaneojp/03/0323.html

2018年05月13日 (日) 14時32分


[1093] 戦時船員たちの墓場 土井全二郎著 光人社NF文庫
From:菊池金雄 [/]

副題に「海を墓場に…戦時船員の記録」とある。
全編が戦争継続を底辺で支えてきた輸送船(戦時徴用船)の悲劇の記録集となっている。いずれもドラマティックな物語で、それぞれがドキュメンタリー小説の素材になりうるほどのものである。船の雄姿と元船員の写真(『戦時船員の記録』)が掲載されている。関係者には涙なくしては読むことができない本であろうと思う。
日本の敗戦は兵站力の貧弱さにあったといわれる。先の戦争では太平洋の全域に兵力を展開せざるを得なかった。それを維持していくための兵と食料、資材、武器などの消耗品を目的地に届けねばならない。さらに日本国内での需要を満足するための資源を外地から確保搬送しなくてはならない。それがどんなにか難しくまた危険な課題であったかをこの本は物語っている。
海は危険に満ちていた。敵側の潜水艦からの魚雷攻撃、飛行機からの空襲に輸送船は無防備で対抗できなかった。
船員は危険な海に出ていくのも隠密行動をとらされた。軍隊と同じである。家族も憲兵や特高の絶え間ない監視を受けていた。
軍艦なら話題になるが、漁船が襲撃されてもニュースにもならない。
開戦の日(昭和16年12月8日)の太平洋上は、どこもかしこも、一触即発の緊張状態であった。2隻の漁船が敵機により滅多撃ちにされている。漁船は沈み、早くも10名の漁民が戦死したのだが、報道はされていない。
章立ては1 暗雲、2 開戦、3 敢闘、4 苦闘、5全滅、6 落日 となっており、開戦前夜から全滅までの輸送船、徴用船の歴史と運命が描かれている。
『敢闘』の中の「敵潜水艦撃沈」という章では、敵潜水艦を2隻も撃沈した松本丸という老朽船の話に胸すく思いがする。「戦火の中の交情」では船員一人の命を守るため、駆逐艦・秋雲を停止して盲腸炎の手術をした話が語られている。
貴重な重油を搬送するタンカー6隻にたいし、護衛艦はたった一隻で、これには海防艦・対馬があたった。日東汽船のタンカー・旭栄丸は潜水艦攻撃で沈没、洋上に脱出した乗組員に銃撃を加えようとする敵潜水艦に対して、護衛艦は戦略上、軍律違反にあたるかもしれないところ、これを救助した。
 このあたりは日本側にまだわずかに余裕が認められる。しかし、貧弱な護衛では限界がある。日本側はしだいに全滅への道へと追い込まれていく。敵側の攻撃は潜水艦攻撃と飛行機による空襲によるものであるが、その物量に圧倒される。
 それでも戦地におもむくには、船に乗って海路を行くしかない。
船員も兵隊も死を覚悟して乗船する。陸路行軍の方がまだましだと思ったに違いない。小国民であった少年の私は、敵の攻撃によって船が沈没する状況を想像した。私は泳げなかったので海で水泳の練習にはげんだものである。
 海で果てた人たちの遺骨は永遠にかえることがない。
 補給線をたたれ、兵站力がなくなると、軍隊は、戦力を失う。兵隊は飢えと戦う結末となっていった。
米軍側は標的に事欠いたのか、非武装の病院船にまで無差別に攻撃をしかけてきた。国際規定どおりに夜間照明により煙突や船腹に赤十字を照らしていた。これは「明らかに国際法違反であった。かりに日本軍が連合軍側の病院船を一隻でも撃沈していたら、戦後、どれほど責任を追及されたことだろうか」と書かれている。
『全滅』にいたる章は読むことすら重いが、最終章の『落日』には味方陸軍潜水艦に突っ込んだ伊豆丸の話や大剛丸のたった一人の生き残りの船員の話が書かれており、まるで冒険活劇のようでわずかに読者に救いを与えてくれている。

2018年05月12日 (土) 19時23分


[1092] 引揚船32隻の画像
From:菊池金雄 [/]

http://www.geocities.jp/k_saito_site/hikiagesen1.html

2018年05月12日 (土) 16時58分







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